第28話 ウィルフェンスタイン夫妻
白く細い腕がふるふると震えている。
それは怒りによるもので、人形のように整った顔が怒りで赤く染まっていた。
「本当に、なんなのですかあの皇子と小娘は」
「そういってやるなよ、かわいそうなヤツらなんだって」
それでもなお美しさを損なわず、むしろ可憐さが際立つ妻の姿は、皇帝にはことさら愛おしく思えたらしい。
ぷんぷんと怒りをあらわにしているが、いつまでも少女のような己の妻に皇帝は目尻を下げて微笑む。
「頭がかわいそうにもほどがあるでしょうアレは」
「まァ、確かにそりゃそうなんだけどさ」
唇を尖らせ、拗ねたような上目遣いの妻の姿に、皇帝はもはや威厳など存在していなかったかのごとくデレデレだ。
なだめるように妻を抱きしめながら、よしよしと頭を撫でているが、今これが皇帝だと市民に知られれば確実に評価が下がってしまいそうな顔を晒している。
「どうして妾のかわいいかわいいムーが、あんな目に遭わなければならないんです……!」
「うん、そうな」
「あなたは……! 陛下はどうして怒らないのですか……!?」
「んにゃ、怒ってるよ?」
「ではなぜそんなにも冷静なのですか……!」
今にも泣きそうな顔で皇帝の胸を叩く妻の言葉に、皇帝の雰囲気が変わった。
「あンなァ……セレス、俺だってキレてないワケねェのよ。ハラワタ煮えくり返ってる。でもな」
「……はい」
怒りを押し殺し、それを表情に一切出さない代わりにか、金色の目の奥でギラギラとした殺意が揺れる。
「アイツらがあーゆーことしねェと、ダメなンよ」
「どういうことです……?」
「自分達がどれだけ恵まれてて、どれだけ愚かで、どれだけ浅はかなのか、今俺たちが理解させちまったら今までムーが耐えてきた意味が消えちまうだろ」
彼は知っていた。己の愛息子がどんな仕打ちを受けてきたのか。
しかし、それを当たり前のように耐えていた息子に、彼は手出ししなかった。否、出来なかった。
「途中で自分から気付いたなら更生の余地はある。それこそ、教育さえ上手くいけばムーの補佐としてじゅうぶん使える人間になるはずだと、ずっとあいつも俺も考えてきた」
それは愛息子の意志も、ほんのりとした情もあったからだ。
「だが、今回のことでそれが無理で、どうしようもねェヤツらだったとあのパーティでは証明されたよな?」
「はい」
そこまではしないだろう、そうなる前に気付くだろう。有り体にいえば希望的観測ではあったが、それは見事に打ち砕かれた。
「そりゃたしかに、余興を用意したとは言った。だが下位貴族ならまだしも、高位貴族達がそれを真に受けるワケがねェ」
「つまり……あれは……」
「そう、早めにどっちにするか、ちゃんと考えとけよっていう俺からのお達しに見えたハズだ」
愚かな彼らの行動は、目ざとい高位貴族達には演技であるようには見えなかっただろう。
となれば必然的に、皇帝は全てを予測した上で場を取りなすために『余興』としたと気付くはずだ。
皇帝の妻である皇妃は、納得したように頷いた。
「愚かで皇位継承権二位なだけの皇子と、強く賢く美しい皇太子の、どちらにつくか……。なるほど、理屈は理解いたしました。ですが、それでは妾の気が治まりませんわ」
納得はしたが、それだけでは足りない。
皇妃は眉をひそめながらギュッと唇を噛み締める。
「まァ落ち着けよセレス。排除すンのァ、いつでも出来るだろ?」
皇帝は皇妃の頬を、壊れ物を触るかのように優しく撫でる。すると、少しだけ落ち着いた皇妃が噛み締めていた唇をそっと開いた。
「そういわれれば……そうですね……」
「つーかさ……ムーにあんなことしといて、たかが排除だけで済ますのって、腹立たねェ?」
ニヤリ、と、皇帝が笑った。
それはとても悪どい顔で、そして、一般の感覚を持つ者が見れば恐怖に怯え、泣いて許しを乞うくらいには、悪役のような恐ろしい笑顔だった。
しかし、そんな夫の顔を見ても彼女の態度は揺らがなかった。
慣れているというより、嬉しそうにすら見える。
それは彼女の好みが『悪役のような笑顔が似合う男』だからだったりするのだが、それは割愛しておこう。
「たしかに、たったそれだけで済ますなんていけませんね」
「だろ? まずは手足をもいで動けなくしねェと」
「その上で絶望に泣き叫びながら無様に這いつくばってもらいたいですわ」
なんでもないことであるかのように笑い合う二人は、たしかに似た者夫婦と言えよう。
なお、皇帝の好みは『鋭い棘のある儚い華』なので、ものすごくドンピシャだったりする。
「そうな、出来ればそのあと、もういっそ殺せって言い出すくらいのなんかをしてやりたいよな」
「陛下、妾はそんなにひどい女じゃありませんわ。あの二人はまだ成人前の子供なんですのよ?」
「セレスは優しいな……」
「あら、そうかしら。本当に優しい人なら済んだことをこんなに気にしないのではなくて?」
「そんなのは人としての感情が欠如してっから出来ンだよ。俺は今のままのセレスがいいなァ」
「ふふふ、妾も、今のあなたが好きですわ」
似た者夫婦すぎて、背後で空気になっている従者達は遠い目になっていた。
むしろ甘々な雰囲気に白目になってしまいそうな程のイチャイチャ加減である。
従者達が心の中で『自分達も恋人欲しい』としみじみ嘆き始めたころ、ようやく二人は現実へ帰ってきた。
「まァ、これでアイツらの手足も綺麗にモゲてくだろ」
「そうですわね、頭の悪い者は一緒に潰すとして、賢い者は離脱するでしょうし」
「とはいえ、そいつらがムーに寝返るのも腹立つよなァ」
「でも、あの子が皇帝になるのには必要なことですわ」
どうやら夫婦の言う『手足』とは、手足として動く手駒のことを差していたらしいが、なんとも紛らわしいことである。
だが、あながちそちらだけではないような気がして、そのあたりは考えなかったことにした従者達だった。
「そうな。ムーは賢いから、マトモそうなヤツらだけ残るように選別するだろ」
「ええ、自慢の息子ですもの」
ふふふ、ははは、そんな風に笑い合いながら、二人は仲睦まじく抱き合っていたのだった。
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