錦田小雪は惚気る

出会いは、私が思っていたよりも唐突だった。

あの日、医者に「もう長くはないでしょう。こちらも全力を尽くしますが、あと3ヶ月持つかどうか…」と戯れ言を言われた私は、かなり不機嫌になっていた。

「そんなこと、私が一番分かってるわ」

ボソリと独り言を呟く。

小さい頃に難病をかかえてからずっと、入退院を繰り返してきた。

物心付く頃にはもう、病院の方が家に居る自今よりも長くなっていた。

だからこそ、自分が一番よく分かっている。

もう私に残された時間はほとんどないと。

そんな分かりきった暗いことを医者からぐちぐち言われるのは、私にとって最大ともいえるストレスだった。

それをたった今味わってきたのだ。

気分の優れない私は今すぐにでもそとの空気が吸いたかった。少しで良いから気分転換をしたかったのだ。

ただ、病院の外に出るにはいろいろと手続きをしなくてはならなくて、かなり面倒くさい。正直やりたいとは到底思わない。

どうしようかと悩んでいたとき、ふとこの病院に屋上があることを思い出した。

さすがに鍵かかってるかな…なんて思いながらも、ほんの少しの淡い期待を抱いて、私は屋上へと足を進める。

屋上へと続く階段は、そこまで長くないお陰か、案外キツくはなかった。

屋上の扉の前に立つ。

一度深呼吸をしてから、ゆっくりとドアノブを回す。

力を込めてぐっと扉を押してみると、扉はビクともしなかった。

さすがに鍵かかってるかと思って苦笑しながら、なんとなく扉を引いてみると、今度はいとも簡単に開いてしまった。

押してダメなら引いてみろとはまさにこのことを言うのだろう。

屋上へ出てから、柵のあるところまで歩く。

少し緑のあるけどちゃんと大きな建物なんかも多い、都会なのか田舎なのかよく分からない景色は、見ても大して感動できるようなものではなかった。

高い位置にいるからだろうか。風が強くて、帽子なんてかぶっていたらどこか遠くへ飛ばされていきそうだった。

(私がもし帽子だったら、この風に乗ってどこか遠くを旅できるのかな)

そんなことを考えてみる。

こういうとき、普通は鳥を想像するのだろうが、生憎鳥というものを絵本でしか見たことがなく、鳥がどんなものなのか詳しく知らない私は、病院内でもたまに見かける帽子に憧れるしかなかった。

自分の知識のなさに落胆していると、屋上の扉が開いた音がした。

げっ、看護師が追いかけてきたか?と思い、最初は無視していたが、あまりにも話しかけてこないから気になって振り返ってみる。

そこにいたのは、私とはちょっと違う病院服を着た、私より少しだけ年上そうに見える女の子だった。

こういうときはまず挨拶をして、適当に話をするというのは大人たちを見てきて学んだ。だから取り敢えずそれに習い

「こんにちは。あなたも外の空気を吸いに来たの?」

と、定型文のようにして彼女に接する。

「可愛い」

彼女から返ってきたのはあまりにも予想外すぎる返答だった。

一瞬戸惑いを見せてしまったが、先ほどの言葉に対する返答を冷静に考える。

こういうとき、看護師さんはまずお礼を言って、これから相手にお世辞を言っていた。だから、もう一度それに習って

「ありがとう。あなたの声も素敵よ」

と、完璧な言葉で返事をする。

これなら大丈夫だろうと思っていると、唐突に

「名前、聞いても良い?」

と言われた。

またもや予想外の発言が飛んできたが、これに対する応答は考えるまでもない。

「錦田小雪よ。小さな雪と書いて小雪。あなたは?」

さあ、どんな返答でもかかってこい。完璧に応答してやる。

そういう意気込みでいると

「私は藤宮美姫。美しい姫と書いて美姫。よろしく」

と、平凡、というよりかは定型文のようなものが返ってきて、少しだけ困惑した。けれど、これが普通だったから途惑うことはなかった。

相手の出していた手を握り返す。

「愛してる」

何も予期していないタイミングにストレートが飛んできた気分になる。

いきなりの告白はこちらもかなりテンパったが、それを上手く隠すようにして返事をする。

「あら、嬉しいわ。こんな可愛い子に愛してるって言われるなんて、今日はラッキーな日ね」

彼女は顔を真っ赤にして、ずいぶんと嬉しそうだった。

私はこの時、彼女にとても惹かれた。

大人からは感じられない、独特の魅力が、彼女には多く詰まっていた。

「ねぇ、私たちお友達にならない?」

ふいにそんな言葉が出る。

彼女に影響されたのか、頭で考えずに自然と思ったことが口に出てしまっていた。

少しだけ頬が緩みそうになると、急に彼女は自らのほっぺをつねってから痛そうにしはじめる。

「…大丈夫?」

ほっぺもそうだけど、主に頭とか。

「大丈夫です」と言われたが、はっきり言って、何が大丈夫なのかは全く理解できなかった。

「こちらこそ、お友だちからよろしくおねがいします!」

右手を差し出しながら叫ばれる。

面白い子だなと思いながら、その手を握り返す。

そこから、私の日常は少しだけ色付いたように思えた。


彼女と会うのはとても楽しかった。

大人はいつも同じような会話ばかりして、なんの変化もしたりしない。それの何が楽しいのか、私には理解できなかった。

つまらない毎日をなんとなく過ごすことが幸せなのだろうか。

いつも考えさせられていたけれど、私の答えは絶対にNoだった。

だからこそ、同じような日々を過ごしていた私にとって、彼女はまるで白馬に乗った王子様のようだった。

彼女には会うたびに、私は彼女が魅力的に思えていって、会えば会うほど彼女を愛おしく思っていった。

そんなある日のこと。

いつものように彼女とはなしていると、ふと「私も恋愛してみたかっなぁ…」なんて話題が出てきた。

私はこれをチャンスだと思った。

だから、私は一世一代の真剣な思いを彼女に伝えるために、この話題を利用することにした。

「だったら…私たち、付き合ってみない?」

「へ?」

彼女からずいぶんと間抜けな声が出てくる。

こんな声も出るんだなと、より一層彼女を好きになっていく。

彼女は理解できないようで、口をパクパクさせるだけだった。

だから私は、彼女を後押しするために、一世一代のお願い事をした。

「これは本気なの。私はあなたとお付き合いをして、恋愛をしたい。それが私の願い」

チラッと彼女を見てみる。

さっきよりも顔は赤みを帯びており、これは押したらいけるのではという謎の自信が湧いてきた。

「あなたは以前、私に愛してるって言ったわよね。あのときは正直驚いたわ。取り敢えずで返事をしてしまったけれど、今ならはっきり私の意見を答えられる。私も、あなたをあいしているわ」

少しだけ早口になりながらも、彼女に愛を伝える。

彼女は涙を流しながら、嬉しそうに微笑んでいた。

「その涙は、yesと受け取ってもいいのかしら?」

yesだろうと確信してらいるが、一応聞いてみる。

答えはもちろん、言葉にはできてないけれど、yesということだった。

「じゃあ、これからよろしくね。美姫ちゃん」

このとき顔がニヤけていたことは、彼女にバレてないと嬉しい。


付き合い始めても、案外日常に変化というものは訪れなかった。

ただそれでも、私の日々というものはとても充実していた。

ただ、私は少し浮かれすぎていたのかもしれない。

その日も私は彼女と会うのを楽しみにして屋上へと向かった。

いつもは私が先に来ているのだが、今日だけは、美姫ちゃんの方が早く来ていた。

珍しいこともあるものだと思っていると「聞いて聞いて!」と彼女は嬉しそうに私の方へと近寄ってきて、いつものように話をし始めた。

ただ、その内容は、私にとってはあまりにもショッキングなことだった。

「私、ついに退院できるまで回復したんだって!」

その言葉に全身を殴られる。

息が詰まって、呼吸ができなくなりそうになる。

ただ、愛しの彼女がこんなにも喜んでいるのだ。私も喜ぶのが当然というもの。

「へぇ、そんなんだ。それは良かったね!」

面に出さないように注意しながら彼女に接する。

ただ、そんなことは彼女には無意味らしい。

「…何か事情とかあったりするの?」

私の精一杯の隠し事はあっさりと見破られてしまった。

少しだけ、彼女からの目を逸らす。

ただ、彼女の真剣な眼差しを無下にもできず、意を決して彼女に告白する。

「私、もう長くないんだ。」

一度彼女から目を逸らす。悲しい顔を見ていると、話せなくなりそうだったから。

「私の病気、治らないらしくてさ。持ってあと1ヶ月ってところまで迫ってるの」

改めて彼女の目を見る。伝えたいことは目を見て言わないと、きっと伝わらないから。

だから、しっかりと彼女の目を見てから口を開く。

「最後くらい、あなたと一緒に居たかったなって…ただそれだけの、私のわがまま。もう退院するあなたには何にも関係のない、無責任で押しつけがましい願望」

全てを諦めて、彼女を見つめる。

彼女は何も言えなくなっていた。

だから、何も言えないうちに、さっさと消え去ろうと思った。

「楽しい時間をどうもありがとう。そして、永遠にさようなら。私の愛しい人」

悲しさを感じる前に去ろうとすると、彼女に抱きつかれた。

振りほどこうにも、私の力ではどうしようもできないほどに強く、強く抱きしめられる。

彼女の嗚咽だけが聞こえてくる。

「もう、全く…そんなに私と一緒に居たいの?」

彼女はゆっくりと頷いた。

「じゃあ、私と一緒に死んでみる?」

そのとき私が何を思ったのかは分からない。分からないけれど、きっと、私の望むことを口にしたんだと思う。

そんな私の願望に、彼女は答えてくれた。

「分かったわ。」

緩みきった頬のまま、彼女を抱擁して頭を撫でる。

彼女の愛は、私を完全に壊してしまっていた。

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