堕ちて、落ちた
Aoi人
藤宮美姫は語る。
私は全てを失った。
鬱というたった一つの綻びのせいで、何もかもがズレて絡まり、そして、静かに千切れた。
ただ、それを悲しむことはできなかった。何かに対して執着できるほど、私は人間らしくなかった。
ただ、そんな私にもやっと、執着したいと思えるものができた。
私の可愛い可愛い恋人、
こんな化け物のような私を、彼女は『好きだ』と。『愛してる』と。そう言ってくれた。
私は人生で最も幸せな気分になっていた。私なんかを愛してくれる人がいることが、私にとっての生きる意味になった。
ただ、だからこそ、私は彼女に酷く依存してしまい、落ちていってしまったのだろう。
初めて彼女と出会った日は、カーテン越しでも目を
私は療養という形で入院したためか、閉鎖病棟ではなく、一般病棟に入っていた。そのため病院内であれば、ある程度は自由に行動できた。だからその日、私は死ぬために屋上まで行ったのだ。
ただ、そこには先客がいた。
その先客こそ、後に私の愛おしい彼女になる、錦田 小雪だったのだ。
屋上の柵に手を掛けながら空を見上げる彼女は、およそ病人とは思えないほどきらきら輝いて見えた。
眩しいなぁと思いながらその綺麗な輝きに見とれていると、私の視線に気付いたのか、彼女は私の方に振り返った。
「あら、こんにちは。あなたも外の空気を吸いに来たの?」
どこか幼さを感じる、可愛らしい声が聞こえてくる。
「可愛い」
私の第一声は、質問の答えにならないものだった。
彼女は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、大して気にした様子はなく
「ありがとう。あなたの声も素敵よ」
と、笑顔でそう言った。
「名前、聞いても良い?」
気付いた時にはもう聞いてしまっていた。
(名乗りもせずに聞くのはさすがに失礼だったか…?)
そう思って少しだけ焦る。視線が少しだけ彼女から逸れる。
逸らした視線を元に戻すとすぐ、彼女は自己紹介をしてくれた。
「錦田 小雪よ。小さな雪と書いて小雪。あなたは?」
可愛らしい名前だと思いながら、意識をしっかり持って質問の答えを探す。
「私は藤宮 美姫。美しい姫と書いて美姫。よろしく」
そう言って右手を差し出す。彼女はそれを優しく握り返してくれた。
今回こそはちゃんと答えれたと確信してほっと胸をなで下ろす。
改めて、ゆっくりと小雪を観察する。
綺麗に整った顔は、元国民的アイドルと言われても違和感がないだろう。
長いまつげに潤いのある唇、大きな二重の目に反比例するような小さな鼻。誰もが1000年に一人の美女と謳ってもおかしくはないほどに可愛らしい顔をしていた。
つい見とれてしまう。
それに気付いたのだろうか、彼女は優しく微笑んでくれた。
その微笑みにまた釘付けになる。
「愛してる」
思わず口から変な言葉がこぼれ落ちる。
「あら、嬉しわ。こんな可愛い子に愛してるって言われるなんて、今日はラッキーな日ね」
そんな言葉ですらちゃんと受け止めてくれる彼女は、聖母と称するに相応しいほど私を優しく包み込んでくれた。
彼女に感激して、頭の中が彼女のことでいっぱいになっていたとき
「ねぇ、私たちお友達にならない?」
と可愛らしい彼女の声が聞こえてきた。
自分の耳を疑う。
私が?この美少女と?
都合の良い夢でも見ているんじゃないかと思い、自分の頬を力強く捻る。
いったぁ…
頬にしっかりと激痛が走り、涙目になりながら心でガッツポーズをする。
「…大丈夫?」
頬をさする私を純粋に心配してくださる女神に「大丈夫です」と一言だけ伝えてから、彼女の目をしっかりと見つめ直す。
「こちらこそ、お友だちからよろしくお願いします!」
告白のような言動と共に右手を差し出す。
引かれていないかと思い、チラッと彼女を見ると、彼女は優しく微笑みながらその手を握ってくれた。
そのときの私の心をどう表現すればいいかは、私の語彙力では表せないが、それでも凄く嬉しかったことだけは確かだ。
お友だちになった私たちは、天気の良い日は必ず屋上で会って、いろいろなことを話した。
『私は親にも捨てられて』とか『学校のいじめは進化し続けて、よりバレないようになっていって』とか、そういう重い話もした。
けれど、彼女はそれを抱擁するように優しく受け止めながら、私を慰めてくれた。
今思うと、私はそのたびに彼女のことが好きになっていった気がする。
雨の日は彼女に会えなかったが、次会ったときはどんな話をしようと考える時間は、案外嫌いではなかった。
そして、彼女からとある提案をされたのは、私たちが出会ってから1ヶ月が過ぎようとしていた頃だった。
「私、一度でいいから恋愛してみたかったんだよね。やっぱり、女の子だから憧れちゃうじゃん?」
私がなんとなく、特に深い意味も込めずに言った一言だった。
先ほどまでニコニコしていた彼女とは打って変わって、少しだけ真剣な表情を私に向ける。
「だったら…私たち、付き合ってみない?」
「へ?」
彼女の、想像の斜め変な方向を向いた返事に、ずいぶんとひょうきんな声が出る。
つ、付き合う?私とこの女神様が?正気か?
嬉しさよりも驚きが先行して、金魚みたいに口をパクパクとさせる。
いつもなら微笑みながら「ちょっとからかってみただけよ。ふふっ」なんて言いながら、また別の話を始めるのだが、今日だけは違った。
彼女はさっきよりも真剣な目をして
「これは本気なの。私はあなたとお付き合いをして、恋愛をしたい。それが、私の願い」
その言葉に反応して、心臓がうるさく鼓動を始める。
「あなたは以前、私に愛してるっていったわよね」
そういえば言ったような気もする。
思わず口から出た言葉だったのか、正直あまりはっきりとは覚えてはいない。
「あのときは正直驚いたわ。取り敢えずで、返事をしてしまったけれど、今ならはっきりと私の意見を答えられる。私も、あなたを愛しているわ」
なんというのが正解なのだろうか。いや、正解を見出そうとするのはいささかナンセンスかもしれない。
感激にも似たような、驚嘆にも似たような、そんなよく分からない感覚に脳を支配される。
「…その涙は、yesと受け取ってもいいかしら?」
彼女の言葉を聞いてようやく、頬が湿っているのに気づく。
私の喉は、もう機能していなかった。
口だけがパクパクと動き、私の声は一切響かない。
ただそれでも、身振り手振りで私の思いを伝えようとする。
彼女は静かに微笑んで
「じゃあ、これからよろしくね。
と言って、悪戯っぽく笑って見せた。
私はそのときが、一番幸せだったかもしれない。
付き合い始めても、私たちの日常に大きな変化は訪れなかった。
晴れている日に屋上で会って、他愛もない話をして、雨の日は会えなくて少し悲しくなって。
だけど、そんな『日常』はとても心地良かった。
そのお陰もあってか、だんだんと私の病も回復へと向かって、遂には退院できるレベルにまで回復した。
正直、私は嬉しかった。
また外の世界に戻れるんだと。普通の女の子に戻れるんだと。そんな風に思っていた。
私この喜びを真っ先に、彼女…小雪に報告した。
「私、ついに退院できるまで回復したんだって!」
そう言いながらにこやかに話す私とは打って変わって、彼女の表情はとても暗く、深い悲しみだけが感じ取れた。
「へぇ、そうなの…それは、良かった……ね。」
いつものハキハキとした様子は一切なく、言葉がたどたどしくて、弱々しい。
「何か事情とかあったりするの?」
力になりたい。その一心で彼女に質問をした。
私の真剣な目をみた彼女はゆっくりと、小さな口を精一杯に開けながら答えてくれた。
「私、もうそんなに長くないんだ」
心臓がどくりと嫌な音を大きく上げる。
「私の病気、治らないらしくてさ。持ってあと1ヶ月ってところにまで迫ってるの」
彼女の哀愁を帯びた声が耳に刺さる。
痛い。
自分が経験したどんなことよりも、強く痛みを感じさせられる。
「最後くらい、あなたと一緒に居たかったなって…ただそれだけの、私のわがまま。もう退院するあなたには何にも関係のない、無責任で押しつけがましい願望」
違う。
そんなのじゃない。
そんな言葉で片付けていいわけがない。私は本気で、あなたを愛している。あなたのために全てを尽くしたいと思っている。
声を上げようとした。大きな声を、張り上げようとした。
でも、全部喉でひっかかって、声なんてものは一切出ない。
そのくせ、声を出そうとするたびに、意味のない涙だけがしつこく流れ落ちてくる。
泣きながら口をパクパクさせる時間だけが、静かに過ぎていく。
彼女はまた、やさしく微笑んだ。
「楽しい時間をどうもありがとう。そして、永遠にさようなら。私の愛しい人」
そう言って立ち去ろうとする彼女に抱きつく。
必死に口を動かしても、出てくるのは嗚咽だけだった。
「もう、全く…そんなに私と一緒にいたいの?」
ゆっくり頷く。
「じゃあ、私と一緒に死んでみる?」
迷わずに、もう一度ゆっくりと頷く。
「…分かったわ」
彼女は私を優しく抱き返して、そっと、頭を撫でてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます