アガパンサスの押し花―3

「どんな絵を描くの? 油絵とか?」

「一応、日本画専攻」


 これはちょっと意外。浅尾さんって、なんていうか、全体的にアバンギャルドな雰囲気なのに。


 今日のファッションだって、一歩間違えれば奇抜と言えなくもないけれど……いや、どう見ても奇抜なんだけど、浅尾さんは不思議と似合っているのよね。スタイルがいいし、街を歩いているだけで絵になりそう。


 でも日本画を描いているようには、まったく見えない。


「すげぇ意外って顔してる」

「う、うん。めちゃくちゃ意外」

「父親が日本画家だったんだよ。子供のころに死んだから、あんま覚えてねぇけどさ。それでも父親の絵が好きで、真似をしてずっと描いていたら、こうなったってわけ」


 そう話す浅尾さんの顔は、すごく穏やかで。本当に絵が好きなんだなって感じる。というより、お父さんのことが大好きなのかな。


 初めて浅尾さんの内面に触れて、なんだか嬉しくなった。


「私、芸術方面はさっぱりなんだけど……ネットで検索したら、お父さんの絵って出てくる?」

「出てくるよ。『浅尾瑛士えいし』で検索したら。王偏に英語の英と、武士の士ね」


 言われた通りスマホで検索すると、どこかノスタルジックな雰囲気の絵がたくさん出てきた。


 思わず目を奪われてしまうほど、綺麗で優しい作品ばかり。その中のひとつに、浅尾さんがLINEのアイコンに設定している風景画があった。


 そっか。あれはお父さんの絵だったんだ。なんだか、心がじわっと温かくなった。


「すごく綺麗。ごめん、私の語彙力では表現できないんだけど。なんだか、優しい感じがする絵だね」


 私が言うと、浅尾さんはいままで私が見た中で、一番優しい顔をして笑った。そんな表情を見たら、さすがに胸の奥がキュッとなる。


 検索結果には、ご本人の写真と来歴も出てきた。

 浅尾さんと目元がそっくり。藝大は、お父さんの母校でもあるんだ。16年前に病気で亡くなったってことは、浅尾さんが5歳ぐらいのとき?


 あまり記憶にないって言っていたけれど、同じ道に進むぐらいだから、きっとお父さんのことを尊敬しているんだろうな。


 あ、まずい。私の中で、浅尾さんの株が急上昇している。

 ダメダメ、口説かれているのは私のほうなんだから。こっちが優位に立たないと。私は追いかけちゃダメ。追いかけられる側にならなきゃ。


 浅尾さんが頼んだミックスジュースを、店員が運んでくる。注文を受けた店員とは別の人だったからか、ミックスジュースは私の前に置かれた。


「オレが飲むと思ってねぇな、あの店員」

 

 浅尾さんのちょっと拗ねた顔と言い方が可愛くて、思わず笑ってしまった。


「今日、朝からなにも食っていなくてさ。だから栄養補給」

「私もミックスジュースにしたらよかったかな。美味しそう」

「飲む? まだ口つけてねぇし」

「え、でも」

「ここのミックスジュース、ミカンが強くてオレ好みなんだよ。美味いから、飲んでみ」


 浅尾さんに促されて、ストローに口をつける。リップ、色落ちしないかな……。

 ミックスジュースって、果物の量とか配分で全然味が違ってくるけど。浅尾さんの言う通り、このお店のはミカンが強めで、爽やかな酸味と甘みが口の中に広がった。


「あ、美味しい。私もミックスジュースはミカン強めが好きなの」

「もっと飲んでいいよ」

「でも、浅尾さんの栄養が……」


 浅尾さんが声を上げて笑った。あぁもう。笑い声も笑顔も、いちいちかっこいいのは、なんでなの。


「オレの体を心配してくれてんの? 大丈夫だよ、もともと1食しか食わねぇことが多いし」


 そう言えば合コンのときも、朝からなにも食べていないとか言ってたっけ。

 でも別にそこまでガリガリに痩せているようには見えないし、体格はしっかりしているのよね。一体どういう生活をしているんだろう。


「もうひとつ頼むから、それは飲んでいいよ。オレが待たせたせいで、コーヒーを飲み干しちゃってるみたいだし。そのお詫びってことで」


 浅尾さんは店員を呼んで、もうひとつミックスジュースを注文した。

 やっぱり優しいよね、この人。七海の言う通り、ヤリモクだから優しいの?


 100%信じ切れているわけではないけれど、私にはそうは見えない。見た目とか上辺の言動だけ見たら、チャラチャラして軽そうって感じるけれど。でもなんだか不思議な魅力があって、やっぱり浅尾さんのことをもっと知りたいと思ってしまった。


「今日、いきなり誘ってごめんね。連絡くれたのが嬉しかったからさ。はやく会いたくなっちゃって」


 浅尾さんにこんなことを言われて、ドキドキしない人なんているんだろうか。心臓の音が浅尾さんにも聞こえてしまうような気がして、ミックスジュースを飲んで誤魔化した。


 すると、浅尾さんが口元に笑みを浮かべながら、じっと見つめてくる。


「な、なに?」

「可愛いものは、じっと見たくなるんだよね」


 そ、そうだった。私は口説かれているんだよね。これぐらいで動揺したらダメ。つけ入る隙がありすぎるって、思われないようにしなきゃ。


 可愛いなんて、言われ慣れているでしょ。冷静にならなきゃ。赤くなるな。そうよ、私が可愛いのなんて当たり前なんだから。

 

「……浅尾さん、なにも食べていないなら、軽食を頼んだほうがよかったんじゃないの?」


 なんとか平静を装って、話題を変えた。


「急いできたからさ。いきなり固形物を口にすると、吐きそうじゃん」

 

 そんなに急ぐほど、私に会いたかったってことよね。やっぱり、私が追いかけられる側よね。


 でも浅尾さんは、私のどこを気に入ってくれているのかな。この前だって、そんなに長時間一緒にいたわけじゃないし。


 やっぱり私の顔が好みとしか考えられないんだけど。芸術家だし、きっと綺麗なものが好きなんだろうから。

 

「浅尾さんって、ひとり暮らしなの?」

「うん」

「朝ご飯は、ちゃんと食べたほうがいいよ」

「朝起きるのは苦手でさ。気がついたら時間がなくなってんだよね。そんで学校に行って絵を描いていたら昼飯も食い損ねて、結局夜だけみたいな。たまに夜も食べ忘れるけど」


 食べ忘れるって……やっぱり、典型的なアーティスト気質なのかな。どんなときでもお腹が空いてしまう私には、よく分からない感覚かも。

 

「朝起きられないってことは、低血圧?」

「そうかもな。でもまぁ単純に、不規則で寝るのが遅いんだよ」

「自炊しないの?」

「しないね、まったく。そもそも調理器具が家にねぇもん。電気ケトルぐらいはあるけど」

「じゃあ、毎日外食? コンビニ弁当とか?」

「コンビニ弁当は食わねぇなぁ……」


 言いながら、浅尾さんはまた私をじっと見てニヤニヤしている。

 

「こ、今度はなに?」

「いや、なんかいろいろ訊いてくるからさ。オレに興味を持ってくれたのかなって」


 あ、しまった。浅尾さんのこと知りたいって気持ちが、前面に出ちゃった。でも浅尾さんは、すごく嬉しそうな顔をしている。


「もっといろいろ質問してよ。愛茉ちゃんが知りたいことなら、なんでも答えるからさ」


 浅尾さんって一見ミステリアスで、質問してもはぐらかされそうな感じだったんだけど。案外そうでもないのかな。


 向こうからそう言ってくれるなら、とことん訊かなきゃ逆に失礼よね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る