アガパンサスの押し花―2

 長い長い授業がようやく終わったあと、真っ先にバッグからスマホを取り出す。

 画面を見ると、浅尾さんから返信がきていた。時間は2分前。ついさっき。


『今日の午後、会えない?』

 

 メッセージは、そのひと言だけだった。私は慌てて隣の七海に声をかける。

 

「七海、きた」

「え、浅尾さん?」


 メッセージを見せると、七海の目が輝いた。


「めっちゃタイミングいいじゃん!」


 今日は予定されていた午後の授業がなくなってバイトも休みだから、学校が終わったら七海と渋谷へ遊びに行くことにしていた。

 

「でも、七海との予定が」

「なに言ってんの、そんなのいつでも行けるでしょ。浅尾さん優先!」

「だって寝不足なのに……」

「さっきより顔色いいし、血色がよく見えるメイクをしてあげるから」

「で、でも今日の服、変じゃない?」

「大丈夫! いつも通り、めっちゃ可愛い。ほら早く、返事しなきゃ」


 とりあえず、今日の授業は午前だけで午後は予定がないと返信すると、すぐに既読がついた。

 

『14時に渋谷でいい?』


 どうしよう。変な汗かいてきた。

 やっぱりこれって、デートなの? つまり初デート? そもそも、付き合っていないのにデートって言うの?


 案の定、次の授業もまったく集中できないまま終わってしまった。今日はなにをしに学校へきたんだろう……少し自己嫌悪。


 七海が可愛くメイクしてくれたから、とりあえず寝不足のひどい顔はマシになったけれど。でも、もっと可愛い服を着てくればよかったって後悔している。こんなカジュアルなパーカーじゃなくて、フェミニンなカーディガンとか。


 別に、浅尾さんのためじゃない。女の子はいつでも誰にでも、可愛く見られたいものでしょ。ただそれだけだし。

 とはいえ、帰って着替える時間もない。仕方なく、そのまま渋谷へと向かった。

 

『ごめん。学校を出るのが遅くなって、20分ぐらい遅れそう。カフェでゆっくりしてて』


 渋谷駅へ着く少し前、浅尾さんからメッセージがきた。カフェの場所も添えてある。「適当に店入ってて」とか言いそうなものだけど、私がうろうろと迷わなくていいように気を遣ってくれたのかな。


 浅尾さんが指定したカフェは、すごく分かりやすい場所にあった。そして静かすぎず、騒がしすぎず、ちょうどいい雑音が落ち着く雰囲気。

 でも私は、そわそわしてまったく落ち着かない。何度もスマホと鏡を見て、コーヒーをひと口飲んでは店の入り口を見つめて。

 早く来てほしいような、少しだけ怖いような。感情が忙しかった。


 そしてすっかりコーヒーを飲み干してしまったとき、サングラスをかけた長身の男性がカフェに入ってきた。


 鮮やかなタイダイ柄のシャツに、花やら蝶やらがプリントされた、ド派手なジャケットを羽織っている。さらにボトムスは、あちこちに和柄があしらわれたパッチワークデニムで、どこを切り取っても目を引く出で立ち。

 そのいかつい風貌に思わず釘づけになっていると、男性はサングラスを外して、店内を見渡した。


 この前と髪型が違うけれど、あの鋭い眼光は間違いなく浅尾さんだ。頭の下半分を刈り上げていて、パーマがかかった髪を高い位置で結んでいる。マンバンっていうんだっけ? こういうヘアスタイル。

 ところどころにオレンジのハイライトが入っていて、おくれ毛を残してざっくり結んでいるのが、アンニュイな雰囲気を醸し出している。


 でもなんか、さらに派手になってるんだけど。ていうか、あんな格好で学校へ行っているの? 浅尾さんって、一体何者?


 私と目が合うと、浅尾さんは微笑みながら軽く手を上げた。

 

「ごめん、遅くなって。教授に捕まっちゃってさ。話がなげぇんだよ」

「ううん、大丈夫。このカフェ、落ち着くし」

「えーっと、ミックスジュースで」


 水を持って来た店員に言いながら、浅尾さんが向かいに腰を下ろした。

 ミックスジュースって、なんだか可愛い。エスプレッソとか飲んでいそうなのに。


「髪型、変えたんだね。色も違うし」

「あぁ、色は変えたけど、髪型は変わってないよ。この前は、結んでいなかっただけ」

「え、そうなの?」

「ほら」


 ほどいた髪が、浅尾さんの顔にはらりと落ちる。

 

「ホントだ。すごく印象変わるんだね」

「二度おいしいんだよね、オレ」


 おいしいって……なにがよ。浅尾さんって、やっぱり見た目だけじゃなくて、言動が独特だな。

 

「どっちが好き? 結んでいるのと、下ろしているの」

「ど、どっちでもいいんじゃない? ていうか私は、爽やかな短髪が好きだもん」


 危ない危ない。どっちもかっこいいって言いそうになっちゃった。

 そうよ、髪が長い男の人は好きじゃないんだから。やっぱり、清潔感があって爽やかな短髪が一番。全然ときめいてなんて、いないんだから。


「愛茉ちゃんの好みではないか。そりゃ残念だな」


 浅尾さんは、下ろした髪をかき上げながら言った。こういうなにげない仕草のひとつひとつが、妙に色っぽい。この人の色気は、一体どこからきてるんだろう。


「そう言えば合コンを抜け出したこと、友達になにも言われなかった?」

「あ、うん。大丈夫」

「それならよかった。でも、ホテルに行ったって思われてたんじゃね?」

「う、うん……」

「まぁ、普通なら行くよな。本当は、オレも連れ込みたかったし」


 思わず目を見開くと、浅尾さんが小さく吹き出す。


「冗談だよ、そんな顔すんなって」


 本当に冗談なのか、実は本気なのか……全然分からない。


 絶対、いろんな女を知っている。七海の言葉を思い出す。こんなふうに余裕を見せているのは、やっぱり経験が豊富だからなのかな。

 

「……浅尾さんって、あの人たちとは仲いいの? 一緒に、合コンに来た人たち」

「幹事やっていた奴いるだろ、楠本翔流くすもとかけるっての。あいつは高校からの友達だけど、ほかのふたりは別に仲いいわけじゃねぇな。普通って感じ」


 楠本さんの顔は覚えている。浅尾さんとは対照的に、理詰めが得意な理系男子って雰囲気だった。

 

「でも、みんな同じ大学なんでしょ?」

「いや、オレはあいつらと同じじゃないよ。言ってなかったっけ」

「え? 全員同じ大学って、言っていたような……」

「そうだっけ? 覚えてねぇな。ほか3人は同じだけど、オレは藝大だよ」

「藝大? え、東都藝大?」

「そう。証拠、見る?」


 浅尾さんは、カードケースから学生証を取り出した。


 いまより髪が短くて少し幼い感じだけど、写っているのは確かに浅尾さんで、間違いなく「東都藝術大学」って書いてある。所属は美術学部で、絵画科……つまり、浅尾さんは絵を描く人ってこと?


「……現役合格?」

「うん。これでも真面目に通っているし、留年もしていないよ」


 東都藝術大学と言えば、東都大学よりも入るのが難しいって言われている超難関の国立大でしょ。ある意味で、本当の天才が集まる場所だって話だけど。


 もしかして、浅尾さんってすごい人なのかな。

 

「浅尾さん、絵描きだったんだね」

「ただの遊んでる大学生と思ってた?」

「そんなことは……少し、あったけど」

「まぁ、よく言われるけどね、チャラいって。こんな見た目だし?」


 浅尾さんは、悪びれもせずに言った。一応そこは自覚しているのね。

 でも藝大生と聞いて、浅尾さんが独特の雰囲気を持っている理由が分かった気がする。

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