アガパンサスの押し花―4
「えっと、浅尾さんのその目って、カラコン?」
いきなり深い部分を突っ込んだら面倒な女と思われそうだから、とりあえず最初に気になったことから訊くことにした。
「あぁ、色か。カラコンじゃないよ」
「え、じゃあハーフとか?」
「オレはクォーター。母親がフィンランド人と日本人のハーフだから」
どうりで、綺麗な顔をしているわけだ。背が高いのも、フィンランドの血が混ざっているからなのかな。
「きっと綺麗なんだろうね、浅尾さんのお母さん」
「まぁ、モデルをやっていたしな。本職はピアニストだけど」
お父さんが日本画家で、お母さんがピアニスト兼モデル……一体どうなっているの、浅尾家って。
いろいろハイスペックすぎて理解が追いつかないけれど、そういう環境で育ったから、こんなに魅力的なんだろうな。
「ほかに訊きたいことは?」
「う~んと……ご実家はどこ?」
「横浜だよ。全然帰ってねぇけど。母親の再婚相手と、なんか反りが合わねぇからさ」
「そうなんだ……」
「仲が悪いとかじゃねぇよ。ただ、仲よくねぇってだけ」
実のお父さんの話をするときとは、まったく違う表情。その瞳から、ほんの少しだけ寂しさが垣間見えた気がした。
もしかすると浅尾さんって、すごく繊細な人なのかな。そうじゃないと日本画なんて描けないよね、きっと。
「ひとりっ子なの?」
「姉がふたりいるよ。歳は28と……25だったかな」
「お姉さんがいるんだ」
「上の姉は元モデルで、結婚してイタリアに住んでる。下はどっかのアパレルでファッションデザイナーをやっていて、都内に住んでいるけど全然会わねぇな。別にこっちからは連絡もしねぇし」
やっぱりお姉さんたちもハイスペック……。
もしかして、浅尾さんが女慣れしてそうに見えるのは、お姉さんがいるから? ……っていうのは、都合のいい解釈かな。
真面目に学校通っていて、絵に対してすごく誠実な感じがする浅尾さんが、女遊びなんてするようには思えなくて。
でも、誰にだって裏の顔はあるし。時間をかけて見極めていくしかないのかもしれない。我ながら打算的で嫌な女だとは思うけれど、失敗するのは嫌だから。
浅尾さんは、ようやく自分の前に運ばれてきたミックスジュースをひと口飲んで、満足そうな表情を浮かべている。ストローで飲む姿が、なんだか可愛い。
こうやって浅尾さんを知れば知るほど、きっとどんどん惹かれていくんだろうな。理屈じゃなくて、なんとなくそう感じる。
でも、やっぱり怖くて。「まだ早い」っていう心の声が、常に聞こえる。アクセルを踏みたい自分とブレーキをかけたい自分が、ずっとせめぎ合っていた。
「私はひとりっ子だから、お姉さんがいるのは羨ましいな」
「そうなんだ。愛茉ちゃんのこと、やっとひとつ知れたな」
そういえば、私は自分の話を一切していない。浅尾さんのことばっかり。やっぱり、ずるいかな。
「まぁ、オレからはあれこれ訊かねぇから。愛茉ちゃんが訊きたいことを訊いて、話したいことを話しなよ。なんでも答えるし、なんでも聞くから」
その優しい表情と声色に、思わず少し泣きそうになった。
浅尾さんの目は、私を真っすぐに見てくれる。でも本当は、それが怖くて。顔を背けたくなる。
その綺麗な瞳に、私なんかを映さないで。そう言いたくなってしまう。
「で、ほかはなんかないの?」
「……えっと……趣味は?」
「ははっ、なんか見合いみてぇ。したことないけどさ」
我ながらありきたりな質問をしてしまって、少し恥ずかしかった。でも浅尾さんがたくさん笑ってくれるから、なんだか嬉しい。
カフェにはお客さんがたくさんいるけど、周りの音なんてなにも聞こえなくて。まるで浅尾さんと、ふたりきりみたいな感覚だった。
「趣味かぁ。絵以外だと……ピアノぐらいか」
「ピアノが弾けるの?」
「母親が家でもピアノを弾いていたし、姉ふたりも習っていたから、自然と弾くようになったっていうか。まぁオレは習ったはことないし、楽譜が読めねぇんだけど。でも耳で聴いたら、大体の曲は弾けるかな」
聴いただけで弾けるって、すごすぎる。そしてピアノを弾く浅尾さんの姿を想像して、絶対に素敵だろうなと思ってしまった。いつか聴いてみたいな。
「絵が捗らねぇなってときにピアノを弾くと、いい気分転換になるんだよ。目の前にイメージが広がるっていうか。だから、家に電子ピアノを置いてんの。本物に近いタッチの、結構いいヤツ。今度、聴きにおいでよ」
「うん……えっ? い、いや、男の人の家にお邪魔するのは、ちょっと……」
「なんだ、連れ込む口実になるかなって思ったのに」
浅尾さんが、心底残念そうな表情を見せる。あまりにサラっと言うから、つい「うん」とか言っちゃったじゃない。
「浅尾さんって、どこに住んでるの?」
「高円寺」
「えっ、近い。私、荻窪なの」
「へぇ。学校が広尾だったら、高円寺は定期券の区間内だろ。いつでもおいでよ。ベッドは広いし快適に泊まれるよ、オレの添い寝つきで」
またそういうこと言う。これは絶対に冗談。それは分かる。だって、すごく意地悪そうな顔でニヤニヤしてるんだもん。
「泊まらないし、そもそも行かないから」
私の言葉に浅尾さんはまた笑って、ミックスジュースをひと口飲んだ。
「なんか楽しいな。自分のことをペラペラ喋るの、ホントはあんま好きじゃねぇんだけど」
そう言って、窓の外へ目を向ける。やっぱり見とれてしまうほど、横顔が綺麗。
私もつられて、窓の外を見た。今日は天気がよくて爽やかな気候だから、街にはたくさんの人が行き交っている。
「いい天気だな」
「うん」
「思ったんだけど」
「うん?」
「オレ、愛茉ちゃんのこと好きだわ」
浅尾さんは、真っすぐ私を見て言った。あまりに突然で、一瞬思考が停止する。
「す、好き? 好きって……え? 私を?」
「うん。どうも、すげぇ好きみたい」
ちょっと待って。私、自分の話はほとんどしてないよね。どこに私を好きになる要素があったの?
それとも、本当にひとめ惚れってこと?
「な、なんで? 理由は? まだ知り合ったばっかりなのに……」
「理由? 理由か……細胞が、そう感じたから?」
え、細胞? どういうこと? 独特すぎて、まったく分からないんですけど。
待って。ちょっと頭が混乱している。動悸が激しい。
まさかこんなにすぐ好きって言われるなんて、まったく思っていなくて。心の準備が、なにもできていない。
「さ、細胞って……?」
「飯にだって好みがあるだろ。説明できる? なんでそれをウマいと感じるのか。結局は、遺伝子がそうなっているからじゃん。だから、好きなもんは好きってことだよ」
浅尾さんの表情には一点の曇りもなくて、さっきみたいに冗談で言っているわけじゃないってことは明らかだった。
どうしよう。なんて言葉を返せばいいのか、分からない。
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