人の子は人。超人の子は……
「やゆこ、聞いてくれ」
「うん、どうしたの?」
「お母さんが
少し迷ったが、やゆこには
「今からお母さんを迎えに行こう」
「……おかあさんは、げんきなの?」
「きっと大丈夫だよ。声は聞こえた」
確信は持てなかったが、敵の狙いは恐らく俺だ。
だとすれば
「よかったあ。そしたら、はやくおむかえにいかなきゃだね!」
やゆこは
――娘がこんなに強いんだ。気弱になっている場合じゃない。
「ああ! ふたりでお母さんを助けに行こう!」
「うん!」
やゆこは力強く頷き、俺たちを乗せたタクシーは廃工場へ向かった。
夜空には満月が浮かび、煌々と夜の街を照らしている。
来夏と出会ったのも、こんな夜だった気がする。
******
数年前のとある満月の夜。
街中でうっかり争いごとの現場に出くわしてしまった。
酔った男性同士が殴り合いをしている。
裏路地だったため人通りは少ないことを確認すると、俺は念動力で双方の動きを止めた。
「殴り合いは良くありません。何があったのですか?」
まずは話し合え。と、促すと、二人ともなぜ殴り合っているのかも分からない様子だった。
酒に酔い過ぎて頭が回っていないのだ。
正気に戻り、互いに謝罪し合うと、俺にも。
「お兄さん、止めてくれてありがとう。
このまま殴り合ってたら
酔いを覚ました男から感謝を告げられると、彼らはそれぞれの帰路に就いた。
酔っぱらってくれていたおかげか、俺が念動力を使ったことも不思議に思われていないらしい。
ふう。俺も帰るとするか――
「ねえ、今のってどうやったの?」
物陰から突然の声。
振り返ると、見知らぬ女性が顔を出していた。
「なんのことだ?」
「なにって、今の手品みたいなやつ!」
「いやいや、酔っぱらった彼らが動きを止めただけさ」
俺はしらばっくれた。が、彼女の追及は終わらない。
ポニーテールをぴょんぴょんと揺らし、接近してくる。
「うそー! 私にはあなたが二人を止めたように見えたよ?」
「手を触れずに人を制止させる? そんなことができるやつ、いるか」
あくまでも先ほどの酔っ払いが止まっただけ。
そう言い切って、彼女に背を向ける。
面倒になる前に立ち去ろうとすると――
ひゅっ。
背後から、何かをこちらに向けて投げた気配。
振り向かないまま片手でキャッチする。
「ほら、やっぱりすごい」
手には革製の鞄のような感触。
どうやら彼女が持っていたポーチらしい。
「あなた、只者じゃないわね」
しまった。常人はこの程度のことも普通にできないのだった。
「こ、これくらい誰だってできるだろ」
「超一流のプロ野球選手くらいしかできないよ!?」
さすがに誤魔化せないか。
「図ったな」
「ふふん、やるでしょ、私」
「確かに出し抜かれたな」
「でもさ、そのポーチ掴まなければ良かったじゃん?」
「ああ、まあ」
それはそうだ。彼女が投げたポーチを掴まなければ、気付かれることも無かった。
「でも、大切なモノが色々入ってるだろ? 落としちゃまずいじゃないか」
基本的にポーチに入っているのは貴重品だと思う。
「ふふふ」
彼女は何におかしみを感じたのか。突然、上品に笑う。
「俺、変なこと言ったか?」
「だって、私が投げたのに、自分の身を犠牲にしてまで拾っちゃってるから……なんかおかしくって」
言いながら俺と彼女は互いに距離を詰める。
「ほら、返すよ」
「ありがとう」
手渡しでポーチを返却する。
「……あなたの優しさに付け込んじゃうんだけどさ」
まだ何かあるらしい。彼女はにやりと笑みを浮かべ、前置きした。
「さっきの手品みたいなの、もっと見せて欲しいな?」
にやにやは、何か期待するような顔つきに変わる。
なんというか、無性に応えたくなるような、そんな顔。
「……仕方ないな。君にだけ特別だぞ?」
「やったー!」
彼女は愛くるしい笑顔で子どものように喜んだ。
嬉しそうな彼女の表情を見た瞬間、俺の全身を何とも形容しがたい感覚が駆け巡った。
俺はこれまで、漠然と世界を守ってきた。
政府役人からの連絡により、隕石の衝突を食い止めたり、火山噴火を抑制したり。
時には爆発しそうな太陽を沈静化させる、なんて依頼もあったっけ。
それらはすべて、言われるがままに。
俺の意志は特に関係なく、片手間でやってのけたものだった。
しかしそれは。それによって守ってきた世界には。
こんなにも愛おしい笑顔を浮かべる人が、生きている。
「え、ちょっと、どうしたの!?」
彼女の声で現実に引き戻された。
頬にやわらかい布のような感触を覚える。
涙……?
どうやら俺の頬に伝った水分を、彼女がハンカチで拭いてくれているらしい。
「ああ、すまん。これも手品だ」
「……もー、びっくりした!」
俺の本心を知ってか知らずか、ホッとした表情で彼女は続ける。
「それじゃあ、ショータイムお願いします」
その日は数回の手品(と称した能力披露)を行った。
しかし彼女は満足しなかった様子。
「あなた、面白い! ねえ、私、あなたとこれからも仲良くしたいな」
せがまれた俺は、連絡先をあっさりと渡してしまった。
破壊や戦いのために使ってきた能力だが、こんな風に人を楽しませる使い方もできる。
味を占めた俺は考えた。
一般人ひとりに俺が超人であることがバレた程度で、俺の普通の生活が脅かされることは無いはずだ、と。
それから彼女にだけは正体を打ち明ける。
定期的に会い、超人としてのパフォーマンスを披露した。
抱きかかえて空を飛び、山を越え、絶景を鑑賞した。
時には強大な敵と戦う場面にも出くわした。
「ホンモノのヒーローショー、大迫力だった」
と、軽口をかます彼女をすごい人だと思ったのは今でも忘れない。
気付けば俺は、彼女――来夏と一緒にいるようになった。
家庭を築くまでには色々あったが……今、思い出してる場合じゃないか。
******
タクシーを降り、廃工場の入り口に立つ。
かつて活気のあった鉄の城に、その面影は無い。
頼りないかすかな月明かりだけが、そのシルエットを浮かび上がらせている。
ぐ、っと小さな手が俺の左の手を握る。
「やゆこ、大丈夫だ」
「う、うん」
流石に少し恐いのだろう。早く来夏を迎えに行って、やゆこを安心させてあげたい。
「お母さんは必ず助けるし、やゆこに何があっても守る」
今や普通がどうこう言っている場合ではない。
築き上げた日常が、脅かされている。
「お父さんはやゆこのスーパーマンだからな」
万が一の時は、自分の正体をやゆこにさらす覚悟はできている。
『約束通りだな』
廃工場を進み、開けた場所に出る。
誘拐犯と思われる人物がそこにいた。
「来夏!」「お母さん!」
妻――来夏は両手首をロープで縛られ、口にはガムテープを貼り付けられている。
『安心しろ、拘束以外に危害は加えていない』
「確かに、無事なようだな」
俺は来夏の無事を目視で確認すると、敵の姿に注目する。
誘拐犯は顔全体をマスクで覆い、頭から足元まで黒装束を身にまとっている。
マスク越しの電子的な音声は、電話で話した時と同じものだ。
「妻に危害を加えないでいてくれてありがとう。望みはなんだ?」
『妻をさらった相手に感謝とは。……本当にできた人間だな』
「ああ。強くても優しくなければ意味は無いんだよ」
『お前の……そういうところだ』
やけに俺のことを知っているような口ぶりだ。
知り合いか?
能力を制限しているため、相手の詳細は分からない。
『夜風が冷えるだろう? 用事は早めに済まそう』
「そうだな。君も、風邪を引かないうちに早く帰ったほうがいい」
『――あなたがそんな調子だから困っているのだ。本題に入ろう』
誘拐犯はどこか、感情を押し殺したような声で続ける。
『私と一緒に、来い。妻と娘はこの町に置いていけ』
「俺も好かれたもんだな。一緒に来いって、どこまで、いつまでの話だ?」
『ずっとだ』
「ずっとって……」
『どこまでか? 世界の果てまでだ。
いつまでか? 私が死ぬか、この世界が終わるまでだ』
誘拐犯が何を言っているのか、俺には良く分からない。
何が目的で、そういう要求をしているのだ?
「目的が見えないんだよ。だが、言うことを聞いたら、妻と娘は助けてくれるんだよな?」
『それは保証する』
言い切った。嘘ではないらしい。
『たとえこの世界が滅ぼされようとも、あなたの愛する者の命と生活は保証する』
「ますます分からないな。さっきから滅ぶ滅ぶって言っているが、この世界は滅ぶのか?」
『さあな。お前はどう思う?』
ついさっき、質問を質問で返すなと誰かに言われた気がしたんだが――。
「現状だと滅ぶだろうな。――俺が何もしなければ」
この世界は脆い。これまでに何度、危機的状況に陥ったか分からない。
世紀末、恐怖の大王の襲来。
巨大隕石の接近。
第三次世界大戦。
――全て、俺が未然に防いだ。
「人間の力は未熟だ。俺がいなければ幾度となく滅んでいたことだろう」
『そこははっきり言い切れるんだな』
「ああ。事実だからな」
謙遜ではない。
圧倒的力を持つヒーローに頼らなければ、まだこの世界の人々は、自衛できないのだ。
大事なところで他力本願。
それがこの世界の、人類の哀れな現状。
『では、あなたは何もするな。ずっと私の言うことを聞け』
「だから、なんでだよ」
マスク越しの声に焦燥感がにじむ。
感情的な声に、俺もつられて声を荒げる。
『そうすれば、あなたも、あなたの愛する人も守ってあげるから。あのお方はこの世界を滅ぼす。もう、止められはしないのだ』
口ぶりから躊躇が見て取れる。
こいつ、主犯じゃないな。
「君は……」
「ちょっと待ちなさい!」
会話を遮ったのは――
「お父さんとお母さんを困らせないで!」
突然、高校生くらいの姿になった我が娘だった。
「やゆこ!?」
すらっとした手足に、高めの身長。
どことは言えないが出るとこは出ており、身内びいき無しで一流モデルのような見事なスタイルだ。
漆黒のロングヘア―に月光を反射させ、たなびかせる。
――なにこれ、美少女戦士の変身シーン?
「や、やゆこ? 急にどうしたんだ」
「急にも何も、私は前から言っていたわ。お父さんの娘だとね」
ウィンクをした娘の目から星が飛び、俺の頭に跳ねて飛んで行った。
「そ、そうか。何も不自然なことではないのか」
超人の子は超人。俺の遺伝子は、その子どもであるやゆこにも受け継がれていたらしい。
今朝の話は夢の話では無かったということか。
お腹が空かないのも、そういうこと……。
体が大きくなったため、へそ出しルックの七分丈パンツにはなってしまっているが、伸縮性のある服装をさせておいて良かった。
ちょっとはち切れそうだが。
『ちっ。予想外だ』
「つめが甘かったわね。ではお母さんを返してもらうわ!」
『なっ、体が……?』
誘拐犯は体の動きを止めた。どうやらやゆこの念動力で身体の自由を奪われたらしい。
「お母さん、今のうちに!」
やゆこの声に来夏がその場から離れようとする。
『これしき!』
誘拐犯は念動力に対抗しようと、来夏を縛る縄を掴む手を強く握る。
「しぶといわね!」
『そちらこそ!』
やゆこの束縛する力と、誘拐犯の抵抗する力。
相反する力は拮抗しているようだ。
「この町も、お父さんもお母さんも、私が守るんだ」
やゆこは念動力の出力を上げる。
「きらきらの明かりも、お父さんの上腕二頭筋みたいな山も、お父さんの声みたいな心地良い風も……!」
『ぐッ!!』
やゆこの全力にたじろぐ誘拐犯。
「まるでお父さんのおち〇ちんみたいな大きな電波塔も!!」
「そこまで大きくないが!?」
表現が大げさすぎる! というか、言葉選び!
「やゆこ! 違うのよ!! お父さんのはミサイルだから!」
「来夏!? 話せたの!? っていうか俺の下半身で遊ぶのやめよう!?」
妻は口周りの筋肉で何とかしてガムテープを外したらしい。
俺の宝物の話をめぐってここまで必死になる家族って……。
『で、電波塔?? ミサイルみたいな、ですって!?』
「君もそこ反応する!?」
お前もか!!
「今のうちに!」
『ハッ!?」
来夏は誘拐犯の手が緩んだと同時に、するりと抜け出した。
こっそり手元で拘束縄をほどいていたらしく、自由になった手で誘拐犯のマスクを奪い去りながら。
「君だったのか……」
長らく面倒を見ている可愛い後輩を、他人と間違えるはずはない。
「こんばんは。……先輩」
黒いショートボブのシルエットが、月明かりにゆらめいていた。
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