やけにご飯に誘ってくる後輩の件

「おはようございます」

 オフィスのドアを開け、挨拶を告げる。

 おはようございます、おはよう、という返礼を耳にしながら自席へ。

 昼間は普通のサラリーマンだ。

 普通であることが俺の願いだから。


とばり先輩、おはようございます」

「おはよう、めぐみさん。なんか忙しそうだな?」


 数年来からの後輩であるめぐみ沙耶さやは、大量の書類を胸に抱えている。


「実は営業から急な案件の話がありまして。今日は忙しくなりそうです」

 黒く短い前髪からのぞく表情は、やる気に満ち溢れはつらつとしていた。

「やる気だね。きばっていこう!」

「はい! ……あ、帳先輩」

「ん?」

 立ち去ろうとすると引き留められた。

「今日中に目途が立ったら、夜ご飯一緒にどうですか?」

 まるで強い決意を固めたかのような表情に、若干たじろいだ。

「ごめん。家族が待ってるから」

「そうですか……」

 ずーんと暗い表情になり、彼女の瞳から光が消失する。

 え? そんな残念?

「はあ。終わった……今日はもうダメかもしれません」

 絵に描いたように恵さんが落ち込んでしまった。

 ここで彼女のやる気まで損なわれると困る!

 彼女のモチベーションが下がると、仕事のペースが落ち、残業となり夕食に間に合わない。

 ……そんな俺の人生の危機は何としても避けたい!

「じゃ、じゃあさ、お昼はどうかな?」

「!」

 俺の苦肉の策に、恵さんがはっと顔を上げた。

「午前中で目途つけられるように頑張ってさ」

「い、良いんですか!?」

「もちろん」

「よしっ」

 黒いショートボブを元気よく跳ねさせ、瞳に星が光った。

「じゃあ、後程!」

「おう」

 明るく返し、パンツスーツ姿の後ろ姿を見送った。

 かすかに鼻歌が聞こえた気がする。


***


「それで、さっき言ってた案件がこれか」

「はい……」

 目の前に積まれた書類の山。

 ナニコレ? って感じで唖然あぜんとするレベルの量である。

「これ、あれだね。雪崩なだれ起こすタイプのヤツだね」

「ほんと、巻き込まれて埋もれないようにしないとですね」

 こういう時は軽口でも叩くに限る。

 いやあ、これ、率直に言って午前中で目途どころじゃねえわ。

 普通にやってたら一週間はかかるぞ。

「先輩。やっぱ難しそうですかね?」

 少し残念そうに恵さんが問う。

「午前中で目途つけてランチ……無理ですかね?」

 眉毛を八の字にし、上目づかいで懇願してくるような表情だ。

 うっ……。そういう顔されると弱いんだよなあ。


「いや、楽勝だよ」

「え!?」


 一週間かかるってのは、あくまでも普通にやったらの話だ。

「いくら先輩でも、この量ですよ?」

 驚くのも無理は無いだろう。

 普通の人間なら一週間はかかる量だ。

「男に二言は無い。午前中で目途つけてランチするぞ!」

 ふふーん。俺は普通じゃないからな。

 能力を発揮すると正体がバレるリスクが伴うが、後輩の喜ぶ顔と家で待つ家族のためならば致し方ない。

 ここで力を発揮せねば、超人として生まれたメリットが無いというもの。

 バチバチにやってやるぜ。

「せ、先輩……私のためにそこまで……」

 恵さんが滅茶苦茶嬉しそう。なんかもう、感動して泣きそうである。

「おいおい、まだ泣くのは早いぜ? 全力でかっとばして、楽しいランチタイムと洒落込もうじゃないか」

「はい! 頑張ります」


 とはいえ、どうしましょうか。

 一番厄介なのは恵さんなんだよなあ。

 隣の席に居るから、能力を使ったら一番に勘付きそうなのはこの子だ。

 近いだけならまだいい。この子はなぜかちらちらとこちらを見ている時がある。

「……!」

 言ったそばから彼女と目が合う。

 こういう時、彼女は全力で目をらすのだ。

 見ていたことを隠したいのだろうが、あからさま過ぎてバレバレである。

 なんとか彼女の目線を避けつつ、能力を発揮して仕事を終わらせなければ。と、

 りりりり。

 隣席の電話が鳴る。

「こちら恵です。あ、その案件でしたら――」

 どうやら他部署からの連絡らしい。

 しめた! 彼女の注意が逸れている今のうちに仕事を進めよう。

 

 能力を発動し、常人の推定1000倍のスピードで段取りから簡単な事務処理までを片付ける。

 ……ふむ、全体の三分の一程は終わっただろうか。

 あまりにも片付けすぎると怪しまれるから、程々にしよう。


「――では、よろしくお願いします」

 隣席からがちゃりと受話器を置く音。

「帳先輩、他部署も忙しくしてるみたい――って、え!?」

「ん、どうした?」

 他部署との電話を終えた恵さんは、こちらを見て一瞬固まった。

「先輩の手、今、沢山ありませんでした!?」

 しまった。高速で作業している様子を一部見られてしまったらしい。 

「気のせいだろ。それか、俺の動きが速過ぎて残像が見えたんじゃないか?」

「そ、そうかもしれませんね……って、さすがに先輩の動きが速くても、残像が見えるわけないでしょ! ……きっと、私の目の錯覚ですね」

 ははは。イッツ・超人ジョーク。

 彼女には恐らく本当に残像が見えていたのだが、残像が見える程高速で動ける人間などそこらにいない。

 そのため、ジョークとして伝わってしまうのだ。

 超人たる俺が普通の生活を送るために生み出した処世術のひとつである。

「忙しくて、ちょっと目が疲れているのかもしれません」

 恵さんは眉間をつまむ。

「いやあ、まあ忙しいことは良いことだよな」

「そうですよ。このご時世、仕事が無くて倒産していく企業だって沢山ありますから」

 俺は昼も夜も仕事が多過ぎるせいで、普通の生活を送れないレベルなんですけどねっ!

「とりあえず、会社のためにも目の前の仕事に集中しよう」

 お喋りもそこそこに、俺たちは仕事を再開する。


 しばらくの間、カタカタというタイピング音が空間を満たす。

 時折聞こえてくる、電話のコール音、会話の声。

 それからちらちらと感じる隣席からの視線。これは放置する。

 やはり普通のペースで作業を続けるしかないか――

「恵さん、A社の件でちょっと同伴よろしいでしょうか」

「分かりました」

 他部署の人間が、恵さんを呼び出して席を外す。

 うおーっし、仕事を片付ける大チャンス到来!

 あの様子だとしばらくは席に戻らないだろう。

 手元にある仕事は――

 一つ目が、工場にある商品の在庫確認。これは直接目視で確認しておく必要がありそうだ。

 二つ目は、他部署への手配が必要な仕事。他部署のリーダーと会い、資料の受け渡しと軽い打ち合わせが必須となる。

 どちらも普通にやれば時間がかかるのだが――


 ものの1分で終わった。


 在庫確認は、その場にいなくても見たい場所の様子を確認できる【千里眼】で確認した。

 並行して他部署の長へ資料を渡し、軽い打ち合わせを終わらせた。

 ふふーん、超人サイコ―だぜッ!

 ちなみに、その他もろもろの作業もだいぶ片付けた。

 自席で達成感に浸っていると、コツコツと床を鳴らす足音が。

「長引いちゃいました。――って、ええ!?」

 席に戻ってきた恵さんは、俺の机上を見て驚嘆の声を漏らす。

「帳先輩、残りの仕事、それだけですか!?」

 しまった、調子に乗って働き過ぎてしまった。

「いやあ、ちょっと頑張り過ぎちゃった。なんだろう、急にスーパーマンにでもなったみたいに力が沸いちゃってさあ」

「それにしても速過ぎます! ……けど、先輩、たまに滅茶苦茶仕事速いですもんね」

 ふふふ、イッツ・超人ジョーク。

 日頃からそこそこに有能なビジネスマンとして振舞っているため、実際には超人であるにも関わらず、ちょっと頑張った程度に思わせることができる。

 そのため、仕事のできる普通の人間に映るのだ。


 更に仕事を進め、数十分が経過。

「う~ん」

 隣席からの声に目をやると、両腕を頭の上に伸ばす恵さん。

 ……ブラウスのサイズ、ちょっと小さすぎるんじゃないですかね。

 万乳引力に目線が引き寄せられていると、

「ちょっとコーヒー淹れてきますね。先輩もいります?」

 と恵さん。

「いや、お構いなく。――気遣いありがとうな」

「ふふ。はーい」

  

 再三の超人ボーナスタイムの到来に食い気味に断ってしまったが、気遣いへの感謝の気持ちを伝えたからか、彼女は少し嬉しそうに給湯室へ向かっていった。

 っしゃあ、ラストスパートだぜッ!

 これまでに無い圧倒的なペースで仕事を片付けていく。

 あと少しだ。

 ……というところで、なんとなくコーヒーが欲しくなってしまった。

 飲まずとも全く問題はない。

 超人の心身は、カフェインなどなくても存分に集中力を発揮することができる。

 それでも美味しいから飲みたい。そんな気分なのだ。気分、大事。

 しかし、ノリノリの手を止めて給湯室へ向かうのも時間がもったいない。

 よし。【念動力】と【千里眼】で何とかしよう。

 仕事の手は動かしつつ、マグカップを【念動力】で操る。

 【千里眼】で人の目と扉をかいくぐりつつ。

 給湯室の扉を開けると、恵さんがコーヒーを注いでいた。

「ふんふんふーん♪」

 ちょっと上機嫌な感じだ。

「あと少し♪ あっとすっこしーで先輩とランチー♪」

 よっぽど楽しみなのだろう。喜びの表現が鼻歌では収まりきらないらしい。


「『恵さん、君のお弁当、美味しそうだね』

『へ!? じゃあ、ひとくち食べます?』」


 ……ん? 突然ひとり芝居がはじまったぞ?


「『うむ、ではその卵焼きを良いか?』

『仕方ないですね。先輩にだけ特別ですよ? はい、あーん♡』」


 千里眼越しの思いがけない光景を前に、仕事の手が止まってしまう。


「『うん、美味い!』

『嬉しい♡』

『なあ、やっぱりさっきのディナーの誘い、受けても良いかな?』

『え!? あ、良いですよ? 帳先輩さえ良ければ。でも、ご家族は良いのですか?』

『たまには後輩と食事がしたくなってな。家族には食べてくると伝えたよ。あと、ディナーの後は、もっと美味しいものを食べたいのだが……』

『え、そ、それって、どういう……』

『恵さん、いや、さや……俺のデザートになってもらえないかな?』

 ……きゃー!!♡」 


 一通りの芝居を終えると、彼女は自身の身体を抱きかかえ、恍惚こうこつとした表情で身悶えした。

 どうしよう、俺の後輩が実は変態だった。

 彼女が一人芝居をしている間にコーヒーをマグカップに注ぎ終わったので、給湯室からマグカップを自席に戻すべく、念動力で浮遊させると――

「へ、先輩のマグカップ?」

 妄想から帰ってきた恵さんが、浮遊するマグカップに気付いてしまった。

「先輩のマグカップが……浮いている?」

 愕然とした表情を浮かべた恵さん。このままでは怪しまれてしまう。

「(気のせいだよ!)」

 苦し紛れに、【思念伝達テレパシー】で言葉を送る。

「なんだ、気のせいか……」

 まさかの納得した様子で、恵さんはしばし給湯室にたむろした。


 なんとかコーヒーを自席まで移動させ、自席にてコーヒーをすすっていると。

 バタバタとあわただしい足音が近づいてきた。

「と、帳先輩! さっき、帳先輩のマグカップみたいなのが給湯室で浮いてましたけど!?」

 とんでもないものを見てしまったという表情で、恵さんが駆け寄ってきた。

「今先輩が持っているマグカップと一緒でした!」

 さすがに気のせいでは片付けられなかったらしい。

「給湯室のドアもひとりでに開いたり、先輩の声で幻聴も聞こえたりして……どうなってるんでしょうか」

「ははは。実は、超人である俺の超能力の仕業なんだよ!」


 くくく、イッツ・超人ジョーク。

 実際には本当に超能力を使っているのだが、超能力などこの世には存在しないという固定観念を持った常識人には、ジョークとして伝わってしまうのだ。


「せ、先輩! やっぱり超人だったんですね……!!」

 ……って真に受けた!?

「冗談だよ!?」

「だって残像が残るほど高速で動くし、あり得ないスピードで仕事片付いているし!」

 これまでのジョーク通じてなかった!?

「いや、恵さん。きっと君は疲れているんだよ」

「やっぱそうですかね……」

 彼女はため息をつきながら席に着く。

「よし。俺は仕事ほぼ片付いたから、恵さんの仕事、少し分けてもらっていいか?」

「え、良いんですか?」

 ショートボブの横髪が跳ね、ぱっと明るい表情になる。

「優雅なランチタイムを過ごしたいからな」

「そうでした! ……先輩、楽しみにしてくれてるんですね」

「当然だろ? 何と言っても可愛い後輩とのお昼ご飯だぞ」

「ふふふ! もー、先輩ったら♪」

 よし、楽しく話せたな。

 恵さんの親愛度を10くらいアップさせつつ、能力を使った事実から注意を逸らす。


 ふう、危うく正体がバレる所だった。


 というか、さっきの妄想劇を見たところ、この子は常識人ではないのかもしれない。

 次から超人ジョーク封印しよ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る