3

「急で悪ぃな」

 動揺で心なしか涙ぐむ紅と真依を部屋に戻してから、猛は少しすまなそうに切り出した。

 今回は猛は行けないのだという。

 帰る頃に合わせて迎えに来るとのことだった。

 猛はいつも、唐突に気軽に「仕事」を言い渡すのだけど、達彦の職場の所長が休暇を断ったことは一度もなかった。

 所長もまた「多くは語れない案件仲間」なのかもしれない。

 そこはかとなく、聞いてはいけない空気があったことも否定しない。

 ただ、頻繁にこんな特殊な仕事を達彦にさせるのは、この能力をどうにかする練習なのかもしれないとも思っていた。

 達彦には、「達彦」をうまく使いこなせる自信が、どうしても持てなかった。

 こんな厄介な能力と、どう折り合いをつけていいのか、いまだわからないのだ。

 猛はそんな達彦の能力に、役割を与えてくれた。

 この「仕事」もその一つで、この能力が、どうにか役に立つための方法を探してくれているのだと思う。

 なるべく人を傷つけない形で。

 達彦だって、いつだってそう願っているのだから。

 そのためなら、できる限りの無理だってする覚悟はある。

 達彦は決意を込めて猛を仰いだ。

 猛は視線を明後日の方向にさまよわせながら、ぼりぼりと後ろ頭を搔いた。

「悪いんだけどな、このミアハが今回のお前の、何ていうか、相棒っていうか」

 この無理は想定外だが。

「一心同体とか、運命共同体とか、そういうやつですっ」

「いや違う」

 猛が即座に否定してくれたのに感謝しながら、達彦はもう一度この妙な男、ミアハを見た。

 正直言ってこの男が相棒だというのは避けたい事態だが、いつもより輪をかけて個性の強い人物が来ている以上、いつもより輪をかけて厄介仕事なのだろう。

 達彦の経験上、仕事仲間の個性の強さと仕事の難易度は比例している。

 ぶっ飛んだ事態に対処できるのは、ぶっ飛んだ奴らだということなんだろう。

 そうなると自分自身もこの男と同等クラスの個性ということになってしまうが、そこは能力のことを言われているものと考えることにした。

 自己分析上、自分の性格は至って地味だと達彦は信じてやまない。

「今回はちょっと遠いんだ。期間も、正直わからない」

 だとすると仕事はどうしようか。達彦は猛に顔を向けた。

「ああ、お前の会社のほうには家庭の事情で休職といってある。ちゃんと承諾されているから安心しろ」

 迷惑が掛からないことは安心だが、なぜ迷惑が掛からないのかについては心配になる。達彦は所長と猛が知り合いであることは知っていたが、どういう知り合いかまでは聞いたことはなかった。

 こういう時、やはり会話は必要なものだなとは思うが、他者との関わりを断つという目的がある以上、自分の好奇心ぐらいは犠牲にしなければいけないとも達彦は思う。

「今夜このまま、発ってほしい。いいか?」

 達彦は小さくうなずくと、荷物を取るため立ち上がった。布団も含めて、持ってきたものはいつもの部屋に置いてある。

 猛のいう仕事がどこか訳ありだろうことは、報酬額が見るとフリーズするレベルのものだったから、達彦も承知している。

 詳細はほぼ語らず、達彦の役目のみを言うのもいつものことだ。

 必要ならば現地の依頼人や協力者から聞けるだろう。

 達彦は考えながら廊下に出た。

 だが、自分だけ向かうはずだった達彦の後ろを、猛とミアハが当然のようについてきた。

 達彦が首を傾げつつ振り返ると、猛は人の悪そうな笑みを浮かべて顎で部屋を指した。

「今日の入り口、お前の部屋だから」

 


 この教会を出入りする人間には常人にはない能力を持つものが多い。

 達彦然り、黒服の人たち然り。

 そして猛も。

猛の能力は、時間や空間を超えて、任意の二か所をつなげることだと達彦は聞いていた。

 入り口は何らかの扉でないといけないが、出口は細かい指定ができないという難点もあるようだった。

 それは入り口から遠ければ遠いほどずれは大きくなるという。

 真の意味で、出たとこ勝負なのだ。


 だから「移動」には細心の注意を払うし、臨戦態勢でいなければばならない。

 だからこそ、そんな危険な場所ほど、達彦の能力が必要だった。

 達彦がいれば、到着地で危険にいきなり遭遇する確率はうんと減るのだ。

 そもそも達彦が人から離れようとするのは、人を大事に思っている証拠だし、顔見知りを無下にできない性格なことも、猛は重々承知している。

 本人は決して認めようとしないが。

 そのため仕事の前には必ず、関係者の大方に顔合わせをした。

 目の前で傷ついた人がいれば、今会ったばかりの人間でも心を痛めるのが達彦だ。

 本人は決して認めようとしないが。

 だから変質者臭を漂わせるこのミアハでも、達彦は守ってくれるはずだ。

 たぶん。

 猛は鼻歌でも歌いだしそうなミアハを横目に見ながら、そっと息をついた。

 それなりに長い付き合いだが、ミアハがこれほど短時間で人を認めるのは珍しい。

 人好きなのに人を避ける達彦と対照的に、ミアハは一見気さくなようでかなりの人間不信だ。

 多分ミアハは、猛のことも、さほど信用していない。

 ダグザと懇意にしている客人として以上の信用はないのだろう。

 ミアハはさっき、達彦に上質なゲッシュがあるといった。

 ゲッシュとはミアハのいる世界では個人への強制力の強い呪いや誓い、禁忌などにあたるものを言うが、生まれ持った特異な能力もその中に含まれる。

 達彦の能力の大きさを見抜いたのだとしたら、本人が言うだけあって、法術師としての力の強さはかなり優秀なのかもしれない。

 本当に匂いで識別したのかは謎だが。

 ミアハの法術師としての能力の高さは知ってはいたが、実際にそれらしいところを見たことはほとんどなかった。

 正直、ただの重症な法術オタクという認識だった。

 猛は少し見直す気持ちでミアハを振り返った。

 が、ミアハはよだれでも出しそうな、だらしない顔で達彦の後ろをついて歩いていた。

 時折鼻をひくつかせては満足そうにため息をついている。

 見直すのはやめよう。

 猛は改めて上げかけたミアハの評価をそっと下げた。



 目的の部屋についてすぐ、猛は奥の押し入れの扉を軽くノックした。

 ほんのこれだけの動作で、猛は「扉」を開くのだ。

「忘れもん、ないか?」

 朝仕事に送り出すような気軽さで、猛は達彦に声をかけた。

 数日分の着替えや身の回り品を入れたショルダーバッグと、寝具一式はいつものように圧縮袋に入れて抱えた。

 結構重い。

 が、達彦はいざとなったら真っ先にこの布団を守ろうと決めている。

 靴も忘れていない。

 さっき紅と真依から持たされた紙袋も持っている。

 旅立つ達彦に二人は、早く帰って来いと珍しく『お願い』を言った。

 そして最後までミアハへの警戒は解かなかった。無理もない。

 達彦は軽くうなづくと、隣のミアハを見た。

「詳細はついてからお話ししますね」

 なんだか初めてまともな意思疎通をした気がするなと、達彦は独り言ちた。

 猛が勢いよく押入れを開ける。

 そこにはあるはずの押し入れの空間はなく、乳白色の風呂の湯のような壁が揺れていた。 

 猛から説明されたことはないからよくは知らないが、通り抜ける水のような壁は、その時によって色や感触が違う。でも濡れることはないのだ。

「じゃあ、行って来い」

 手を挙げた猛に、ミアハが真剣な顔で手を上げ返した。

「あ、その前に猛殿、一つ伺いたい」

「なんだ?」

「達彦殿と無言で会話する方法を聞いておりません!」

「慣れろ」

 一言いうと、猛は容赦なくミアハを乳白色の壁へ蹴りだした。

「頼むぞ」

 猛に肩をたたかれて、達彦はミアハに続いて足を踏み出す。

 そういえば、一緒に話を聞くと言っていた玉城とアレンはどこに行ったのか。

 扉をくぐる瞬間、達彦はふと二人の顔を思い浮かべた。




 達彦が入ってすぐ、猛は押入れを閉めた。さらに再び開けると、布団が重なった押し入れの光景が現れる。

「さて、と」

 猛は首を鳴らしながら玄関へと向かった。

「子供たちはみんな部屋にいますよ。鍵もかけました」

 不意に横に並んだのは、夕食後に出て行ったはずの玉城。

「玄関壊されたらうるさいんで、庭でやりましょうか」

 玄関で待っていたのは屈強な二人の男たち、アレン・オムニとヤクシだった。

「そうだなあ。隊長、体鈍ってるかもですから、後ろにいていいっすよ」

 アレンは軍に在籍していた当時の名残で、いまだに猛を隊長と呼ぶ。

「俺は生涯現役」

「それはヤラしい意味の――いてっ」

 玉城が猛に小突かれるのを、ヤクシが無言で見送った。

 ヤクシの無口レベルは達彦の上をいく。

「さてさて」

 ヤクシが開けた扉から、アレンが跳ね上がるように飛び出して、闇に溶けた。

 街灯の薄明りの中、鈍い音と多くの人の気配。

 金属音。

 微かな爆ぜる音。

 ヤクシが丁寧に扉を施錠するのを見てから、ふいに暗がりにまぎれるように足を進めた玉城に、猛は声をかけた。

「夜だから、しーっだぞ!」

 ひらりと振られた掌の名残を見ながら、猛も庭の闇に躍り出る。

 最後に踏み出したヤクシの目には、高めの塀で囲われた暗がりの庭で、すべるように動きながら、十数人はいるだろう侵入者に向かう三人の姿をはっきりととらえていた。





 踏み出した一歩目にざらりと音がして、達彦は二歩目のつま先を立てた。

 とたんに潮の香りが、強めの風に交じって達彦の前髪をさらった。

「おや。聞いた通りですね」

 ミアハは達彦の顔を無遠慮にのぞき込んでくると、唇を引き上げた。

「隠すのがもったいない美丈夫ではありませんか」

 達彦は眉を顰めると、頭を振って前髪を戻した。

 もったいないとつぶやくミアハの声は完全に無視した。

 押入れをくぐったのは夜だったのに、目の前に見えるのは昼下がりの明るさだった。

 なだらかだが高い木も草も生えていない岩の床の向こうは海のようだが、波の音にしてはやけにさらさらと鳴る。

 不思議に思ってみていると、高く上がった波は潮ではなく砂だった。

 岩場に打ち付けられた砂が、さらさらと音を立てて、また岩場の下へと落ちていく。

「砂海です。砂獣の出るときだけ押し寄せる海です」

 だから早く離れなくては危ないですねと、ミアハは達彦の袖を引いた。

 どちらも耳慣れない言葉だった。

 砂の海、砂の獣。

 そんなものは現代のどの場所にも存在しないはずだ。

 達彦は自分の居場所を確認するために、ぐるりと振り返った。

 すると後ろには森が広がっており、そちらのほうから二十人ほどだろうか、映画で見た古代西洋風な鉄の鎧を身にまとった集団が、こちらを指さすのが見えた。

「よく見つけましたね。予定の場所からずいぶん離れていたのに」

 ミアハは集団へ手を振り返すと、さあ、行きましょうと達彦に手を差し伸べた。

 達彦がその手を無視して歩き出すのを、面白いものを見る目で見ながら。

 ふと、ミアハが高速で達彦を抜いて駆け抜けた。

「ヌアダ様ああああ」

 達彦が確認した時には、ミアハはひときわ体格のいい、鎧の男の前にスライディングの勢いで片膝をついていた。

 もしかしなくても、ミアハの愛を受けているという苦労人はこの男に違いない。

 達彦がゆっくりと近づいていくと、男はミアハの頭を軽くなでてから、達彦に歩み寄りながら手を差し伸べた。

「待っていたぞ。我が国のドルイドよ」

 ドルイド。

 どこかで聞いたことがあるような名称だが、少なくとも達彦には初めての呼び名だ。わずかに眉を顰めると、男は達彦の目の前で精悍な顔いっぱいに笑みを浮かべた。

「ヌアダという。ドルイドとは特別な能力を持つ導師を言う。貴方のことだ」

 ちなみにダナ族の王だと、好きな食べ物でもいうような気軽さで伝えられた。

 達彦は上げかけた手をぴたりと止めたが、目ざとくそれに気づいたヌアダは、がっしりと達彦の手を捕らえるように握った。痛い。

 ごつごつとした手も腕も、ヌアダの腕っぷしの強さの証拠を存分に伝えていたし、外見のどこをとっても強そうとしか思えなかった。

 硬そうな濃い銀の髪も太い眉も、そろえるわけでもなさそうな髭も、表情がなければさぞ恐ろしい風体だろうと思う。だが垂れ気味の目元と目じりのしわが、この男の人の良さを知らせてしまっていた。

「早速だが達彦殿、我らとともに城に来ていただきたい。ここは少し危険で――」

「敵襲ー!」

 ヌアダが右へ振り仰ぐのと兵の誰かが叫ぶのはほぼ同時だった。

 つられて達彦が見た上空には、うっすらけぶるぐらいの無数のチリのようなものが見えた。何かわからずよく見ようと目を細める間に、来ていた兵士の全員が達彦をぐるりと囲んで剣と盾を構えた。

 達彦をかばうように立ちはだかったヌアダの肩を、風を切って何かがかすめる。岩の隙間に刺さったそれは、火のついた矢だった。

「普通の矢ではない」

 かすめた傷に触れながら、ヌアダがつぶやく。

「ヌアダ様、矢から法術の匂いがします」

 空を半分も覆うほどのチリがすべて矢なのか。達彦はうぶ毛が逆立つような寒気を感じて目を見開いた。

 あんなのに襲われたら、この人たちはどうなる。

「達彦殿を守れ!」

「風の壁!」

 ヌアダとミアハが叫んでいる。

 兵士たちが応と唸り、腰を落とす。

 つむじ風のようなものが兵士たちを囲むように巻き上がり、矢の雨を次々と吹き飛ばしていく。取りこぼれた幾本かはヌアダや兵士たちが剣で叩き落していた。

 少し離れた周囲は落とされた矢が次第に積み上がり、落ちた矢に次の矢が火を移していた。

 ほんのひと時の間の後、次の矢の群れが襲ってきた。

 これでは動くこともできない。

 達彦は自分を囲む兵士を、ヌアダを、ミアハを見た。

 まだ誰もけがはしていない。

 だがこれが何度も続いたら?

 ミアハが作ってくれている風の壁はいつまでもつ?

 もしこの壁が弱まったら、この男たちは、自分を助けるために身を挺してしまうのではないだろうか。

 襲撃を見てこの兵たちが優先したのは、明らかに達彦なのだ。

 自分たちの王ですらない。

 その時達彦の脳裏に、燃え盛る炎の記憶がかすめた。

 自分を抱え込む柔らかな感触。

 自分の名を繰り返し呼ぶ大人たちの声。

 達彦の唇が、今は呼ぶこともできない人たちの呼び名をなぞる。

 火は、嫌だ。

「くるぞ!」

 さっきまでと比べ物にならない数の矢が、津波のようにうねりながら押し攻めてきた。

 矢の軌道ではない。

 それでもミアハは臆せず両手を前に突き出して、何かを叫んでいた。

 その手の先から放射線状に透明な壁が広がっていくのが、やけにゆっくりと見えて、間に合う気がしなかった。

 ミアハが小さく無理だとつぶやくのを、達彦は聞いた。

「やめろー!」

 達彦の叫びは矢の着弾の音にかき消された。

 兵たちが、手にした盾を強く握りしめた。


 唐突に襲撃がやんで、ヌアダは素早く周囲に目をやった。

 自分たちの周りには、まるでやぐらでも組んだかのように高く積みあがった矢がぐるりと囲み、そこここで燃えていて、爆ぜる音を立てていた。

 先ほどまでの風の唸る音も今はなく、不気味なほどに静まり返っていた。

 追って顔を上げたミアハも、兵士たちにも傷はなく、ミアハの法術が間に合い、自分たちを守ったのかとヌアダはそっと息をついてミアハを見たが、当のミアハは訝しげに眉をひそめていた。

 それでも脅威は去ったと考えてよさそうだ。

 もう大丈夫だと抱きこんだ達彦に声をかけようとして、ヌアダは息をのんだ。

「達彦殿!」 

 ミアハが叫んで触れた達彦の肩は、一本の矢に深々と貫かれていた。

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神様のピンチお助け隊(仮)  綾子 @shamonthumugi

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