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今この教会には、上は高校一年生から、下はあと一か月で一歳になる子まで、二十人ほどが生活していた。
時々子供を連れた母親が、数日泊まることもあったから、シェルターでもあるのかもしれない。達彦はそれぞれの事情を聴かなかったし、猛もあえて言わない。
神父なんだか住職なんだかもわからない猛は、大方の子供たちから「猛さん」と呼ばれていた。
達彦もまたそう呼んでいたのは、その当時一緒に住んでいた何人かの人が呼んでいたのに倣ったのだった。
玉城とアレンを交えての晩餐はいつも通りにぎやかで、まんまと調理を任された達彦は、子供たちにぎゅうぎゅうに囲まれながらテーブルに着いた。
いただきますをそろえてからは、さらににぎやかになるいつもの食事風景だった。
玉城もアレンも子供たちからは謎に人気があり、誰のお隣に座るかじゃんけんは、かなり白熱していた。
「そうだ達彦。」
猛が赤ん坊を抱きながら向かいに座った。この女の子は、抱っこでないと眠らないのだ。
「多分明日、客が来るんだよ。帰りに寄れるか?」
明日は特に忙しいわけではないので、定時に帰れるだろう。達彦は軽くうなづいた。
「そうか。そうだ、ついでに明日もう、布団持って来いよ。そろそろなんだろ?水道工事。」
達彦の住んでいるアパートで配水管が故障し、古い建物であることもあって、大家さんが思い切って配管を取り換えることになっていた。
決まったのが先月のことで、仮宿が見つからない人には仮宿も紹介してくれる挙句、引っ越し代も出るという好待遇だった。
達彦は猛に誘われて、教会の空き部屋を使うことになっていたが、隣に住んでいた高齢の女性は、引っ越すからと言って、タオルを持ってあいさつに来ていた。
以前達彦が使っていた部屋がそのまま空いていて、ここに泊まるときはいつも使っている部屋だった。
教会経営以外の何で稼いでいるのか、この教会の金の流れも、達彦は知らない。
定期的に来る偉そうな黒スーツや、やたら気安い謎の高級車の主が怖い感じに関係してなければいいとは思っている。
仮にも法律関係の仕事をしていて、これらのことに無関心なのはどうかと思われるかもしれない。
だが、だからこそ知らないほうがいいと思っている。
そんな謎の経済活動だったし、居候の引け目もあって、達彦は学生の頃、アルバイト代を生活費にしてくれと封筒を差し出したことがあった。
「うれしいねえ」
猛はそう言って、どこか誇らしそうに封筒を受け取ってくれたのが、ひどくうれしかった。やっと猛の役に立てた気がして、達彦こそが、誇らしかった。
だが猛は封筒の中から一枚だけ札を抜いて、あとは達彦に返してよこした。
「貯金も大事だぞ。」
教会に入れるのは、これだけでいいからと言って、猛はその札を大事そうに、きれいにたたんで胸ポケットに入れていた。
それからいまだに猛は、達彦がいくら包んでも、それ以上は受け取ろうとしなかった。
教会の暮らしぶりを見ても、贅沢はしていないが困っている風ではない。
それもあって、達彦は、さほど遠慮することなく協会に身を寄せられた。
「お布団あるよ、猛さん。お布団の部屋にいっぱい。」
「あー。うん。こいつはなあ。」
「達にい、布団フェチだから。」
言葉を濁す猛にかぶせて、最年長の高校生、真依がため息交じりに言った。
「フェチじゃない。常軌を逸してこだわってるだけ、と、思う。」
同い年の兄である紅が、フォローとも言えないフォローをしてくる。
「それをフェチっていうんじゃない。」
いまさらそのぐらいの称号でへこみも怒りもしない。
何しろ達彦は、布団と聞くだけで幸せホルモンが二割アップする気すら感じるからだ。
達彦の布団に対する信頼は厚い。
あの事故の後、震えておびえる達彦を包んでくれた布団は、まるで鉄壁の結界のように達彦を守ってくれた。
実際達彦を外界から守ってくれていたのは猛なのだが、幼い達彦には、自分を包み隠してくれる布団の存在は絶大だった。
事故のあの日も、いじめられた日も、布団は黙って達彦を包んで癒してくれた。あれ以上の聖域がこの世にあろうか、いやない。
かくして達彦の布団への信頼は、そのまま、ただならぬ愛となって今、布団および寝具全般へと注がれているのだ。
普段から人とのかかわりを極力避けるため、コミュニケーションの権化である会話を控えている達彦だが、布団を愛おしく語りたい欲求の前では唇が疼く。
「食事中だから後にしてよね、達にい。」
辛辣な高校生にとがめられて、達彦は「布団語りたい衝動」を咳払いで隠した。
「いいじゃねえか。達彦がぺらっぺらしゃべりだす貴重な機会だぜ?」
赤ん坊を寝かしつけてきたらしい猛が、達彦の腕を肘で小突きながら席に座った。
「だって止まらないじゃない」
「俺さ、この前そこの幼児組が、ままごとしながら日本製の寝具のすばらしさを語ってるの聞いちゃったよ……。「この手触りの違いが分かりましゅか?」だとよ。テレビショッピングかと思った。」
「ほら、悪影響じゃない!」
悪影響とは何事か。英才教育ではないかと、達彦はテーブルの下で小さく拳を握った。
「こだわりすぎて自分の布団以外で寝れなくなったとか。わけわかんない」
「そういえば達にい、泊りで出張とか行ってたよね?どうしてたの?」
その時のことが長らく笑いのツボだった猛は、こらえきれない笑いの合間に語った。
「こいつ、京都までさ、レンタカー借りてまで布団と旅したんだよ」
「達にい、彼女できないよ」
心底心配そうに言う紅を横目で制しながら、達彦は無言で隣の子の口元を拭いてやった。まだうまくスプーンが使えないその子は、嬉しそうに今度は顎を汚した。
ろくにしゃべりもしないくせに、流れるように周りの世話を焼く姿を、憎まれ口をたたきながらも高校生たちが慕っているのを、猛は微笑ましく見ていた。
様々な、割と珍しいケースで預かっているこの子供たちにとって、達彦だって立派な心の支えなのだ。
達彦は、気づいていないだろうが。
「お客さんって、達にいに用事なの?」
「ああ。ちょっと変わったやつだけど、悪い奴じゃないから安心していい」
猛はようやく箸に手を伸ばした。
どうしても子供優先になるのは仕方がない。みんなのパパの宿命だ。
「うちにくるお客さんってさ、「ちょっと変わってるけど悪くない人」ばっかりだよね……?」
紅が心霊スポットに踏み込むような顔でつぶやいた。
「そうかあ?」
猛はご飯をほおばりながら、何でもない風に言った。
「ちょっと悪いけど、そんなに変わってない人も来てるぞ」
それを平たく一般人に分類できないところが問題だと思う。
達彦はあえて想像をめぐらさず、自分は石だと心でつぶやき続けた。
免疫の足りない高校生たちの箸は止まっていたが。
一目でサラリーマンではなさそうな、頬に傷のある人だろうと、宗教衣装の団体が突然バスでぞろぞろ乗り付けようとも、そのすべての人たちが猛に最敬礼をすることも含めて、この家では、「まあ、そんな日もある」で済まされてしまう出来事なのだ。
実際、その人たちはそれぞれほぼ毎月やってくるわけだし。気にしたり深追いすると禿げるかもしれない。
このままだと紅の頭部が心配だ。
「なんの用事なの?」
口を開かない達彦に代わって、真依が自分のことのように聞いた。
「うん。まあな」
適当に濁す時の猛が説明するつもりがないのもいつものことで、そうなんだ、と真依も引き下がった。
こういう時はたいてい「オシゴト」がらみだ。
先ほど戻ってきたばかりで、また行くというのは珍しい。
たいてい達彦の出番はひと月に二度ほどで、普通に勤めている達彦の負担になることはない。猛が調整してくれているからだ。
それを待てないほどの何かがあったのか。
大きな仕事だというのか。
「あ、俺たちも一緒に話聞くわー。」
玉城が子供たちと食器を片付けながら、ひらひらと手を振った。なれたものだ。
玉城とアレンが付いてきた用事の目的はこちらにあったのかもしれない。
余計にきな臭い。
「そういえば最近、アレンさんよく来るね。」
紅が食後の麦茶を用意しながらアレンを振り返った。
「……………だめっすか……。」
アレンが大きな体を縮めて、わかりやすく落ち込んだ。
ハイハイを始めたばかりの一歳児二人組が、その背中への登頂を始める。
「俺みたいなでかいのが頻繁に来るとか、邪魔っすよね。…この部屋の一部を無駄に占領しているのが目障りっすか…。」
アレンはちょっと油断すると、発言が過剰にネガティブだ。
登頂を果たした二人組が、アレンの頭をかわるがわるにペタペタと叩く。
「そ、そうじゃなくて!イギリスに帰るから、しばらく会えないって言ってたからさ。」
半年ほど前に紅と真依がここに来た時、アレンは長期滞在中だった。
面倒見のいいアレンに紅は懐いていたから、さみしく思っていたのかもしれない。
「なんだ、もう日本に戻ってくるのか。」
グラスを受け取りながら猛は笑った。
アレン・オムニ。最初に来たのは十年ぐらい前で、数か月住んでいた。
イギリス人で、その時は短期留学だったそうだ。
海外で仕事をすると言って出て行ったから、疎遠になるだろうと思っていたら、年に何度かは日本に来ているらしい。
そのたびに教会に来ては飯を食っていく。
「この前来たあのアジア系の人、何て名前だったっけ?」
真依が天井を見上げながら眉をしかめた。
「ヤクシか?」
「ああ、あのずっと怒ってる人」
「どういう覚え方よ?」
玉城がけらけらと笑って、確かに顔は怖いな、とつぶやいた。
「だってあの人、滞在中ずっと全方向に睨んでたんだよ。達にい以外は」
「え?そういう?」
ヤクシも達彦が子供のころから教会に通う人の一人で、昔は頻繁にここにいたのだが、急にほとんど来なくなり、こうして疎遠になるのだろうなと思っていたら、ここ数年、また定期的に訪れるようになった。
「そういえば玉城さんもここに馴染んでるよね。子供たちも懐くし。」
玉城が動くと何人かの子供が常について回っていた。
首に傷ある黒い人は、話し始めると必要以上にチャラい。
「玉城も昔の同居人だよ」
そう。教会という場所のせいか、様々な人が滞在するが、大方短い期間でいなくなる。子供のころは達彦もそれを寂しく思っていたりもしたが、反面、人付き合いを避けたい達彦には好都合だった。
みんな「これで疎遠になってしまうな」と言いながら出ていくから。どうせ短い付き合いだからと、安心してできる相談話もあったから。
「しょっちゅう、うちで飯食ってるよな」
――疎遠とは。
「とにかく少し早いけど、もう着替えとかも一緒に持ってきたらどうだ?あしただったら玉城が車出すって言ってたし」
猛が最後の麦茶を飲みほして、周りの空いた皿を重ね始めた。食べ終わった子たちがそれに倣う。
せっかくだから世話になろうと達彦は猛にうなづき返した。
「え?達くんが!俺に!お願い!…いやあ、そんなに言うならあ、玉城のお兄さんがあ、達くんのお・ね・が・い!聞いてあげちゃうう!」
やっぱり早まったか。
達彦は氷点下のまなざしを玉城に向けたが、クールな視線!それもよし、と玉城は喜ぶだけだった。
玉城の達彦への、本気度が測りがたい愛情はいつも暑苦しい。
いつものようににぎやかな食事が終わると、今度はお風呂タイムだ。
いったい誰の差し金なのか、教会の風呂は旅館の温泉ぐらいの広さがある。男女で分かれていて、いっそ銭湯として営業すればいいのにと思うほどだ。たまに近所のお年寄りや親子連れを見かけるので、もしかしたらもう営業しているのかもしれないが。
小さな男の子たちと猛が風呂に行くのを追って、真依も風呂の用意を始めた。今は女子最年長の真依が、女の子たちを見てくれていた。
最初は紅にくっついて居ておびえていた真依だったが、子供たちに懐かれるうちに、いつしか「おねえちゃん」の顔になっていた。
その間に洗い物を済ませてしまおうと、達彦は再び台所へ立った。
「手伝う」
紅がテーブルを片付けて、達彦の隣に立った。何か話したいことがあるときの子供の顔だなと、達彦はうっすら目を細めた。
これでも最高レベルのほほえみである。
「俺さ」
少し言いづらそうに、紅は話し始めた。
「真依とは血がつながってなくてさ」
あまり似ていないなとは思っていたが、血縁がなかったのか。
この二人が来て半年ほど。
訳ありではあろうが、ここにいる人間でわけのない人がいたためしもないので、いわれを訪ねることなどない。
おそらく猛は把握しているのだろうが、あの調子なのでよくわからない。
親の連れ子同士なのだと紅は、少し照れ臭そうに言った。
「親が二人ともいなくなって、なんか、いろいろあって」
少し声が震えていて、達彦はちらりと紅の顔を盗み見た。
心なし顔色が悪い。
「猛さんに助けてもらって、達にいにもよくしてもらってさ」
何を、言おうとしているんだろうか。
急に喉の奥がジワリと苦くなったような気がして、達彦は紅に気づかれないよう、静かに唾をのんだ。
「久しぶりに気が休まるっていうか、なんか自分の家みたいだなとか」
どんどん早口になる紅は、もう皿を拭く手を止めて、体ごと達彦を向いていた。
「ねえ達にい、俺、なんか嫌な予感がするんだよ。俺の予感、当たるんだ。母さんたちがいなくなった日もそうなんだ。ちょっと頭痛くて、胸焼けして」
とうとうまくしたて始めて、紅は達彦のエプロンの端をつかんだ。達彦は落ち着かせようと、紅の肩に手を置いたが、紅はかえってエプロンをしっかりと握った。
「達にいは、いなくならないよね」
活発な真依をいさめることが多いせいか、おとなしそうで落ち着いた印象はあるが、紅は気が弱かったり、内気だったりするわけではなかった。
どちらかというと、優しいお兄ちゃんといった風情で、たぶん自分よりも子供たちに兄のように慕われているのは、紅のほうだろうと達彦は思っていた。
同じ年の子に比べて背も高いほうだ。頼りがいのある兄と思われるだろう。
でも今の紅はいつもの余裕を完全になくしていた。
まるで置いて行かれる小さな子のように、達彦を見上げていた。
達彦は紅の肩をそっとさすると、軽くうなづいた。
それでも紅の瞳から不安は消えなくて、さらに軽くたたいてやった。
「達にい、忘れないでよ。いなくなったら、俺は嫌なんだからな」
本当に嫌なんだからなと小さくつぶやいてから、落ち着いたのか、紅はやっと手を離した。エプロンについたしわが、紅の不安のシミのようだった。
「なんか、こういうのって気恥ずかしいよな。変な奴だとか、思われるし」
もちろんそんな風には思わないし、心配されること自体は素直にうれしいと、達彦だって思う。
ほんのり頬を赤くした紅の頭をポンとたたいて、達彦は食器洗いを続けた。
紅の心配もあながち的外れではないかもしれない。
ここ最近、教会に出入りする人たちはいつもよりほんの少し多くて、どこか緊張感を感じる。
武闘派のアレンとヤクシの両方が頻繁に来ているのも、本当は気にしていないわけではなかった。
玉城が顔を見せるのは「仕事」の時の場合が多いから、明日の客の目的も、達彦を「お守り」にするためなのだろう。
ついでに客用の茶菓子も心配になったが、まずは、風呂から戻った子供たちに、無事パジャマを着せなくてはならない。
廊下を走る歓声と足音を聞きながら、タオルを用意すべく達彦は水を止めた。
昨日の猛の言葉通り、仕事が終わったタイミングで、玉城は達彦の職場前に愛用のワンボックスカーを停めて、両手を振って待っていた。
世話になる手前、無碍にできないのをいいことに、遠慮なく絡みついてくる。
「たーつーくーん!おにーさんが迎えに来…ぐふ」
往来の迷惑になる。
達彦は玉城の口元を片手でがっちりと鷲掴みして、そのまま運転席に放り込んだ。
流れるように扉を閉め、静かに助手席に乗り込む。
じとりと口をとがらせる玉城に、視線だけで車を出すように示す。
「はーい、はい。俺は達くんの仰せのままに―、だからね。」
昔から玉城は、達彦がどんなにぞんざいに扱っても絡むのをやめないのだ。
正直、やりすぎたかと思う時もあるのだが、少しでもためらうそぶりを見せようものなら、サングラス越しでもわかるほどのキラキラの瞳を向けられるのでうっとうしい。
道中、一方的な玉城の会話に、頷いたり頷かなかったりしながら家により、大事な布団一式と荷物とともに達彦は教会に送られた。
またもちゃっかり一緒に夕飯にした後、玉城はふらりと外へ出ていったようだった。
いつもは寝る前までの時間、子供たちの相手をしているのが常だったので、達彦は見るともなしにその背中を見送った。
そのあと紅と真依と三人で子供たちを布団に横にしてすぐ、その客人は現れた。
今日に限って子供たちの寝つきはよくて、いつもこうだったらね、と真依が笑って振り向いた時、猛が呼びに来たのだ。
「また、すごいのが来たな……」
紅のつぶやきに達彦も軽くうなづいた。
長身の猛と並ぶほどの上背は、この際どうでもよかった。
きらっきらの金髪に碧眼も、まあ、いるだろうが。
その髪が腰下まであるさらさらストレートで、人形みたいにきれいな顔立ち、すっきりとした目元に右目には金縁のモノクルと来れば。
「コスプレ?」
真依の言い分ももっともだった。
頭部だけでも十分なコスプレイヤーなのに、ずるずると長い白いローブで身を包んでいるのだ。
純和風一般家屋の廊下に、この存在が佇む異質感が半端ない。
まだ幽霊のほうがしっくりなじみそうだ。
そのむやみに出で立ち全部がチカチカするその男は、アニメでしか見たことないような所作で優雅に頭を下げた。
「ミアハと申します」
人形じみた無表情で、男はゆっくりと顔を上げる。
西洋の彫刻がそのまま実体化したような、現実感というものがまるでない。
無表情がその非現実感を助長しているのだろう。
達彦はなんとなく圧倒されて、後ずさりをこらえていると、男は薄い唇をゆっくりと開いた。
「『天才』法術師です。以後お見知りおき…おふっ」
無表情なのにどや顔でふんぞり返った金髪美人は、猛に拳骨を振るわれたのだった。
「せめて一分くらい我慢できねえのか。この自分大好き法術オタクが」
どうも旧知の仲のようだ。二人の間に着やすい空気が漂っている。
「別に自らを愛しているわけではありませんよ。私が愛しているのはヌアダ様と法術とヌアダ様と法術に人生を捧げている私です」
なぜか自信満々に言い切ったミアハは、口はよく回るようだった。
最初の硬質な無表情はどこへやら、猛に小突かれながら憮然と抗議をしている。
「達にい、変なイケメン来た…」
達にいだってそう思っているともさ、と心でつぶやいてみたものの、二人の手前、最低限の虚勢は張っておきたい達彦は、さりげなく二人を背中に隠した。一応格好をつけたかったのだが、変人美人にはばれているようだった。
ミアハは薄い唇をきれいな弧に引き上げると、行儀よく猛に笑んだ。
「では猛殿。早速出発してよろしいか」
「よろしいわけねえだろうが。まだ何の説明もしてないってのに。達彦、とりあえず客間で」
あまり関わりたくなかったのか、真依は早々にお茶の用意すると言ってその場を離れ、出遅れた紅は少し迷ってから、達彦の後ろで腹をくくったようだった。
一瞬達彦を気遣うように見上げたのに、達彦は瞬きで答えた。
「ミアハ、こいつが達彦だっ…て、まて!」
猛が親指で示して刹那、達彦に高速突進してきたミアハを猛は羽交い絞めで止めた。
この変人美人、いちいち行動が唐突だ。
「こんの変態美人!それ以上俺の息子に近づくんじゃねえ」
ミアハは猛に拘束されてなお、達彦に向かって顔を突き出した。
「上質のゲッシュの香りがします…ふふふう」
鼻を鳴らして達彦を嗅いだミアハは、うっとりと目を細めて色気をにじませた笑みを向けた。
「いぃい香りですぅ」
「やべえ達にい、逃げてくれ!」
「紅、大丈夫!……とははっきり言ってやれねえが、大丈夫だから、待て」
「いくら猛さんの頼みでも聞けないこともあるって!達にい、早く!」
こんなにわかりやすい、ちゃんとした変態に遭遇したのは初めてで、達彦はターゲットが自分のようだというところに頭が追いつくのが遅れた。
紅に腕を引っ張られて、やっと後ずさりしたものの、ついミアハをまじまじと見返してしまう。
するとミアハは逃げない達彦に気をよくしたのか、さらに笑みを深めて、さすがですねとつぶやいた。
「ふふふ。突発的な事態にも冷静な行動。声一つも上げないなんてすばらしい精神力ですね。――ああ」
ミアハはさっきとは違う方頬だけを引き上げて、小首をかしげた。
「しゃべれないんでしたっけ」
達彦の眉がひくりと動いた。
「いや、しゃべらないんでしたか」
「ミアハ」
「おい、おっさん」
猛の鋭い声と同時に、紅が達彦の前に進み出た。
「ただの迷惑な変態なら逃げるつもりだったけど、達にいを傷つけるつもりなら、容赦しない」
「ふふふ。おっさんはそのオヒメサマのほうもでしょう?こんな若い子にまでかばわれて」
ミアハは侮蔑の色を隠すことなく達彦に向けて笑った。
「うらやましい限りです」
明らかに挑発めいた色の声音に色めき立ったのは、紅のほうだった。
「いい加減に――」
「ああ、あなたが盗人スキルの片割れですか?」
紅の顔が目に見えてこわばった。
見る間に顔が紅潮し、ぎりりときしむように拳が握られる。
「おい、それくらいに……」
猛が口を開きかけると、達彦がゆらりとミアハに近づいた。
筋が浮かぶ紅の拳を、達彦の手がそっと撫でた。
「俺は……」
達彦はうつむいて前髪に隠れた内側から、そっと口を開いた。
「姫なんてかわいいもんじゃないが、守られているのは本当だ」
「達にい!」
「でも」
紅の叫びをさえぎって、達彦がゆらりと顔を上げると、ミアハはわずかに目を見開いた。
「俺は『鉄壁の守り』なんだろう?あんたもそれが欲しくて来たんだろうが。俺がどんな人間だろうとあんたには関係ない。ただ俺を使えばいいだけだ」
さっきまで戸惑いや不安に揺れていたように見えた瞳はそこになく、ミアハを見つめる達彦の目は、暗くまっすぐに見据えてきていた。
「だから黙れ」
ミアハはその役割柄、交渉ごとの場に赴くことも多い。
見るからに屈強な相手のすごみだろうが、笑顔でいなすぐらい朝飯前だが、達彦の発した暗い気迫には、肌を炙られるようなひりつきを感じた。
頼もしい。
「――失礼しました。達彦殿」
猛の腕から解放されたミアハは、きっちり直角に腰を追って、あっさり頭を下げた。
「紅殿も。大変申し訳ない。お望みとあらばその拳を振り下ろしてください」
ミアハはわざと人を怒らせるようなことをして、人を試そうとする悪癖がある。猛のいうように、達彦が人のために憤るところを見たかったのだ。
敬愛するヌアダの、一族の、文字通り守護神となりえるのかを。
だからわざと、大切にしているだろう家族を巻き込んで怒らせた。
期待通り、達彦は自分がけなされることよりも、家族を引き合いにしたことで憤った。
理想的だ。ミアハは口元の緩むのを抑えられなかった。
「猛殿から聞いてはおりましたが、どんな方なのかと楽しみにしてきたんですよ。我らが一族の、切り札となり得るあなたを」
どこか晴れやかに笑ったミアハは、達彦の手を恭しくとると、その指先に唇を当てた。
紅が喉の奥でひっと悲鳴を上げた。
「今日から私の愛を受ける三つ目の存在と認めます。達彦殿」
「いらない」
ミアハの朝日を受けた海のようなキラキラのほほえみに、紅が答え、猛が達彦の肩を引き寄せ、達彦はこれ以上ない軽蔑のまなざしを返したのだった。
「達にい、今のプロポーズ……?」
その後ろで人数分の湯飲みを乗せたお盆を震わせた真依がつぶやいた。
早く布団に潜り込みたい。
達彦は、切に布団の癒しを求めたのだった。
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