#6

「累」


「……どしたの、そんなかたーい顔してさ」


翌日。帰りのSHRが終わって早々、俺は累の元へ向かった。


「いや、昨日お前に色々悪いこと言ったなって思ってさ」


「あぁ、それか。いや別に気にしないよ。無神経なこと言ったのは俺の方だし」


けろっとした様子で言ってのける累がありがたい。


それに……


「俺さ、声劇部入ることにしたよ」


「マジで⁈」


累がガタッと机に乗り上げんばかりの勢いで大きな声を出すから、俺たちはクラスに残ってる奴らから視線を浴びる。


「やっぱり俺の目に狂いはなかった!」


「……累、ちょっと静かに」


「いいだろ!だって俺うれしいんだよ!!

花宮瑞貴の、お前の演劇がまた見れるのかと思うと今からテンション上がっちゃって!」


自分のことのように嬉しそうにする累に思わず俺も笑けてくる。


「いや、まぁそうだな。累、ありがとう。俺に声劇部を勧めてくれて。多分お前が見つけなきゃ、俺入ってなかったと思う」


「だろ〜?やっぱ俺がいないと瑞貴はダメだな!」


「はいはい。そういうことにしといてやるよ」



えっへん、と誰かさんみたいに胸を張って笑う累と別れて、第一音楽室へ向かう。



今日は練習3日目。


宮崎さんが放課後は音楽室を使って良いと鍵をくれたので、今日も先に1人簡単に発声練習をして、声の調子を確認していた。



「(うん、なかなかいい感じ)」



今日からはいよいよセリフを創っていく。

宮崎さんに渡されたルーズリーフに記されたのは3つのロミオのセリフ。



【家柄なんて…どこの誰かなんて関係なかった。


どうしようもなく、彼女と恋に落ちたんだ。】



【……勿論お前たちのことも大切だ。それに変わりはないよ。だけど、それ以上に大切で愛おしくて、何にも変えられないものができたんだ】



【俺たちは誰にも支配されない、そうだって言ったのにな……だけど、俺がモンタギューじゃなければ】



この3つは全部同じシーン。


敵対するキャピュレットの一人娘であるジュリエットとの結婚が仲間たちにバレ、凄まじい剣幕で責め立てられている時に放つロミオのセリフ。


今は敵対していたとしてもいつかは仲良くなれると信じて疑わないロミオと、血筋や家柄・今まで築いてきた仲間同士の友情なんかを大事にするモンタギュー。



裏切った、信じていたのに、よりによってどうしてジュリエットを?という激しい嫌悪や懐疑心を、先輩たちも一気にぶつけてくるんだろう。


だったら俺も同じ熱量で受け止めて、投げ返さないといけないのに、パッとしない。



なんという、こう、何か違う。

やりたいことは頭の中で完全にシミュレーションできているはずなのに、それが口をついてでない。


試しに一回ずつ声に出したけど、どうもしっくり来ない。

口馴染みが悪いっていうか……とにかく何か違う。



これが七年のブランクか……?やばいな。



別に演技ができなくなっているわけじゃない、とは思う。


あの時と変わったのは声質くらいで、太く低くなったものの色んな種類を使い分けられることに変わりはないはず。



現にロミオの声を決めるにあたって色んな声を試したんだ。


そこでしっくり来る声を作り始めてる。

後は今ノートに書き出した感情を音にして乗せるだけなのに。


昔、得意だったことがスルッとできない。

もどかしいし、何より悔しい。



先輩たちの実力も予想がつかないからこそ怖い。その反面すこしワクワクしている。


だけど、完璧を目指せば目指すほど、焦りが先走る。



俺は一度気分転換でもしようと窓に手をかけた時、部屋の扉が開かれる音がした。



バッとドアの方へ振り返ると、そこには…………



「望美さん⁉なんでここに?」


「久しぶり〜!もしかして、邪魔しちゃった?ここ最近ずっと瑞貴くんに似た声が聞こえるなーって、気になっちゃって」



私、声劇部の顧問なの。と荷物を空いた椅子にドサリと落とした。


昔とそう変わらない容姿も、少し低く感じる声も、すげぇ懐かしい。

まさかこんなところで再会できるなんてラッキーだ。



橘さんは俺が子役をしていた時、一世を風靡したアカデミア賞女優。


俺も何度か共演経験があって、その度にアップデートされていく演技の濃さにいつも驚いていたっけ。


いっつも演劇のことを真剣に考えていて、周りからの期待とかプレッシャーを軽々超えていく。その姿に俺は憧れていて。


親父の他に、目標となる演者の1人だった。



結婚して女優業は引退したって聞いてたけど、まさか顧問をしてるとは驚いた。



「私からしたら、瑞貴くんが戻ってきてる方がびっくりよ」


「あ、まぁそれもそうっすけど……望美さんが先生かぁ」



「何その言い方〜。まぁいいけど。実は私の旦那、ここの卒業生なの。なんなら声劇部のOBだし。それでご縁を頂いてね」


「勉さんそうだったんすね……あ、すんません挨拶もしないで。


改めまして、これからよろしくお願いします!」



すっかり驚きでいっぱいで挨拶がまだだったことを思い出す。


ちなみに勉さんというのは、望美さんの旦那さんで、映画監督をしていらっしゃる人だ。業界でもヒットメーカーと名高くて、一度出させて貰ったけれど、本当にすごく面白い作品だった。



「あっはは、こちらこそよろしく。にしても、大きくなったなぁ〜、でも、そうやって礼儀正しいところは小さい頃と変わらないね」



それに演技のことで悩むと開いた窓に向かって叫ぼうとするところも。


なんて悪戯っぽく笑った橘さんに全て見透かされていて、少し恥ずかしい。



「そうだ、先生らしく悩める天才子役にヒントをあげよう。瑞貴くんはこの場面の本質を理解していないね」


「…………本質を理解していない、?」


「言葉の通りだよ。私がロミジュリを知らない人だと思って簡単にあらすじと、この場面の説明してみてよ」


椅子に座った望美さんの顔つきは、もうあの時と変わらない真剣そのもので。

思わず背筋がスッとする。


促されるまま、ロミジュリの場面を想像してみた。



「ロミオとジュリエットって言うのは、イタリアのヴェローナ地方で敵対していた二つの家の話っす。

下流貴族のモンタギュー出身のロミオと、上流貴族のキャピュレット家の一人娘ジュリエット。身分も違えば、お互いを取り巻く環境も違う。その中で誰からも祝福されることのない禁断の恋に落ちる二人の話、です。



で、この場面は……ロミオがジュリエットと内緒で結婚式を上げたことがバレて、仲間に裏切られたことを責められ、ジュリエットと仲間の間で葛藤する場面っす」



「うん、状況理解は完璧ね。それじゃあ、この場面の中にある感情は何だと思う?」


これも端的にね、と釘を刺され頭を悩ませる。


感情……短く言葉にするとなると、難しいな。



「ええっと、ロミオは焦りと不安、それからジュリエットを想う気持ち。


仲間たちは怒りと憎しみ、裏切られたことに対する喪失感……とかですかね?」



我ながら浅いなぁ……もっと語彙力を増やそう、即急に解決すべき課題だ。


書き出したり、物語ごと考えるのは得意な方なんだけどさ、端的に説明するのは難しい。


望美さんもやはり苦笑いだ。悔しい〜〜〜!



「まぁ、大まかに言えば正解。だけど、瑞貴くんならもっと深く考えられるようになるはずよ。


その感覚が掴めれば、昔の瑞貴くんにも戻れるんじゃない?

まぁ戻りたいのか、そこを通り過ぎて新しく成長したいのか、私にはわからないけど。


ほらぁ、陸さんもいつも言ってたじゃない。初めて見る人にもわかる演技をしろって。


今のお前のじゃ内容は伝わっても物語は伝わらないって」



きっと陸さんに怒られちゃうわよ〜と、どこか楽しそうな橘さん。


そんな彼女の表情を見て、俺は全身の血が沸き立つのを感じた。



「それに瑞貴くんが思ってるその忘れていることっていうのは……「いいっす!

その続きは俺が見つけるんで」


なんだ、わかってるじゃない」



だって子役時代に何度も言われたことだから。


親父にも、お世話になった監督にも。



『何かを忘れているときは自分で見つけるまで絶対に誰にも聞くな』って。


だけど、同時に『わからなくなってどうしようもないときには周りに頼っていい』とも言われたっけ。



それは子役をやめてからも俺の礎となって考えの柱になっている。




「もう高校生だもんね。そのくらい心配しなくても平気か」



じゃあまた本番でね〜演技楽しみにしてると橘さんは満足したのか部屋を出ていった。



1人になった部屋でグルグルと考える。


窓の外はすっかり暗くなっていたけれど、俺は考えることをやめたくなかった。



ここで考えることをやめたら、あの世界が俺を置いて遠くに行ってしまう、そんな感じがする。


それに扉はもう開かれてるはずなのに、あと少しが届かない。



今のお前はまだこの世界に相応しくない、と言われてるみたいだ。



クッソ、そんなのすっげぇ悔しい。


一度はその世界の住人だったんだ。


今更戻れる席が準備されてないのなんてわかってる。



だけど、このチャンスを逃したら、折角見えた懐かしい景色をまた手放すことになる。



そんなの、まっぴらごめんだ。



「(俺が忘れているもの……場面への深い理解、それから、)」



たまたま手にしていたノートに今の自分に足りないものを一つ一つ書いていく。


それをもとに言い方を考えて、試して、もう一度考える。




「……い、ーぃ、…………おーい君!下校時刻すぎてるよ、そろそろ帰りなさい」


「あっ!すみません!!」



警備員に声をかけられるまで、俺は研究に没頭していた。




発表まであと4日だ、気合い入れるぞ、花宮瑞貴!



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