#4
……俺、もう演劇に関わらないつもりだったのに。
あの時みたいな苦しい思いをするつもりはなかったんだけどなぁ。
ただ単純に演劇を楽しんで頑張ってただけだった俺を、”花宮陸の息子”というだけで色眼鏡で見て。
色々決まってた仕事も無くなって、夢も居場所も何もかも全部奪われた。
苦い思い出の方が多いこの世界に戻ってくるなんて……まぁ、俺もつくづく演劇バカというか何というか。
でも、戻りたかったのも本心だ。
関わりたくないとか、演劇が嫌いになったとか、そんなのただの意地っ張りでしかないよな。
変なプライドに影響されてチャンスを逃すところだったかもと思うと、あの先輩方の熱烈な勧誘を受けてよかったと思う。
もう俺の中では、あの時奪われた演劇への熱い思いが燃え始めている。
これを逃せばきっと元に戻るなんてできないだろうから。
「ただいま〜……」
親父はいるのかいないのか分からないけど、返事はいつも通り返って来なかった。
まぁ、逆に好都合。
子役を止めさせられた時に親父とは相当揉めたから、俺がまた演劇に戻ろうとしてるのを知ったらきっと止められる。
それだけは避けたい。
立派な名字を背負ってしまってるから、既に問題因子みたいなところがあるし、それ以上の問題を背負いたくはない。
今はまず、部員の皆さんに暖かく、そして強烈な第一印象で迎えてもらえるようにしないと。
「えーっと、確かこの辺に…………お。あったあった」
ベッドの下でホコリを被ったままの有名シューズブランドの箱。
開ければ、そこには少しくしゃくしゃとした『基礎練メニュー』と書かれたプリントや、色んな仕事の台本が入ってる。
「お、これ!俺の初めての仕事のヤツじゃん、懐かしいなぁ〜……って、違う違う」
さっさと練習を始めないと。
子役当時のことを思い出しながら、あの時やっていた基礎練をはじめる。
腹筋、背筋100回に体幹トレーニング、腹式呼吸の練習。
呼吸が落ち着いてから、リップロールにタンドリル、それから外郎売り。
「拙者、親方と申すはお立会いの内にご存知の方もござりましょうが…………」
流石に所々忘れてる部分もあるな。
滑舌もあの頃に比べたら落ちた気がする。
声も全然出なくなってるし、まぁ、当たり前だけど低くなってしまった。
一通り小役時代にやっていたルーティンを済まして俺はドサッとベッドに倒れ込む。
ふぅ、結構苦しいな。
ちゃんと毎日続けていかないと、「こんなもんか」って呆れられてしまうかもしれない。
また、あの時みたいな演技ができるように…………いや、違うな。
子役の俺はもういないんだ。
今の俺で演技しないと、何も伝わらないし、もう一度挑戦する意味がない。
とりあえずこの訛り切った身体を次までになんとかしないと。
部長達にあんな啖呵を切ったくせに演技はグズグズ、なんて示しがつかない。
「(このままじゃ、また同じ道を辿るぞ花宮瑞貴!)」
父親のコネとか、実力がないとか、色んなことを言われた過去をもう一度繰り返すのはごめんだ。
せっかくまた大好きな演劇ができるんだ。
この機会、逃してたまるか。
「(よし、!)」
次は何をしようか、せっかく昔の台本を見つけたことだし久しぶりにアテレコしてみるか?
録音機どこやったかな……同じ箱の中に入ってると良いんだけど、
トントン
「……瑞貴」
「!……親父。何か用?」
ドアの先には、無精髭を伸ばして現役の頃の面影はいま一つない親父の姿。
目線は俺の手元の箱ん中に注がれている。
あーあ、バレちゃったなぁ……言い逃れするようなことじゃないし、正直に言うけど。
「俺さ、高校でまた演劇……というか、声劇?始めることにしたんだよ。
ほら懐かしいっしょ?これとか、親父と初めて共演したときの台本。
めちゃくちゃ書いてて、もう読めないけど……」
「やめておけ」
「は……?何で」
冷たく返せば、呆れたようにつかれたため息
なんだかイラッときて扉を閉めようとした時、ガッと片手で阻まれた。
こうなるからバレたくなかったんだよ。
息子が再チャレンジしようとしてんだから、静かに応援してくれたっていいのに。
そんな思いを込めて睨めば、親父からも鋭い視線が返ってくる。
「自分を傷つけることになるんだ、やめた方がいい」
…………親父、今、なんて言った?
自分を傷つける?まだ小さかった俺を傷つけたのは親父だろ。
やめた方がいいだなんて、今更なんだよ。
俺が演劇が大好きだって一番よく知ってるくせに。
「もう決めたんだ。傷つけることになっても、俺はもう一度あの世界に戻る。
親父だって、チャンスさえあれば戻りたいって思ってるだろ?」
「いや……私はもういい。こんな枯れ果てた役者が座れる椅子は残ってないだろうからな」
「ッ、なんでだよ!まだやろうと思えば、!」
思わず声を荒げた俺を静かに首を振って制す親父。
「……演劇はもういい。お前も早く目を覚ませ。私"たち"が戻れる場所はもう、ないさ」
夕飯はいらないから、好きにしなさい。なんて言って階段を降りていく
静かに投げられた言葉に俺は何も返すことができず、ただ去っていく親父の背中を眺めていた。
戻れる場所がない……?そんなの当たり前だ。
去っていった者を待ってくれるほど、この世界は優しくない。
その去り方がどんなモノであれ一度消えてしまえば、そこでゲームオーバーだ。
その時に足掻いて足掻いて、自力で這い上がれた人だけがまた返り咲ける。
俺たちはその活力を持ち合わせていなかっただけだ。
だけど、戻る場所を勝ち取ることはいくらだってできるはず。
なのに。
親父だって俺と一緒で、演劇のこと未だにずっと好きなはずなのに。
目を覚ませとか、もういいとか、そんな諦めたことばかり。
「あの時の親父はどこに行ったんだよ……」
演劇を心から愛して、俺にかっこいい背中を見せてくれた親父はもういない。
あの時、演劇を志した誰もが憧れていた”花宮陸”はもういない。
だけど、きっかけさえ、それもほんの小さなモノでいい。
それさえあれば親父だって、またあの時の気持ちを思い出してくれるに決まってる。
自分の居場所を取り戻すと同時に、親父の分もなんて大変だなぁ。
でも、すごくワクワクする。
きっと今鏡で顔を見たら、ひどくだらしない顔をしているんだろう。
あぁ久しぶりのこの感じ。楽しみで仕方ない!
「俺が絶対思い出させてやるからな、待っとけよクソ親父」
私たちなんて俺のことも纏めてんじゃねーよ。
行き場のない怒りをぶつけるが如く、俺は入部届に名を書いて基礎練習を繰り返した。
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