第21話 懐かしいメニュー

 気がつくと、視界の両脇に本棚がそびえ立っていた。ぼやけた視界の中、神秘的な表紙の本を見ていた。

 辺りは静寂に包まれ、書店独特の匂いが漂っている。


「この本が良いの?」


 振り返ると、目の前で女性がしゃがみ込んでいた。空のように青い瞳と目が合った。


「うん」

 手に持っていた本を女性に手渡した。

 女性は長く透き通った亜麻色の髪をかき上げると、本の表紙を2度見した。


「理恵にはまだ早いんじゃない?」

 女性は活字だらけの本をパラパラとめくった。


「大丈夫だよ母さん。ボク、読めるよ」

 その美しい女性は母親だった。子ども心に母から本を奪うと、走り出した。


「こら、走っちゃダメよ」

 母が追いかけてきた。レジで会計を済ますと、背負っていたリュックに本を入れてくれた。


 書店を出ると、広大な屋内スペースに様々なお店が軒を連ね、大勢の人々が往来していた。

 女性アナウンスがこだまして聞こえる。


「おーい!こっちだ!」

 黒革ジャケット姿の竜司が手を振っていた。竜司の傍には黒スーツを着た人物が二人立っていた。


 一人は背が高く、坊主頭にサングラス。体は堅い筋肉で盛り上がり、いかにも屈強そうな男だ。

 もう片方はスラッと細く小柄だが、金髪ボブヘアーが似合う中性的な顔立ちの女だ。

 対極的な二人は、ともに外国人だった。


「父さん!」

 母の手を引っ張り、竜司の元へ駆け寄った。


「良い本は見つかったか?さぁ、そろそろ時間だ」

 竜司は荷物が乗せられたカートを押した。


「母さん、いつ帰れるの?」

 女性の顔を見上げた。


「ちょっと遠い所に行くから、また寒くなってくるころかな?」

 そう言うと母は頭を撫でてきた。


「ソフィア、行きましょう。お嬢さんも」

 黒スーツの女は流暢な日本語を話した。黒スーツの男が竜司から荷物カートを引き継ぎ、どこかへ運んでいった。


「理恵、母さんの言う事、よく聞くんだぞ?」

 そう言うと竜司は娘のリュックの中を確認した。


「ソフィア、理恵、元気でな!」

 竜司は二人と別れのハグをすると、手を振り、見送った。


 保安検査場に着くと、荷物のチェックが始まった。

「お嬢さん、リュックから煙が出ているよ?」

 検査員は三輪だった。


「え?三輪さん?こんな所で何してるんですか?」


 いつの間にか香ばしい匂いが辺りを包み、白い煙で視界が霞んできた。


「母さん?どこ?」

 周りを見渡すと一人になっていた。


「父さん‥‥母さん!!一人にしないで!」

 目つぶり、全力で叫んだ。


‥‥‥‥

‥‥


「‥‥ここは」

 テリーは目を覚ますと、見慣れない部屋の中にいた。時計の針は午前9時を指していた。

 休日の為、目覚ましアラームをかけていなかった。

 寝巻きの袖で涙を拭うと、昨日、突貫作業で引っ越しを完了させたのを思い出した。


(夢か‥‥)

 枕元に置かれていた本をテリーは横目で見た。『未来志向』と題された、年季の入った本の表紙は色褪せていた。


 テリーは香ばしい匂いに気がつくと、寝室のドアを開け、恐る恐る歩みを進めた。

(誰かいる‥‥)


 リビングに出ると、カーリーヘアの女性が料理をしていた。


 女性がテリーの気配に気付き、振り返った。

「おはよう!理恵!」


「え!?アヤちゃん!?」

 テリーは両目を指で擦り、再び女性を見た。


「驚かせようと思って、あえて連絡しなかったんだー!」

 アヤが豪快に笑うと、カーリーヘアが上下に揺れた。


「どうしてここに!?」

 テリーはアヤが本物か確かめるように近づいた。


「まぁまぁ、とりあえず座って!朝ごはんにしよー!」

 アヤはダイニングテーブルの椅子を引くと、テリーを座らせ、朝食を並べ始めた。


『長久手亜矢』はテリーが10年前から汐見高校に進学するまでの間、以前住んでいた家の『同居人』だ。


 その実態は苗字の通り、テリーの従姉妹だ。

 小説を執筆する傍ら、幼いテリーを親代わりに面倒を見てきたが、テリーの高校進学を機に家を出た。

 テリーにとっては頼れる姉のような存在だった。


「なんか、懐かしい‥‥」

 テリーはテーブルに並んだ朝食を見ると、自然と笑みが溢れた。


 トーストにはスクランブルエッグが乗っており、その隣には味噌汁、野菜ジュースが置かれていた。アヤとの同居時代、時間がない朝は決まってこのメニューだった。


「しばらくここで厄介になるから、よろしくね!」

 アヤは醤油差しをテリーに渡した。


「それは嬉しいけど、随分急だね。誰に呼ばれたの?」

 テリーはスクランブルエッグに醤油を垂らした。


「暗知さんに理恵との同居を勧められたんだ~。鍵は今朝預かってきた」

 アヤは頭を振ってカーリーヘアの前髪を直すと、テリーと向き合って椅子に座った。


 アヤが家を出て行って1年と8ヶ月ほど経っていた。久しぶりの再会と、頼れる同居者の出現。テリーは嬉しさを噛み締めるように、エッグトーストをかじった。


「学校はどう?友だちは出来た?」


「まぁ、楽しくやってるよ!アヤちゃん、仕事は大丈夫なの?」


「隣街で記者の仕事をしていたんだけど、ちょっと前に辞めちゃった!今書きたい話があってね」

 アヤは笑いながら頭を掻いた。


 アヤが小説家を目指していたのはテリーも知っていた。


「何か、疲れてない?大丈夫?」

 アヤの目の下には薄っすらとクマがあり、テリーにはアヤが眠そうに見えた。


「ちょっと最近覚えることが多くてね‥‥まぁコンテストの締切まで時間あるし、焦らず書いていくよ」

 そう言うとアヤはエッグトーストを一口かじった。


「書いてるのって小説でしょ?読みたいな~」

 テリーは味噌汁をグイッと飲んだ。


「完成したらね~。あたしも今年で三十路だし、これが当たらなければ小説家の夢は諦めようと思う」

 アヤは膝を抱えると窓の無い部屋を見回した。キッチンの換気扇の音だけが、寂しげに響いていた。


 テーブルに置かれたテリーの携帯電話が振動した。『夏菜子』からの電話だった。


「出ていいよ〜」

 アヤは野菜ジュースを手に取った。


 テリーは電話に出た。

「もしもし‥‥あー、うん。実は昨日引っ越したんだ‥‥今日はまだ荷物の整理が‥‥」


「理恵のお友だち?紹介してよ~」

 アヤは猫撫で声で電話中のテリーに笑いかけた。


 アヤの言葉にテリーは頷いた。

「わかった大丈夫。『黒田屋』わかる?そう、パン屋さん。そこで待ち合わせしようか。うん、じゃまた」

 夏菜子に待ち合わせ場所を知らせると、テリーは電話を切った。


「1時間後くらいに連れてくる。高校の友だちだよ」

 テリーは残りのエッグトーストを口に頬張った。


「よーし、やれるだけ一階を掃除しておくね。お茶菓子はあるから!」

 アヤはエッグトーストを咥えると、腕まくりをした。


「ありがとう、ご馳走でした」

 テリーは食器を重ね、シンクへ置いた。


 アヤは仕事を辞めた後も、賃貸アパートで小説の執筆に専念していた。コンテストの応募期間が終わる半年間に絞ってのラストチャレンジだそうだ。


 つい3日前に暗知がアヤの元を訪ねて来た。

金銭的な心配が無いテリーとの同居を勧められ、今に至るようだ。


 いずれにしろ、しばらく一人暮らしをしていた年頃の女学生にとって、アヤとの同居は喜ばしい事だった。


‥‥‥

‥‥‥‥


 テリーは待ち合わせ場所の『黒田屋』にいた。店内には入らず、携帯電話を片手に左右を見渡した。


 夏菜子が右手方向から歩いてくるのが見えた。


「夏菜子~!」

 テリーは手を振った。


「おーっす!テリー、おはよう!」

 夏菜子はテリーに駆け寄ると、白い歯を見せた。


 夏菜子はデカデカと『eimy』の文字がプリントされた布袋を持っていた。

 テリーに一昨日のライブで入手したグッズをお裾分けする為、電話をしたようだ。


「引っ越しするなら言ってよー!手伝ったのにー!」

 夏菜子は肘でテリーの脇を小突いた。


「ボクも引っ越しするなんて、思いもしなかったよ」

 テリーは首を傾げたままボヤいた。


 二人はテリーの新居に向かって歩き出した。

夏菜子は『eimy』こと中村里美が、警察の厄介になっていることを知らない。

 ライブの感想を2人で熱く語っていると、新居が見えて来た。


「今住んでるとこ、あれだよ」

 テリーが蔦の絡まる平屋を指さした、その時、石ころがテリーを追い越すように転がってきた。


 振り返ると昨日の少年が立っていた。

 凛子の息子『マサト』だ。

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