第12話 歌姫の好物

「これ、三輪さんの車ですか?」

 駐車場の精算機近くに止まる車をテリーが指さした。黒塗りのセダンだった。


「そうだ」

 三輪は上着を脱いだ。


「では、ボクはあっちなので」

 テリーは戻る方向を指さした。


「おぅ!また落ち着いたら飯でも食いに行こう。食べたい物、考えといてな」

 三輪は電子タバコの煙を吐き出した。


「はい!ありがとうございます!」

 テリーは余計にお腹が空いた。


 三輪は車のドアに掛けた手を止めると、思い出したように振り返った。

「今朝のような事件だが、ここ1ヶ月で既に10件目に達している。かなりのハイペースだ」


「発生地域から見ても同一犯、もしくは複数人での犯行の可能性もあり得る。理恵も十分注意してくれ」

 三輪は助手席に上着を投げ入れ、車に乗り込むと、颯爽と走り去っていった。

 

 電子タバコの匂いと、少しだけ排気ガスの臭いが辺りを覆った。テリーは車が見えなくなるまでたたずんでいると、雨が降り始めてきた。


「今日の天気予報は当たりか」

 バッグから折り畳み傘を取り出し、テリーは目についた定食屋に入っていった。


‥‥

‥‥‥


 食事を終えたテリーは、止む気配のない雨の中、学校に登校した。『個性と秩序』を教育理念に掲げる私立汐見高校だ。

 

 雨の日でも身体を動かせるよう、屋内の運動設備は充実している。校内は賑やかな昼休み時間を迎えていた。


 テリーは教室に入ると席に座り、バッグから本を取り出そうとした。


「おー、長久手さん。今日は社長出勤ですか?」

 夏菜子が机の群れをかき分け、すり寄って来た。


 テリーは今朝の事件を夏菜子に伝えた。

「この辺りも物騒になってるみたいだ。夏菜子も毎日遅くまで遊んでないで、早目に帰った方がいいよ」


「そんな遊び人じゃないよ、あたしゃ」

 夏菜子は口を尖らせ、テリーの説教に釘をさした。


「ん?その雑誌、表紙の人」

 テリーは夏菜子が持っていた雑誌に興味を示した。


「これ?そりゃあ、お年頃ですし?雑誌の一つや二つくらい持ってるよ」

 夏菜子は持っていた雑誌をテリーに渡した。


 テリーはパラパラと雑誌をめくり、ある特集ページで手を止めた。

「奇跡の歌声‥‥アリーナを突き破る‥‥」


「へー‥‥意外!『eimy』に興味でもあるの??」

 夏菜子はテリーの背後にまわり込んだ。


「『eimy』‥‥今朝の女の人だ」


「え!?今朝の人って‥‥『eimy』が被害者だったの!?」

 夏菜子はテリーの横顔を凝視した。


「そうだと思う、お医者さんも『eimy』って言ってた。確か、名前は藤城エミリだったかな‥‥」


「へー!!それ本名なのかな?藤城エミリかー。素敵な名前だねー!」

 夏菜子は両手を合わせて天井を見上げたが、すぐ目の輝きが陰りを見せた。


「今週、大きいフェスイベントがあるんだけど、出れるのかな?活動休止したと思ったら再開したりするアーティストだから、心配だなー‥‥」


(リハーサルってその事か‥‥)

 テリーは携帯でフェスについて調べ始めた。


「そのフェスってこれの事?『パラレルロック in 青坂pallet』」

 テリーは夏菜子に携帯画面を見せた。


「そうそう!実は私も参戦予定でーす!」


「え?夏菜子歌うの?」


「うぉーーい、観に行くって意味だよ『eimy』観られないようだったら、テンション下がっちゃうなぁー‥‥」

 夏菜子は溜息をついた。


「多分、お医者さんも軽症だろうって言ってたし、大丈夫だと思うよ。そんなに『eimy』良いなら、ボクも聴いてみようかな」

 テリーは手早く雑誌のページをめくり、速読をしていた。大まかな情報を頭に入れる時、よく使う手だ。


「良いねー!これ新曲なんだけど聴いてみる?気に入ったなら1曲アプリでプレゼントするよ!」

 夏菜子は携帯にヘッドホンを付けると、テリーに手渡した。


 チャカチャカチャ‥‥♪

 小気味良いリズムと電子音を主張したテーマが耳に残る。何よりもボーカルが良い。ボーカルがうねるようにミックスがされていた。


「『eimy』って一人だよね?何か数人で歌ってるみたいに聴こえる」

 テリーは一曲聴き終えると、ヘッドホンを夏菜子に返した。


「一人だけど、声とか重ねてるんじゃないの?

わかんないけど、カッコよければ何でもいいよ!」

 夏菜子は歯を見せて笑った。短い前髪が彼女の幼さを際立たせていた。


 ‥‥キーンコーンカーンコーン‥‥

 授業開始のチャイムが鳴った。

「はーい、みんな席について~!授業始めますよー!」


 先生が教室に入ってくると、夏菜子はくるくる回りながら自分の席に戻った。


 テリーは雑誌に写っている『eimy』を見つめていた。


‥‥

‥‥‥


 テリーは放課後、黒須病院へ向かった。タケシのお見舞いの為だった。


 住宅街の外れ、隣町との境目に位置する黒須病院には、今日も多くの人々が訪れていた。


 病室へ向かう途中のエスカレーターで東堂とママさんに出くわした。タケシの両親だ。

「理恵ちゃん、来てくれたのね!そうだ、これ食べてみて?近所に新しくパン屋さんができたのー!」

 ママさんは丁寧にラッピングされたパンをくれた。


「ありがとう理恵、タケシも喜ぶと思う」

 東堂はテリーの肩を優しく叩いた。


 三人で病室へ入ると、タケシは眠っていた。

「先程、タケシ君は新薬の投与を終えた所です。副作用で眠気が出ます。しばらく眠らせてあげましょう」

 北村医師が病室に入ってきた。


 東堂夫妻は待合スペースへ案内されると、タケシの体調について報告を受けている。

 テリーは少し離れた所から耳を澄ませていた。順調に治療は進んでいるように思える。

 ほっと胸を撫で下ろすと、頃合いを図り三人に近づいた。


「すみません、この後バイトがありますので、これをタケシに渡してくれますか?」

 それは東堂館で行われた最後の親善試合の際、テリーが身につけていた『えんじ色のハチマキ』だった。


「毎回、渡しそびれていました」


 東堂はテリーからハチマキを受け取った。


「タケシのやつ、もう理恵に貸したの忘れてるんじゃないか?」

 東堂の言葉に、ママさんが即座に反応した。

「いくらタケシでも、あなたほど物忘れはしません!」

 まだ時計の事を根に持っているようだ。


「まぁ、そうだな!ははっは!理恵、タケシには見舞いに来てもらったことは伝えとくぞ」

 東堂夫妻は談笑しながら、タケシの病室へと戻って行った。


 テリーはバッグを肩に掛け直した。

「北村さん、今朝の‥‥エミリさんはもう帰られましたか?」


「藤城エミリさんですね?目立つ外傷も無ければ、検査でも異常は見つかりませんでした。ちょっと前に事務所の方とお帰りになられましたよ。‥‥ただ‥‥」


「何か気になる点でも?」

 真剣に考える北村医師の顔が、凛々しく見えた。テリーは少しだけ北村を見直した。


「長久手さんは『eimy』という歌手をご存知でしょうか?」


「はい。エミリさんは『eimy』なんですよね」


「そこまでお気づきでしたら、お話しても良いでしょう。実は、看護師で彼女のファンがいまして、私も聞いたばかりですが‥‥」

 北村は周りに人がいないのを確認すると話を続けた。


「看護師が気を利かせて、エミリさんの昼食に『黒田屋』というお店のフルーツサンドを追加したそうです。何やら『eimy』はそのお店のフルーツサンドが大好物だとか」


「ひょっとして、このパン屋さんですか?」

 テリーはカヨからもらったパンを北村に見せた。パン屋のエシカル包装には『黒田屋』と書かれている。


「おー!よく買えましたね。開店前から行列が出来るお店のようですよ?‥‥ただ、彼女は牛乳だけを飲んで、他のメニューには手をつけなかったんです。フルーツサンドにもね」


「食欲が無かっただけじゃないですか?」


「いやね、牛乳は『eimy』が嫌いな飲み物らしいです。看護師も不審に思い、私に報告してきました。本当は具合悪かったんですかね‥‥」

 北村は眉を八の字にして話した。


(無理して、栄養価の高い牛乳だけは飲んでおいた?‥‥リハーサルに備えて‥‥とか?それじゃ、無理があるな)

 テリーは今朝のエミリの様子を思い出そうとした。


「まぁ、何かあれば連絡が来るでしょうね!」

 北村は本当に笑顔が下手だった。


 テリーは何か頭の中で引っ掛かるものを感じながらも、その日は帰宅した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る