Miss.Terry 〜長久手亜矢の回想録〜

第7話 黒須病院と勝道館

「あー、違う！こっちこっち！」

　タケシがテリーを呼び止めた。

「あれ？タケシの部屋変わったの？」

「おれの部屋に見せたいものは無いよ、こっちこっち！」

　タケシはそう言うと、奥の小部屋へテリーを案内した。テリーは物置だと思っていた小部屋だった。

「うわー‥‥すごい‥‥」

　テリーは目を輝かせた。

　部屋には様々なトロフィーやメダル、道着、写真等が陳列されていた。

「父ちゃんに最近作ってもらった部屋なんだ。東堂館始まって以来の栄光が詰まった部屋さ」

　タケシはテリーの肩に腕を回そうとしたが、すぐ我に帰った。

「よし、ちょっと待っててくれ！」

　そう言うとタケシはテリーを残して部屋を飛び出た。

　その間、テリーは一枚の額縁に入った引き伸ばされた写真に視線を奪われていた。

『20XX年　東堂館・勝道館　親善試合』

　そこには4年前のテリーと東堂、タケシも写っていた。

（あれ？この人、北村さんだ）

　勝道館陣営に北村医師の姿が写っていた。

「お待たせー！」

　タケシはホクホク顔で戻ってくるやいなや、テリーが見ていた写真を覗き込んだ。

「あー、これ懐かしいなぁー。テリーもおれも派手にやられたっけ？はっはっは！」

　この日の試合。対戦相手の突きが腹部に直撃したのを思い出し、テリーは顔を歪めた。

　組手試合は寸止めが基本だ。

「そういえば、テリーはこの試合の後から『型』の稽古しかしなくなったよな？なんでだったんだ？」

「‥‥組手に恐れをなしたんだポン！」

　テリーは満腹のお腹を叩いてタケシを笑わせた。

　本当は、己と向き合う武術の方が性に合っていると思ったからだ。

　そう気づいたテリーは、自然と『型』の競技に専念するようになっていった。

　タケシは突然腰を下ろすと、正座をした。

　「どつしたの？」

　「テリーに受け取って欲しい物があるんだ」

　初めてみるタケシの神妙な面持ちに、テリーも思わず正座をした。

　濃い赤『えんじ色のハチマキ』だった。

「来週の試合、こいつをつけてくれないか？」

　タケシが続けて話した。

「実はおれ体調が悪くてね、道場最後の試合に出られないんだ。せめて気持ちだけでも、テリーと一緒に‥‥道場に立たせて欲しい」

「体調が悪い？病気なの？」

　テリーはタケシの細い腕を掴んだ。

「‥‥珍しい病気らしい。実は明日から入院するんだ！タイミングよくテリーが来てくれて良かったよー！‥‥ほんと、よかった‥」

　タケシは堪えきれず顔を伏せた。

　テリーはタケシの肩に腕を回し、肩を撫でるようにさすった。

　「やれるだけ、やってみる」

　全力を尽くす。そうタケシと約束したテリーは決意表明をする為、一階に降りると、タイミング良くリビングのドアが開いた。

　東堂だった。

「良い顔つきになったな。理恵、ありがとう」

　全てを悟った東堂は、テリーの肩を抱いた。

　東堂の後ろで見え隠れしていたカヨは、取り繕った笑顔を振りまいたら、顔を逸らしていた。

「東堂館への恩返しと思って、残りの時間、精進します」

　そう言うとテリーはタケシとグータッチをした。

「さぁ理恵ちゃん！気合いを入れる意味も込めて、髪を染め直しましょう！」

　この日を境にテリーは半年のブランクを埋めるべく、暇さえあれば『演武の型』を繰り返し、時にはイメージした。

　‥‥

　‥‥‥

　翌朝、汐見高校はいつも通り生徒たちを迎えていた。

「おっはよー！」

　夏菜子がテリーの机に腰掛けた。

「‥‥」

「もしもーし」

　夏菜子はテリーの顔の前で手を振った。

「‥‥」

　テリーは半目で机の上の消しゴムを見つめている。

「‥‥おはよう」

「もう戻ってこないかと思ったよ」

　夏菜子はテリーの顔を覗き込んだ。

「試合があるんだ」

「へ？」

「イメージトレーニング‥‥」

「何の試合？いつ？どこで？」

「‥‥」

「何か一人で抱え込んでない？たまには詳しく聞かせてよ！」

　夏菜子は積もり積もったものがあったのか、テリーを強く批判した。

「‥‥」

「じゃあ今日テリーの家お邪魔するね！ポテチパーティしよう！」

「‥‥わかった、何もないよ？」

「別にケーキ出るんじゃないか、とか期待してないから大丈夫」

「‥‥かき氷なら作れるよ」

「良いねー！初めてのお宅訪問、楽しみ！」

　クラスの中で、気軽にテリーに話かけるのは夏菜子ぐらいだった。テリーも夏菜子の事は『友だち』だと認めていた。

　放課後、夏菜子と自宅へ向かう間も、テリーは試合の事で頭がいっぱいだった。夏菜子がお構い無しに喋り倒していると、テリーの家に着いた。

　住宅街の一画に建つ、5階建てのマンション。

　102号室がテリーの家だ。

「お邪魔しまーす！‥‥へぇ、広いねー！」

　夏菜子は靴を行儀良く揃えると、テリーの家に上がった。

　テリーは夏菜子を洗面所に案内した。

「キッチン用品多いー！」

　手洗いを済ませた夏菜子はキッチンを物色していた。

「一応、自炊してるからね」

　テリーは手洗いを済ますと、大中小と重なったフライパンを片付けた。

「それにしても、この持て余したスペースには驚くわ‥‥」

　間取りは2LDK。一人で住むには勿体ない程の広さだった。

　リビングには、ベッドと数冊の本が床に転がっているだけ。

　もう一つの部屋は使われていなかった。

　二人は大きな黒いベッドに座った。

「？？ずいぶんと柔らかいベッドだね、ここでいつも本読んでるの？」

　夏菜子は床に落ちていた『未来志向』という本を開くと、5秒で閉じた。

「アメフラシだよ」

　テリーは愛用のベッドを紹介した。

　黒くて柔らかいベッドは身体を沈めると繊維の薄くなった箇所から発光系の紫色が垣間見れる。

「ひゃは！ベッドに名前なんてつけてんだ？やっぱり、テリーって変なコ〜！」

　アメフラシの上で夏菜子が飛び跳ねると、バウンドの影響で枕元から何かが床に落ちた。

「あっ、ごめん！写真‥‥割れちゃった？」

　夏菜子はすぐさま写真立てを拾い上げた。

「アクリル製だから大丈夫だよ」

「この写真の子、テリーって髪の毛染めてたんだ？」

　テリーの地毛は薄い茶色、いわゆる亜麻色だった。両親と離れて暮らす事になってから、髪を脱色し、染めるようになった。

「父さんとの《約束》なんだ。髪を染めなきゃいけない理由は分からないんだけど、地毛より気に入ってるから苦ではないかな」

　そう言うとテリーは黄金色の髪を撫でた。

　父との２つ目の約束は《髪を染める事》だ。

　東堂カヨが定期的に染めてくれていたが、道場を休んでいた時期も、自分の手で染めていた。

「変な約束だね〜。この右の人ってテリーのお父さん？」

「そうだよ」

　テリーは立ち上がるとキッチンへ向かった。

　写真には道着を着た東堂とテリー、右隣りにはテリーの父親が写っていた。10年前、道場に入門した時のものだ。

「テリーには‥‥あまり似てないねー！この家で3人暮らしなの？」

　夏菜子はキッチンにいるテリーに向けて、大きめに声を張った。

「両親とは10年以上会ってないし、今は一人暮らしだよ」

　テリーはオレンジジュースをトレーに乗せて持ってきた。

「え！？10年も一人でここに住んでるの！？」

　夏菜子はオレンジジュースが入ったコップを手に持った。

「まさか‥‥、親戚と住んでたよ。ボクが高校入学するタイミングで、出ていったけど」

　テリーがクローゼットを開けると、衣類と本棚が収納されていた。

「‥‥‥そう、なんだ‥‥‥」

　夏菜子は手に持ったオレンジジュースを一気飲みすると、落ち着かない様子で丸い目を泳がせた。

「あー！そういえば今日言ってた『試合』って、もしかして空手とか？」

「おー！よく分かったね！」

　テリーは床に落ちていた愛読書『未来志向』を拾い上げると、本棚にしまった。

「ヒントはこの写真にありましたー！っていうか、空手か柔道くらいしか思いつかなかったんだけどね！」

　ケラケラと笑いながら夏菜子はポテチの袋、中央を開けようと手こずっている。

「実は、10年お世話になった道場が閉館するんだ。最後の試合でボクが演武を披露することになった」

　テリーは写真立てをベッドに戻した。

「それで上の空だったのか。てか、テリーが空手やってるなんて知らなかった！もっと自己PRに使いなよ！」

「何のPRになるのさ、《この学校のテッペンを取りに来た！》とか？」

　テリーは鋭い眼光で型を構えた。

「おぉ、何か様になってるね！ところで‥‥何で道場閉まっちゃうの？」

　夏菜子は断念したのか、ポテチの袋を端から破いて開けた。

　テリーは昨日聞いた話、道場が黒須病院関連の診療所になる事を話した。

「へー‥‥黒須病院ってあまり評判良くないよねー。嫌ってる人は『殺す病院』って呼んでるし」

　夏菜子はポテチを一枚口に放り込んだ。

「殺す？‥‥詳しく聞かせて」

　テリーは昨日の東堂の口振りから、タケシの入院先は黒須病院と読んでいた。

「患者の死亡率がやたらと高いらしいよ？私も親戚伝いでしか聞いたこと無いんだけど、高額な医療費を吹っ掛けたり、お金が無い家庭にはロクな治療をしないとか〜」

　夏菜子は携帯電話を取り出し、何やら検索を始めた。

「そうそう、この『勝道』って人が院長だよ。悪そうな顔してるよねー！」

　夏菜子は屈託もない笑顔で、検索した画面をテリーに見せた。

「勝道‥‥勝道館！？」

　テリーは思わず、夏菜子の手を掴んだ。