第6話 東堂館
カチャ‥カチカチ
ライトアップされた建築物の一室、男はダイニングキッチンで拳銃をメンテナンスしていた。
リビングに置かれたレイアウトフリーテレビには某国で頻発する民主化運動の映像が流れている。
「ピピピピッ」
ダイニングテーブルに置かれていた携帯電話が鳴ると、男は素早くそれを取った。
「お疲れ様。‥‥そうか‥‥悪いな、少し付き合ってやってくれるか?不審な点があれば連絡欲しい」
男は電話を切り、グラスにバーボンを注ぐと、慣れた手つきで口へと運ぶ。通話も程々に済ませると、テレビ画面へと視線を向けた。
「激しくなってきたな‥‥無事でいてくれよ。ソフィー‥‥」
男はテレビに映る、デモ隊と警察が衝突する映像を眺めていた。
ニュースが天気予報に切り替わると、男は拳銃のメンテナンスを再開した。
カチャ‥カチカチ
‥‥
‥‥‥
シュッ‥ ズバッ バッバッ‥
道着が擦れる音がする。
「ハーーッ!!」
足の踏み込みと同時に、中音域が効いた強い声が道場でこだまする。
年季の入った木造建築物は数多の汗を吸い、しなやかな躯体で武芸者を迎えていた。
「気合い入っているな、理恵」
道着の上から見てもわかるくらい、体格線の盛り上がった男がテリーに声をかけた。逆立った黒髪と眉間に刻まれた縦ジワが硬派な漢の雰囲気を醸し出していた。
「はい、自分を見つめ直しに来ました」
テリーは男を見上げた。
「稽古は久しぶりだろう?気が済むまで技を高めてくれ」
「ありがとうございます。東堂さん」
「ところで、さっきの演武は誰と演っていたんだ?」
東堂は床に正座した。
「‥‥24時間前のボクです」
テリーも東堂に合わせて正座した。
「なるほど、『反省』ということか」
東堂は大きく息を吸った。
「人生は失敗が付き物だ。まだまだ若いんだ。気に病むことはないぞ?」
テリーは頭を掻くと、黙って頷いた。
「今日は晩飯食べていけるか?タケシも喜ぶと思う」
東堂は目尻にシワを寄せた。
「押忍!甘えさせて頂きます!ところで、あちらにいる方はどなたですか?」
テリーは東堂と共に現れた男が気になっていた。さっきから道場内をウロウロと物色し、時折写真を撮っている。
「あぁ、黒須病院の北村医師だ。おーい、北村さーん!」
東堂が北村に手を振った。
(黒須病院といえば、ここらで1番大きい総合病院じゃなかったっけ‥‥?)
床を滑るように、近づいてくる男をテリーは見つめていた。
「こんにちは、お嬢さん。見事な型でしたね!稽古には、よく来るんですか?」
キツネ顔の北村は笑顔を浮かべていたが、切長の目は笑っておらず、相手を見透かそうとしているようにテリーは感じた。
「道場には、半年ぶりに来ました」
テリーはうつむいたまま答えた。
探偵事務所のアルバイトと学業に専念していた為、道場から足が遠のいていたのだ。
「それはそれは‥‥」
北村はセカンドバックから取り出したチラシのような用紙をテリーに見せようとしたが、東堂がそれを制止した。
「北村さんには世話になっていてな。今後もちょくちょく見かけるかもしれないから、知っておいてくれ」
テリーは東堂の言葉に小さく頷いた。
「北村さんもどうですか?晩御飯」
東堂は口に飯を掻き込む素振りを見せた。
「すみません、今日は寄っていく所がありまして‥‥」
北村はそそくさとチラシをしまい始めた。
「そうですか、気をつけて下さいね」
東堂は北村を道場の外まで見送ると、戻ってきた。
「相変わらず忙しそうだな、北村先生は」
東堂曰く、北村は医学会や情報誌にも度々取り上げられる程、優秀な医師なようだ。
(人は見かけによらないな‥‥)
この時のテリーにはその程度の感想しか浮かばなかった。
久しぶりの稽古で、テリーはクタクタになった。東堂は道場の戸締まりを終えると、テリーに声を掛けた。
道場から10分程度歩くと、二階建ての木造住宅に着いた。東堂の自宅だ。
「帰ったぞー」
「お邪魔しまーす」
「理恵ちゃん!いらっしゃい、また綺麗になったんじゃなーい?ふふふっ」
ふくよかな女性が、小走りで玄関まで顔を出しに来た。
「疲れてない?睡眠は十分?昨日の晩御飯は何?」
矢継ぎ早な質問に、テリーはたじろいだ。
「昨日の夜はサンドウィッチです。タマゴサンドと、サラダサンドでした」
「ちゃんと果物も食べないとダメじゃないの~。今リンゴ剥いてくるからご飯前に食べちゃってね」
ママさんは東堂の妻だ。名前は『カヨ』と言う。
テリーは手洗いを済ませ、リビングに通されると、ダイニングテーブルに座った。
「お父さんは元気か?」
東堂は固そうな床に仰向けになると、腹筋運動を始めた。帰宅後の日課らしい。
「相変わらず、だと思います」
テリーは椅子に座ると、麦茶が注がれたコップを指で弾いた。
「そう、か そう、か!は は は!」
「はい、理恵ちゃん食べて食べて!」
ママさんがりんごを剥いてきてくれた。
「タ ケ シ はどう し た?」
「腹筋するか会話するか、どっちかにしてください」
カヨが眉を下げて東堂を注意すると、リビングから顔を出し、階段に向かって呼びかけた。
「タケシー!ご飯よー!理恵ちゃんも来てるわよー!」
『ガタンッゴロンゴロンッ!』
二階からドタバタ音が鳴った。階段を駆け降りる音がする。
「よー!テリー久しぶりー!」
リビングに男子が駆け込んできた。坊主頭が可愛らしいが、背丈はゆうにテリーを超えている。
「久しぶり!‥‥なんか、痩せた?」
テリーはタケシとハイタッチした。
「痩せてないと、モテないだろ?どうだ、かっこいいだろ?」
タケシはTシャツから伸びたひょろひょろの腕を曲げると、ポージングを決めた。
テリーは仕方なく拍手した。
タケシは東堂とカヨの一人息子で、テリーと歳は同じだが、高校は別だ。
久しぶりに複数人で食べる晩御飯に、テリーは舌鼓を打った。
「理恵ちゃん、おかわりは?」
ママさんは絹ごし豆腐に包丁を入れていた。麻婆豆腐を作るようだ。
「もう十分です、お腹パンパン‥‥」
テリーはお腹をさすりながら、隣のタケシのお茶碗を見た。
「タケシ?全然食べてないんじゃん」
「え?2回おかわりしたよ!おれもう腹いっぱいだぁー!」タケシはお腹をさする素振りを見せた。
東堂とママさんが微笑みながらアイコンタクトをしている。
「高校生活はどうなの?空手部はいい感じ?」
テリーはタケシのコップに麦茶を注いであげた。
「おう!そりゃもう!」
タケシは何処となく力の無い正拳突きを見せると、父である東堂の顔色を伺った。
「‥‥理恵、久しぶりに来てもらって悪いんだが、大事な話がある」
東堂は姿勢を正すと、テリーを見据えた。
「‥‥なんでしょうか?」
急な展開にテリーは声をひそめた。
「実は、道場を畳むことにした。
「え?」
テリーは己の耳を疑った。
「理恵とは10年間、共に道場で汗を流したが、それも今月いっぱいで終わりだ」
わずかな沈黙の間も、東堂は目のやり場に困っているようだった。
「すまない‥‥余計な心配をかけまいと、理恵には連絡せずにいた」
東堂はテリーに頭を下げた。
「しばらく来ないうちに何が、何があったんですか?」
黙って聞いていたテリーは、麦茶が入ったコップを強く握りしめていた。
「時代の流れ‥‥なのか、門下生も少なくなってな。町自体の人口も減ってきている。人流は多種多様だ。うちのような古い道場は、淘汰されたということだろうな」
東堂は麦茶を一口飲むと、話を続けた。
「さっき北村さんに会っただろう?道場は北村さんの診療所として生まれ変わることになっている」
テリーは突然の知らせを受け入れられなかった。走馬灯のように道場での思い出が脳裏を駆け巡ると、思わず顔を手で覆った。
そんなテリーを、カヨは優しく抱きしめた。
「理恵、可能であれば最後の頼みを聞いて欲しいのだが」
東堂はコップに麦茶を注ぐと、テリーは鼻をすすりながら頷いた。
「来週の土曜日、道場のOB.OGを集めて試合をする。相手は、勝道館だ」
「勝道館‥‥‥」
テリーは苦虫を潰すように右目をつぶった。
勝道館と東堂館は因縁のライバルだ。
空手にはいくつか流派があるが、両者ともに柳生流の流れを汲む道場だった。
過去に勝道館による門下生の引き抜き問題があり、対立状態になっていた事をテリーは覚えていた。
「組手形式でやる。最後に一花咲かせて終わりたいと思っている。理恵には、閉会式で『演武』を披露もらいたい」
「閉会式って、そんな大役がボクで良いんですか?」
タケシがテリーの背中を叩いた。
「頼むぞ!テリー!」
「そう、理恵が相応しい。うちの道場の終わりを大勢の人々に見てもらいたいから、理恵の友だちも誘ってみてくれ」
東堂はテリーに笑いかけた。
「友だち、ですかー‥」
テリーは思い当たる、数少ない面々を想像した。
「よし、決まったな!テリー、ちょっと上まで一緒に来てくれ」
タケシはママさんと東堂に目配せした。
二人は目を合わせ、小さく頷いた。
懐かしい木の匂い、テリーは東堂の家が好きだった。タケシの背中を追うように、テリーは二階へと上がっていった。
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