第3話 鈴木のマスク

 次の日、テリーはいつもより早く登校していた。朝から標的をマークする為だ。


「鈴木君、おはよう」

 テリーは朝一番、教室で鈴木に声をかけた。


「ん、なんだ臭うか?」

 鈴木は朝練で汗まみれになったマスクを新しいものに交換しようとしていた。


「特に臭わないけど、鈴木君は何が臭うの?」

 テリーは鼻に付けていた洗濯バサミを取った。


「あ‥‥、いやほら‥‥汗臭いか?って聞いてるんだよ」

 鈴木はキョロキョロと周囲を見渡した。


「いや別に。それより、いつも沢山マスク持ち歩いてるんだね。ボクにも一枚くれない?」

 テリーは机の上に数種類のマスクが置かれているのを指さした。


「馬鹿‥‥!もう使用済みっていうか、使用中なんだよ!なんだよ、朝から絡んできて」

 頬を赤らめた鈴木がマスクを片付け始めると、テリーは椅子の下を指差して声を上げた。

「あっ!机の中から何か飛び出てるよ!?」


「なんだってーー!?」

 鈴木が机の中と椅子の下を確認している間に、テリーは自分の席に戻った。


 ‥‥

 ‥‥‥


 放課後、テリーは暗知の事務所に向かった。縦に長い雑居ビルは相変わらず殺風景だ。


「お疲れ様でーす」

 テリーは事務所に入ると、バッグを丸テーブルに置いた。


「どうしたの理恵ちゃん?今日は特にお願いする事はないけど」

 暗知はデスクで、覆面を製作していた。変装用の代物だろう。


「近藤先生の依頼とは関係ありませんが、少し気になる事がありまして」

 テリーはバッグを開け、何か探し始めた。


「もしかして‥‥昨日、私が『二郎と鈴木君が似てる』って言ったのを気にしてるのかい?」

 暗知は作業を一旦止めると、丸テーブルの前に座った。


「はい、実は鈴木君のマスクを一枚拝借してきました。ちょっと匂いを嗅いでみて下さい」

 テリーは手袋をすると、ポリ袋に入ったマスクを暗知へ差し出した。


 少し躊躇したが、暗知は白い布製のマスクを受け取ると、匂いを嗅いだ。

「かすかに、花?の匂いがする‥‥薔薇かな?わからないけど‥‥嫌な匂いではないね」


「彼はこのようなマスクを数種類持ち歩いています」

 テリーは丸テーブルの椅子に腰掛けた。


「他のマスクは別の匂いがするのかな?いずれにしろ、鈴木君が二郎と同じように鼻が良いのかは、わからないね」

 そう言うと、暗知はテリーにマスクを返した。


「『花の香り』『数種類のマスク』‥‥色んな匂いを嗅いでいる‥‥鍛えているとか?」

 テリーと暗知の目が合った。


「それです!鈴木君に会いに行ってきます!」

 テリーは閃きに目を輝かせると、マスクを手に取り事務所を飛び出した。


「こうなったら理恵ちゃんは止まらないね」

 暗知は覆面の製作を再開した。


 ‥‥‥

 ‥‥‥‥


 夕陽が見え隠れする初夏の校庭を横目に、テリーは運動部の部室棟を目指し、ひらすら走った。


「おーい!鈴木くーん!すーずーきー」


 部活終わりの鈴木を逃さまいと、遠くからテリーは鈴木を呼び止めた。


「な、なんだよ!ここ最近変だぞお前」


「はぁっ、はぁ‥‥、どうだい、調子は?」


「まぁ調子は良いよ。今年の大会はベスト4目指して気合い入ってる」

 鈴木は帰り支度をしていた。


「そうか、そうか、ちょっと話せるかい?」

 テリーはポリ袋を顔の横で振った。

 ポリ袋の中には鈴木のマスクが入っていた。


 鈴木は背筋がピンと伸び、顔が青ざめた。

「長久手、ちょっとこっちに来てくれ」


「おーい、今日は暑いなぁ、火傷しそうだー!ぎゃっはっはっ!」

 他の野球部員がここぞとばかりに冷やかした。


「ばっかやろ!そんなんじゃないわ!」

 鈴木は部員連中を一喝すると、雑なジェスチャーを混えて、部室棟向かいの校舎裏へとテリーを手招きした。


 周りに人がいないのを確認すると、鈴木は口火を切った。

「マスクを盗むなんて、一体何のつもりだ?」


「なぜ鈴木君が沢山マスクを持ち歩いているのか気になってね。こんな暑い日でもマスクを付けてるのはどうして?」

 テリーはポリ袋からマスクを取り出した。


「持久力アップの為だ。深い意味はない。そもそも、どうしてそんな事気にするんだ?」

 鈴木は目を逸らすと、坊主頭を撫でた。


「謎解きが趣味なんだ。深い意味はないよ。ひょっとして、マスクは嗅覚を鍛えるための『道具』なんじゃないの?」

 真っ直ぐな茶色の瞳が、高校球児を捉えた。


「‥‥はぁ、別にいっか‥‥クラスのみんなには言わないでくれよ?」

 鈴木は小さく溜息をつくと、クヌギの木に寄りかかった。


「お前の言う通りマスクは『鼻トレ道具』だよ。うちの家系は代々鼻が良い‥‥というか、鍛えてきた。マスクにはそれぞれ異なる香り付けがされている。嗅覚訓練は跡取り候補の使命さ‥‥」


「跡取りって、鈴木君の家って実業家か何かだったっけ?お金持ちなの?」

 テリーはマスクを鈴木に返した。


「会社を経営しているよ。薬品、食材、香料、飲食店、運輸業とか。香りに関わる事以外にも手を出して、度々成功してきている」

 鈴木はマスクをポケットに入れると、話を続けた。


「うちでは、満17歳になると嗅覚の試験がある。それに合格する事は必須で、落ちると跡取り候補から一旦外されてしまうんだ。だから毎日トレーニングしている」


「17歳‥‥?もし鈴木君が女性だった場合は何があるの?」

 テリーは携帯電話の録音アプリを開き、鈴木からの聴取を記録し始めた。


「女の場合は許嫁がいて、相手の男が試験に合格すれば正式に婚約相手となる。相手の男が試験に落ちれば話は白紙‥‥」

 鈴木は足元の小石を蹴飛ばした。


「落ちた男は最悪、鈴木家の外部へ政略結婚要員として送り出されることもあるようだ。まぁ古い『しきたり』だよ」


(追放、されるのか?‥‥)

「もしかして、鈴木君の許嫁は美奈子?」

 テリーは矢継ぎ早に質問をした。


 鈴木は思わず足を滑らせると、クヌギの木を微かに揺らした。

「なぜそれを知ってる‥‥」


「美奈子が鈴木君を気にかけている事くらい、ボクにでも分かるよ。二人の邪魔をする気はないし、関係性を教えてくれる?」


「‥‥学校の連中には、絶対に言うなよ?」

 鈴木は語れる範囲で家の内情を話してくれた。美奈子の家は遠い昔、鈴木家から枝分かれした家系らしい。

 以前はよく鈴木家を出入りしていた美奈子だが、最近はめっきり見なくなったという。


 ゆらゆらと落ちる木の葉が風に飛ばされる中、テリーの黄金色の髪がなびいていた。


 テリーは鈴木に礼を言うと、クラスメイトには内緒にする事を約束した。


 その足で事務所に戻ると、テリーは鈴木から得た情報を暗知と共有し、ある仮説を立てた。


「近藤先生は元鈴木家の人間で、何かが原因で鈴木家から追い出され、家庭も崩れてしまった‥‥。今回の計画は近藤先生による鈴木家への復讐。美奈子と鈴木君の破談を狙った計画の可能性があります」

 テリーは腕を組んで暗知へ提言した。


「復讐、と読んだ根拠は?」

 暗知はまだ腑に落ちない様子だ。


「あの凶器、謎の液体です。あの計画の目的に凶器の設定は不要では無いでしょうか?不足の事態を防ぐ為、計画の裏ルートを提案します」

 テリーは近藤の計画書に赤ペンで追記した。


 ③鈴木が美奈子を守る

 もしも近藤が凶器(瓶の中の液体)を使用した場合。計画を中止とする。


「液体は危険物の可能性があります。実行前にボクの方でダミーの瓶にすり替えておきます」


「計画③には『関与しなくていい』と言われていたね。何か嗅覚に影響を及ぼす薬品かもしれない‥‥とか?まぁ、無いとは思うけど‥‥」

 暗知はテリーの真っ直ぐな瞳を直視できず、渋々、提案を承諾した。


 ‥‥

 ‥‥‥


 準備期間はあっという間に過ぎた。

 計画実行当日‥‥テリーは暗知の事務所で近藤を含めての最終打ち合わせをした。


「では本日が決行日だね、よろしくお願いします」

 暗知はパソコンを閉じた。


「よろしく頼む!準備は万端だな!」

 近藤はいつにも増して整髪料をベッタリ付けていた。


「先生、最後に一つだけ。あの凶器は無くても良いのではないでしょうか」

 テリーは丸テーブルに置かれた黒瓶を指差した。


「‥‥これは必要なんだ」

 近藤は一言だけ答えると、3限目の授業に間に合うように事務所を出て行った。


 テリーは事務所2階の窓から近藤が建物を出て行くのを確認すると、手袋をはめた。


 テリーの目の前、丸テーブルの上には近藤が用意した『黒瓶』が置かれていた。

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