第六章 さよならVtuber
白羽舞は思案する
今日は木曜日。
なんとなく今日が水曜日みたいに感じるのは、昨日の授業をほとんど受けていないからだろうなぁと、なんだか一日得した気分になったまま私は朝を迎えた。
木曜日──と、いうことは今日は聖夜祭の前日だ。
一年と二年は全ての授業が休みになり、聖夜祭の準備にあてられる。
対する三年は当たり前のように授業が行われ、これから先、到底使用するとも思えない知識が与えられる。ので、あまりこの時間は良いものとは思えなかった。
妄想の時間にあてても、身体の重さは抜けない。
窓の外を見て、生憎の曇り空に余計に身体が重くなる。
この灰色の空は、どんよりとした黒い空よりも心を重たくさせるものがあった。
──唯に会いたいなぁ。
心の中でそんなことを呟く。
唯も同じことを思ってくれていたらいいのに。
なんて思って顔を熱くしていた。
※
結局私たちが会えたのは、学食での昼ご飯時だった。
会えたと言っても、唯の友達は周りにいる。恵だって私の隣にいる。
そして私たちの間には気まずさがある。いつものパターンだった。
「…………」
唯の友達は楽しそうに話しているのに、私たちの間には常に沈黙が流れる。
会いたくて、話したかったのに。どうしてもこうなってしまう。
月曜日みたいに、放課後に唯の手伝いをして二人きりになれればいいかとも思った。
けれど、クラスの飾り付けも、どうやらもう完成しているらしい。
唯との接点が欲しいと思うのに、思いつかない。
「……っ」
唯と話したい。唯の声が聞きたい。
でないと、なんとなく溺れてしまうような感覚に陥って。
息が続かなくなった私は、結局その場を立ち上がり唯の手を取った。
「ちょっときて、欲しい」
唯は目を大きくした後に、友達に『ちょっと行ってきます』と言い残して。
私に引かれるまま、学食の外へと出る。そしてまた、校舎裏のあの場所へと。
雨は降っていなかったけれど、地面は少しだけぬかるみを帯びていた。
唯は「どうしたの?」と優しい声で問うたので、強引に連れてきたかなと罪悪感を覚えていた私の心には少しだけ平穏が訪れた。
「なんか。……話したいなって、思ってさ」
「えーっと、うん。……私も話したいよ。けどもうちょっと我慢を、ね?」
唯は、少しだけ呆れたような声。
まるでお母さんのようだった。
「……だ、だって! 話したいって普通思いませんか!?」
「いや思う! めっちゃ思うんだけど! 私、まだカレー食べかけ! いや話したいから、あと五分くらいは話そう! よし、なんか話題振って!」
私が問い返せば、唯は次第に顔を赤くしながら、ちょっとだけ暴走をした。
そんな唯が愛おしくて、同様に顔を熱くしていた私はくすくすと笑みを溢す。
こほんと咳を一つして調子を整え、話題を振ってと言われた通りに、私は用意していた一つの話題をそのまま与えた。
「うん。……明日の聖夜祭ってどうする? 一緒に色んなところを見たいなって……私ずっと思ってたんだけど、唯はどうなのかなって」
「あーえっとね。……ちょっとだけ友達と見たいところがあるって言われたから、そっちが終わったら一緒にいれるよ! そんな長くならないから安心して!」
私の嫉妬心は、やはり分かりやすいのだろうか。
唯の言葉は次第に私の嫉妬を見抜いた言い方に変化したように思えてならなかった。
「じゃ。じゃあ、明日はよろしくね……唯」
「うん、よろしく。お姉ちゃん」
「あの。じゃ、ちょっと去り際にハグしていい?」
「はーい」
と。唯は手を大きく広げ。
私はその中に収まるように、入り込む
腕が回されて、私も腕を回し返す。
この空間は幸せと、他にどんな言葉が当てはまるのだろうか。
というか。
最近は、私の方が甘えん坊になってる気がしてくるのだけど。
気のせいだと思いたいけど。多分それは気のせいじゃないよな、と。
「あ、あの。キスもしたいんだけど……」
ほら。こんなことを言ってしまうのだから。
どうも私は、唯に甘えまくってるな、と思った。
唯はそれに照れながら応じてくれる。これが私もっと甘えん坊にさせる一因なのかもしれない。と、そんなことを思いながら、差し出された唇に、そっと私の唇を与える。
十数秒の時を経て、キスは終了する。私の方からそっと離れる。
「……ありがと。じゃあ、戻ろっか、唯」
と言って戻ろうとするが。
唯は「待って」と私の制服のスカートをつまんだ。
唯の方に視線をやって、唯が私の視線に応じる。
可愛らしい。ずるいとも言える、そんな上目遣いで私を見た。
「もう一回、キスして、欲しいな」
あぁやっぱり。さっきの少し訂正。
私が甘えん坊なんじゃなくて、お互いに甘えん坊なんだ。きっと。
私は「はーい」と元気に答え、唇を唯に差し出した。
※
「お姉ちゃん。ちょっと聖夜祭の下見、してみない?」
私たちの放課後は、教室に迎えにきた唯のそんな言葉から始まった。
「あー。下見……ね。たしかに、うん。しようしよう」
私は口にすると共に頭を回し、唯と一緒にいれる時間ができることに気が付き、食い気味にうんうんと頷く。
「よかった」
唯はにっこりと笑う。
それに応えるように、唯の手をこっそりと握る。
そのまま私たちは一階へ続く階段を一歩ずつ降りる。
辿り着いた一階で、出しものは如何なものかと、一つ一つを回ってみる。
唯のクラスの映画館は真っ暗なカーテンで覆われており、教室の壁には装飾がこれ見よがしに沢山添えられていて、今現在は何人かが試写会をしている様だった。
でも明日への楽しみとして長居はせずに、私たちは歩みを再開させる。
けれど他クラスはまだ準備に追われている様で、ゆっくりと見て回れる様な状況では無さそうであり、まぁいいかと二年のクラスの方を見れば似たような様子であった。
「……確かに。前日は忙しいよね」
「う、うん。私たちの手抜き展示は正解だったのかも」
「屋上にでも行く? いつもより彩られているみたいだし」
「うん。いこいこ」
私の提案に頷いた唯の手を握り直して、屋上を目指す。
普段は閉じられているその場所は、聖夜祭になると開かれる。
申し訳程度のクリスマスツリーやイルミネーションが飾られるのが毎度恒例だ
やがて目的地をすぐそこにした私たちは、屋上のドアノブに手をかけ、
「……」
開いた扉のその奥に目をやれば、綺麗な赤焼けが目に飛び込んだ。
けれど雲量は多い。どこかで雨が降っていそうだった。
透明な水たまりに反射する光が目に差し込んで、思わず目を細めてしまう。
人はまばらであり、私たちは人がいない場所に移動して鉄柵に身体を寄せた。
積乱雲が奥に見え、赤く照らされていた。どこか情緒的に感じる。
そんな空に目を奪われながら、ポロリと言葉を漏らす。
「……そういえば。クリスマスは何しよっか」
本当になんでもない様な内容だった。
首を傾げた唯に視線を戻すと、くすくすと笑っている。
そのまま、からかい混じりにこんなことを言ってきた。
「前にお姉ちゃん言ってなかったっけ?」
「あれ? 何するかって? 私、なんか言ってたっけ?」
「うん、映画でも見て、美味しいものを食べて、チョコケーキ食べて、一緒に寝るって。……私、それ嬉しくてさ、覚えてたんだけど。そっかぁ、お姉ちゃんは忘れちゃったのかー」
「あぁ思い出した! あれだ! 私がチョコケーキ食べたいって言ったけど、唯がショートケーキがいいって頑なだったやつだ!」
「うんうん。それそれ」
あれは確か。先週の金曜日だったかな。
ツリーの前での会話の内容を思い出して、私は思わず笑ってしまった。
あの時の私と今の私を構成する要素は、大分違う気がしたから。
「私も変わっちゃったなぁ」
「……いや。私は、良い変化だと思うけどね」
唯が私の脇腹をちょんちょんと突っつきながら言ってきた。
「あはは。確かに。そうなのかもね──って、あれ?」
頬に冷たい感触がし、私は言葉を中断させる。
「あっ、雨だよお姉ちゃん!」
赤い空を見上げれば、夕立が来ていた。
それは急激に勢いを増して、私たちは急いで学内に戻り、階段を駆け降りる。
呼吸を荒くしながら、人通りが無い廊下に歩き着いて窓の外を見遣った。
何事も無かったかのように雨は止んでいて、嘘泣きでもされた気分だった。
今更、屋上に戻るには面倒だったので「ここでお話しよっか」と壁にもたれかかる。
先よりも眩しく感じる夕日を瞼に受けながら、唯は一つだけ頷いた。
かと言って話題が特にあったわけでも無いので、私たちのこれからを問うてみる。
「唯。今日はどうする? 配信する?」
なんとなしの問いといえばそうだったのだ。
だけれど、唯の表情に陰影ができ、私は困惑を覚える。
唯は顔を俯かせて、ゆっくりと声を発す。声は震えていたかもしれない。
「……配信、は。……しばらくは、したくないかも」
その返答に、私はまた困惑をした。
けれど。考えてみれば、唯の返答は至って当たり前のものだと言えた。
唯はストーカー被害に遭った後であり、そもそもネットに触れるのが怖いのだ。
なぜ。それを私は考慮することが出来なかったのだろうか。
今回やった配信の程度は、公開告白の時よりも酷いものだ。
姉妹であるのがバレて、付き合ってるのがバレた。
なんなら、もう住所だって特定されているかもしれない。
けれど。警察沙汰になったくらいだ。しばらくはストーカーなんてされないとも思う。
そもそも。身バレし、住所がバレても。そこから事件に発展するケースは少ない。
ストーカーも無ければ殺人も起こらず。あるとすれば、ポストにいたずらをする程度で。
だけど──その様な残虐な事件は、確かに存在するのだ。
「ごめん。そうだよね。……唯の気持ち、全然理解できてなかった」
Vtuberはお金のためにも大事だ。非常に。
登録者も伸び始め、言い方は悪いけれど、やり甲斐がないアルバイトに全てを注ぎ込む日々よりも、格段に楽しく、よりお金も稼げ始めているのは間違いない。
でも。それ以上に大事なものが、すぐ傍にある。
危うく忘れてしまうところだった。
「……ありがとう。お姉ちゃん」
呟く唯の声は頭に届かずに、私はひっそりと思った。
「…………」
──Vtuberはもう、辞め時なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます