白羽姉妹はキスをする
ようやく、私に放課後が訪れた。
唯のことを妄想していたとはいえ、流石に午後の授業は眠気との勝負。
その勝負の勝者は眠気であり、私は大敗。先生に怒られました。自業自得です。
いや、でも。大学に合格したのに何故授業を受けないといけないのだろう。
謎で仕方が無かったが、まぁ今日の授業は終わったのでよしとしよう。
「じゃ舞、ばいばーい」
恵が呼びかけ、私は手を適当に振る。
放課後に遊ばないかと誘われたのだけど、唯との用事があると言ったら「じゃあ、そっち優先しないとね」と言ってそそくさと、私の前を後にした。
恵の影が教室から消える直前に声量大きく「頑張れー」と言い残され。
耳だけを向けていた私は、恥ずかしさを誤魔化すように苦笑した。
頑張れって。何を頑張れというのだろうか。
恵は今から私が唯とイチャコラするとでも思っていそうだな。
私は今から聖夜祭の準備のお手伝いをするのだ。
そんな恋愛脳な思考を持ってこられても困る。
カバンに教材を詰め込みながら、そんなことを考えていると。
視界の端──教室の後ろ側の引き戸に、唯が映っていた。
どうやら、お迎えに来てくれたらしい。
「あ、唯」
顔をバッと向け無意識に名前を呼ぶと、愛想の良い笑顔を私に与える。
「ちょい待ってて」と急いで教材をカバンに詰め込んだ私は、席を勢いよく立ち上がり、唯の元へと早歩きで向かった。
「お迎えありがとね。階段キツかったでしょ?」
「大丈夫……。お姉ちゃんの顔も早く見たかったから」
「はは……愛されてるね、私。なんか……恥ずかし」
「うん……。愛してるから……」
「…………うん」
「…………ん」
このままだと二人、ずっとここに立ち尽くしてしまいそうだった。
恥ずかしさを飛ばすように頭を振って「じゃあいこっか」と唯に呼びかける。
学校で手を繋ぐってのは今まで普通にしてたのだけど。
今回は繋がずに階段を降りる。その際、私は唯に問うた。
「そういえば、聖夜祭の準備ってなにすればいいの?」
「クラスの飾り付け作りだよ」
「あーね。私もやったよ、それ。でも、私高三なのにやっていいのかな」
「えっとね、クラスの飾り付け作りに関しては『私が一人でやる!』って言ったの。そしたら、みんな優しいからさ『手伝うよー』って言ってくれたんだけど、めちゃくちゃ強引に私一人だけで作ることにさせて貰っちゃった」
「なるほど」
つまりは。私と一緒に作業をしたいから、一人で作ることにさせて貰った、と。
それはなんだか──言葉にならない嬉しさがあるものだった。
だってそれは、私と一緒の時間を過ごしたいってことだから。
って解釈は、別に自意識過剰じゃ無いよね。
「だから! 手伝ってね、お姉ちゃん!」
「はーい。高一、高二時代、ずっと雑用係だったから、慣れてる」
「……あ、なんかごめん、お姉ちゃん」
同情はスルーした。
と。いつの間にか、私たちは唯の教室へと辿り着いていた。
引き戸の前に立ち、顔を唯に向けて問う。
「入っていいのかな? 私、三年だけど」
「いーよいーよ! 誰もいないから!」
ひょこっと教室を覗けば言う通り誰もいない。
じゃあいっかと、教室の引き戸を開き、中に足を踏み入れる。
不思議とノスタルジーを覚えつつも、教室を見回す。
夕日が差し込む教室内は、どこか情緒的だった。
オレンジ色の光は、教室内を踊る小さな埃の姿を暴いていて。
眩しい光のはずなのに、どこか暗さもあって。
机と椅子の影が、身長をぐんぐんと伸ばしていて、もうすぐ教室を覆い尽くしそうだった。
夕日の方向──窓の外にはグラウンドで部活動に勤しんでいる生徒が見える。
サッカー部やら野球部のうるさい掛け声もまた青春っぽくて嫌いじゃない。
汗臭いのは嫌いだけど、その青春っぽさってのにはなんとなく惹かれる響きがあった。
なんて、高一の教室から見える景色を堪能しつつ、唯に向き直る。
「電気は付けなくていい?」
「う、うん。一応、電気代の節約ってことで」
「りょーかい。自分も教室のこの明るさ、というか暗さ、好きだから、これで」
「よし。じゃあ、始めよっか、お姉ちゃん」
と言うと、唯は教室の隅っこへと足を運んだ。
材料やらが並んでおり、どうやら予め準備してくれていたらしい。
用意周到な、よくできた妹だなぁとしみじみ思いつつも、
「床で作業するの? 椅子とかに座った方が楽だよ?」
「あ、うん! そうだね! じゃあ椅子に座ってやろっか」
「……? うん? あ、じゃあ、すぐそこの椅子でいいよ」
少し変な様子の唯に違和感を抱きつつも、私は椅子に腰を下ろす。
唯は私の隣の席に腰を下ろした。その際、少し不満げに見えたのは気のせいだろうか。
うんまぁ気のせいだろうなと結論付けて、余計な思考は払拭し、床に置いてあった画用紙や折り紙等の材料を拾い上げながら、唯に問うた。
「これで工作をすればいいの?」
「うん。なんかクリスマスっぽい飾りを作るんだって」
「ふんふん。まるで小学校のレクリエーションみたいだけど。……そういえば唯の学級ってどんなことするの? 模擬店とか出したり?」
「あ、いや。……私のクラスは結局ギリギリまで意見が纏まらなかったから、30分くらいの映画を流し続けるんだって。……だから、せめて飾り付けを豪華にーと思って」
「あーあるある。凄いことやりたいのに結局できなくて妥協するやつ」
「……まぁ、文化祭は模擬店で盛り上がったから、これでいいのかなって感じ」
とか言いながら、ちょっと唯は不機嫌気味に唇を尖らせた。
そして「ま、いいや」と手をポンと叩く。
「えっとじゃあ。それでお姉ちゃんは、なんだろうな。緑の画用紙でクリスマスツリーとかを作ってもらおうかな。……大丈夫?」
「こういうのは小学生の時に極めたから任せて!」
「分かった。私は細かい装飾を作るから」
唯の言葉に「うん」と返し、私は画用紙とハサミを取り上げる。
せっかくなので良いものを作ろうと『よーし』と心の中で気合いを入れる。
画用紙に鉛筆でツリーの枠組みを書き、その線になぞってハサミで切り込みを入れる。
──ちょきちょき。
ハサミの音のみが、教室内に木霊する。
その音だけに耳を傾けて、ただひたすらに手を動かす。
線に沿って、ズレないようにと集中力を切らさずに。
とりあえずは、最後までちゃんと切り取ることができ、満足気に溜息を一つ。
と。その時。私の作業に一段落がつくのを待っていたかのように、唯が不意に声を飛ばした。
「ねぇ。お姉ちゃん、やっぱり床の方がいいな……。だ、だって! 床の方が広く使えるからさ!」
なんとなく焦った様子の唯に、若干の違和感を覚えながら。
机の上にある多彩な画用紙を見ながら、確かにな、と思う。
私は「確かに」と呟き声に似た声を漏らしながら、材料を床に移動させた。
流石にお尻をつけるのは汚いので、ヤンキーみたいな座り方で作業を再開させる。
私に続くように床にやってきた唯は、私の横に、私と同じ格好でちょこんとしゃがんだ。
なんとなしに唯が持っている画用紙に横目をやれば、作業は捗っていないらしっかった。
「あれ? ……あ、工作苦手とか?」
からかう様に言ってみると、すぐに「んーん」と首を横に振る。
どうやらそういうことでは無かったらしい。けれど唯の様子はどこか変だった。
思えば、確かにさっきから唯の様子に違和感を覚えるな、と。
それでも。唯は至って真剣な表情なのだ。混ざりっ気が一つもない。
「おーい?」
持っていたハサミを床に置き、唯の目の前で手をブンブンと振ってみる。
けれど目が細められるだけで、それ以外の反応は無し。
「唯──」と言いかけたところで、
「あ、あのさ! こんなこと、いきなり言うのも変かもだけどさ!」
唯は私の発言に割り入り、声を張り上げた。
どうしたのだろうかと首を傾げる。
「……唯?」
何を考えているのか分からない。
今の唯の表情は、そういうものだった。
かと思えば。そんな表情のまま、唯はずいと私に顔を寄せて。
気圧され、思わず尻餅をその場についてしまい。
そして私は息を吞む。
「……どうしたの?」
ここで私は、ようやく気が付いた。
この場所が様々な場所から死角になっていることに。
唯の顔が赤いのは、夕日のせいじゃないということに。
唯は息を吸って、そのまま呼吸の流れに沿うように吐露する。
「え、えっと……キスしたい、です」
心臓に打撃が走った。
びりびりと身体が痺れる感覚を覚える。
何も言わなかった私を見てか、唯は追い討ちのようにもう一度。
「あの……キス、いい?」
唯の顔は、比喩抜きで目と鼻の先だ。
私がどんな答えを出したとしても、キスしてきそうだった。
冷静ぶって「うーむ」と唸って、少し意地悪な問いを仕掛けてみる。
「作業と私、どっちが大事?」
「お姉ちゃん」
即答だった。
なんだかむず痒い。
唯は作業を共にしたいというより、キスをしたかったのだろうか。
「……えーっと」
しかし、いきなり過ぎて混乱が表情に表れているだろう。
でも。唯のこの突拍子の無さは、至って自然なのかもしれない。
だって最近の私の唯に対する行動は、どれも突拍子も無いものだったと思うから。
それに、唯が意を決してこの様なことを言ったのも、その顔を見れば分かる。
唯の頑張りに免じてキスを許可しよう──ってのは建前として。
単に、私だってしたかった。
別に、最初からこの理由で片付けても良かったのかもしれない。
「……ん!」
私は目を瞑って、唇を突き出す仕草をしてみせた。
唯は今、どんな表情をしているのだろうか。
唯のことだから、きっと満面の笑みを浮かべていそうだ。
そんな妄想に、私の頬もまた緩まされてしまった。
顎に唯の手が染められたかと思えば、私の唇が奪われた。
そう思った次の瞬間に、唯の唇はすぐに離れて。私は思わず目を開く。
唯は、少し切なさを帯びた表情を見せて、恥ずかしそうに漏らす。
「……私、昨日、お姉ちゃんにキスした時から、ずっとおかしいの」
それだけ言って、また唇を合わせてくる。
唇の準備ができていなかったせいか、少し噛み合わせが悪かった。
それが理由かは分からないけれど、また唯は、先と同じように、大切なものを扱うように、ゆっくりと唇を離して。
「なんかね。それくらいに好きなの。だから……ずっと今日、キスをしたかった」
言ってまた、キスをする。
私は何も言わなかった。
というより、何も言えなかった。
今の主導権を握っているのは、完全に唯だったから。
「んっ──」
ただ唇を合わせるだけのキスなのに、どうしてこんなに気持ちが昂るのだろう。
身体がぞくぞくと震えて、私たちが今やっていることの凄まじさを認識する。
「唯──」
自然とその名が口の端から溢れる。
このまま続けると変態になってしまいそうだった。
あぁでも。恋人同士だから別にいいのかって。
静寂を聞いて。ただ、ずっと。そのままキスをする。
時の流れを、斜陽だけが教えてくれた。
オレンジ色に輝く教室内で、ひっそりと。
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