第二章 70パーセントの百合に20パーセントの嫉妬と10パーセントの本音を加えたらどうなるのか編

白羽姉妹の休日

 ファーストキスはレモンの味らしい。

 いつか見た百合漫画には、そう書いていた。

 しかし現実になってみると、キスは背徳感と罪悪感の味。

 ほっぺただからノーカンってことに、神様はしてくれそうに無かった。


 結局、あの後は眠れなかった。

 洗面台で顔を洗いながら、何をしてんだ私って、自問している。

 なぜ。あそこで私は、唯の頬に唇を添えたのか。

 その行動で得られたものがあるとしても、分からなかった。

 最近は、どうも分からないことが多い。分かろうとしていないだけかもしれない。


 顔を拭いた後に、唇を撫でてみたら、唯の頬の感触は残っていた。

 柔らかい。けど少しだけひんやりとした感触。

 なんて言えばいいのか。私の唇が頬を包み込んでいる感覚、とでも言えばいいのか。

 兎も角は。とんでもないことをしてしまった。それだけは分かる。

 好きなのか、と問われると違う。違う? うん、違う。

 恐らく唯の影響で、私もシスコンになりつつあるだけなのだ。

 と。言い訳がましく、言い聞かせ続けていると、時間はかなり経過していた。


 バイトの時間を迎えて、そのまま新聞配達に赴く。

 マフラーを巻いて、手袋を着けて、厚いコートを羽織る。

 自転車に跨って、いつものルートを回った。ペダルは少し重かった。


 やがて新聞配達が終わる。

 達成感は割とあった。

 伸びをして身体を反らす。

 上に見える空はまだ暗く、けど奥の方は薄い。

 時計を確認すれば、まだ七時にもなっていなかった。


 自転車を家に戻して方向転換。

 私はそのまま、堤防に向かった。

 理由は特に無い。強いて言うなら、家に入るのが気まずく感じたから。例えるなら、家に帰れば親に怒られると分かっている小学生が、意味も無く寄り道をして、時間稼ぎをする様なものだった。

 つまり。意味のある行動では無かった。


 数分弱で堤防沿いに辿り着く。

 風は少し強く、服の隙間から入り込む冷気が肌を巡る。

 寒いのに。不思議と肌に心地良かった。

 朝のランニングをする面々に頭を下げられ、下げ返しながら。

 ただ、とぼとぼと歩く。けど、やはり。その際も、私の頭はキスの事が支配していた。


「キス……」


 とんでもない二文字だと思った。

 弓波侑杏との配信で『私、侑杏ちゃんのほっぺたにキスしたよー!』って言ってみたら、と空想してみる。

 恐らくコメントは盛り上がる、投げ銭も沢山貰えて、登録者も増える。

 そしたら新聞配達も程々に、Vに専念できそうなものだけど。

 でも。私の中の何かが擦り減ってしまう様な気がしてならなかった。


「…………」


 奥から陽が顔を見せてくる。

 白くも見える光は、徹夜の私には少し痛い。

 そろそろ帰ろうかと、きびすを返した。


「ただいま」


 家に辿り着き、部屋のドアを開いて、私はそう口にした。

 閉じられたカーテンの奥からぼんやりと差し込む、温かな光。

 ベッドの上で眠っている唯が照らされて見えた。


 隣に並んで、唯の髪に手櫛を入れる。

 髪は絡まることなく、スッと流れた。

 こんななんでも無いことが、少しだけ特別に感じる。

 そう思うと同時に、焦点が合うのは唯の頬で私は咄嗟に目を逸らした。

 薄っすらと存在する眠気に任せて、私は横たわり目を瞑る。


 ──あぁ、私。何やってんだろ。



       ※



 ──ピンポーン♪


 意識が戻ったのは、インターホンの音が入ってきた時だった。

 無意識に身体を起こして、無意識にスマホを開く。時刻は13時前。

 隣に唯はいない。こんな時間だ、起きているのも当然と言える。

 それより、インターホンの音が聞こえた。宅配便でもきたのだろうか。

 しかしどうも。起きる気が起きない。


 あぁでも。唯が来客に応答してくれるだろう。

 部屋の外から聞こえる足音が、それを教えてくれた。

 目をゆっくりと閉じた私は、再び寝る体勢に入る。


「あーごめんなさい。もうちょい待って!」


 唯の明るい声が飛んでくる。

 友達なのかな。遊びにでも行くのだろう。

 夜はコラボ配信らしいけど、それまでに帰って来れればいいんだけど。

 思いながら、私には大して関係の無いことだと、さして気にならなかった。


「今から行きますー!」


 子機に呼びかけ、ピッと電源を落とす音が聞こえる。

 続く慌ただしい足音と、玄関のドアが開き、鍵が閉められる音。

 数秒後に聞こえるは、家の前を通過する、二人の話し声。

 一人は唯で。もう一人は──あれ? もう一人は。

 聞き覚えのある声に、私はベッドから跳ね起き、カーテンを勢いよく開ける。


 既視感と共に私は目を見開き、唯の隣に並んだ人物を凝視する。

 眼鏡をかけた、長い髪を軽く巻いた一人の女性。

 そして。高校で一番仲の良い、私の友人。

 及川おいかわめぐみ、その人物が、唯の隣に並んで、楽しそうに、笑い合って、見つめ合って、距離を詰めて、「唯ちゃん」と呼んで、それに「どうしたの」と呼ばれた人物が答えて、歳の差を感じさせないくらい仲良さげに、笑って、笑い返されて、笑って、笑い返されて、それを繰り返しながら、私の視界から消えるまで、本当に楽しげな、そんな様子で。一緒に歩いていた。

 途端に。私の中に住み着いている奇妙な虫が、私の心を蝕む。


 変なモヤモヤが広がって。

 よくない考えが私を襲う。

 なぜこんなことを思い付いたのか。

 自分が恐ろしくなりつつも、でも止まれない。


 少しだけ。後を尾けてみたいと思った。

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