白羽姉妹の勉強会
──なぜ。私は今、こんなにも心臓を早く動かしているのか。
体温を上げているのか。焦点を合わせられないのか。
疑問点を挙げれば挙げるほどキリが無い感じなのだけれど。
それら全てが、分からない。
漫画喫茶の個室の中で。ただ、抱き合ってるだけじゃないか。
最近なら、もう、慣れた行為のはずなのに。
これはただの『勉強会』のはずなのに。
どうして、と。思うと、走馬灯の様に事の発端が鮮明に描かれ、脳裏を駆ける。
この漫画喫茶に訪れてから、今までの全ての流れが。
今からおよそ一時間前のあの時から──。
※
「ペアシート、空いてますか?」
唯は入店するなり、慣れた口調で店員に声を掛けていた。
私は後ろで、後ろめたさを感じながら唯の背中を眺めているだけである。
対応を済ませた唯が「いこ、お姉ちゃん」と呼びかけ、一拍遅れて離れた背中を目指す。
部屋に入った直後に唯が「待っててね」と、部屋の外に再び行ったので。言われた通りに、ちょこんと正座をして帰りを待った。
前に一回だけ来たことがあるこの部屋は、普通に居心地が良い。
寝そべられるし、防音だし。あと、値段も意外と良心的だ。
勉強会なのに。こんなにも設備が充実した場所でいいのだろうか。
なんて。謎の罪悪感にも駆られてしまう。
「ただいまー」
部屋に戻ってきた唯は、数冊の漫画本を抱えており。それをドサッとシートの上に置いた。
裏表紙しか見えなかったので、表紙とタイトルを見ることは叶わないけど、百合漫画なのは確かである。
今更だけど『勉強しにきたのに、漫画読んでんじゃん』となりそうなので弁明をしておくと、今から私たち──主に私がする勉強というのは『百合についての理解』のための勉強である。
私は百合営業をしておきながら、百合に対する理解が深くない。
以前エゴサをしてみたら『夢咲葵の百合はわざとらしくて嫌い』とか言われてたし。(それ以降エゴサしてない。エゴサは身を滅ぼす、マジで)
まぁ。視聴者にそう思わせたくないから。
だから。私は、百合に対する理解を深めたい。
そのための、勉強会だ。
「よし。お姉ちゃん、勉強を始めよう!」
「うん。それで、今回は何読むの?」
「えっとねー。前回の同級生百合は、お姉ちゃんには刺さらなかったから」
「んー。まぁ、刺さらなかったかも」
「そう! だから今回は『姉妹百合』を持ってきた!」
唯は『バン!』という風に、取り上げた本の表紙を私に提示する。
恐らく姉妹とされる姉妹二人が、光沢のある目を向け合っているイラストだった。
私は顎下に指を添え、その表紙を吟味しながら、当たり前の質問を唯に投げた。
「姉妹で恋愛する話ってことだよね?」
「そ! 姉妹って身近な存在だから、現実感があるんじゃないか、と思ったの。どう?」
「まぁ。いいんじゃないかな」
そう答えたけど、ピンと来なかった。
姉妹で恋愛、という文字の配列は。違和感があるじゃないか。
しかし。そういう思いがあるのと同時に、どの様な物語展開になるのかは気になった。
そういう意味では、私は少しウキウキな気分になっていたのかもしれない。
「よし。じゃあ、読もう。私も読みたいって思ってたやつだから!」
唯がうつ伏せになり「横に来て」と言うので、似たような体勢で唯の隣に並んだ。
満足そうに微笑んだ唯は「じゃ、始めまーす」と表紙をペラっと捲る。
主な登場人物は、クールな様相を帯びた姉の柚木と、シスコン気質の妹の桜。
ぼんやりと。私たちに似ているなぁと、その二人を見ながら思った。
唯が私のペースに合わせてページを捲る。
物語に大きな変化は無い。けど、些細な変化は沢山起こっている。
毎日の小さな変化、それに伴う心境の変化。
それが積もって。いつの間にか自身の中の想いが、恋心に変化をした。
この柚木が、もし、私だったとしたら。この桜が、もし、唯だったとしたら。と、当てはめながら読み進めてみる。
『私は、桜のことが好き』なんて台詞が出てきたけど、これはあまり私らしく無いな。
そんな告白に桜は『私も。あなたが好き』なんて台詞で応じて、これは唯らしいかもと思った。
二人は幸せなキスをして物語は幕──みたいな、割と良くある物語のオチだった。
私と唯がキスを──と考えてみるけど。……うん、まぁ、よく分からない。
本をゆっくりと閉じた唯は、嬉しそうな顔で私に感想を求める。
「いかがでしたか、お姉ちゃん」と。それこそ、表紙みたいな光沢のある目で。
私は唸って「良い話だった。面白かった」と、本の内容を思い返しながら答える。
ここまでは、いつも私が抱いている感情だった。それ以上はと言えば──。
「何か、つかめた?」
「どうなんだろ。……んー、分からない」
結局いつものこの返事だった。
唯は楽しくなさそうに「ふーん」と言って。
目の輝きを失ったかと思えたが、直後。少し、意地悪をする子供の様な表情で。
「ハグしてみていい? 私、漫画に感化されちゃった!」
そんなことを、言ってくる。
私は。どうせいつものシスコンだろう。そう思い、ただ首を縦に振った。
唯は身体を起こし、立ち上がる。私も同様の動きをする。
そういえば。漫画の中の二人もハグをしていたと思い出す。
確かに、とても良いものだとは思った。
でも、だからと言って、私たちがハグをしたって、何も特別では無い。
あの二人だから特別だっただけ──なんて、言い訳を心の中で呟きながら。
私は両手を広げて迫ってくる唯を、見守って。その際、少し『あれ?』と疑問符が浮かんだ。
私の呼吸が少しだけ荒くて、少しだけ動悸が早いということを。思った時には、遅かった。
唯の腕が私の身体を巻いた瞬間、心臓が大きく。大きく。飛び跳ねた。
何故か、私の体は温度を上げていた。痺れるような熱さが耳に届いた。
何かがおかしかった。
ハグを解いたのは唯からだった。
そのまま視界に映る唯の姿を見て、私は──。
唯の髪はこんなにも美しいミディアムなのだと、目に見えていた筈なのに、今更認識をした。
唯の目はこんなにも透き通ってるのだと、唯の肌はこんなにも綺麗なのだと、ずっと視界にあったはずなのに。
唯の顔はこんなにも可愛いのだと、毎日、共に生活をしていたはずなのに。
何故か。今更、唯のことを、私は、その様な人物なのだと、意識をした。
「お姉ちゃん?」
唯が不思議そうな声で問うた。
その声に、ハッとした。
意識が一気に現実に引き戻された心地がした。
あれ。私、今まで何を考えていたんだっけ。という風だった。
「……あ。いや。なんでも、ない」
本当に、なんでも無かったのかもしれない。
唯は私の様子には特に気にせず、次の漫画を拾い上げた。
姉妹百合では無く、社会人百合というやつだった。
その漫画に関する記憶は、勉強会が終わった後、あまり存在していなかった。
でも。今日の生配信は、良いものになりそうだな、と。ぼんやり、妄想していた。
勉強会の成果は、と問われると難しいところだけど。
強いていうのなら、唯を可愛いと思えた。
確かにそこには、大きな意味があるのかもしれないと思って。
いや、やっぱり違うか、と首を横に振って。
あぁでも。心臓の鼓動が、それを肯定してしまった。
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