4


「夏目·····さん?」

 数秒の沈黙が流れる。

 私の視界は、夏目さんの白いワイシャツから覗く首筋に染まっていた。

「私もだよ」

 肩に回された手が熱い。

 私もって何がだろう。

 私より背の高い夏目さんを見上げる。

 見上げた先の顔が思ったよりも近くて驚く。

「意味、分かってないでしょ」

「あ、えっと……ごめんなさい」

 夏目さんはふっと笑うと私の耳元に唇を寄せてきた。

「私も河野さんだけだよ、こんな風にするの」

 頭が真っ白になる、思考が追いつかない。

 日本語ってこんなに難しかったっけ。

 もし今の状況が国語のテストで出題されたら、正解出来る気がしない。

 夏目さんが私から体を離す。

「じゃあ、そろそろ本当に行くね。また明日」

「うん、また明日」

 教室から出て行く夏目さんの後ろ姿を見送り、私は一人になった。

 その瞬間、脚の力が抜けた。

 教室の端で情けなく座り込む。

 吹奏楽部の奏でる流行りのポップス曲が、この教室まで響き渡っている事に今気が付く。

 二人で居た時は夏目さんの声以外聞こえなかったのに。

 さっきの出来事は夢だったんじゃないかと頬をつねる。

「いだっ」

 めちゃくちゃ痛かった。

「夢じゃない……」

 夢じゃない夢じゃない……。




「お姉ちゃん汚い」

「え?」

 本当に嫌そうな顔で妹の春が私を見ていた。

「え?じゃないでしょ。ご飯こぼしてる」

「わっ、本当だ」

「本当だじゃないよ。帰ってきてからずっと変だよ」

「そうかな?」

「そうだよ、熱でもあるんじゃない?」

 春がじとっとした目私を睨んでくる。多分、風邪だったら移すなよと圧をかけているのだろう。

 昔は年子の妹も素直で可愛かったのに。

 どうやら最近は遅れてきた反抗期を堪能しているみたいだ。

 私は無意識に持っていた唐揚げを口に運ぶ。

「お姉ちゃんどんだけ食べるの?」

「え?」

「それで唐揚げ8個目だよ」

「……そうだっけ?」

 あははと笑いながら誤魔化す。……多分誤魔化せてないけど。

 正直、放課後から今までの記憶が無かった。

 どうやって家に帰ってきたのかすら覚えていない。

 ずっと夏目さんの言葉を反芻していたら今になっていた。

 私だけって、どう言う意味で何を思って言ったんだろう。

 気になって仕方ない。

「ねぇ、それ9個目」

「そうだっけ?」

「お姉ちゃんマジでやばいよ」

 私は春を無視して唐揚げを飲み込んだ。


 英単語帳を開いてから30分が経とうとしていた。

 それなのにまだ1ページも進んでいない。

 明日はこの範囲の小テストがあるのにと焦るけど、どうしても頭に入ってこない。

 何かを考えようとすると、夏目さんに抱きしめられた時の記憶が邪魔をする。

「なんであんな事……」

 持っていた単語帳をベッドに放り投げる。

 単語帳は軽くバウンドして枕元に収まった。

 私もそれに釣られるように、ベッドに身を投げた。

 枕に顔を埋めて小さく唸る。

 自分の気持ちが分からなかった。

 夏目さんに近付きたいとは思う。

 でも付き合いたいとか、そういうのとは少し違うような気もする。

 そもそも、私は誰とも付き合ったことが無いから、よく分からないだけかもしれないけど。

 こんな感情を誰かに抱いたのは初めてだった。

 知らないふりが出来ないくらいの強い感情に、私は惹かれている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏目さんとイチャつきたい 香月 詠凪 @SORA111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ