第17話

 一人目の男子生徒は本当に偶然だったんだろうとは、思う。教室で、たまたま少し強く、その男子生徒とロゼリンダがぶつかった。ロゼリンダは後ろにいたフィオレラとジョミーナに支えられ転ばずには済んだ。


「あの時、僕はちょうど君の様子を見ていたからびっくりして立ち上がったよ。本当に転ばなくてよかった。でも、それだけだったらよかったんだ。君は……君は…………」


 ランレーリオの顔が悔しそうに歪む。


「な、なに? ………? どうしたの?」


 自分が何をしたかわからないロゼリンダは、不安気にランレーリオの顔を見た。


「謝っていた男子生徒に、花のような笑顔でこう言ったんだ!

『わたくしは平気よ。あなたに怪我はない?』って!」


 ロゼリンダはかなり長い時間呆けた。二人きりの会話だ。二十秒も呆ければ充分に長かろう。

 ロゼリンダはハッと我にかえり、今の話を頭の中で再生した。

 が……、何が悪いかさっぱりわからない……。


「レオ。やっぱり、わからないわ」


 ロゼリンダは困り顔で首を傾げる。そんな仕草も可愛らしくて、ランレーリオはまたしてもうずうずと戦うことになる。


「ったく! だからね、その時の君の笑顔が男子生徒の中で話題になって、みんなが君にぶつかりに行ったんだよ!」


 ロゼリンダは、そういえば入学したての頃はよく転んでいたことを思い出した。


「でも、その方たちは支えてくださったわよ?」


 貴族学園の廊下や教室など規模的に分厚い絨毯なので、転んでも痛くはない。しかし、その男子生徒たちは、いつからかロゼリンダを転ばせないように、ぶつかって支えるようになっていた。


 なぜなら……


「君が極上の笑顔で『ありがとう』って目を合わせて言ったりするからだろう! ロゼに触れられた挙げ句に、笑顔を貰えるんだぞ! 誰だってぶつかりに行くし誰だって支えるさっ!」


 ロゼリンダは男子生徒の幼稚さに呆れた。さらに疑問が湧いた。


「レオはそれを見ていてどうしたの?」


 ロゼリンダの記憶ではランレーリオがぶつかってきたことはない。


「っ!!!」


 ランレーリオは下唇を噛んだ。その時のランレーリオは何もできなかったのだ。

 ランレーリオがチラリと顔を上げると、ロゼリンダがキョトキョトと見ていた。


「僕には……怒る権利も、それから……怒る勇気もなかった……」


 ランレーリオは、奈落の底にでも落ちていくように膝に肘を置いて深く項垂れた。


「勇気??」


 ロゼリンダは、ランレーリオが醜聞のあるロゼリンダと関わっていると思われるのは嫌だから勇気が持てなかったのだと言われた思って、がっかりした。

 しかし、ランレーリオの口からは驚きの言葉が出た。


「だって、他の男に笑顔を向けるなとか、他の男に触らせるなとか、なんて小さい男だろうって、思うだろう? 僕は、ロゼにそんな風に思われたくなかったんだ。

君に嫌われる勇気は……ないよ…………ごめん。

こうして話すなら、あの時止めておくんだったな……」


 ランレーリオがとても小さく可愛らしく思えてきた。自分に嫌われたくないと訴えているのだ。ロゼリンダは微笑して小さく息をついた。


「ふぅ。そうだったの。

でも、すぐにそんなことはなくなったわよ」


「あの頃だったね、じじぃ侯爵との婚姻の噂が流れたのは……」


 ランレーリオの瞳は怪しく蠢いた。

 ロゼリンダの頭の中に浮かんでいたのは、その侯爵であったが、ランレーリオの頭の中に浮かんでいたのは、まだ、ロゼリンダに近づくために、声をかけようとしていた男子生徒たちだった。

 

 アイマーロ公爵州の子爵令息たちは、美しいロゼリンダとの婚姻を望んでいたが、家としてはつい最近まで遠慮していただけだ。

 しかし、侯爵家との醜聞で、再び二の足を踏む者が多くなった。


「君が君の美しさを理解しきれていないことも、ラッキーだったのかな」


 ランレーリオは、ランレーリオ自身の力は何も使えてないことに自重しながらも、ホッとしていた。


 もし、ロゼリンダが男子生徒たちがロゼリンダにぶつかる程度のことで大騒ぎをしていたことを気がついていて、ロゼリンダの魅力を爆発させていたら『そんなじじぃ侯爵など関係ない』と言って暴走した男子生徒が少なからずいたに違いない。


「あのお話は本当に恥ずかしかったのよ。それに、ね……自分が自分に幻滅したわ」 


 後妻の話は、ロゼリンダにとって今でもあまりしたくない話題なのだ。やはり、ロゼリンダとランレーリオでは視点がずれている。それはすべて、醜聞を背負って生きてきたロゼリンダだからだろう。


「ごめんね。僕は君の醜聞を僕のラッキーとしか見えていなかった。君がそんなに傷ついて悩んでいたなんて。気がついてあげれなくて、ごめん」


 ランレーリオはロゼリンダの目を見ることができず、下を向いたままでも目に入ったロゼリンダの手をギュッと握りしめて頭を垂れて謝った。

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