第5話「俺は先輩とエロ漫画のモデルになってしまうようです」
――突然、唐突過ぎる、意味の分からない一言に俺は心臓を掴まれた気分になった。
え、今、この人なんて言った?
俺の頭がバグったのかな。
そうだよな。そうだよな。そういうことだよな。
いくら裏の顔がエロ漫画家でもまさかまだ何にも知らないどこにでもいるただのファンの後輩に「エロ漫画のモデルになってくれ」だなんて言うわけないもんな。
そうだよな、ないもんな、そうだよな。
うんうんうん。
あるわけ、絶対ナイ!
あるわけがナイ!!
「あ、あれっ……大丈夫?」
人子で悩みに悩んで思わず固まっていると、藤宮先輩は少し心配そうな表情を浮かべながら前屈みになって顔を覗いてきた。
「え、あ、っはい」
おどおどしながら返答をする。
「な、ならいいんだけどね? ほら、私すっごく変なこと言っちゃったし」
変なこと言っちゃったにしては本当にもう愛も変わらず、美しく綺麗で可愛い顔だ。
恥ずかしそうに上目遣いしてくる先輩の目がもう見てられない。こっちまでドキドキしてくる。やっぱり、エロ漫画家だとは言えど隠し切れない魅力が先輩には詰まっていると言えよう。
というか。
どうして、俺って今こんな可愛い人の家に来ているんだろうってふと考えてしまいそうになる。
ただ、後ろのポスターのえっちで可愛い女の子とも目があって俺は幻想から一気に現実に引き戻された。
——んと、変なこと言っちゃったしって言ったよね、藤宮先輩。
「なんか、堀田君さっきからうわの空だけどやっぱり——?」
頭の中での議論が弾んでしまったていたためにボーっとしていてマヌケ面だったろう俺の事を先輩は続けて心配してくれる。
さすがに言い返さないわけにはいかず、俺は慌てて心配に対する返答を投げ返した。
「だ、大丈夫です!! なんかびっくりしちゃって、ははは。先輩、今なんて言ったんですか?」
「そ、そかそれならよかった……んと、何言ったか――なんだよね?」
はぁ——と一気に肩を撫でおろしながら、首を傾げてくる。
仕草がいちいち可愛らしい。思わず抱き着いてしまいそうになる自分がいて、俺はその自分を頭の中でねじ伏せる。
「ふぅ……んと、ね」
少し頬が赤くなって、モジモジと両手の指の先を合わしたり離したりする可愛らしい仕草を見せられてハッとしながらも頷く。
「はいっ……」
「えっとね? その、あんまり引かないで聞いてね?」
すると、やっぱり恥ずかしそうなのか今度は「こほんっ」と喉を鳴らして改めて言い直した。
「その、ね? 堀田くんに私の漫画のモデルになってくれないかな〜って?」
今度こそ、俺の耳は狂いなく聞いていた。脳内再生を何度も重ねて繰り返し、それが幻想でもないことを確認する。
どうやら俺の頭はバグっていなかったらしい。
ただ、信じたくない俺はひたすらにその言葉について考えた。
私の漫画のモデル。
その言葉を悪い頭をフル回転させていく。
いやいやまさか、と。
確かに“ドデカメロン”先生はエロ漫画家ではあるが、SNSでは普通の恋路をする男女を描くときがある。
ふと思い出したそのことに俺は負けじと食らいついた。
いや、俺に残された道はそれしかなかったのだ。
「あ、あぁ〜〜あれですよね? 青春系の漫画のことですよね? 先生の清純派シリーズの最初の方にあるやつをもう一回書いてくれる感じですよね!!」
無論、頭はおかしかった。
だいたい、健全漫画のモデルになったところで普通かどうかと言われればそうではない。下手すれば手を繋いだりハグをしたり、キスまでしちゃう可能性があるからな。
しかし、現実逃避する俺に先輩はいたって真面目な表情でカウンターを突き刺した。
「エロ漫画、なんだけど……ぉ」
「……エロ漫画、なんですか?」
「え、えろ……漫画だよ」
「エロ、エロ……漫画」
あーこれがゲシュタルト崩壊ってやつですか?
なぜか意味もないのに俺はその言葉を先輩に向かって繰り返していた。しかし、それに負けじと繰り返し返す先輩の姿も見える。
「ダメ、かな?」
追い打ちのように先輩から繰り出される上目遣い「駄目かな?」に胸やけしながら、真面目に考える。
どうして、藤宮先輩が俺にそんなことを頼むのか。
それは——きっと、秘密を共有できる相手が異性の俺しかいないからだろう。同性にそんなこと頼めるわけもないし、ドデカメロン先生が書くのはレズ系でもない。
考えてみれば、そうか。
この人は編集さんにこれをしろって言われてやってしまう人間だ。今までしたこともないことに挑戦して、一発で決めちゃうくらいには覚悟を持っているともいえる。
そう考えれば、今回の子の頼み事は別にふざけているわけではないと思える。
「ぜ、全然ね。駄目ならいいの。私のワガママって言うか、なんかここまで付き合わせるのも違うし……だから、全然言ってくれたら」
藤宮先輩は少し足元が震えていた。
そうだ、こんなことを頼むのは相当な覚悟が必要だ。本当なら、こんなことを後輩とは言え異性の俺に言えるような話じゃないはずだ。
「——駄目、ですよね? こんな私なんか……幻滅しちゃいますよね」
ゴクリとつばを飲むのと同時に先輩は恐る恐る俺に訊ねた。
「あ、あの……別に駄目とは言ってないですよ」
これはただの押し付けだったのかもしれないけど、俺は藤宮先輩という女性の事をここまで変態な女の子だったとは思ってはいなかった。あの綺麗で、美しくて、可愛らしい見た目とは裏腹にかき乱されるほどな変態性を持っているのは事実。
ただ、しかし、重要なのはそこではない。
こういう自信なさげに聞いてくるところとか、怯えながらも一生懸命に言ってくれるところは先輩が先輩たら占める変態性との真反対にある純粋さだと思う。
「俺、先輩がもっとお淑やかで綺麗な人だと思っていました」
そう言うと先輩は少し驚いたように目を見開いて、それでも少し納得したように笑みを浮かべる。残念そうな顔に悪いなと思いつつ、俺は最後まで聞いてほしいと思いながら次に続けた。
「でも……でも、俺はそれでもいいなって思っているんです」
「げ、幻滅したんじゃ——」
「俺が抱いていたものは押し付けってやつです。誰が何を好きなのか、誰がどんなものに引かれるのか、誰がどんなことをしているのか――それは人それぞれなんですよ。だから、こそ。先輩は変態ですけど、自分に従順で、純粋で、乙女でそこには何も変わりません」
乙女が変態なんて、そんなそそられる話があるのだろうか。
答えは否、これ以上があるわけがない。
そんな俺の言葉に藤宮先輩が何も返さず俺をずっと見つめていた。さっきも、いや何度も思ったが本当に綺麗な目だ。こんな目を持つ人がエロ漫画を描いているだなんて夢にも思うまい。
バカみたいなことを考えていると先輩は急に噴出したように笑い出した。
「先輩?」
「い、いや——ごめんね。なんか、笑えてきちゃって。私、変なこと言ったなのに後輩に慰められてて……でも、そっか、幻滅してなかったんだね堀田君は」
「ま、まぁ……そりゃそうですよ」
長年憧れてた先輩なんだ、当たり前だ。
「なんか、色々本音で語ってよかった。私、こんなにすっきりしたことないもん。今まで一人で隠してきて、辛いことがあっても全部心の中で完結して……でも、これからは違うんだよね?」
「俺でいいならなんでもしますよ」
優しく純粋な目で見つめてくる先輩に、もちろんですと返す。すると、晴れやかな顔でこう言った。
「私、存分に頼んじゃうからね」
「えぇ、そりゃもう、どんとこいです」
決めたんだ。先輩のためになりたいって。
え、ん? なんか今めっちゃとんでもないこと言われたんじゃないか、俺?
「私と堀田君で、一緒にエロ漫画を完成させようね」
大好きなエロ漫画家と大好きな美人な先輩とを共存する
その存在が今後の俺の大学生活で大きな”何か”に変っていくことは言わずもがな。
それと、一言残しておきたい。
どんなに美人で、みんなから慕われている女の子も実は心の奥底に内なる変態性を隠しているのかもしれない。
俺の大好きな先輩は純粋無垢で最大最強のド変態だ……。
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