第三章 第63話 孫子の兵法

「だから俺たち、大人には頼れないって思ってます」


 きっと子どもたちは、最初は大人に期待してくれていたのかも知れない。

 しかし、この台詞が発せられたと言うことは、自分たちがそれを裏切ってしまったことの証左だと言える。


 蓮司としては、他の大人たちだって必ずしも、唯々諾々いいだくだくと従っているわけじゃないだろうことは分かっている。

 しかしこの子たちは、行動が伴わなければ何を考えていても関係ないと言い切っているのだ。

 そう意味では、自らも「ダメな側」の大人となっていることにチクリと心の痛みを感じながらも、二人の危うさを指摘しておかなければいけないと蓮司は思った。


「なるほど。でも、どうして他の先生たちがあまり積極的に動いていないのか、君たちには分かるかい?」


「うーん……怖いからじゃないかな」


「僕も聖斗と同じ意見です。鏡先生や壬生先生が怖いんですよ。瓜生先生はいませんでしたけど、特にあの裁判の時の壬生先生、めちゃくちゃヤバかったです」


「そうかあ。まああの人たちが怖いからって言うのは、きっと大いにあるだろうね。僕から見ても、すごい圧力を感じるから。君たちはどうなの? 怖くないのかい?」


 蓮司に問いに、聖斗と朝陽は顔を見合わせた。

 そして、どちらからともなく頷くと、


「怖いよ」

「怖いです」


 と、声をそろえた。


「でも、だからってただ我慢するだけなんて、俺は嫌だ」


 聖斗の言葉にうなずく朝陽を見ながら、蓮司は言った。


「そうだね。確かに僕も怖いと思う。でもそれは、君たちの言う怖さとは少し違ってるかも知れないんだ」


「怖さが違う、ですか?」

「そう。多分だけど、君たちが怖いのは暴力に対してだろう?」

「そうだけど……」


 もごもごと答える聖斗。

 朝陽は何も言わない。


「僕はね、あの人たちが何を考えているのか分からないのが怖いんだ。不気味、と言ってもいいかも知れない」

「考えてる、こと……」


 黙り込む子どもたち。


「今回起きた一連のこと、あの人たちはかなり前から準備をして、計画的に進めているように思う。学校の事だけならともかく、ザハドの人たちまで動かしているからね。そうすると、何のためにやってるのかって気になってくるんだけど、君たちはどう?」


「……確かに、気になります」

「俺も」


「それにさ、こないだの会議で鏡さん、言ってたよね。元の世界に戻る方法に心当たりがあって、その話が進行中だって。もしそれが本当なら、あの人たちに反抗する必要はなくなる。と言うか、反抗したら帰れなくなる可能性が高い。君たちは、元の世界に戻りたくないの?」


「僕は別に、最悪帰れなくてもいいと思ってます」

「朝陽……俺は」


 きっぱりと言い切る朝陽と、迷う素振りを見せる聖斗。

 聖斗の脳裡のうりには、今でも時々思い出す懐かしい父と母、そして大切な妹の姿が浮かんでいた。


「いいんだよ、聖斗。それに僕が怖いのは、暴力じゃないです。先生」


 朝陽の瞳に、再び剣呑けんのんな光が宿る。


「僕……多分、殺せますから」


 思わず息を呑む蓮司。

 聖斗ですら、慌てた表情で朝陽の肩に手をかけた。


「お、おい……朝陽」

「聖斗は知ってるよね」

「うん、まあそりゃ……見たことねえけど」


「僕は神代家の人間として、小さい頃からずっとそう言う修練を続けてます。屋敷の警備に必要なことだけじゃなくて、個人的な武技もです。その中には、多分普通の小学生が教わるようなことじゃないものだって、たくさんあるんです」


「そ、そうなんだ……」


 とりあえず蓮司は、その言葉だけを絞り出した。

 何を言えばいいのか、どう対処すればいいのか、すぐには思いつかない。


「僕が怖いって言ったのは、人殺しをすることについてです。でも僕は父から教わっています――一度いちど事に及んだのならためらってはいけないって」


 こんな流れじゃなければ、朝陽の父親が言うことは単なる一つの人生訓と評することも出来るだろう。

 しかし、今はそう言う文脈じゃない。

 それに、朝陽は頭のいい子だから、こうしてカミングアウトすることでどんな印象を相手に与えるのか、ちゃんと理解した上のことだろうと蓮司は考えた。


 それなら――変に自分の考えを糊塗するのは、よくない。

 ここは真摯しんしに向かい合うべきだ。


「神代君」

「はい」


 ひとつ咳払いをしてから、蓮司は続けた。


「君の言ったことには正直、驚いてるよ。それに、混乱してもいる」


 朝陽は黙ったまま、蓮司の次の言葉を待つ。

 蓮司は続きを言うべきかやめるべきか、しばし悩みながらも、意を決して口を開いた。


「でも、さっきも言ったように僕は現実主義者だからね、君たちにも――――絶対に殺すなとは言わない。もしかしたら他に選択肢がない状況もあるかも知れないから」


 聖斗と朝陽が、驚きに目を見開みひらく。

 てっきり否定されるとでも思っていたのかもしれない。


「まあ、教師の発言としてはどうかと自分でも思うけどね」


 ははは、と自嘲気味に笑う蓮司を、二人は黙って見つめている。

 殺しはいけない、慎むべきだと言う基本的な考え方については、聖斗も朝陽も決してわきまえていないわけではない。

 今回、朝陽がこうして敢えて口にしたことも、進んでそうしようと思っている訳ではないことを、「怖い」という言葉で表現していたのだ。


「でもね、もし戦おうと言うのなら――ここを出るにしても、他の方法を採るにしても――敵を十分知ることは必要だと思うよ。今の段階では分からないことが多すぎるし、僕が心配しているのは――君たちがザハドへのがれたからと言って、本当に安全かどうかってことなんだ」


「えっ……」


 声を揃えてさらに驚く聖斗と朝陽。

 蓮司の言葉が予想外だったらしい。


「八乙女さんの追放もそうだけど、朝霧校長のことがどうしても気になるんだ。手をくだしたのが八乙女さんじゃないなら、他に必ずいるわけだ。それが鏡さんたちだって証拠はないけれど、もし仮にそうだとしたら……それは既に人をあやめることを躊躇ちゅうちょしなくなっているということ」


「……」

「……」


「それに、ザハドの方にだって手を回している可能性は十分考えられる。君たちの離脱を問題なしとしてそのまま見逃すかも知れないし、そうじゃないかも知れない。分かるだろ?」


 朝陽が大きくうなずいて言った。


「先生の言う通り、だと思いました。ザハドに逃げてからのこと、僕たちは甘く考えていたかも知れません」

「確かに……俺もそう思った」


「昔の中国のお偉い武将さんが言ってるんだ。『かれを知りおのれを知れば百戦してあやうからず』ってね」


「それ、孫武そんぶの言葉ですね。僕、その先も言えますよ。『彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず殆うし』ですよね」


「おお、流石だね、神代君。それなら分かるだろう。何も考えずにぶつかろうとするのは、一番の下策げさくである『城攻め』と同じだってことが」


 打って変わった晴れ晴れとした顔で朝陽が答える。


「はい! そうか、これは戦いなんですね……。僕としたことが、我慢から逃げることばかり考えていて、気付かなかった」


 朝陽とは対照的に、聖斗は悔しそうな表情を隠そうともしない。


「くそー、すげえな朝陽は」

「え? 何で?」


「だってよー、そんな……えーっと、よく分かんねえ言葉も知ってて、知識も技もあるのにさ、魔法ギームまで使えるじゃんか」


「ん……まあそうだけど」


「完全にチートだろ? もしお前の知識とその人を殺す技術と、魔法を組み合わせたりしたら、もう無敵なんじゃねえか?」


「!」


 聖斗の言葉を聞いて、朝陽はまるで天啓を得たかのごとき衝撃を受けた。

 彼の言葉を繰り返すように、呟く。


魔法ギームと、組み合わせる……」


「別に慰めるつもりで言うわけじゃないけれど、天方君。君の学力も運動能力も素晴らしいし、コミュニケーション能力、それに人望じんぼうに関しては学校随一ずいいちだったじゃないか。児童会会長さん」


「……そう言えば俺、会長だっけ。分かってます先生。ないものねだりしてスネてたって、何の意味もないってことがさ。俺は俺に出来ることをやるしかない」


 そう言ってこぶしを握る聖斗を、驚きを以って蓮司は見つめた。

 よく聞く「男子、三日会わざれば刮目かつもくして見よ」という慣用句の元になった、孫権そんけん呂蒙りょもう逸話いつわが思い出される。


「君の年齢で、しかも自力でその境地に辿たどり着くのは、結構すごいことだと思うよ、天方君。例え頭では分かっていても、なかなかね」


 蓮司の台詞に、聖斗は少しはにかみながらにっかりと笑う。

 朝陽もそんな親友を後押しする。


「聖斗は、ずいぶん熱心に教わってるもんね、空手」

「ああ」


「僕が思うにさ、椎奈しいな先生は先生だから、あんまりヤバそうなことは聖斗に教えないと思うんだよね。でも僕なら、聖斗に教えてあげられることもある。今までは父さんに禁じられてたけど、今はそんなことを言ってる場合じゃないし」


 またしても物騒なことを口走る朝陽に、蓮司はあわてて釘を刺す。


「おいおい、僕だって教師なんだよ? これ以上不穏なことはちょっと勘弁してくれ。これでも一応、八乙女さんに君たちのことを託されてるんだからね」


「八乙女先生、今ごろどうしてるんだろうね……」

「そうだな……」


 三人は、誰言うともなく東の森を見遣みやった。

 あの小さな瑠奈るなを連れて、森の中へ消えていったであろう不遇ふぐうの男。

 もちろん彼らは、涼介たちが今まさにザハドへ戻る途中にあることなど、想像すらしていない。


 彼が追放された朝のことを、聖斗と朝陽は何となく懐かしく思い出す。

 涼やかな風が再び、彼らの頬を優しくでていた。

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