第三章 第60話 変化

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 20XX年 4月19日(星暦12511年 始まりの節)


 昨日、東の森のところに建てていた製材所が完成したとの連絡があった。

 聞くところによると、以前八乙女さんたち旧調査班が森の中に作っていた道の拡張工事も終わったとのこと。

 つまり、私たちの学校とザハドの町が直通したと言うことを意味する。

 馬車でそのまま行ったり来たり出来るようになったのだそう。


 長屋計画も順風満帆じゅんぷうまんぱんに進んでいるように見える。

 地縄張じなわばりはとっくに終わっていて、平面的ではあるけど長屋の完成形が何となく想像できるようになっていた。

 長屋とはまたずいぶんとレトロな響きだが、もちろん私たちが住むことになる家のことだ。

 共同生活を始めて、約十ヶ月。

 生きていくことに精一杯で、不満など感じる暇がなかった。

 それでも、住環境が改善されるのは素直に嬉しく思う。

 製材所が完成したことによって、いろいろスピードアップも期待できる。

 でも……少なくとも私は、ここに住み続けていたいわけじゃない。


 学校の様子は、表向きはいたって平穏と言っていい。

 鏡さんがリーダーとなり、新しい組織になって、物事は順調に進んでいる。

 私のいる実行班は要するに何でも屋で、施設の維持管理や飲料水の確保など、食事関係以外のこと諸々もろもろ輪番りんばん制で行っている。


 何かと鏡さんに盾突く感じの黒瀬さんも、今のところ大人しくしている。

 彼女の気骨稜々きこつりょうりょうと言うか、おくせず物言う気概きがいには感心させられるけれど、私としては心配なのだ。

 彼ら・・に目をつけられることでひどい目にいはしないかと。

 朝霧先生や八乙女さんの姿が、どうしても思い浮かんでしまう。

 余計なお世話と言われてしまうだろうか。

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    ◇◇◇


黒瀬くろせ先生、飲料水の煮沸しゃふつ消毒とボトル詰め、終わりました」

「お疲れさま、早見はやみさん。いつもありがとうね」


 私のねぎらいに、微笑んで返す早見澪羽みはねさん。

 この作業は、旧保健衛生班だった頃からずっと二人で続けている。

 もちろん実行班所属となった今でも、私も彼女もすっかり手慣れたものだ。


 最初はとっても真面目で言葉少なで、私の班を希望した理由が分からなくてちょっとだけ戸惑ったのが懐かしい。

 一生懸命で物静かなのは今も変わらないけど、最近の彼女は何だか違って見える。

 何と言うか、たおやかなのに一本しっかりとした芯が通ったように感じられるのだ。


 こないだの会議だって、他の大人たちが委縮してしまっているような状況なのにも関わらず、真正面から鏡さんに切り込んでいった。

 どちらかと言うと、私の方が感情的だったと少し恥ずかしくなるくらい、堂々と、なおかつ冷静に。


 何が彼女を変えたのか――確かめたわけじゃないけど、何だか分かる気がする。

 それは恐らくあの、朝霧校長先生のこと・・から始まって、八乙女さんの追放に至ってしまった一連の事件。

 あれを機に人だけじゃなくて、いろんなものが変化してしまった。


 それに、変わったのは早見さんばかりじゃない。


 カラカラカラ……。


 保健室のドアが何とも控えめな音を立ててひらくと、一人の少女が遠慮がちに顔をのぞかせた。


「失礼します……」


 それは、御門みかど芽衣めいさん。

 早見さんの高校の同級生。

 一応この四月で進級したとすれば、二人とも高校二年生だ。

 もちろん、学校に通えてないけど。


 転移した当初、御門さんと早見さんは絵に描いたように対照的な二人だった。

 そう言えば八乙女さんが、この二人のことを太陽とひっそりと咲く花に例えたって、早見さんが嬉しそうに話してくれたっけ。

 あの頃、早見さんは御門さんとの関係に悩んでいたのだ。


「あら、御門さん。どうしたの?」

「黒瀬先生。私、ちょっと散歩してきますね」

「え? あ、うん。行ってらっしゃい」


 早見さんはそう言うと、御門さんが入ってきたのとは別のドアから出て行った。

 御門さんに一瞥いちべつすら投げかけることなく。

 御門さんは御門さんで、早見さんから顔をらしていた。

 何と言うか、おどおどした様子で。


「あの……さっき調理してた時に、左手の人差し指を切っちゃって……」

「まあ大変。そこに座ってちょっと見せて?」

「はい……」


 私は丸いスツールを彼女に勧めながら、消毒用のオキシドールと滅菌ガーゼ、そして絆創膏ばんそうこうを準備する。


「毎食、全員分のお料理するの大変でしょ? ありがとうね、御門さん」

「いえ……」


 普段はそうでもないけど、今またこんなに元気がなくなっちゃってるのは、きっとさっきのことが原因なんだと思う。

 早見さんとのすれ違いかた、見てるこっちの胸が何だか痛くなる。

 以前の彼女なら、こうして一対一で向き合っている時だったら、いい意味で「うん」とか「んーん」ってフランクに答えていたはず。

 それが今は、敬語になってしまっている。


 私は、突き出された彼女の指に適切な処置を施す。

 最後に肌色の絆創膏をくるくると巻いて、声を掛けた。


「はい、OK。ちょっとした傷でも、指先だと結構痛いのよね」

「……」

「……御門さん?」

「……あっ……あの、ありがとうございます」


 ……指先の傷は重傷じゃないけど、心は重症だなあと思う。

 私は、差し出されたままの彼女の左手を両手でおおった。


「どうしたの? 何か悩みごと?」


 ちょっと白々しいかな?

 でも、向こうから相談してきたわけじゃないから、一足いっそく飛びに踏み込んでいくのは躊躇ちゅうちょしてしまうところ。


「……」


 御門さんは私の両手に左手をつつませたまま、うつむいている。

 ここで「大丈夫です」とか言われたら困っちゃうけど、迷っているのなら一歩進めてあげたいと思う。

 きっと彼女にとっては、学校の体制が大きく変わったことよりも、こっちの問題の方がずっと大事で、深刻なものなんだろう。

 だってこんな、最初の頃とは真逆になったと思えるくらいに、二人の様子が変わっちゃってるんだから。


 でも……ただの変化じゃなくて、成長と見ることも出来るんだ。

 それを忘れちゃいけない。


「早見さんのこと、よね……?」

「! …………はい……」

「よければ話してみない? 力になれるかどうか分からないけど」


 私がこう言って少し押す・・と、御門さんは数秒の躊躇ためらいのあと、彼女を悩ませることとなった一連の出来事について、ぽつりぽつりと語り始めた。


    ◇


 悄然しょうぜんと保健室を出て行く御門みかどさんの背中を、何とも言えない気持ちで見送る。

 ドアが閉まる音すら、彼女の心に共鳴しているようだ。


 彼女の打ち明け話は、おおむね予想していた通りのものだった。

 御門さんの認識だと、早見さんが怒っている原因はおもに二つ。

 彼女が八乙女さんの無実を信じ切れていないことと、魔法を使えると他人ひとの心が読めるって疑いを口にしたことだ。


 早見さんに確かめたわけじゃないけれど、恐らくその通りだろう。

 特に二つ目の誤解は、二人だけの問題じゃない。

 私たち全体に、見えない分断をもたらしていることだから。

 八乙女さんはそのことをずっと懸念していたし、実際にこうして問題は表面化してしまっている。


 その上で、私が御門さんに何を言ってあげられたかと言えば何のことはない、八乙女さんがかつて早見さんに勧めたのと同じことだ。


 それは――気持ちを伝えること。


 無責任に「仲直りしなさい」なんて言うことは出来ない。

 御門さんは、前に魔法がらみのことで早見さんとひと悶着あった時に、彼女から手紙を受け取ったと言う。

 最初は読む気もなかったらしいが、八乙女さんと少し話してから何となくひらいてみる気になり、実際に少し心が軽くなったのだそう。


 ならば、同じことを今度は早見さんにしてあげたら?――と私が提案したのだ。

 御門さんはしばらく考え込んだあと、「……そうしてみます」とつぶやいてふらふらと立ち上がったのだった。


 御門さんが部屋を出て行ったあと、私はまた、八乙女さんの言葉を思い出す。


「――特に心配なのが、子どもたちだ。かしこい子たちばかりだけど、どの子もまだどこかあやういところがある。はやって重大な危機を引き寄せるようなことがないように、みちびいてやってほしい――」


(まったく、簡単に言ってくれちゃってさ……もう)


 そう言えば、もうひと組の子たち――天方あまかた君と神代かみしろ君も、一時期仲たがいしていた。

 でも最近の二人を見ると、それほど険悪な感じはしない。

 普通に会話してるし、時折笑い合う姿すら見かける。


 何があったのか知らないけれど、うらやましい限りだ。

 今頃は、きっと汗を流しながらまきを割っているだろう二人のことを思った――。

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