第二章 第39話 箱根山の東側

 居酒屋へ檜山ひやま讃羅良さららを呼び出し、情報をり合わせ、ある程度の結論を出して調査活動をいち段落させたあの飲み会から数日後。

 小田巻おだまきじんは、神奈川県西部にあるO市の中心地にある駅に降り立っていた。


 かつて戦国大名として関東を広く支配した北条ほうじょうが本拠として城を構え、豊臣とよとみの秀吉ひでよしによって滅ぼされた地であり、市内に設置されたマンホールのふたの多くに、家紋である北条ほうじょううろこうろこ)がデザインの一部として取り入れられている。


 そして言わずもがな、三家さんけいちである白家はっけ――白鳥しらとり家の本拠地でもある。

 迅が一人ここを訪れたのは、自分のせいが似ているから……などという理由では当然なく、白鳥家に関する調査のためである。


「うお、結構さみいな……」


 電車を降りるなり、プラットフォームを一陣の寒風かんぷうが吹き抜けた。

 昼前ということもあって、ちょうど向かいのホームに見えた立ち食いそば屋から匂いがただよってくるように思えて、ついつい足が引き寄せられそうになる。


(いやいや、これからラーメンを食うってのに、先にソバを入れちまう訳にはいかねえし)


 迅は約束を思い出し、辛うじて自制を利かせた。

 のぼりエスカレーターを降り、改札を出ると目の前の東西連絡通路アークロードを多くの人が行きっている。

 外国人らしい姿もちらほら。


(どうもここの、西口と東口ってのに慣れねえんだよなあ、感覚的に)


 O市では東海道本線がほぼ南北に走っているため、橋上きょうじょう駅舎えきしゃの出口は必然的に東西になる。

 しかし迅が普段住むS市においては線路は東西にかれているために、多くの鉄道駅では南と北が出口になっているのだ。


 迅は改札から右に折れ、東口(迅的には南口)に向かって歩く。

 大きくいた出口からはペデストリアンデッキが張り出し、その向こうにO市駅前の街並みが見えてきた。

 正面の下りエスカレーターに乗り地上一階に出ると、バスターミナルをぐるりと時計回りに回る形で、迅は歩く。

 大通りではなく、斜め左方向へと向かう「錦通り」を進んでいくといわゆる家系ラーメン店が姿を現し、その横に迅の約束の相手・・・・・が壁にもたれて立っていた。

 その人物を見て、迅は小走りで駆け寄って行った。


「あれ? ごめん叔父さん、もしかして待たせちゃった?」

「んあ?」


 叔父さん、と呼びかけられた男が気怠けだるそうに迅に顔を向ける。

 ソフト帽に丸型サングラス、そして黒いスーツ。

 ちりちりパーマでこそないが、いかにもくしどおりが悪そうな髪が帽子からぼさぼさと生えている。


「いや」


 男は壁から背中を離し、彼のに向き直った。

 百九十センチ近くある迅と、目線の高さはほぼ同じである。


「ちっと徹夜ぶっこいちまってな、寝たら起きられそうになかったんでそのまま来たんだわ」

「そっか、そんならよかった。で、早速だけど店に入らねえ?」


 迅はラーメン店の入り口を指さして言った。


「俺もう腹減っちまってさ」


    ◇


完まく・・・ありがとうございます!」


 店員の元気な声が響いた。

 示されたQRコードを、八雲やくもが自身のスマホで読み込ませると画面上の「完まく回数」がプラスいちされる。


「いつも思うけどさ、おじさんよくこのスープ全部飲めるよな……」

「バカおめ、基本だろがよ」


 完まくとは、どんぶりの中身を麺や具材はもちろんのこと、汁まで全て飲み干すことを言う。

 いわゆる家系に属するこのラーメン店のスープは、かなり濃厚な豚骨醤油味なのだが、彼――小田巻おだまき八雲やくもは注文の時のオプションとして「味濃いめ、油多め、麺硬め」と指定しているのだ。

 若い時ならいざ知らず、少し年がってくるとなかなかにきつそうなオーダーを、四十路よそじの八雲は平気な顔をしてぺろりと平らげてしまう。

 一方いっぽう大学生の迅は、味は濃い目で油少な目の「こいすく」で注文したのだが、レンゲに五杯分程度は残してしまった。


「さて、んじゃ事務所に戻りがてら話すか」

「ああ」


 ありがとうございましたーという店員の声を背に店を出ると、八雲は切り出した。

 小田巻八雲は、O市内で興信所を営む独身男。

 先日の居酒屋での飲み会で、東郷とうごう慶太郎けいたろうが「協力者」と呼んでいたのはこの男のことだった。


 身長百九十近い二人――一人ひとりは往年の有名映画に登場する私立探偵ばりの恰好、もう一人は彫りの深い中東系の顔立ちをしたロングヘアの若者――が並んで歩く姿はそれなりに人目を引いていたが、両者とも全く気にする素振りもない。


「ほれ、頼まれてたやつだ」

「サンキュー、叔父さん。助かるぜ」


 八雲は歩きながら、数枚の紙を迅に片手で手渡した。

 迅は紙束かみたばを受け取ると、移動しながら早速目を通し始める。


「ふむふむ、なるほどなー」

「なあ、迅よ」


 八雲が前を向いたまま甥に声を掛ける。


「前も言ったが、オレぁあんまりおすすめしねえぜ?」

「分かってるさ。叔父さんに迷惑をかけるつもりはねえからさ」

「そういう話じゃねえんだけどな……」


 二人は南、城址じょうし公園のある方に向かって歩いていった。

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