第一章 第03話 異変

 壁の時計では、只今ただいま午後三時二十分。


 職員会議は三時半からだから、もう少し。

 先生たちもほとんどがもうここに集まってきている。


「もうすぐ会議が始まるのに、来客中なのかしらね、校長先生」


 不破ふわ先生が、校長室へ通じるとびらを見て誰へともなしにつぶやく。


 普段、校長室と職員室をへだてるドアはあけけっぱなしになっている。


 閉じているのは大抵たいていは来客対応の時で、今日はしばらく前から閉まっているようなのだ。


「ちょっと前に秋月あきづきさんが入ってったから、保護者が来てるのかも知れんね」


 職員会議の資料に目を落としながら不破先生に答えたのは、俺の前の席に座っているかがみ龍之介りゅうのすけ先生だ。


 鏡先生は六年一組の担任で学年主任。


 俺よりちょこっと背が高い、男の俺から見ても渋くていい男だ。

 イケおじってやつか。


 ひげは毎日きれいにってるみたいだ……ってか、おっさんの顔を見てあれこれ説明なんてしてると、どうにも身体がむずがゆくなってくる。


 ……やめていい?


 そう言えば去年の職員旅行の時、見送りに来た奥さんと娘さんに会ったけれど、二人とも美人さんだった。

 

「ああ、そうだったんですね。何かあったのかしら。秋月さんも大変ね……」


 秋月あきづき真帆まほ先生と言うのは、三年二組の担任。


 今年度新採しんさい――新規採用者――で入ってきた女性なのだ。


 新採と言ってもすでに二年間、講師としてつとめていたと聞いているので、実際は教師生活三年目ということらしい。


 この子……子なんて言ったら失礼なんだろうな。


 彼女も上野原さんと同様本当に頑張り屋さんで、いつも職員室に最後まで残っているのは教頭先生か秋月先生かってくらいだ。


 いやもちろん、他の先生方だって皆さん頑張ってるし、何なら俺だって手を抜いたりなんてしてないぜ?


 でも彼女の場合、朝も早くから出勤しているみたいだし、休日出勤もたまにしてるのを見たことがあるしで、ちょっとは休んだらと声を掛けてやりたくなってしまう。


 まあ大きなお世話になるだろうから、言わないけど。


 あと驚いたことに、秋月先生って小学生の頃、鏡先生が担任だったことがあるらしい。


 彼女本人から聞いたし鏡先生も否定していなかったから事実なのだろうが、そんなこともあるんだなあ。


「不破せんせー!」


 窓の外から声が聞こえた。


「あら、またあの子たち」


 見ると、まぶしい初夏の陽光ようこうの中、窓の向こうで制服を着た女の子が手を振っている。


 その子のうしろに、もう一人いるようだ。


「困ったわねえ、これから職員会議なのに」

 そう言いながら不破先生は立ち上がり、外へ通じるガラス戸に向かう。


「あの二人って、こないだも来てましたよね」

 と、黒瀬先生。


 そう、先週もちょうど今くらいの時刻に来ていた。


「あの手を振っていた方の子は、不破先生の教え子だってさ。一、二……四年前か。六年の担任だった時の」


 俺がここに赴任ふにんしてくる直前の卒業生と聞いている。

 もう一人の子は良く知らないが、高校に入ってから出来た友達らしい。

 うちの卒業生ではないようだ。


「卒業生が遊びに来るのって、中学くらいまではちらほらいるけど、高校になってまでってのは珍しいですよね」


 と言うのは、鏡先生の向かって右側の席にいるしいあおい先生。


 六年二組の担任で体育主任のお姉さんだ。


 背丈せたけは山吹先生と同じくらいか、ちょっとだけ低い感じ。

 茶髪のミディアムロングを外にハネさせている感じの人だ。


 お姉さんと言っても俺より二つほど年下だが、何というか頼りがいのある人なんだよな。

 すごいはきはきしてるし、いつも元気だし。

 だから体育主任ってわけでもないだろうけど。


 ちなみに俺は、理科主任で生徒指導主任。

 あと情報教育主任でもあったりする。


 小さい学校だからね、校務こうむ分掌ぶんしょうも一人一役ひとやくじゃ足りないのだ。


 理科主任と言っても、何で俺なのかよく分からん。

 むしろ文系人間なのに。

 コンピュータは好きだけどね。


 昔の話だけど、PGプログラマやって生計せいけいを立てていたこともあるんだぜ。


「あの子は不破さんにずいぶんなついていたんだよ。色々あったから」


 そう言う鏡先生は当時、不破先生と二人で六年部だったそうで、その頃のことも何かと知っているのだとか。


「定期テストも終わって、開放的になっているのかも知れませんねー」


 うらやましそうに黒瀬先生がつぶやく。


 ――かちゃり。


 校長室のドアが開いた。

 校長先生が出てくる。


 朝霧あさぎり彰吾しょうご校長。


 白髪しらが交じりの髪を後ろに流した、清潔感のある髪型。

 柔らかな眼差しは、彼の人柄ひとがらを表していると思う。

 スーツ姿でいることがほとんどの人だ。


 これは私企業しきぎょうでもこう企業でも変わらないことだろうけど、学校のトップである校長先生にもいろんなタイプの人がいる。


 朝霧校長はトップダウン型ではなく、俺たち教師を個々でかそうとする上司だ。


 俺は割と好印象を持っている。


 あれ?

 部屋から出てきたのは校長先生だけ?

 来客は待たせたまま、職員会議に入るつもりなんだろうか。


 ――時計はあと一分で会議開始時刻というところだ。


 窓際まどぎわの席の先生がカーテンを閉める。


 まだまだは高いけど、部屋の角度的に直撃するからね、西日にしびが。


「校長先生、来ましたね」

 上野原さんがささやいた。


「うん、そろそろ時間だからね。そう言えば今日の司会は何年――」

「失礼します!」


 突然がらりと職員室のドアがいた。


 部屋の中全員の視線がそちらに集まる。

 そこには、児童じどうが二人立っていた。

 六年生の子だ。


「六年一組の天方あまかた聖斗せいとです」

「か、神代かみしろあさです……」


 おやあ、確か鏡先生のところの子たちだけど……児童はもう全員下校したはずじゃないのか?


 その鏡先生は二人を凝視ぎょうししたまま動かない。

 上野原さんも目を丸くしている。


「ど、どうしたんだ、二人とも」


 ドアはかろうじて声をしぼり出した鏡先生のすぐ右うしろにある。

 天方君が神代君の手を引いて、鏡先生のもとに駆け寄って言った。


「先生! 俺たち、どうしても先生たち・・に聞いてもらいたいことがあるんです」


 天方君のことは、俺もよく知っている。

 児童会長だからね。


 うちは小さい学校だけれど、児童会も委員会もちゃんとある。

 いかにもしっかりした、リーダーシップを発揮するタイプの子で――


「ちょっと待ちなさい。今から先生たちは職員会議なんだが、緊急のことなのか?」


 鏡先生は立ち上がり、子どもたちを見て言った。

 そしてちらりと校長先生の方をうかがう。

 校長先生は何も言わずにうなずいた。

 鏡先生にまかせるってことなんだろうか。


「先生ごめんなさい、会議なのは知ってるんだけど俺たち……」


 天方君は必死な様子でうったえている。

 神代君の顔色がずいぶんと悪い。

 天方君のかげに隠れるような感じでいるのが気になるな。


 何だかただならぬ様子だ。


 職員会議と分かっていて、それでもこうやって乗り込んでくるんだから、相当な覚悟で来たように思える。


「分かった。じゃあ教室に行こう」

 鏡先生は天方君の肩に手をせて、外に出るよううながした。


 ところが。


「いえ、ここで聞いて欲しいんです。他の先生たちがいるところで」

「何? どういうことだ?」


 怪訝けげんな顔の鏡先生。


 天方君が何かを言おうと口を開いた――


 その時。


 ――世界が、揺れた――――――


――――――――――――――――――――

2023-01-20 段落配置を見直しました。

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