第36話 回復薬の調合
――リンがハルカに弟子入りを申し込んでから数日後、彼はイチノの街で過ごしていた。命を助けてくれたお礼としてハルカの祖父はリンを自分の屋敷に泊まらせる事を承諾し、彼に付いて来たウルも一緒に世話をして貰う。
「ふああっ……おはよう、ウル」
「クォオッ……」
屋敷の一室を借りたリンは自分のベッドの傍で眠っているウルに挨拶すると、欠伸をしながらウルは目を覚ます。リンが借りている部屋は客室の一つらしいが、彼が森の中で過ごしていた自分の部屋よりも何倍も広かった。
どうやらハルカの祖父のカイはイチノの中でも一、二を争うほどの大商人だったらしく、屋敷の方も貴族が暮らしているのかと思う程に豪勢で大きな建物だった。この屋敷でカイは孫娘のハルカと一緒に暮らしており、義理の息子は現在は別の街で仕入れを行っているらしい。
ハルカの母親は数年前に亡くなったらしく、彼女の代わりにカイが育てているという。カイの商会は現在は彼の義理の息子、つまりはハルカの父親が取り仕切っており、仕事で忙しい父親の代わりに祖父のカイがハルカの面倒を見ているという。
「まさかこんなに贅沢な暮らしができるなんて思いもしなかったな……」
「ウォンッ」
リンは服を着替えると改めて部屋を見渡し、森の中で過ごしていた時から考えられない程に裕福な暮らしを体験していた。
(お金も手に入れたし、旅の準備は整ったけど……もうしばらくはお世話になろうかな)
商人であるカイと街に入る前に出会った事はリンにとって幸運であり、彼は手持ちの回復薬をカイに売却する事にした。カイは命の恩人という事もあってリンに相場よりも少し高めに回復薬を買い取ってくれたため、今の彼はお金には余裕があった。
『ほほう、これは素晴らしい……市販の回復薬よりも効果が高そうですな。この回復薬を作った方は相当な腕前のようですな』
師匠が残してくれた回復薬はイチノで販売されている回復薬よりも性能が優れており、そのためカイも喜んで回復薬を買い取ってくれた。彼の話によると昔よりも回復薬の値段は高騰化しており、効果が高い回復薬ほど人気があるらしい。
ちなみにリンが回復薬の調合技術を身に付けている事も伝えると、カイはそれを聞いて非常に驚いた。回復薬の調合は非常に難しく、この街でも回復薬を生み出せる薬師は少ない。素材と調合器具さえあればリンも回復薬を作れる事を伝えると、カイはリンに頼みごとを行う。
「さてと、まずは仕事から済ませようかな」
「クゥ〜ンッ……」
「ウル、ごめんね。暇かもしれないけど大人しくしててね」
リンは机の上に並べてある調合器具を確認し、木箱を持ち出して中身を空ける。木箱の中にはイチノで流通している薬草が生えており、これらの薬草は自然の物ではなく、人工的に栽培された薬草だった。
「う〜ん……やっぱり、森で生えていた薬草と比べると質が落ちるな」
木箱の中に入っていた薬草を確認し、少し困った表情をリンは浮かべた。彼がこれまで森の中で採取していた薬草と比べると、人口栽培で作られた薬草は見るからに質が低かった。
薬草は栽培が難しい植物であり、本来ならば山や森などの自然に生えている物が調合に適している。しかし、イチノの周辺には薬草は自然に生えておらず、仕方ないので街の中で栽培されている薬草を利用してリンは調合を行う。
(もう少し薬草の品質が良ければいい薬を作れると思うんだけどな……まあ、ないものねだりをしても仕方ないか)
薬草の質は落ちるがリンは調合を開始し、森の中で培った技術を生かして薬の制作を行う。マリアはリンが外で暮らしていける様に彼に自分の調合技術を授け、そのお陰でリンは外の世界では高級品として扱われている回復薬の製作ができるようになっていた。
「……よし、これで終わりだ」
一時間ほど経過すると机の上には数本の薬瓶が並び、木箱に入っていた薬草は全て使い切った。リンはできあがった薬瓶を用意していた小さな箱に入れて部屋を出ると、丁度いい時にカイと遭遇した。
「おはようございます、カイさん」
「おお、リン殿か。おはよう……ん?その手に持っているのはもしや」
「あ、はい。今さっき出来上がったばかりの回復薬です」
「ほう、やはりそうでしたか。いつもながら仕事が早い……ちょっと見せてくれますか?」
廊下でカイと遭遇したリンは彼に回復薬を渡すと、カイは片眼鏡を装着して確認を行う。リンは自分が作った回復薬を見つめるカイに緊張するが、カイは回復薬を見て満足そうに頷く。
「相変わらず見事な色合いですな。これは効果も期待できそうだ」
「ほっ……」
回復薬は色合いが美しいほどに効果が高く、リンが制作した回復薬は市販の物よりも色合いが綺麗だった。実際に彼が屋敷に泊まってから何本か回復薬の製作を行ったが、どれもカイにとっては満足がいく代物ばかりだった。
「リン殿の作る回復薬はうちの商会に働く薬師が作り出す回復薬よりも性能が優れてますからな。どうですか?良かったらこのままうちの商会の薬師として働きませんか?勿論、給料は弾みますぞ」
「いえ……僕は旅をしたいので遠慮しておきます。でも、お世話になっている間はこれぐらいの物ならいくらでも作りますから」
「そうですか……それは残念ですな」
お世辞ではなく、カイはリンの腕前を認めているので彼の返答を聞いて残念そうな表情を浮かべた。リンが作り出す回復薬はマリアの用意した物と比べると性能は落ちるが、それでも市販で販売されている物よりは格段に効果が高い。
もしも旅を辞めてリンが回復薬専門の薬師になった場合、彼は生活に困る事はない。マリアは自分が亡くなった後もリンが一人で生きていけるだけの技術を授け、それを評価してくれる人間とリンは出会えた。だが、リンはあくまでも薬師ではなく魔力使いである。
「そういえばハルカが食堂で待ち惚けてましたぞ。リン殿と一緒に食事を取りたいと言ってましたな」
「えっ!?そうなんですか?すぐに行かないと……」
「では、私はこれで……」
「ウォンッ!!」
カイの言葉を聞いて慌ててリンはウルを連れて食堂へと向かい、回復薬を受け取ったカイはリンの後ろ姿を見送る。彼は手に入れた回復薬に視線を向け、ある事を考え込む。
「あの年齢でこれだけの回復薬を作れるとは……是非、我が孫娘の婿に欲しいのう」
「ウォンッ?」
急いで食堂に向かうリンにはカイの呟きは聞こえなかったが、彼の後ろに付いていたウルは不思議そうに一瞬だけ振り返り、すぐに気を取り直してリンの後に続く――
――リンが食堂に辿り着くと、既にハルカは席についていた。彼女はリンとウルが来ると嬉しそうに手を振る。
「あ、リン君!!それにウルちゃんもおはよう!!」
「お、おはよう……」
「ウォンッ」
「すぐに食事をお持ちいたします。席について待っていてください」
食堂に待機していた使用人はハルカの対面の席にリンを座らせると、彼の分の食事を机の上に並べた。同行していたウルには大皿に生肉を乗せた状態で床に置き、嬉しそうにウルは嚙り付く。
「ガツガツッ……」
「ウル、そんなに慌てて食べなくても誰も取らないよ……」
「いただきま〜すっ!!」
リンが来た事でハルカも食事を行い、彼女の前には大量の料理が用意されていた。意外な事にハルカは大食漢でリンの何倍もの食事を行う。
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