§017 レアシウム

「ふぇ~ん。殴らなくてもいいじゃないですか」


 私は泣きながらハルトの後ろを歩きます。


「当たり前だろ。いきなり『銀貨50枚』貸せとか言われて殴らない方がどうかしてる。どうりで無駄に胸を強調してくるなと思ったんだよ。そうやって俺を誘惑して金をせしめようって魂胆だったんだな。完全にハニートラップじゃねーか」


「うぇ~ん。そんなに怒らなくても。本当に誘惑するつもりとかなかったんですよ~。お金の価値がわかってなかっただけなんです~」


 私は涙ながらに言い訳を並べます。


 なぜ私が『銀貨50枚』をハルトにねだったかというと、剣を完全に直すには特殊な素材が必要だと武器屋の親父さんに言われたためです。


 その素材の名は――レアシウム。


 高度な武器の加工に使用する鉱石とのことです。

 私は実物を見たことはありませんが、親父さんの話によると、レアシウムはとても扱いが難しい鉱石のため流通を錬金術師ギルドが管理しており、一般の市場に出回ることは稀なのだとか。

 それに加えて、近年は鉱山が枯渇気味らしく、その価格は高騰の一途。

 とても普通の冒険者が入手できる代物ではないそうです。


 ただ、親父さんであれば独自のルートから『銀貨50枚』で購入が可能とのことでした。


 私は当然迷いました。

 親父さんを疑うわけではありませんが、レアシウムの相場がわからない以上、言い値で購入してしまうのはどうかと思いましたし、そもそも私は無一文で運命の塔を飛び出してきているので、お金は完全にハルト頼りです。

 そんな私が勝手に契約をしていいのかという問題もありました。


 そんな中で最も大きな問題は、私が未だに現代の貨幣価値を理解できていなかったことです。


 私は『銀貨50枚』というのがどれほどのものかイメージが出来ていませんでした。

 金貨5000枚で小さい街1つ、金貨50枚で私のローブ……。

 うん、これでは銀貨の価値はわからないですね……。


 けれど、さすがに魔女バレはしたくないので親父さんに貨幣価値を聞くわけにはいきませんし、ハルトに相談しようにも当の本人は寝てるし……。


 そんなハルトに対する苛立ちもあり、「まあ、ハルトはAランク冒険者ですので銀貨50枚くらい持ってるでしょう」、「あとで返すと伝えれば温厚なハルトなら快く貸してくれるでしょうし」と安直な方向に考えがシフトした結果、私は親父さんの話に乗ることを了承したのですが……どうやら私の金銭感覚はおかしかったようです。


 『銀貨50枚』は気軽に貸し借りできる金額ではありませんでした。

 イメージしやすいように言うと、高級な宿屋で半年間バカンスを楽しむことができるくらいの金額だそうです。


 ハルトに懇々と説教をされつつ教えてもらった内容によると、お金の種類は、金貨、銀貨、大銅貨、銅貨、銭貨の5種類。


 それぞれ、

 銭貨10枚で銅貨1枚、

 銅貨10枚で大銅貨1枚、

 大銅貨10枚で銀貨1枚、

 銀貨10枚で金貨1枚

 になるそうです。


 私達のような庶民階級の中で主に流通しているのは大銅貨以下の貨幣。

 金貨や銀貨を使うことはごく稀とのことです。

 指標として、1回の食事で銅貨1枚、1回の宿泊(ツインベッド)で大銅貨1枚と覚えるといいと教えていただきました。

 もう少し早めに教えてくれれば、ハルトからゲンコツを食らうこともなかったのに。


 私はヒリヒリと痛む頭を押さえつつ、ハルトに尋ねます。


「ちなみにハルトの所持金はいくらなのですか?」


「相手の懐事情を聞いてはいけないって親に習わなかったのか?」


「デートじゃないんですから普通に聞くでしょ。やっと貨幣価値もわかりましたし、所有財産を把握しておくことは今後の旅において必要なことです」


「ギルドの登録料を除くと大銅貨3枚程度だ」


 ん? ハルトに殴られたせいで耳が遠くなっていました。


「いまなんと?」


「だから大銅貨3枚程度。これがこのパーティの全財産だ」


 私は開いた口が塞がりませんでした。

 大銅貨3枚って……宿に3日間泊まったらそれだけで無一文……。

 レアシウムどころの騒ぎではなく、普通に生きていくのもやっとのレベルじゃないですか。

 まさかここまで困窮していたとは。


「それって生きていくのすら厳しくないですか?」


「貧乏生活に変わりはないが、俺はアウトドアスキルをたくさん持ってるし食事には困らない。人間、食料さえあればどうにか生きていけるものさ」


 そんなハルトの言葉を受けて私は複雑な気持ちになりました。

 ハルトは先ほど「ギルドの登録料を除くと」と言いました。

 ギルドの登録料がどれくらいかかるのかわかりませんが、つまり、所持金の大半を私が使用する予定になっているということです。

 それに加えて、ハルトは私の装備一式を買ってくれるつもりでした。

 これは『魔女のローブ』の一件がありましたので結果としてお金はかかりませんでしたが、もし普通に装備を購入していたら大銅貨3枚も消えていたでしょう。


 ハルト一人なら問題なく生きていけたはずなのに、私のせいで強いられる無一文生活。

 それにもかかわらずハルトは私に嫌味の一つも言わず、ただただあっけらかんと笑っているのです。


 そんなハルトを見ていたら、私はこれ以上強く言うことはできませんでした。


 ただ、一つ残念なことはあります。


「それではレアシウムなんて夢のまた夢ですね……」


 これは決してハルトに嫌味を言いたくて言ったわけではありません。

 それくらいレアシウムを手に入れられないことの落胆が大きかったのです。


 実のところ、あの宝剣は少しばかり思い入れのある品だったのです。


 もちろん、剣はいつかは壊れるものだと思っていますし、決闘の最中で壊れたのですからハルトを責めるつもりは毛頭ありません。

 けれど……300年前のローブを新調できるのであれば、折れた剣も直るかもしれないと期待していたことは否めません。


 ですが、これはさすがにこの剣は諦めた方がよさそうですね。


 この剣を失うのはやはり寂しいですが、ここであんまり気を落としていると剣を壊した当人であり、お金を拠出することができなかったハルトが気にしてしまいます。

 だってハルトは底抜けに優しいのですから。


 そのため、私は努めて明るく笑顔を作りました。


「まあ、そういうことでしたら、これもいい機会ですので、今の剣はきっぱりと諦めて、手ごろな剣に新調してみようと思います。それの方が心機一転で楽しめそうですしね」


 しかし、私の笑顔がぎこちなかったのか、ハルトが感情の機微を読み取るのに長けているのか、私の言葉に首肯することはありませんでした。


 その代わりハルトは顎に手を当てて何かを思案しているようです。

 そして、しばしの逡巡の末、ハルトは何か名案を思い付いたようにニヤリと笑いました。


「ラフィーネは冒険者がどういうものか知ってるか?」


 ??

 冒険者がどういうものかって……いきなり意味がわかりません。


「今この場面でそれが何か関係あるんですか?」


 私は頭上に疑問符を浮かべながらハルトに問いかけます。

 するとハルトは人差し指をスラリと立てると、得意げに話し出しました。


「素材を買うにはお金がありませんでした。じゃあ諦めましょうか。…………それじゃあ冒険者じゃないんだよ。冒険者っていうのはな、素材が無ければ自分達で採りに行くものなんだ」


 私はハルトの言葉に思わず目を見開きます。


 た、確かに私はレアシウムを『買う』ことばかり考えて、『採る』なんて発想は全く頭にありませんでした。

 そうか……素材が必要なら自分達で採りに行けばいいんですね。


「でも、採りに行くって……そんなこと可能なのですか? 親父さんの話では鉱山でも現在は枯渇気味という話でしたが」


「俺の記憶ではここから程近い鉱山でレアシウムの採掘が行われていたはずだ。もちろん手間の方は取りつくされてしまってるかもしれないが、鉱山の奥底の方に行けばあるいは……」


「ほ、本当ですか!?」


 私は飛び上がるように返事をします。


「ああ、廃鉱になったという話も聞いたことがないし希望はあるかもしれない。とりあえずギルドに行って情報収集をするか。ギルドなら何か有益な情報を持っているかもしれない」


「ふわぁ」


 私は喜びのあまり呆けた声を上げます。


「だからあんまり暗い顔するなよ。せっかく装備も新調したんだからテンション上げていこうぜ」


 そう言ってハルトは私の背中をポンっと叩きます。


 どうやら私が落ち込んでいたのはバレバレだったみたいですね。

 今更ですが、私は嘘が苦手なのでした。


 でも、ハルトの励ましのおかげで希望が持てました。


 鉱山でレアシウムを採掘。

 そのレアシウムで私の剣も直る。

 自分で素材を採掘すれば実質無料で金策問題も解決する。


 うぅ~ん! まさに冒険者という感じでテンションが上がります!


「そうと決まれば冒険者ギルドにGOですね! 早く行きましょう! そうこうしている間に他の誰かにレアシウムを取られてしまうかもしれないです!」


 そう言って私は軽やかに走り出しました。

 そんな私をハルトが追います。


「バカ! 場所も知らないくせに急に走り出すな!」


 ああ、そうでした。

 私はくるりと向き直ると、下をペロっと出しました。


「レアシウムは逃げないから安心しろ」


 そう言って私の頭をポンポンとするハルト。


「// そうですね……。でも子供扱いするのはやめてください」


「いや、お前婆さんだろ」


「キィーーーーー!」

 .

 そうして、私はハルトの横に並ぶと、冒険者ギルドに向かって歩を進めたのでした。


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