第6話 図書館の遭遇

 美術館の最寄り駅で、解散になった。私の家の最寄り駅に行き、そこには、父親に車で迎えに来てもらった。その車の窓に当たる雨粒を、私はぼんやりと眺めていた。

 雨はいくらか弱まっていて、しとしとと降っていた。窓に当たる雨粒は、ぱらぱらと音を鳴らし、風を受けて、車が進む向きとは反対側に流れていった。相合傘からはみ出して、少し濡れた私の体は冷えていた。早く、暖かいお風呂に浸かりたかった。

 気を利かせた母親がお風呂を用意してくれていて、私は家に帰るなりすぐにお風呂に入った。首まですっぽりとお湯に浸かり、冷えた私の体がじわりじわりと温められた。

 私は、真っ白な天井を見上げていた。そして、私は物思いにふけっていた。私の、桜への気持ち。私にとって、桜は、どういう存在なのか。いくら考えても、答えは出せなかった。悶々とした気持ちを抱えたまま、私はお風呂を上がった。

 

 ※※※


 六月の上旬、日曜日。

「行ってきまーす」

 私は自転車に跨がり、図書館に向かって出発した。雨上がりの、快晴だった。降り注ぐ日差しが、強かった。夏が近づいているのを感じさせる蒸し暑さだった。まだ乾いていないアスファルトの道を、進んで行った。

 向かう途中、美術館に行ったあの雨の日のことを思い出していた。私の、本当の気持ちは何なのだろうと、あの日以降、ふと考えるようになった。まだ、私は分からなかった。

 図書館のある通りには、大きな木が並んでいた。木漏れ日が、優しかった。自転車を図書館の駐輪場に停めて、図書館の入口へと向かった。

 入口付近にある花壇には、紫陽花あじさいが咲いていた。紫陽花に付いている水滴が、太陽の光を反射して、紫陽花は鮮やかに輝いていた。

 図書館に入ると、静かな世界が待っていた。私はまず借りていた本をカウンターで返し、次はどんな本を読もうかと図書館をぶらぶらとさまよっていた。

 私は、このあてもなく図書館をぶらつく時間が好きだった。ただ、興味を引く本が現れるのを待つのだ。

 この間も、掴みどころない不安が、私の心で渦巻いていた。そんな不安から逃げるように、私は本を眺めていた。気になる本を手に取って、パラパラと読んでみて、戻したり、そのまま持っていったり、そんなふうにして、図書館をまわったあと、図書館にある椅子に座って、時間を忘れて本を読んでいた。

 気づけば、図書室の窓から見える景色は、オレンジ色に染まっていた。スマホを見ると、もう午後の五時になっていた。私はカウンターに行って、本を7冊ぐらい借りた。私は、とりあえず借りる時はたくさん借りるようにしていた。返す時に全然読んでない本があることも、よくあった。


 図書館から出ると、明るいオレンジ色の空が広がっていた。木の間から漏れる夕日の日差しが、眩しかった。その日、私はその夕焼け空を眺めて、涙が出そうになった。私は急いで空から目を逸らして、涙を引っ込めた。

 駐輪場に行き、自分の自転車を見つけ、鍵を開けた。スタンドを蹴り上げ、自転車を引いた。駐輪場から出ようとすると、右側から人がやってきて、思わず、その人と目が合った。天川君だった。

 私は、突然現れた天川君に対して、感情がまとまらなかった。私は何事も無かったかのようにこのまま行こうと思ったが、天川君が話しかけてきた。

「雪枝さん…だよね」

 私は驚いて、ピタッと、止まった。なぜ、話しかけてくるのか分からなかった。

「…うん」

「大丈夫?」

「え、どうして?」

「いや、その、すごい泣きそうな顔してたから…」

 私ははっとして、慌てて溜まっていた涙を袖で拭いた。引っ込めたつもりの涙が、いつのまにか、溢れていた。こんなところを見られて、気を遣わせた自分が恥ずかしかった。顔が、燃えるように熱かった。

「…うん、まぁ、大丈夫」

「……そうか」

 私を見る目が、優しかった。桜も天川君も、優しかった。

 天川君には、私のような人を放っておけない優しさがあった。その優しさが、刺さって、刺さって、痛かった。みんなが優しくする度に、私の情けなさがあらわになるのが、苦しくて、恥ずかしかった。

 気まずい空気を断ち切るように、天川君は話し出した。

「僕もさ、ちょうど図書館行ったところなんだ。サッカー部、午前で終わったから」

「あ、天川君って、本読むんだ…。意外、かも」

「学校ではあんまり読まないからね。家ではよく読んでるんだよ」

「どんなの、読むの?」

「今日借りたのは…仮面の告白ってやつ、三島由紀夫の」

「あぁ、なるほど…」

「それでさ、雪枝さんって、本好きだよね」

「うん」

「サッカー部だと、周りに本好きな人とかいなくて。だから、その、LINEとか、追加していい?」

「もちろん」

「ありがとう。良かったら、おすすめの本とか教えて欲しい。雪枝さん、いい本知ってそうだから」

「うん、分かった。じゃあ、また明日」

「おう、また明日」


 自転車を、一心不乱に漕いだ。坂を、下っていった。温かい風を、全身に浴びていた。鮮やかな夕焼け空を背景に、真っ黒なカラスが羽ばたいていた。カラスの鳴き声が、澄んだ空に響いていた。悶々とした気持ちは、少し、和らいだ。




 

 

 

 

 

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