第4話 不安の体育祭
美術部の活動が始まって数日が経ち、四月の下旬に差し掛かっていた。桜は花を散らし切り、みずみずしい若緑の葉桜へと姿を変えていた。肌寒さは感じられなくなり、春らしい朗らかな陽気になっていた。満開の桜並木の写真を見て描いている私の絵は、鉛筆の下書きを終えたところだった。
もう五月の上旬にある体育祭の日が近づいていた。その日の六時間目のLHRでは、出場する種目を決めていた。私は、綱引きに立候補した。人が多くて目立たず、運動が苦手な私は他の種目よりも迷惑はかけないだろうと思ったからだ。
桜は、運動が得意だった。足が速い桜は、4×100mリレーに立候補していた。高校の体育祭は、中学校とは違って、大縄とか、台風の目とか、長い時間の練習を必要とするものはなかった。体育祭の練習は、体育の時間にやる練習だけだった。
※※※
あっという間に、体育祭の日がやってきた。学校のジャージ着て、いつものように河川敷を歩いて登校していた。
その日は雲ひとつない快晴で、清々しい気持ちだった。そんな空の下で、葉桜の桜並木、道の脇の雑草、清らかに流れる川は、鮮やかだった。
自分が出る種目は、綱引きとクラス対抗リレーの二つだけだったので、運動が苦手な私でもそれほど憂鬱な気分ではなかった。どちらかというと、今日は授業がなくてのんびりできるという喜びの方が勝っていた。私は、柄にもなく少し浮かれていた。
アスファルトの道に出ると、同じ学校の人がたくさん登校していた。その人たちも、浮かれているようだった。その時の私は、周りに馴染んでいるような気がした。
教室でHRをして、体育祭について色々確認し、自分の椅子を校庭に持っていくことになっていたので、まずは教室に向かった。
教室に入ると、桜は他の友達と楽しそうに話していた。桜は、人見知りだけれど、誰とでも打ち解けるような明るさや人の良さがあったので、当たり前と言えば当たり前だった。
しかし、他の友達と話す桜を見ながら、一人寂しく席に着く私は、
HRが終わり、椅子を持つと、桜が椅子を持って私のところに来た。
「今日、晴れて良かったね」
「うん」
無意識に、素っ気ない返事をした。私と桜は椅子を運びながら話し続けた。
「千雪は緊張とかしてる?」
「うーん…あんまりしてないなぁ」
「私はちょっとしてる。リレーのバトン落としたらどうしようと思って」
「言われてみたら、私もなんか緊張してきた…」
「あ、ごめんごめん」
と、桜は微笑んだ。そんな桜を見たら、教室に入ったときに感じた寂しさが、どうでもよくなった。そして、最初素っ気ない返事をしたことが、子供じみてたことに気づいて、急に恥ずかしくなった。
階段になると、椅子を運ぶのは一苦労だった。体力のない私には、辛い作業だった。
「体育祭やる前に疲れちゃうよ…」
「それは困るな。千雪はもっと体力つけなきゃ」
と、桜は笑っていた。階段で椅子を運んでいても、桜はあまり辛そうではなかった。
「そうだけど…逆に文化部なのに体力のある桜が私には不思議だよ」
「私、実は自分で走ったりするんだよ」
「…さすがだね」
「千雪も一緒に走る?」
「うーん、やめとく…」
「そう言うと思ったよ」
「…お見通しだったか」
私は思わず笑ってしまった。お互いのことが、だんだんと分かってきていて、心地よかった。
校庭に出て、私と桜は自分のクラスの場所に二人並んで椅子を置いた。それから、体育祭の開会式が始まるまで喋っていた。
「桜は風紀委員の仕事もあるから大変だね」
「ほんとだよ…。千雪はのんびりできて羨ましいよ」
「今日は、私も私が羨ましい」
「変なの…仕事を一つぐらい代わって欲しいなぁ」
そうは言っても、桜は決して自分の仕事を人に押し付けたりせず、やり抜くことが私には分かっていた。
「先生に怒られちゃうよ」
「たしかに…」
喋っている時間が、何よりも楽しくて、私はこんな時間がずっと続けばいいのにと思っていた。開会式を始めるという放送で、私と桜は立ち上がった。
開会式が終わり、体育祭が始まった。午前の部で私が出る種目は綱引きだけだった。桜以外に話し相手がいない私は、ぼんやりと体育祭を眺めていた。全力で取り組む、情熱的な人達が、私には眩しかった。「あれが、青春か」などと思ったりした。
「綱引きに出る生徒は入場門に集まってください」
という放送で私ははっとして、入場門へと駆け足で行った。少し待った後、入場門から先導する生徒について行き、綱引きの場所へと行った。綱引きは大勢の人でやるため、私はあまり緊張しなかった。大きな縄にしがみつくと、中央にいる先生がピストルを上に向けた。
「パンッ」
と銃声が鳴り響き、綱引きは始まった。すると、すぐに相手にぐいっと引かれて、私達はあっさりと負けた。
その後、自分の席に戻った私は、風紀委員の仕事をする桜を、何となく目で追っていた。風紀委員は、体育祭で使う道具や備品を運ぶ仕事をしていた。桜は、せっせと備品を運び、頑張っていた。
その時だった。備品を運び終えた桜が、ある男子生徒と楽しそうに話している姿が目に入った。その男子生徒は、私と同じクラスで桜と同じ風紀委員の「
その光景を見て、私の心がざわっとした。心臓を、そっと撫でられたような、寒気がした。私は、自分の気持ちの正体が分からなかった。友達が取られる気がする不安、天川夏樹への嫉妬。なぜ、こんな気持ちになったのか、私はよく分からなかった。私は、この時から掴みどころのない不安を抱えていた。
<第一章完>
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