第3話 美術部の始まり
仮入部の日以降、私と桜は、昼食と下校を共にしていた。他の部活の仮入部も二人で行ってみたが、二人とも気が乗るような部活はなかった。
休み時間や放課後にたわいもない会話をしてたり、家に帰ってからLINEで話しているうちに、自然と仲は深まっていった。高校という新しい環境への不安も、次第に薄らいでいた。
桜はしっかりしていて、真面目だった。授業では積極的に手を挙げて発言し、予習を欠かさなかった。そして、風紀委員会に立候補した。教室で、みんなの前に立って話す時も堂々としていて凛々しかった。その姿は、とてもかっこよかった。その反面、ちょっと天然なところもあった。そのギャップが、可愛らしくて、愛しかった。
桜は、ただひたすらに、悲しいぐらいに真っ直ぐだった。決して嘘はつかず、取り繕ったことは言わない。嫌なものは嫌と言い、好きなものは好きと言う。眩しいほど綺麗で、純粋だった。私は、そんな春川桜という人間に、ますます惹かれていった。
仮入部の日から1週間が過ぎ、ついに部活が始まる日になった。入部届は、前日のHRで担任の平田先生に提出した。
私は、桜と一緒に美術室に向かっていた。少し緊張していたが、仮入部の様子が中学の美術部とあまり変わらなかったため、大きな不安はなかった。美術室に入ると、もう既にほんとんどの人が来ているようだった。
机は縦に六列あり、学年ごとに二列で座っていた。左から三年生、二年生、一年生の順だった。私と桜は右二列の一番後ろの席に座った。それより前の席はもう全て埋まっていた。私が一番右側に座り、桜はその左の席に座った。
右の壁には窓が並んでいて、その下には腰の高さぐらいの棚が並んでいた。その棚の上には、この学校の生徒の立体作品がずらりと飾ってあった。
三年生と二年生は楽しそうに話していて、私達一年生の間には小さな話し声が時折聞こえる程度だった。
黒板の前には、美術の先生と、眼鏡をかけた女子生徒が立っていた。美術の先生は、若い女の先生で、綺麗な黒髪ロングのストレートだった。先生は、教室の様子を伺い、腕時計をみて「はい、始めますよー」と声をかけた。教室の話し声は、だんだんと静かになった。
「みなさん、こんにちは。美術部の顧問の西島です。今日から一年生が本入部となります。一年生は十人入ってくれました。活動の予定表は後日配ります。仮入部の際に聞いていると思いますが、改めて活動について話そうと思います。水曜以外の平日が活動日で、土日は基本休みですが、たまに美術館にみんなでいったりします。えー、そして、一年生皆さんにこれからやって頂くのは水彩画です。好きな風景を書いてもらいます。明日までに写真を印刷して持ってきてください。とりあえず、私からは以上です」
と言って、一歩下がると、眼鏡をかけた女子生徒が前に出た。
「一年生のみなさんっ、はじめまして。部長の松井です。これから部員全員で自己紹介をしてもらおうと思います。クラスと名前、なにか好きな事とかものを言ってください」
私は動揺した。私は、自己紹介があるであろうことを完全に失念していたのだ。自己紹介が苦手な私は、事前に心の準備が必要だった。その一方で、桜はあまり動じていないようだった。
「とりあえず、部長の私から。私は3年4組の『松井かんな』です。えっと、好きなものは漫画です。よろしくお願いします。じゃあ、三年生から順番にお願いします」
そうして、最初の人がその場で立ち、自己紹介が始まった。私は一番右側で一番後ろの席だったため、順番は最後だった。最後だと妙に注目が集まるのが、クラスの自己紹介で分かっていたので、憂鬱だった。他の人が自己紹介をしている間に、好きなものはなんと言おうかと考えをめぐらせていた。「まぁ、無難に読書かな…」と思った。
そうしているうちに、二年生は終わり、一年生のところまで来ていた。次々と、自己紹介は進んでいく。そして、桜の番が来た。
「一年一組の春川桜です。猫が好きです。よろしくお願いします」
緊張する様子もなく、桜は堂々としていた。私はそんな桜に憧れていた。
そして、右の列の一番前の人に順番は移った。次第に私の番に近づいてくる。私は緊張して落ち着かなかった。すると、桜が横から
「頑張って」
と小さく声をかけてくれた。私は、桜の目を見てうなづいた。少し、勇気が貰えた。そして、自分の番になった。
私は、立ち上がった。周囲の意識は、一斉にこちらに向けられる。しかし、この時の私は、うろたえなかった。
「一年一組の雪枝千雪です。好きなことは読書です。よろしくお願いします」
声を震わせることなく、しっかりと言うことが出来た。席に座ると、桜がこちらを見て微笑んでいた。私も自然と、笑みがこぼれた。
自己紹介を終えると、西島先生は
「二、三年生は作品の制作に取りかかってください。一年生はどんな風景を描くか考えてください。あとは自由にしてもらってかまいません」
とだけ言って、美術室とつながっている、美術準備室に入っていった。二、三年生はガチャガチャと準備を始め、一年生はひそひそと話し始めた。
私は、桜に聞いてみた。
「桜はどんなのにしようと思う?」
「うーん…どうしよっかなぁ。滝とか、書いてみたいかも」
「おぉ、滝かぁ。水しぶきとか、少し大変かもね」
「たしかに…。千雪は?」
「私は…川の桜にしようと思う」
私は、言った直後に、はっとした。仮入部の日の夕方、桜並木の下で、桜の木を見上げる桜の姿が、浮かんできた。
恐る恐る、桜の様子を伺ったが、桜は嫌な表情を浮かべていなかった。むしろ、いつも通り、優しく微笑んでいた。
「桜かぁ…。千雪は、桜が好きなの?」
「うん。私は、桜が好き」
目の前にいる桜に言っているような感じがして、妙に恥ずかしがった。その恥ずかしさは、私がこの時までに経験していたはずかしさとは、どこか間違ったものだった。この時は、分かっていなかったけれど、私は少しずつ桜を意識していたのだ。
「私はね、桜が嫌いって言ったけど、なんていうか、桜そのものが嫌いってわけじゃないんだ。好きだからこそ、私が名前負けしてるような感じがして…それが嫌なの。ごめんね、なんか変な話して」
「全然。私も、似たようなもんだし」
「そういえば、そうだったね」
と、桜は笑った。その時の笑顔は、満開の桜のように優しくて、美しくて、私をそっと抱擁するようであった。私も釣られて、笑っていた。桜の笑顔は、淀んだ空気を一気に澄ませてしまうようなものだった。
部活帰りの電車に揺られながら、夕方から夜へと移りゆく街の景色を眺めていた。透き通るような灰色の空が広がっていた。
私は電車に乗るときいつも立っていた。これもまた、私の臆病さによるものだった。席に座るとき、隣の人が嫌に思うのではないかと思うと、私は席に座ることが出来なかったのだ。
突然、「ブー」とポケットの中のスマホが震えた。通知を見ると、桜からのLINEだった。私は、すぐにはLINEは返さなかった。すぐに返信すると、相手にも早い返信を求めているような感じになってしまうのではないかと思ったからだ。
五分ぐらい経った後、私は返信をした。こんなふうに、ゆったりと、私は桜と毎日LINEをしていた。いつも、LINEの通知でスマホが震える音を、何となく待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます