第2話 案内人と3人目の住人

「案内人の案内人っ♪」

駅長・ハンスから役目を命じられた青年はスキップしながら駅舎の奥へと進んでいく。そういえば、ここの照明は電気ではない。壁には等間隔でランプが備わっている。一体、いつの時代の建物なのだろう。

「ユータ! ちゃんとついてきて!」

足を止めていた勇太を咎める声。そこで、彼の名前を聞きそびれていたことを思い出した。駅長と異なり、外見はどこからどう見ても日本人。成人するかしないか……というくらいの年齢に見える。言動はやけに幼いが。

「えっと、君の名前は?」

「ちび!」

速答された、期待していたものを違う答えを。

「えっと、あだ名とかじゃなくてさ。あるよね、名前」

「ん~?」

顎に手を当てて、不思議そうに首を傾げる。

「その子に聞いても無駄よ」

突然響く凛とした女性の声。

「あんたが新人?」

ドッド柄のロング丈のワンピースに、黒髪のボブカット。赤いルージュが目を惹く美しい女性だった。勇太より年下に思えるが、どこか迫力がある。

彼女は勇太を見上げて、じっと顔を見た。

「ふ~ん。あなた、今日が何年だか覚えてる?」

突然の質問に戸惑いつつも勇太は口を開く。

「えっと、にせん……」

舌が固まったように次の言葉が出てこない。違和感に混乱していると、頭に浮かんでいたはずの西暦が霧散していく。

「こりゃダメね」と女性は肩を竦めた。

そして改めて勇太を見据える。

「あたしの名前は秋山キヨ。で、さっきからご機嫌なデカいのがちび。私は『ちぃ』って呼んでるわ」

とてつもなく矛盾した日本語を聞いた気がする。

「えっと、ちびって……?」

「ぼくのことだよ!」と嬉しそうな声。

「ちぃは自分の名前を忘れてるの。正確には、『ちび』って呼ばれていた記憶だけがかろうじて残っていた。見た目はこんなんだけど、中身は5歳くらいで止まってる」

自分のことを話題にされるのが嬉しいのか「えへへ」と無邪気な笑みを浮かべている。

にわかには信じがたいことだが、状況が状況だ。

「よろしくね、ちぃ」と勇太が手を出すと、ちぃはにっこりと笑った。

「よろしくね、ユータ!」

そう言って、ちぃは握った手をぶんぶんと縦に振る。

「あたしはこれからユータの案内があるの。ちぃはモモにお水をあげてくれる?」とキヨが言うと、ちぃは「はーい!」と駆けていった。

「えっと……慣れてるんですね。その、扱いに」

「まぁね。一緒にいれば嫌でも慣れるわ」

その口調にどこか圧を感じて、勇太はそれ以上話題を続けるのを止めた。

「さて、うるさいのがいなくなったところで、改めて案内するわ。ついてきて」

キヨを姿勢正しく、歩き出した。


「あの、キヨさんはいつからここに……!?」

彼女は意志の強そうな眉をぴくりと上げた。

「そんなの、あたしが知りたいわよ」

機嫌が悪そうだ。初対面の勇太にはわからないが、もしかしたらこれが彼女の平常運転なのかもしれない。

「でもあんたが日本人でよかった。あたし、異人さんは嫌いだから」

「異人って……外国人ですか!?」

キヨは大袈裟に溜め息を吐いた。

「あんたはさっきからビックリしてばっかりね。……ま、それもそうか」

何やら思案する様子を見せたあと、キヨは淡々と語りだした。

「ここは忘れ物の終着駅。世界のあらゆるところから、忘れ物が集う場所。稀にあたし達みたいに人間が紛れ込むこともある。でも世界から隔離されたここでは常識は通用しない。不思議に思わなかった? 駅長の日本語」

そう言われて、勇太ははっとした。

日本人離れした金髪碧眼の白皙の美貌。ハンス・シュミットという名前。

だが、彼はすらすらと日本の言葉を話していた。

「駅長の言葉が日本語に聞こえるのはあんたが日本人だから。同じように英国人には英語で聞こえるらしいわ」

「ここにはイギリスの人もいるんですか?」

「そ。なぜかはわからないけれど、言葉が違っても会話が出来る。この不思議な場所ではね。あたしは仲良くないけど、仕方ないから紹介だけしてあげるわ」

キヨはずんずんと歩みを進めていく。

気が付かなかったが、いつの間にか床は石畳から赤い絨毯へと変わっていた。どのくらい歩いていたのか、時間の感覚も方向感覚も失われている。

「キヨさん。僕はここの間取りを覚えられる自信がないんですが……」

「別に覚える必要はないわよ。『どこどこに行きたい』って念じて歩いていれば、そのうち着くから」

改めて常識離れした世界に絶句していると、キヨは「ほら着いた」と呟いた。

いつの間にか勇太とキヨは列車の車両の先頭にいた。古い映画にでも出てきそうな豪奢な食堂車だ。

「グレイス」とキヨが声を張る。視線の先には、灰色の髪をした老女が座っていた。

「グレイス!」

つかつかと歩み寄り、先ほどより大きな声を張ると、ようやくキヨの存在に気が付いたようだ。皺だらけの顔に笑みを浮かべる。

「どうしたのキヨ? 貴女から声を掛けてくれるなんて嬉しいわ」

「新入りの案内を頼まれただけよ。ほら、こっち来なさい」

キヨに呼ばれて、勇太は慌てて隣に立った。

「ほら、あんたは名前あるんでしょ」と言われ、自己紹介を促されているのだとわかった。

「はじめまして、谷村勇太です」

そう言った後、老女の青い目を見て「ユウタ、タニムラです」と思わず言い直した。

「ふふふ」と笑って「そのままの話し方で構わないのよ。ここは不思議な場所だから。ユウタの言葉はちゃんと聞こえるわ」と老女は言う。

「私はグレイス。グレイス・テイラーよ。ちょっと耳が遠いけど、おしゃべりは大好き」

「グレイスさん、よろしくお願いします」と勇太は頭を下げた。

そして彼女の手元にある毛糸と編み棒に気が付いた。

勇太と視線を合わせたグレイスは、編んでいたマフラーを見せてくれた。

「このマフラーは、少し前にここに辿り着いたものなの。でもほら、こんなにほつれてしまって可哀そうでしょう? だからこうして直しているの」

「器用なんですね」

「そうね。大切なことは忘れてしまったけれど、こんな風に編み物なんかは体が覚えているものね」と、少し寂しそうに笑った。

何も言葉を掛けられず勇太が黙り込んでいると、しんみりした空気を払拭するかのようにキヨがテーブルを指で叩いた。

「ちなみにここが『食堂』よ。朝は6時、昼は12時、夜は7時。どこからともなく食事が用意されてワゴンに並ぶから、一人前食べること。ちなみに30分遅刻すると料理は消えるから」

信じられないことだが、この場所では有りなくもない……と勇太は思い始めてきた。

「えっと時間って」

「どこにいても柱時計の鐘が聞こえる。あぁ、もしかしたら今まで聞こえてなかった? でも今から聞こえるようになるはずよ」

「そっか、ありがとう」

「じゃあ次に行くわよ」

キヨは出口に足を向ける。

「あぁキヨ。よかったからまた来てちょうだい」というグレイスの声を無視して。

グレイスは困ったような笑みを浮かべた後、勇太の手を取った。

「ユウタ、貴方もまたおしゃべりしましょうね。なんだか貴方と話していると何か思い出せそうなの」

優しさのこもる眼差しに、勇太は深く頷いた。


◆ ◆ ◆


それから、キヨは順々に施設を案内してくれた。

どうやらここは、駅に隣接したクラリカルなホテルをベースとしているようだ。ただ、ところどころに列車に要素が交ざっている。どれほどの広さがあるのかわからない。

洗面室、寝室、衣服を置いておくと翌日には綺麗に洗濯されてたたまれているという不可思議なリネン室もあった。それらの場所への辿り着き方は、他と同様に"念じること"で辿りつくことが出来た。

「ざっとこんな感じ。今日は夕食を食べたらゆっくりしなさい」とキヨに言われる。

途端に空腹感が襲ったきた。

ぐるる……と腹の虫が鳴ったので、勇太は思わずお腹をお腹を押さえた。同時に鐘の音が響いた。

「じゃ、今度はアンタが扉を開いてごらん」

キヨに促されて、勇太はごくりと唾を呑んだ。

(食堂に行きたい。食堂に、行きたい)

強く念じると、目のまえに扉が現れた。おそるおそる扉を開く。

──綺麗にアイロンにかけられたテーブルクロス。

「あ、ユータ! こっち来て~」

グレイスの隣に座るちぃは、ぶんぶんと手を振る。

サービスワゴンにはトレイに載せられた食事に透明な炭酸水。

少し悩んだあと、トレイを取って彼の斜め前に座った。

ちなみにキヨはなに食わ顔で、隅に陣どって黙々と食べ始めた。

「ちゃんとお手々を合わせていただきますするんだよ?」とちぃは目を輝かせる。今日の献立はビーフシチューとクロワッサンだ。ご丁寧にサクランボの乗ったプディングがデザートについている。

すっかり時間感覚が狂ってしまったのだが、夜……なのだろうか?

ちぃは「お手々を合わせて~」と言ってグレイスと勇太の顔を見る。倣って勇太も手を合わせた。

「「「頂きます」」」

3人の声が揃った。


時折スプーンと食器の擦れる音がするだけの空間に、ゆっくりと扉を開いて現れたのは駅長とモモだった。

キヨが「おいで」と声を掛けると、賢い犬は彼女に寄っていき、伏せをした。

駅長は辺りを見回して、勇太を見て視線を止めた。

「明日から仕事を手伝ってもらおう」

突然のことにオウム返しするのが精一杯だった。

「起床は5時半。労働は8時から16時まで。途中で1時間の休憩を取ること」

駅長の声を聞くと無意識に背筋が伸びてしまうのは、何故だろうか。

「キヨ」

突然話の矛先を向けられた彼女は気だるげに「なによ」と答えた。

「今日に続いて彼の面倒を見てくれ」

キヨは天井を仰いでから、大袈裟な溜め息を吐いた。

「わかったわよ、どうせ他に誰もいないんだから」

「あの、仕事って……」

「ここの住人の役目よ。仕事をしているうちに帰る手がかりを見つける人もいる」

「元の世界に戻れるんですか!?」

勇太は思わず大きな声をあげてしまった。モモが不思議そうにこちらを見上げる。

キヨは舌打ちをして「……ここでする話でもないわ」と低い声で言った。


◆ ◆ ◆


夕食後、彼女に連れられて薄暗い廊下を歩いていた。

「『寝室に行きたい』と強く願って」

そう言われて、勇太は意識を集中させる。すると目の前には、先ほどまでなかった扉が現れた。

「アンタの部屋よ。アンタから入りなさい」

促されて扉を開ける。そこは高級な寝台列車のような部屋だった。

「いい部屋じゃない」とキヨは鼻を鳴らした。

「そう……なのかな?」

綺麗にベッドメイキングされた寝床を見ると、途端に疲労感が押し寄せてきた。よろよろと腰かける。

キヨは小さな机の前にある椅子に腰掛けた。

「さっきの話。ここにいる人たちの事情は様々だからあまり大きな声で言いたくなかったの。でもアンタに教えないのも不誠実だから、説明だけしておくわ」

そう言って、小さく息を吐いたあとにキヨは語りだした。

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