忘却の終着駅

@kamame893

第1話 終着駅と奇妙な駅長

谷村勇太、24才。

新卒で入社した会社の業務にようやく慣れてきた……一方で、なかなかに負担の重い仕事を任されつつある。

最近はもっぱら終電帰りだ。

いつもは混雑する路線だが、この日は幸い空席を見つけて座ることが出来た。乗り換えまでは約30分。途端に睡魔が襲ってくる。

(少しだけ)と自分に言い聞かせて勇太は目を閉じた。


ガダン!という大きな揺れで勇太は飛び起きた。(人身事故か!?)というのが、真っ先に頭を過ったが、それにしては奇妙だ。

車内に、誰もいないのである。

遅延のアナウンスが流れる気配もなく、照明は絞られて辺りは薄暗い。隣の車両に行ってみたが、そちらにも、その奥にも人影はなかった。

おそるおそる、窓を開けてみる。

──そこには見たこともない景色が広がっていた。

まるで何かのアニメーション映画で見たような、煌めきを纏った薄紫色の空。

線路を挟んだ隣にはやけにレトロな汽車が停まっている。

遠くにはバスターミナルのような場所が見える。街でよく見る車両から、昭和の象徴のような古ぼけたバス、海外のドラマでしか見たことのない2階建てのバスまで揃う、異様な光景だ。

乗り過ごして、どこかの車庫まで来てしまったのだろうか?

とにかく事態を把握すべく、スーツのポケットに手を入れるが、そこにあるはずのスマートフォンがない。持っていたはずのビジネスバッグも。

勇太は、ようやく自分がとんでもない事件に巻き込まれていると自覚し、唾を飲んだ。


──と、その時。

「あれ~お兄さん、にんげん?」

隣の車両のドアが開き、やけに能天気な声が響く。

声の主は大学生くらいだろうか? スポーツでもやっているのか、がっしりした体型をしている。しかし垂れ目で人懐っこい笑みを浮かべ、のんびりと話す様子がどうにもアンバランスである。

「駅長のところに案内したげるから一緒に行こ?」

ひょいと距離を詰めて来た彼は「はい」と手を差し出してくる。反応に困り顔色を窺うと「迷子になったら大変なんだからね! ちゃんとお手々握って!」と頬を膨らませた。


この状況で頼れる人は目の前の彼だけだ。

勇太はしぶしぶ彼の手を取った。


◆ ◆ ◆


電車を降りて、どれほど歩かされただろうか。

時間のわからない空のせいで、感覚はあやふやになっていく。

気が付くと、目の前にはレンガ造りの大きな建物があった。

ここまで勇太を連れてきてくれた青年は臆することなく大きな扉を開けて、声を張る。

「えきちょー! 人、交ざってたよ~」

広々とした空間には執務机がひとつ。

駅長なる人物は書類に走らせていたペンを止めて、こちらを見た。

「……ほう。男か」

低い声なのに不思議と聞き取りやすい。

深緑色の帽子はところどころ金で縁取られていて、同色のジャケットに臙脂色のネクタイ。それは勇太が知っているどの路線の駅員の制服とも異なる。

駅長は足音もなくこちらに歩み寄り、勇太の胸ポケットにひょいと手を伸ばした。

「●●商事 営業3課 谷村勇太……」

社員証を読み上げてから、まるで興味のなさそうに勇太にそれを押し付けた。

「お前、これ以外の情報を思い出せるか? 住所、恋人、趣味……好きな食べ物でもなんでもいい」

「……!」

そう問われて勇太は固まった。

何一つ、答えられないのだ。

その様子を見て、駅長は深々と溜め息を吐いた。

「お前は電車のなかに傘を忘れたことはあるか?」

「?」

「傘じゃなくてもいい。買ったばかりの買い物袋を喫茶店に忘れたり、既に持っている漫画を2冊買ってしまったり……」

思い当たることもある。誰にでもある失敗だろう。

「ここは、そういった"誰かに忘れられたもの"が集う終着駅だ」

「えっと、つまり…?」

「お前の大切な人が、お前のことを忘れてしまったんだろうよ」

駅長は淡々と告げた。

勇太は成人男性として平均的な体格だが、こうして相対すると彼は随分と華奢に見えた。

困惑する勇太を見て駅長は顔を顰める。帽子を取り、苛立ちを露わに髪を掻き上げた。それは少し癖のかかった白金色で、その時はじめて勇太は彼の瞳がエメラルドのような緑色であることに気が付いた。

今さらながら白皙の美貌に息を呑む。

沈黙を破ったのは、それまで黙っていた青年だった。一回り大きな体で駅長に突然抱きつく。

「ねーねー! しばらくここに置いてあげようよ? 俺、このお兄ちゃんと遊びだい!」

駅長は帽子を被り直し、少し考える様子を見せてから息を吐いた。

「まぁ、そうするしかないか……」

そんなやり取りをしていると、執務机の陰から一匹の老犬が現れた。

視力が落ちているのか、狸のように鼻を地面に向けてゆっくりとこちらに近づいてくる。

やがて勇太の足の匂いを嗅いだ後に、悲しそうに尻尾を垂らして「くうん」と鳴いた。

駅長はしゃがみ込んで、白い手袋越しに老犬の頭を撫でる。

「残念ながらお前の飼い主ではないようだな」

「あの、その犬は?」

勇太が訊ねると、老犬は顔を上げる。赤い首輪には「MOMO」と刻印が見えた。

「この子も“忘れ物”だ。飼い主が迎えに来るのを待っている」

駅長はモモの頭をもうひと撫でしてから、口を開いた。

「ここでの生活については案内人を紹介する。わからないことがあれば彼女に聞いてくれ」

そう言って踵を帰そうとする後ろ姿を、勇太は思わず呼び止めていた。

「駅長……さんは本名じゃないですよね!? せめて名前を教えてください!」

彼は驚いたように目を見開いたあと、皮肉げに口許を歪めて言った。


「ハンス・シュミット。それが私の名前だ」

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