Lost.2 冬空色のノート

2-1 穏やかな時間

 静かな部屋に一人佇む、目を閉じた冬の空のような色の髪をした少年。目の前には文字が沢山綴られた、少年の髪と同じ色をした表紙のノート。彼がパチリと目を開くと、瞼の下から現れたのは柔らかなココア色の瞳。少年はすぅ、と息を吸うと少し小さめの声で歌い始めた。


「−−−僕の、声がーーいつーか、誰かにー届くよう、にーー…」


 美しいボーイソプラノを、部屋の中だけに響かせる少年の名はシャント・ムーシック。彼は、歌うことが大好きだった。彼の生まれた家…ムーシック家は優れた演奏者を代々輩出している家系であり、シャント自身もそうなることを期待されているのだけれども。


「この、歌はーー僕を証明、するーーー…」


 高名なバイオリン奏者であるディリト・ムーシックを父に持ち、兄のリュートも若くして名を知られ今も活躍を続けている。長姉のプリュレは国教会に仕える奏巫女かなでみこの次期筆頭候補。次姉のセレナも人気のハープ奏者として以前は活動していた。どこからどう見てもムーシック家は演奏者の家系であり、その末子のシャントも十五歳にして一流と呼ばれる演奏技術を身につけている。しかし。


「…歌うって、やっぱり楽しいなぁ」


 ほぅ、と歌い終えたシャントはつぶやく。例え演奏がうまくとも、ムーシック家の子であっても。シャントが魅入られたのは、歌うことただ一つだった。


「いつか、演奏者としてじゃなくて…」


 そう、シャントが叶うかも分からない夢を口に出そうとした時。


「シャント、入っても良いかしら?」


 部屋の外から、セレナがシャントに声を掛けた。その声を聞いて、シャントは慌てて机の上にあったノートを本棚の奥に隠した。そして、待っているセレナに入室の許可を出す。


「大丈夫だよ、セレナ姉さん」

「ありがとう、入らせてもらうわね。…と、そうだわシャント」


 部屋に入ってしっかりと扉を閉じたセレナは、こっちに来てとシャントを手招く。何だろうとシャントが彼女に近づくと、耳元でそっと囁かれた。


「…あのね、シャント。自分の部屋で歌うなら、もう少し声を抑えた方がいいわ。隣の私の部屋にも聞こえていたから」

「聞こえてたんだ…あれでも小さめに歌ってるんだけどな?」


 かくりと肩を落とすシャントに、苦笑いをしながら言葉を返すセレナ。


「うーん…シャント、元々通りやすい声をしているからどうしてもね…。でも、気をつけないとだめよ?今日はお父様たち皆出掛けてらっしゃるからよかったけれど」

「はぁい。ありがとう姉さん…」


 ここまでの会話から分かる通り、セレナはシャントの理解者だ。また、この家で唯一シャントが先程言いかけた夢を知っている人物でもある。


「私は、シャントなら歌手にだってなれると思うのだけど…。お父様たちはみんな、演奏者になることをシャントに望んでいるものね…」


 あんなに綺麗な歌声なのに、と嘆くセレナを見て、シャントは胸が温かくなるのを感じた。


「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。皆聴いてすらくれないから」

「聴いたら分かってくれないかしらね…。お父様あたりは無理そうだけれど」

「確かに」


 くすくす、と笑いを抑えつつソファに座って話し出す二人。姉と弟の時間は穏やかに過ぎていくのだった。

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