七合目 ササの決意と巧の想い
『カンパーイ!』
開始の号令とともに、会場はけたたましいほどの笑い声が響く。
ササが帰ってきた翌日、巧は朝陽と伊之助に報告すると早速、サークル「カンパイ!」の初イベントを開催しようと言ってくれた。
急な呼びかけだったが、伊之助が主導に計画し、巧や朝陽も知り合いを誘ったおかげで、五十人弱の人数が集まってくれていた。
初対面同士の人間も少なくない。ササを知っている人はほとんどいないだろう。けれど、理由なんていらない。ただ、楽しくお酒を飲むというコンセプトに共感してくれた。
このサークルの本来の目的は日本酒の良さを知ってもらい、消費量を上げるということになっている。けれど、みんなに楽しい場を提供することもササは望んでいるはずだ。
「ササさんもどうですか?」
ササに日本酒を勧められた男子学生は水を飲んでいるササにもお返しとばかりにグラスを渡す。
「いいんですか?」
やんわりと、上手い具合に断ると思っていた巧は、嬉しそうな表情でグラスを受け取るササに思わず口に含んだ飲み物を吹き出しそうになった。
「お、おい。そいつはまったくというほど酒飲めないから飲ますんじゃない」
慌てて巧が声をかけると、男子学生は「そうなの?」と少しだけ、ほんの少しだけ物悲しそうな表情を浮かべた。
「少しくらいなら大丈夫ですよ」
男子学生の表情が酒宴の席ででるのがやるせないのか、ササは巧を無視してグラスを傾ける。
「おい、ほんとに大丈夫なのか?」
巧は小声で聞いた。
「前は現世に来て初めてだったので少し油断しただけです。私以外のお酒でも意識すれば多少はいける……はずです」
「無理するなっていったのはお前だろ」
「お酒の精霊がお酒に弱いのはどうなんだって言ったのはあなたです。それに私はお酒を体内に入れても大丈夫な体質ではあるので、そこは心配いりません」
体質が大丈夫でも、酔い方が問題なのだが、意固地になるササを見て巧はもう好きにさせようと思った。
「では、いただきます」
ササは受け取ったお酒をおいしそうに飲む。
「う~ん、やっぱり上撰クラスのお酒になるとおいしいですね。このくらいのモノはどんな時でも飲めるようにしてもらいたいものです」
男子学生もササに微笑まれ、恍惚とした表情を浮かべたまま固まってしまう。
「大丈夫なのか?」
巧が恐る恐る声をかけると、一呼吸置いてから「大丈夫です」という返事があった。前回は一舐めだけで見るも無残な酔っ払い方であったのを考えると、会話ができる分、今回は大丈夫なのかもしれない。けれど、顔の紅潮具合を見るに、予断はできない。本人もそれを自覚しているのか、少しだけ真面目な表情を浮かべ自分を律していた。
「ねぇねぇ、この席、ご一緒してもいいかな」
「あ、はい。いいですよ」
女の子数人のグループに声を掛けられ、ササは再び笑顔で返事をする。
「なら、俺も」
「あ、巧くんはあっちで朝陽の機嫌取ってきてよ」
「そうそう。ここは任せてよ。それに、ササさんの一人占めはダメだよ」
巧も輪に入ろうとすると、女の子に阻まれる。
「え、でも」
「私は大丈夫ですから、行ってきて下さい。それに私もいろんな人と交流したいです」
ササにも言われ、巧は仕方がなく、席を立ちあがって後ろ髪を引かれながら離れる。
「ササさんって、普段なにしてるの?」
「カラオケとか行ったりする?」
背中からは女の子がササに質問している声が聞こえた。なんとか、理性を保っているようだが、いつものテンションよりは高そうに見える。
「カラオケって言うのは、歌を歌う場所のことですよね? えぇっと、カラオケには行ったことないですけど、歌を歌うのは好きですよ」
「へぇ~、どんなの歌うの?」
「『気分爽快』とかですね」
「それってどんなの?」
世代が違うのか、曲名だけでは相手に伝わらなかった。
「えぇっとですね」
ササはどこで、いつ覚えたのか、自分で挙げた曲をアカペラで歌い始める。
「楽しそうだし、まぁいいか」
巧は楽しそうな声音のササに安心し、自分は自分の楽しみ方をしようと、伊之助と朝陽が座るテーブルに「よっ、今日はありがとうな」と言って、腰かけた。
「いやぁ、巧、よく来てくれた。なら、俺は別のとこにいくから」
伊之助は声を掛けられたのを合図にそそくさと席を離れていった。
「なんだ、あいつ」と、不審に思いながら、朝陽に視線を向けると、いつからそうしていたのか、じぃ~っと睨まれていた。
「ど、どうしたんだよ」
「べつに。やっぱり、巧はササさんのことばっかりかまうんだなぁとか、どうでもいいし」
ササが帰ってきたことは嬉しい。巧から連絡が合った時はよかったと思ったし、今日のイベントも自分なりに盛り上げようと頑張った。ササのために、巧が動いて、イベントの最中も気にかけるのは仕方がないことだとわかっていても、納得できないものもある。
こんな可愛くない態度を取って、プラスにならないのはわかっているけれど、どうしてもつっけんどんな対応をしてしまう。
「朝陽、……ありがとうな」
けれど、巧はそんな態度を取る朝陽に対して、感謝の一言を述べた。
「い、いいよ、いいよ。今日のことだって、サークル活動の一環でしょ。私だって、また活動できて嬉しいし」
「それもあるけど、それだけじゃない」
巧は真っ直ぐに朝陽を見つめ、朝陽は照れ臭いのか、視線を外してしまう。
「朝陽が背中を押してくれたから、今日があるんだと思う。俺一人だったら、勝手に落ち込んで、勝手に諦めて、今もぐちぐちしていたと思う」
「そ、そんなことないよ。あたしが言わなくても、最終的に巧はササさんを捜しに行ったと思うし」
「そうかな?」
「そうだよ。あたしの知ってる巧は絶対、そうしてた」
「ありがとう。それでさ、今度、お礼も兼ねてどっかご飯食べにいかないか?」
「いいの?」
「あぁ、俺のおごりでな。けど、あんまり、高いところは無理だぞ」
「ううん、そんなのはどこでもいい。あ、けど、あんまり雰囲気がなさすぎるところも嫌だけど。あ、あと、もちろん、その時は二人でだよね?」
「そうだな」
「絶対だよ!」
すぐに機嫌は治ってしまった。我ながら単純だなと思うけれども、仕方がない。
「今日は楽しかったよ」
店を出て、締めの挨拶をする前に、伊之助が巧に声をかける。
「そりゃ、あんだけ騒いでたら楽しいだろ」
回想すれば、声高らかな笑い声が常に響いていた。あれで楽しくなかったと言われる方が首を傾げてしまう。
「そうだけどさ、今回のはいつもと違うっていうか。さっちゃんが来てからのコンパはどこかみんな楽しんでるような気がしてさ」
ササのおかげ。そう言われて巧の頬も緩む。一年生の頃から様々なコンパを仕切る伊之助が言うのだから、彼女の尽力は大きいのだろう。
「あいつだけのおかげじゃないだろ。飲み会っていうのは、基本、ただそれだけで楽しいものなんだよ」
巧は自然と口にしていた。
「それに、伊之助にも感謝はしてるよ。これからも、よろしくな」
合わせて、伊之助に握手を求める。彼がいたから、サークルも作ることができたし、交流の輪も広がった。なにより、みんなが楽しむようにと誰よりも尽力しているのが伊之助だ。
「なんだよ、改まって。けど、もちろんだ」
伊之助は照れ臭そうにしながらも握手に応じる。けれど、すぐに気恥ずかしくなったのか、手を離すと、また別の友人に話しかけに行った。
「朝陽さん、巧さんの背中を押してくれたらしいですね。ありがとうございます」
ササはコンパ中に聞いた話のことで朝陽に話しかけた。
「そんなことないよ。あれは巧が決めたことだし。それに、あたしもササさんが帰ってきてくれて嬉しいし」
「でも、ほんとうに私が戻ってきてよかったですか?」
「なんで?」
「だって、私たち、ライバルになるかもしれないじゃないですか」
不敵な笑みを浮かべてササは朝陽に言った。
「へっ?」
ササの言葉に朝陽は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「それって、どういう」
「私のことあんなに大事に想ってくれる人って、あんまりいないと思うんですよ。それに、私一人だと、日本酒の良さを広めるのも限界があるんで、少なくともパートナーは必要です。その点、巧さんはうってつけですよね。それに、私、巧さんの隣の部屋に住んでいますからいつでも相談できますし」
「ササさん、それってほんと?」
動揺を隠せない朝陽はササに詰め寄り、小声で聞いた。
「フフフっ。そうなるかもしれないってことです。私だって嫌いではないですから、いつまでも相手が鈍感なのを言い訳にしてちゃ、ダメですよ」
「そ、そんな。あたし、どうしたら」
朝陽はササ相手だと分が悪いと考えているのか、一人であわてふためいている。
「お~い、帰ろうぜ。って、どうしたんだ?」
巧に声を掛けられ、ニコニコ顔のササは、「まぁ、まずは気持ちを知ってもらわないと始まらないですけどね」とため息を吐き、顔面蒼白の朝陽は「ねぇ、巧。隣に住んでるからって、ササさんに変なことしたら、ダメなんだからね」と焦燥に駆られながら詰め寄る。
「いきなりなんの話だよ。って、し、しねーよ」
ことの成り行きがわからない巧は戸惑うしかない。
「大丈夫ですよ。この人にそんな度胸はありません」
「そ、そんなことねーよ」
バカにされているのはわかったのか、強い口調で否定するが、「ほんとうですか?」と、ササが胸を押し付けてくると、顔を真っ赤にさせながら、か細い声で「や、やめろよ」というのが精一杯だった
「ちょ、ちょっとササさん!」
けれど、その幸福タイムは朝陽によって終了させられる。
「ほら、まずはその純情を治さないと次のステップには進めませんよ」
ササは二人を交互に見比べながら、おかしそうに笑った。
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