四合目 飲み会サークルを作ろう 7

 四合瓶をほとんど空けるほど日本酒を飲んだ巧はスヤスヤとテーブルに突っ伏しながら眠っていた。ササはその姿に優しい視線を向けている。

「けど、こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまいますね」

 ササは巧に近寄り、ユサユサ揺らすが、起きる気配はない。

「しょうがないなぁ」

 笑みを絶やさないまま、ササは巧の両脇を抱えて、ベッドの上まで連れて行こうとするが、だらりとしている男の子は思いの外、重量がある。ササは多少乱暴に引きずっても起きる気配はなかった。やっとの思いで巧をベッドの上に投げ捨てると、一つに伸びをしながら、「これって逆じゃないかな」と、苦笑する。

「こういうのって女の子は風邪を引かないように、男の子が自分の上着を羽織ってくれたり、お姫様だっこをしながらベッドの上に運んでくれるとかの場面ですよね? あ、けど、今みたいに男の子の寝顔を見ながら、私がほっぺを突っついたりして可愛いなぁとか思ったりするのは女の子の役目かな?」

 自分の独り言に自分で答えを出しながら、ササは笑った。

「これからも、私たちを良くして下さいね」

「う~ん、がんば、る」

 無意識だろうが、巧はササの一人ごとに答えた。ササは偶然でもその一言が嬉しかった。やっぱり、この人に飲んでもらったのは正解だ。だって、お酒を飲んで、こんなにもいい顔で寝てるんだもん。

「それに、思っていたよりも楽しめたかな? ううん、すっごく楽しめた」

 ササは改めて自分が顕現した時のことを思い返す。本来ならば自分は顕現なんてことはせず、ただ、自分をおいしく飲んでもらって、役割を全うするはずだった。しかし、目の前に広がる光景をみて、このままだと自分は、自分たちは望まれないものとして廃れていってしまう。

 その危機感から、ササは巧の前に姿を現した。

 自分たちはこの国を代表する歴史ある嗜好品。もちろん、ササにもアルコールの知識、清酒の歴史、杜氏の想いは刷り込まれている。

「今は時代が違う。私たちがいなくても代用できる娯楽や嗜好品もいっぱいある」

 噂は耳に入っていた。知識も頭に入っていた。だけど、自分たちの立ち位置が変わりすぎているとは、信じてはいなかった。いや、信じたくなかった。需要は下がっても、祭事には必要とされる。年月を重ねればし好の変化と共に私たちを求めるようになるから大丈夫、その上で、自分が頑張ればすぐに日本酒の価値を、立ち位置を元に戻せると楽観視していたのも事実だ。

 けれど、そんなものは希望的観測でしかなかった。日本酒自体飲まない。飲まれないし、イメージも悪い。そんなものを何もしないで必要とされる、求められるなんてことはあるはずがない。顕現してわかったのは、私たちもいろいろと考えていかなければ、過去の遺物になりかねないという状況を目の当たりにしたことだった。

「ほんとは私が頑張らないといけないのですが……。これからは、巧さんに頑張ってもらわないといけませんね」

 ササはテーブルの上に置かれた、残り少なくなった瓶の中を寂しげに見つめた。

 初めこそ、自分を、自分たちをないがしろにした巧を許せなかった。そして、現状の日本酒を知る度に、この状況を見て見ぬ振りする関係者や自分と同じ精霊たちに憤りを感じた。

 私は変えてやる。日本酒をメインカルチャーに戻してやると意気込んでいた。

「でも、やっぱり私も自分のことが大切なんだ」

 どのくらいの時間がかかるかもわからない、途方もない使命を諦めて投げ出すというのは語弊があるが、後から姿を現す妖精たちからしたら納得できるものではないだろう。しかし、今になって、過去の精霊たちの気持ちが痛いほどわかる。日本酒というものは、とても素晴らしいものと知ってもらおう、そのためには自分を飲んでもらうしかない。そのためには、自分が認めた誰かにこの想いを託そうと思っても仕方がない。

 日本酒は素晴らしいものだと口では言っても、その中でも一番良いものは?と聞かれれば、自分と答える。

 そして、彼ら、彼女たちは自分の志をただ一人に託した。私が信じたあの人ならば、自分の意志を受け継いでくれる。

「あはは、なんて人任せで楽観的な考えなんでしょう」

 自分の身勝手さには笑うしかない。

 今、目の前で寝ている男の子は私たちをおいしいと言ってくれた。そのことはとても嬉しい。

 でもでも、おいしいと私に笑いかけてくれる彼が飲んでいるのは、私ではない。もっと、おいしいものはある、それを飲んでほしい。

「やきもち、か、……な」

 自分以外のお酒を飲んでそんな笑顔をしないで欲しい。だから、今日、自分を飲んでもらって、とても幸せそうな表情を見ていると、自分の存在意義は全うできたととてつもない満足感に浸ることができた。

「ありがとうございます」

 先代たちは最後の別れをどうやったのかわからないけれど、私は彼の目の前で消えたいとは思わない。最後の言葉も交わすことなく、この楽しそうな笑顔を見ながら、その笑顔を脳裏に焼きつけながら私はさよならしたい。

「身勝手なお願いですけど、私がいなくなっても頑張ってください。なにより、楽しくお酒を飲んでくださいね」

 彼女の言葉に対する答えはない。けれど、ササはそれでもよかった。

 ササは自分のグラスに残るお酒に口をつけ、「うん。やっぱり香りもいいし、味もいい」と、自画自賛をしながら、この数日のことを振り返る。悔いがないと言えば嘘になる。けれど、満足か?と、聞かれれば、笑顔で「最高です」と答えてやれる。

「さようなら」

 ベッドに眠る巧に感謝してから、瓶に残る最後をグラスに注ぐと、部屋には甘い香りと、一杯の日本酒だけが残された。

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