四合目 飲み会サークルを作ろう 2

 伊之助が企画した飲み会は、大学近くの居酒屋「キミドリ」で行われた。男女合わせて十数人が集まっているが、回生も違えば学部も違う。ただ楽しい学園生活を謳歌したいと思っている学生たちが、伊之助の誘いに乗って、やってきていた。

 だからこそ、この場にまったく関係なく、学生でもないササの参加に文句を言うようなモノはいない。男子は美少女が来たことを喜び、女子は男女比が改善されたことを喜んだ。

「じゃ、飲み物頼むから、適当に言って」

 幹事である伊之助が場を取り仕切る。飲み放題メニューに目を通し、若者たちは思い思いのドリンクを注文していく。

 カルピスサワー、カシスオレンジ、烏龍茶にアップルジュース。日本酒を頼む人がいないのは、当然としても、ビールを頼む学生も全体の半分にも満たなかった。

 ササはお冷を正面に置いて、にこにこしている。巧にはそれが少し怖かったが、伊之助は全員にドリンクが行きわたると、立ち上がって、二回ほど手を叩き、自分に注目を集める。

「今日は光信先輩の六回生確定記念コンパに集まって頂きありがとうございます。では、本日の主役、光信先輩から一言頂きます。光信先輩、お願いします」

「うむ」

 あごひげを蓄えた、貫禄だけは部長クラスの小太りは紹介を受けて、のっそりと立ち上がる。本当に主役だとでも思っているのか、その姿からは留年することに罪悪感を持っているようには見えなかった。

「今日は俺のために集まってくれて」

「カンパ~イ!」

 光信先輩の挨拶にかぶせる形で伊之助が音頭を取った。いつものことなのか、参加者は全員続いて「カンパ~イ」と、元気のいい声が響き、周囲の人たちとグラスを響かせる。

 光信先輩だけが蔑ろにされたと、憮然としているが、誇れることがなにもない先輩なので、仕方ない。

 学生のノリはスタートから全速力だ。初めの十五分こそ自分の席に座り、近くの人物と話していたが、それ以降はグラス片手にあっちへふらふら、こっちへふらふらと漂浪していく。もちろん、一番人が集まっているのは、今日が初参加であるササのところだった。

 ササは群がる男たちに対して、アララ、ウフフと、とりとめもない話を笑って聞いていた。ここまでは、昨日と大きく差異はない。

 けれど、昨日と違うこともある。コンパが開始されて一時間ほどした頃には、ほがらかとした空気が流れる。ほろ酔い気分の学生たちは次に頼むお酒をなににしようかとメニューに目を通していると、ササは自分から話を切り出す。

「次、なに頼むんですか?」

 メニューを覗き込まれ、相手は少しササから身を離し、「あ、え、えっと」と口どもる。

 これをチャンスと捉え、ササは「日本酒とかどうですか?」と、メニューを指さした。

「え?」

 しかし、勧められた方も「日本酒なんて飲んだことないから」と、戸惑っていた。彼にとって、イメージがあまりよくないものなのだろう。

「そうなんですか? なら、今日、飲んでみましょうよ。私、日本酒飲める人ってカッコいいな、って思います」

 大和撫子に微笑まれ、男子学生はデレデレしながら、「じゃぁ、頼んでみようか」と、勧められるまま、店員に声をかける。

「お待たせいたしました」

 時間を持て余すこともなく、持って来られた日本酒をササが受けとり、相手にグラスを渡す。

「では、私がお注ぎ致しますね」

「あ、あの、えっと」

 ササの行動に男子学生は戸惑う。日本酒どころか、ビールさえ頼まなくなった年代にお酌という概念はなかった。相手はササに促されるまま、グラスを手に取り、ぎこちない手つきでお酌を受ける。

「あ、ありがとう」

 男子学生の声が上ずっていたのは、こんなに近い場所にササがいるから見惚れてのことだろうか。それを羨ましいと感じた男たちは単純に自分も日本酒を頼み、お酌を受けようとする。

「あ、私がお注ぎ致しましょうか?」

 ササも男たちの目論見に気づかないことはしない。甲斐甲斐しく、彼らの元に周り、一人一人対応していった。

 その姿を巧は微笑ましく見ていた。彼女の献身さに、さりげなく日本酒を頼み、飲もうとするが、彼女は目ざとく近寄ってくる。

「私がお注ぎ致しますよ」

 彼女は頼んだ清酒を手に取る。

「もう営業はいいのかよ」

 巧は毒つきながらもグラスを手に取り、その好意を受け取った。

「営業なんて無粋な言い方は止めて下さいよ。私はただ、日本酒の魅力を知ってもらおうとしているだけです」

「だったら、こんなとこでなく、他のところに回って来いよ」

 自分はもう良さを聞いている。だったら、ここに来るのは時間の無駄ではないかと思った。

「そうはいきません。もっと、私の、私たちの魅力を、内面を一番知ってもらいたいのは巧さんなんですから。これくらいで知った気になられては困ります」

「だったら、なおさらこんな場でなくてもいいだろ。ほら、周りを見てみろよ。お前と話したい奴はいっぱいいるだろ」

 そんなことないでしょうと、ササはぱっと振り向くと一つの集団と目が合った。

 さっきからチラチラと視線を向けられていたのはここだったのかと、ササは巧に軽く頭を下げて、女の子の席へと向かった。

 綺麗な女の子は男の子でなくても好きになる。ササが輪に入ったことで、甲高い笑い声が室内に響いた。


「あたし、なにしてるんだろ」

 参加者が笑いあっている中、朝陽は一人呟いた。

 珍しく巧も女の子と楽しそうに話している中、自分はただ空になったグラスに口をつけては、溶けた氷水を飲むといったことを繰り返していた。

「……楽しそうだな」

 チラチラと巧の方を見ながら、自分の勇気のなさを嘆いては溜め息を吐く。

「宴席で、そんな表情は似合いませんよ。心配してしまいます」

 声をかけてきたのはササだった。

「あたしも楽しんでるよ」

 心配をかけさせてしまったことを申し訳なく思い、朝陽はにっこりと微笑み返すが、それで納得してくれるササではない。

「物思いにふけるには、ここは少し騒がしいかもしれませんね」

「………」

 ササの問いかけに、朝陽はなにも答えない。一人で黙って飲むのも、それはそれで良い飲み方だとは思うが、今はいけない。

「それにしても、巧さんは鈍感な人ですね。こんなにも朝陽さんが構ってオーラを出しているというのに」

「ち、ちがっ!」

 むりやりにでも朝陽に反応させるような話題を出す。予想通りの反応に思わず笑ってしまった。

「あたしはいつもこんな感じだから、あんまり構わないでいいよ」

 朝陽も恥ずかしさを隠すように言うが、この言葉は嘘ではない。騒ぎすぎる性格ではないせいか、こういうコンパでは一人になることも多い。

「それはできません。私の理想は、会に参加した全員が不満や後悔を持つことなく、今日はいいお酒を飲めましたと下戸や飲んでない人にも言ってもらえることなんです。なので、間違っても、飲めない人が欠伸を噛み殺しているような場面や携帯電話をいじって面白くなさそうな顔をしている人、朝陽さんみたいに好きな人に構ってもらえず、一人寂しい思いをしている人をほっとけないんです」

「あたし、そんなひどくないから。そんな心配いらないし、大丈夫だから。いつもこんなだから」

「いいえ、私は知ってます。巧さんの家で、巧さんの誕生日を祝っていた時の朝陽さんはもっと笑っていました。もちろん、作り笑顔とか、そういう類のものでなく、楽しいなぁって気持ちがこちらにも伝わってくるような素敵な笑顔でした」

「そうだったかな?」

「そうです。それに、その時は度数は低いものばかりでしたが、アルコールをもっと飲んでました。そうですね、楽しむためにもっとお酒を飲みましょう」

「そこ基準なの?」

 思わず出てしまった本音にササは「おっとと」ととぼける。それでも、ササが自分を心配してくれる気持ちは嘘でないだろうと、朝陽は「優しいんだね」と呟く。

「いえいえ、私は打算で動いているだけですから」

 素直な感謝の言葉に今度はササが照れ笑いした。

「私はもっといろんな人にお酒を、特に日本酒を飲んでもらいたい。だから、朝陽さんにも声をかけるんです。それだけですよ」

 一歩間違えばアルコールハラスメントにもなりかねないササの好意。けれど、ササは自分の容姿を、自分の立場を、自分を知っている。頑張ってもできないのと、できるけどやらないのと、できないと決めつけるのは、結果が同じでも全く違う。

 ササは自分が今できることをやっているだけだった。

「そうなんだ。誰でも幸せにできるってすごいね」

「そんなことはありませんよ。私ができるのはお酒を楽しむ飲むための手助けだけ。だから、体質的にアルコールを受け付けない人には私はなにもできません」

「それはなんで?」

「アルコールを受け付けない人にとって、アルコールは毒なんです。アレルギーと言った方がわかりやすいでしょうか。そばやかにアレルギーの人にいくらおいしいからと勧めても、その人にとっては苦痛でしかないのと一緒だからです。私はアルコールに関してだけはその人の体質がわかります。それをわかった上でアルコールを飲まそうとするのはただの犯罪ですからね。同じ理由で未成年にも勧めません。身体ができていない状態でアルコールを摂取すると成長阻害を起こしてしまう可能性があるからという理由もありますが、一番の理由はこの国では法に引っかかってしまいますからね」

「そうなの? でも、ササさんがお酒を勧めていない人なんて見たことないけど」

 朝陽は思い返す。たしかに、この場にも、巧の誕生会にも未成年はいなかった。

「そうですか? それはたまたまですよたまたま。そんな人たちにお酒を飲んでもらうわけにはいけませんし、私は犯罪者にはなりたくないので、させるなら、他人の手を使うに決まってるじゃないですか~」

 謙遜かと思ったが、そうではない。自分の手は汚さない、ただの腹黒い人の発言だった。

「えっと、ササさん?」

 その言葉に対する反応に困ってしまう。ササも「気にしないで下さい」というが、気になるものは気になる。

「でも、私もびっくりしているんですよ」

「なにが?」

「この世の中は娯楽に嗜好に溢れています。私たちが幻想している、お酒を飲むことが数少ない娯楽の一つであるなんて世の中ではもうありません。それでも、私は日本酒を必要としてもらいたい。なくてはいけない存在にはなれないけれども、あっていい存在であり続けたいと思っています。ただ、今までのおいしいから飲んでみてよ、飲め飲めみたいなアプローチの仕方でなく、相手を考えたアプローチをしないといけないなとわかりました」

 先ほどまで話していた女の子たちを見やる。彼女たちはササが勧める日本酒を飲むことに難色を示していた。

「まさか、自分が日本酒をベースとしているとしても、リキュールを勧めるなんてことは思ってもいませんでした」

 サムライロック。日本酒をベースにライムジュースを加えたカクテル。割り材としてのアルコール度数は焼酎や他のアルコール飲料よりも低いため、飲みやすい。日本酒独特の香りも感じられるため、ササは彼女たちに勧めた。

 今の彼女たちはそのカクテルを片手に姦しくしており、今度はこれで割ったらおいしいんじゃないの?なんて話も出だした。

「飲んでもらうなら日本酒がいいですけど、まずは楽しく飲んで、アルコールに触れる機会を多くしてもらいたいですね」

 この数日で考え方が変わったなと思う。

「入り口を少し変えるだけでも、興味を持ってもらえるんですね」

 口元に手を当て、喜んでいるササを朝陽は羨ましそうに見ていた。

「……あたしも変わらなくちゃいけないのかな?」

 ポツリと呟く。対象はまったく違うが、自分を選んでもらいたいという気持ちは一緒なのかもしれない。

「うちを酔わしてどうするのよ~」

「どうもしねーよ。お前は酔いすぎだ、ほら、水飲め」

「う~、やだ」

「わがまま言うな」

「だったら、飲まして欲しいな~?」

「わかった、わかったから」

 チラリと見た先では、男の子が献身的に女の子を介抱している光景だった。けれど、朝陽には二人が密着しているようにも見え、男の子もへらへら喜んでいるような気がした。そして、それはひどく面白くない光景でもある。

「……ふふ、……ふふふ、ふふふふふ」

 コップを手にする力が強まり、ワナワナと震えていた。

「あは、あはは。朝陽さん。さ、飲みましょう」

 ササは笑って、朝陽にお酌をする。

「ありがとう」

 素直に受け取ったが、すぐに口を付けずに、ぼそりと呟く。

「私ももうちょっと素直になった方がいいのかな?」

「そうですねぇ」

 なんてことを言いながら、朝陽の気持ちは素直に出ているとは言えない。

「あたしだって、もう少し素直になりたいんだけど」

「なればいいじゃないですか」

 今の時点でも十分わかりやすいですよ。むしろ、鈍感な相手に問題があります。なんてことも口には出さない。

「でも、相手はあたしのことをどう想ってるんだろう。もし、あたしの勇み足で、今の関係が壊れるくらいなら」

 すでにいくらかは酔っていたのか、いつもは強気な朝陽が不安な心中をを吐露してくる。

「………」

 ササは朝陽の話を黙って聞いた。出会って間もない間柄なれど、強気な子が、アルコールによって普段とのギャップを見せる。

 アルコールと車の運転はどんなに隠していても、ふとしたところで本性が顔を出す。

 ササはその瞬間を不謹慎にも楽しんでいた。

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