二合目 外へ出かけて日本酒を飲もう
「起きなさい!」
巧は気を失うことも許されない。朝陽は倒れる巧に続けてビンタを浴びせ、意識をこちらの世界に引き戻そうとする。
「ほらっ、起きなさいよ!」
「や、やめ。起きるから、すぐ起きるから」
巧はこれ以上の痛みを拒絶するために、朝陽を制する。
「なら、そこに正座しなさい」
「わかったよ」
巧はしぶしぶ朝陽の言う通りの行動をとる。なにをそんなに怒っているのかわからないが、触らぬ神に祟りなしだと思い、余計な言動を慎んだ。
「誰が座布団を敷いていいっていったの?」
「……わかりました」
そして、厳しい詰問の時間が始まる。
「あんた、なに勝手に女の子を連れ込んでるのよ」
「俺が連れ込んだというか、彼女が勝手に入ってきたというか」
「知り合いなの?」
「いや、違う」
「なら、なんで知らない女の子が巧の部屋に勝手に入ってくるのよ」
「いや、俺が彼女にひどいことをしたらしくて、彼女はそれが許せなくてここにきたようなんだよ」
巧の言葉に朝陽のこめかみがピクリと反応した。
「ひどいことって? それより、巧は彼女にしたことを覚えてなかったの?」
「そうなんだよ。俺も身に覚えがなくてさ。急に来た時はびっくりしたよ」
「へぇ~、で、彼女はどうして巧にひっついてたの?」
「いや~、お酒飲ましたらさ急にこうなっちゃって。これが笑っちゃう話なんだけど、彼女さ」
「黙りなさい」
朝陽は陰のある笑みを浮かべながら立ち上がった。巧を見下ろす瞳にははっきりとした殺意が込められている。
「あの、もしかして、なんか誤解してます?」
尋常ではない威圧に巧の喉は乾く。
「巧がそんな男だとは思わなかった。次の人生では真っ当に生きなさいね」
「あの、俺にはなにがなんだか」
もう、巧の言葉は朝陽には届かない。
「死になさい!」
朝陽はどこからともなく取り出した金属バットを振り上げる。巧はその瞬間、過去の記憶がセピア色で蘇らんとした。
「ちょ、ちょっと、待って下さい! 巧さんに罰を与えたい気持ちはわかりますけど、さすがにこの世から消されるのは困ります」
いつのまにか目を覚ましたササが二人の間に入り、慌てて声をかける。バットは振り下ろされることもなく、巧は安堵した。
「お前、もう大丈夫なのか?」
「すみません。少し取りみだしてしまいました」
少しというレベルではなかったはずだがなんて言葉は言わない。この場面、本人から話してもらうのが一番いいだろう。
「あなたは?」
朝陽はジト目になりながら、ササを睨み、説明を求めた。
「私は巧さんのお父様が巧さんに成人の祝いとして送った純米大吟醸酒『冷の雅』というお酒に宿る精霊です」
「……精霊?」
ササの紹介を受けて、朝陽は首を傾げる。当然、それだけの説明では理解などできないだろう。
「信じてないですね?」
「そ、そんなことないわよ」
朝陽は相手に話を合わせるが、どう見ても人にしか見えないということを目が正直に語っていた。
「信じてもらうにはどうしたらいいでしょうか? あ、今日の朝まで、顕現せずにこの部屋の中にいましたから、この五日間の巧さんの行動を細かく語っていきます。たとえば巧さんは三日前」
「それはいいから」
巧は要らぬことを言わせないようにササの口を手で塞ぐ。
むぅ、むぅと、うめき声を上げるササに手をタップされてようやく塞いでいた手を離す。
「止めてくださいよ」
苦しかったのか、ササは少し息を切らしながら非難の視線を向ける。
「もう俺に被害を与えようとするのは止めてくれよ」
「私がいつ巧さんに迷惑かけるようなことをしたんですか?」
「胸に手を当てて考えてみろ」
「う~ん。あれ? ちょっと着物がずれています。巧さん、なにかしましたか?」
「なにもしてないよ。お前が勝手に動いてそうなったんだろ」
「もう、そういうことするのは止めてくださいね」
あくまで彼女は自分の非を認めてくれない。
「お前はいい性格してるな」
「エヘヘ~」
「褒めてないからな」
二人のやり取りを見ていて、朝陽は正直面白くなかった。
「……で、そのササさんはなんでこんなところにいるの?」
思わず、棘のある物言いになってしまうが、それも仕方がない。ササも気にしていないのか、にっこりと質問に答えることにした。
「はい。それはですね、今の時代、私たち日本酒の需要って凄く下がってきているんですよ。現に巧さんも私をほうっておいて、他のアルコール飲料に浮気するわけですからね。で、私はその現状を打破するためにこの世界へ顕現してきました。巧さんにはそのお手伝いをしてもらおうと思っています」
「それって、別に巧じゃなくてもいいんじゃないの?」
あまり巧の近くに美少女がいることは心地よくなかった。
「そうですね」
「なら」
「けれど、これは運命なんです」
ササの有無を言わせない優しい笑みに朝陽は返す言葉をなくす。
「私たちだって、誰かれかまわず姿を現すわけではありません。この人なら大丈夫、この人にお願いしよう。そう強く思わない限り顕現しません」
ササは巧をまっすぐ見据え、「あらためて、よろしくおねがいしますね、巧さん」と、頭を下げる。
「あ、あの」
二人の間に朝陽は再度割って入る。彼女が人でないとか、日本酒のためだとかは二の次で、朝陽には一つどうしても確認しておかなければならないことがあった。
「ササさんは、もしかして、ここにずっといるの?」
「そうですよ」
「えっと、じゃぁ、どこに住むつもりなの?」
心配そうな声で聞いてくる朝陽に、ササは目をぱちくりさせてから意地悪そうにほほ笑む。
「当然、巧さんの部屋になりますよね」
「いや、それは」
「だって、私も外見は年頃の女の子ですから、外で野宿とか危ないじゃないですか。大丈夫です、私は雑魚寝でかまいませんので。巧さんが許可するなら一緒の布団でもかまいま」
「それはダメ」
巧がなにかを言う前に朝陽の声音がササの提案を却下してきた。
「では、どうすれば?」
小首を傾げるササに「ちょっと待ってて」と、朝陽は携帯電話を取り出すと、どこかに電話し始める。
「あ、お母さん? アドバンス倉光の三○二ってまだ誰も入居してないよね? うん。そう、あたしの知り合いが使うから。いいよね? うん。うん、ありがとう」
話がついたのか、朝陽は携帯をポケットにしまい、「ササさんはこの部屋の隣に住んで下さい。家賃とかはあとで考えます。だから、この部屋でなく、隣の部屋で生活をして下さい」
「私は別にこの部屋でもかまいませんよ」
「そういうわけにはいかないの」
「なんで、そんなに巧さんに執着してるんですかぁ? もしかして」
「つべこべ言わずに、あなたは首を縦に振りなさい」
「わ、わかりました」
朝陽の刃のような眼光に、あまりからかいすぎるのはよくないと、ササも大人しく従う。朝陽はほっと一息つき、「たぶんあいつ、家賃とか払えないぞ」という巧の問いかけに「いいの! そんなことよりも、あたしにはもっと重要なの」と少し緊張した面持ちで巧を見る。
二人のやり取りを見ながら、「さ、本題に戻りましょうか」と、ササはパンパンと手を叩いて二人からの注目を集める。自分にとって、巧と朝陽がどうとか以上に重要なことがある。それを今から話しあわないといけない。
「本題?」
「そうです。私の役目は日本酒のメインカルチャーへの復活。みなさんみたいな若い人に飲んでもらうことがその第一歩なんです」
「具体的にはなにをするんだ?」
巧も手助けをしたくないわけじゃない。けれど、ただ理想論だけを聞かされてもどうすればいいかわからない。
「そうですねぇ」
ササは口元に手を当て考える。頭の中にはいろいろな案がぐるぐるしているが、最終、一つの考えが出てきた。
「まずは飲みにでもいきましょうか」
彼女の笑顔は有無を言わさない。
「なんで私まで来ないといけないのよ」
「俺一人に押しつけるなよ」
「巧が誘われたんでしょ」
「お前も来いって誘われただろ」
朝陽よ巧は顔を寄せ合いひそひそと話を始める。
テーブルの向こう側ではササがメニューを広げて上機嫌にしている。それだけ、日本酒を飲む機会を設けられたのが嬉しいのだろう。
ササの提案に初め、二人は躊躇した。朝陽は「あたしはお酒とか飲めないから、いいよ」なんて言っていたが、ササは「なにを言っているんですか? 昨日はこの場所で梅酒とか飲んでいましたよね?」と、聞いてくる。
「な、なんで知ってるの?」
「私もその場にいましたから」
「えっ? どうして?」
「私、昨日までは実体化せず、この部屋の風景を見ていましたから。ほんとならずっと姿を隠したままで、きちんと飲んでもらうはずだったんですけどね」
「えっ? ほんとに?」
朝陽は巧に確認を取る。ここでようやく朝陽も彼女が言っていたことがホラではないとわかった。
「で、でも。二日続けてとか、ほら、その」
けれど、だからといって、彼女の提案に乗る必要はない。なんとか、自分はこの場から離れようと思っても、目の前の彼女はそれを許してくれない。
「………」
「あの、その」
「………」
ササはにこやかに無言の圧力でそれを退ける。
ただ、一つ問題があった。三人が家を出たはいいが、昼から開いている居酒屋なんてあまりない。
ファミリーレストランではダメだといい、おいしそうなピザ屋の前で朝陽が立ち止まると露骨に嫌な顔をした。
三十分ほど歩きまわり、ちょうどお腹も空いてきた頃、ようやくお昼も営業している小料理屋を発見し、中へ入る。
「なにを頼みましょうか?」
「そうだな。とんかつ定食とかいいかもな」
巧の返事にササはムーと口を曲げる。今のどこに失言があったのか、巧はわからない。
「まぁ、お昼ですから仕方がないですね。ほんとは小鉢を何種類か頼みたいところですが、お昼なので止めときましょう」
ササは自分に言い聞かせていた。
「でも、お酒だけは頼みますよ。これは譲れません」
ササは店主にお酒を一本とお猪口を二つ注文する。店主は一瞬怪訝な顔をするが、ササがにこっと笑うとなにごともなかったかのように厨房へ戻っていく。
昼時も終わりかけのせいか、店内にいるお客さんはすでに食事も終盤へ向かっていた。
「はい、おまちどぉ」
巧のとんかつ定食、朝陽とササの日替わり定食、そしてササのオススメである日本酒はすぐにやってきた。
「………」
けれど、ササの表情は冴えない。動く気配のないササを怪訝には思ったが、温かい料理を冷ます必要もないので、巧は日本酒の入った徳利を手に取り、自分と朝陽のお猪口に注いだ。
「あ、あの」
ササは申し訳なさそうに声をかけるが、すぐに言葉を引っ込める。二人はきちんと『いただきます』と、手を合わせてからお猪口に口をつける。
「………」
「………」
無言になった。
「……どうですか?」
ササも恐る恐る聞いてはくるが、答えの予想はついているのだろう。
「うん、飲めないことはないかな?」
「そ、そうね」
二人は顔を合わせ、気まずそうに、言葉を選びながら感想を口にする。ササは大きくため息を吐き、店主に聞こえないような小さな声で「それ、見ただけでおいしくないとわかりますから、気を遣わないでいいですよ」と言った。
「………」
「………」
二人は申し訳ないと思いながら、お猪口を置いて、水を飲み始める。歩き疲れた疲労感がどっと増し、料理に箸を動かすも、六百五十円と安価な定食は値段通り大味で量だけがあった。
ただ無言で食事を終えた三人は、あまり長居もせずに店を出ることにした。ササはレジに立つ、やる気のないアルバイトを見て、文句を言う気も起こらず、「巧さん、お願いしてもよろしいですか?」と、会計をお願いする。
さすがに、ササも申し訳なさそうな表情をしているからか、支払を任された巧はなにも言わずに三人分の会計を負担する。
「あたしの分はきちんと出すよ」
朝陽は店を出てからすぐに巧に千円札を渡す。
「ありがとうな。ササもいつまでも俺がお金を払うとは思わないように」
朝陽に感謝しながら、お金を持っていないという免罪符だけで支払いをさせるササには釘を刺す。
「いつまでだったらいけます? 今日まではいいですよね?」
先ほどのしおらしい態度はどこへやら、相手は無遠慮に聞いてきた。
「あんまり無理をさせるなよ」
「大丈夫です。私、すぐにお金は捻出しますから」
まったく信用できない言葉であるが、どうせ丸めこまれるなら先に諦めようと一早く観念した。
「そんなことより、今日の夜も付き合って下さいね。お店で出される日本酒があんなものだと思われたくないですから。リベンジです」
ササはやる気になっていた。あのようなお店ほど改善が必要なのだが、まずは周囲にファンを作っていくことから始めなければいけない。巧や朝陽に日本酒はあんなものだと思われるのは嫌だった。
「あれはもともとの味が悪いのか?」
「そうですね。あれは日本酒と謳っているのに、安い合成パック酒を出しているので、もともとの味も今一つなんですけど、それだって、味は落ちますが飲めないものではありません。あれは保管方法が悪すぎですし、開けてからの期限も経ちすぎです。ただたんに、お店の商品管理がまったくなっていないという、根本的なことができてないせいですね」
巧の問いに。ササの機嫌はどんどんと悪くなっていく。怒りのせいか、思わず握りこぶしにも力が入った。巧はあまりこの話題を長引かせないように、「けど、夜もか。今日くらいはゆっくりしたいところだけど」と、やんわりと拒否の言葉を伝えるが、「飲みニケーションです。いいですね?」と、ササは有無を言わさずに、巧の参加を強制した。
「社会に出たら、こういう付き合いを強要されるのか」
巧は安易に想像できる未来にため息を吐くが、「こんな美人に誘われるならハニートラップとわかっていても喜んでついていくべきですよ」と、ササは自分の容姿がどのレベルであるのか理解しながら言い放つ。
「よくいうよ」
「それに、巧さんが来てくれるならもれなく朝陽さんもついてくるので、私にとっても有意義です」
「な、なんで私も一緒にいくことになってるのよ」
「あれ? 朝陽さんは今日の夜、予定ありました? それなら仕方ないですが、朝陽さんが来ないと、私と巧さんの二人で夜ご飯を食べることになってしまいますよ」
「行くわよ。行くに決まってるでしょ」
朝陽は即決でササの提案に乗った。その姿に、ササは「素直じゃないですね」と呟くが、朝陽は「違うわよ」と、即座に否定する。
「お前、顔が赤くなってるけど、酔ってるのか? それならあんまり無理しない方が」
「だ、大丈夫よ。これは、その、お酒のせいだけど、大丈夫よ」
頬が赤いのはお酒を飲んだからだとごまかした。
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