一合目 日本酒との出会い 4

「さ、今から買ってきたお酒を頂きましょうか」

 部屋に戻るなりササは買ってきたお酒を試飲する準備を始める。

「今から?」

 すでに二講目の欠席は確定していたが、さすがに午後からの講義には出席しようと思っていた巧は思わず嫌な声を上げる。

「そうです。こういうのは早い方がいいです」

「別に賞味期限が迫っているとかじゃないんだろ。ほら、俺にも予定があるし」

「巧さんの今日の予定はすでに私が差し押さえています。巧さんだって、今日一日私に付き合ったからといって今後の生活がダメになることはないでしょう?」

 ササの言うとおり、今日一日を無碍にしたところで巧の評価が著しく下がることはない。もちろん、講義を休むことで出席点や講義の内容を得られないことは不利益かもしれないが、一度や二度の欠席で単位を獲れないほど大学の講義は厳しくない。さすがに試験を休んだり、四度や五度以上の欠席となれば話は別であるが。

「それに早くすることで悪いことなんてほとんどないです」

「そうかもしれないけどさ」

 昼間から自室に籠って酒盛りをするとか、なにかを懸けて麻雀に興じるとか、そういう大学生は近くにいるが憧れは抱かなかった。

 昼からお酒を飲むのはどこか体裁が悪い。しかし、そんなことを言えば怒られるのは目に見えているので口には出せない。

「けど、名指しで人のことを早いとかいうのは止めた方がいいかもしれませんね。巧さんだって、女の子から早いですねなんて言われるとあまりいい気分ではないでしょう?」

「お、おまっ、急になんてこと言いだすんだよ。俺は早くねーよ。……きっと、早くねーよ」

 大事なことなので二回言ってみました。

「………うぅ」

 当人は顔を真っ赤にし、照れて俯いている。

 やはり彼女は相手が反応に困ることを言いながらも、口に出したあとで恥ずかしいということに気づいてしまうタイプらしかった。

 ササは口をもにょもにょさせながら、たまに巧を見ては頬を染めている。

「……すみません。私でそういう妄想をしないで下さい」

 なんとか言葉を絞り出すが、その口調は非難めいている。

「し、してないよ。っていうか、お酒を飲むんだろ。わかったからさっさと始めようぜ」

 文句の一つも言いたくなるが、女の子に恥ずかしいセリフを言わせる性癖が開花しても困るので、巧は仕方なく話を戻すため、ササの提案にのることにした。

「私を酔わせてどうするつもりなんですか!」

「お前は俺になにをさせたいんだよ」

 あまりにもな相手の言葉に、巧も思わず語気が強くなるが、それで彼女もようやく落ち着いたようだった。

「そんなに怒らないで下さい。ちょっとした、おちゃっぴぃです」

 ササはテヘペロと可愛く舌を出し、場を和ませようとする。それが少しだけイラッときたのは内緒だ。

「怒ったり、イライラの素であるストレスの解消にはアルコールが持ってこいですよ」

 お前のせいだという言葉は胸にしまい、巧はもうササのしたいようにさせることにした。

「常温でもかまわないですよね? もしかして、俺は熱燗しか飲まないとか変なこだわりがあったりします?」

 ササは質問をしてくるが、巧が答えるよりも前にグラスを取り出し、準備を始めている。

「飲み方は知らないから任すよ。っていうより、そのグラスとかはどこにあったんだ?」

「それは秘密です。ほんとなら、きちんとあても作って、雰囲気から味わってもらいたいのですけど、それはまたの機会にします。巧さんもグラスを持って下さい。注ぎますね」

 ササは巧の隣に近づき、お酌を始める。

「あ、ありがとう」

 着物姿の美少女に近寄られて悪い気はしない。トクトクトクと小気味良い音が響き、すぐにグラスはお酒でいっぱいになった。

「では、乾杯しましょう」

 ササは空のグラスを巧の持つグラスに合わせた。巧はビールでさえあまりおいしいと感じなかったからか、どこか恐る恐るグラスを口に近づける。

 初めに巧が感じたのは、鼻孔を刺激するフルーティな香りだった。アルコール臭いものだと決めつけていたため、意外だった。

「なんかいいにおいだな」

 それに驚いたのか、口をつける前に思わずササに聞いてしまった。

「そうですよ。どんなものを想像していたんですか?」

「保健室の消毒液みたいなものだな」

「古くから人々に親しまれてきたものが、そんな刺激臭なわけないじゃないですか」

 ササは巧の感想に思わず大きなため息を吐く。

「まったく、メチルとエチルの違いも知らないんですか? これが今の人たちの日本酒に対する認識なんでしょうね。まったく、嘆かわしい」

 ササは自虐的な笑みを浮かべ、「そうですか、そうですか」と、大きく二回頷いた。現状は自分が思っているよりもひどいようだ。

「このままでは、日本酒なんて衰退する一方じゃないですか。もっと早めに手をうつこととかできなかったのかな? これは本格的に私がどうにかしないといけないかもしれませんね。それにしてもこんなにイメージが悪いなんて、思わず手が出そうになってしまいましたよ。まったく、今までの人たちはこの現状を見て見ないふりをしていたのか、なにをしていたのか」

 ぶつぶつと一人ごとを呟く。その瞳には少しの狂気と先人への愚痴。

「あ、あのさ。これってなんていうお酒なの?」

 自分に火の粉がかかってくる前に巧は日本酒に興味があるといった具合で話題を変えた。

「これですか? これはですね、山田錦を使用した大吟醸酒になります」

 ササは興味を持ってくれたのがよほど嬉しいのか、にぱぁっと笑い、商品の基本情報を話始める。巧も「山田錦の大吟醸酒?」と、さらに説明を求める反応をとった。

「そうです。まずは山田錦っていうのはですね、普段の食卓用のお米とは違うのでお店で見ることは少ないんですけど、心白というデンプン質を多く含んでいるので日本酒造りに適したお米なんですよ。主に兵庫県で生産されていて、この山田錦と上質なミネラルを含んだ宮水が取れ、なおかつ水上輸送に便利な港があった灘五郷という場所が日本酒名産地の一つとして名高いんですよ」

「はぁ」

 巧はただ呆けることしかできないが、ササの説明はなおも続く。

「これはそんな灘五郷で作られたお酒なんですね。で、大吟醸酒っていうのはですね、精米歩合が五十%以下のものを総じて指すんですよ。精米歩合っていうのは、先ほどの山田錦というか、お酒を作る時のお米を精米して白米にした時の元の玄米に対する割合を言うんですよ。だから、このお酒は、山田錦の玄米を五十%以下に磨いたお米だけを使った贅沢なお酒ってことです。吟醸香と呼ばれる甘い香りが大吟醸の特徴で、味は淡麗ですっきりしているんです。このお酒は常温から冷やして飲むのがオススメですね。正直なところ、普段居酒屋さんとかいって、普通に日本酒を頼んでもでてこないレベルの商品なんです。ほんとは、どこのお店でも気軽にこのくらいのお酒は飲めるようになってもらいたいのが本音なんですけどね」

「???」

 聞いたことのない単語のオンパレードに、巧の頭上に?が飛び出る。

「あっ、すみません。まだ飲んでいる途中っていうか、前でしたもんね。さ、早く飲んでみてください」

 ササも説明が長くなりすぎたことを反省し、まだ話足りなかったが、説明を止めて、巧が一口頂くのを見守ることにした。

「ああ」

 巧は頷いて飲もうとするが、どこか恐怖心があるのか、口をつける前に一度手が止まってしまう。

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 心配そうに尋ねるササに、巧は笑顔で返す。

 別に日本酒に対してトラウマがあるわけではないが、初めて口にするものはなんであれどこか勇気がいるものだ。身体にいいかもしれないが青汁を飲む時だって、納豆を食べる時だって人は初めて口にする時はどこか躊躇するだろう。同じような感覚を巧はこの飲み物に感じていた。

「おいしいですよ?」

 ササの期待の眼差しを受けたまま、巧は意を決して、グラスに口をつけ、日本酒を喉に流し込む。

「どうですか?」

 口では自信たっぷりであっても、人の嗜好は千差万別。飲み始めるのに時間がかかったこともあってかササはどこか不安顔になる。

 しかし、その心配も一瞬の沈黙の後に巧が発した「おいしい」という言葉にほっとする。

「そうでしょう、そうでしょう」

 続いて二口目を飲んでくれた巧にササも嬉しくなった。巧はお酒を飲めないタイプではないとわかっていたが、その一言はやはり嬉しいものだった。

 昨日の誕生会ではビールこそ一口飲んでからそれ以降手にとっていないのを見ているだけにどうだろうと思っていたが、苦手にはカテゴライズされなくてよかった。

「グラスも空きましたし、もう一杯いってみましょう」

 自分ではないが、自分の仲間が褒められたことに、ササは手を叩きながら喜ぶ。その幸せを持続させるように、空いたグラスに引き続き酌をした。

「ありがとう」

 巧も初めに感じた抵抗感は消えていた。二杯目はきちんと味わいも楽しむ。笑顔の巧にササはお酒をおいしそうに飲んでくれる人だなと、ニコニコ見守っていた。

「もう一杯どうですか?」

「なぁ、ササも飲もうよ」

 なおもお酌を続けるササに巧はグラスを渡す。お酒を強要することはいけないが、日本酒の精霊であれば大丈夫だろうと思った。けれど、ササはグラスを受け取らず、「いえ、私は美味しさを伝えるのが役目ですので」と、消極的な態度だった。

「え~、と。そう。あの、私はお酒の精霊なんですけど、自分以外のアルコール、それは日本酒であってもなんですが、体内に入るとちょっと大変なことになってしまうといいますか、なんていいますか」

「……そっか。残念だな」

 巧も、相手があまり乗り気でない以上、無理強いはしない。それでも、一緒に杯を交わしたかったのか、どこか寂しそうな表情をしてしまった。自分では隠していても、それに気づかないササではない。

「わかりました。では、一杯だけ頂きましょう」

 ササは意を決する。宴席は楽しむべきだ。特にお酒を飲みながらそんな顔をされるのは嫌すぎた。

「え、いいの?」

 ササの言葉に、巧の表情はぱぁっと明るくなる。そんな顔をされては、ササも仕方がないなぁと口角が緩む。

「任して下さい。私は日本酒の精霊ですよ。それに、巧さんがおいしそうに飲んでくれるから、私も一緒に飲みたくなったんです。だから、無粋なことを言って、申し訳ないですが、私にもお酌をしていただいて、よろしいでしょうか?」

「あ、ああ。ごめん」

 巧は言われてササのグラスに慣れない手つきでこぼさないように注いだ。

 ササはその慣れない手つきに微笑ましさを感じながら、「ありがとうございます」と言った。

「では、私たちの出会いを記念しましょうか?」

「そうだね」

『カンパイッ』

 コツンッという音がどこか自分を大人にさせてくれているように錯覚させる。

 そのままクイッと一口日本酒を頂く。巧は味を吟味するように、少量を舌に乗せた。

 やっぱりおいしい。

 その言葉を、感謝の気持ちを伝えようとササを見る。

「………」

 お酒を飲む女性とタバコを吸う女性はどこかイメージ的に良くないと思っていた。ただ、ササの着物姿にお酒を飲むという仕種はよく映える。

 言葉が出ず、思わず見とれてしまうほどに彼女は美しかった。

 一口分しかアルコールを喉に通していない。それでも、彼女の玉の肌はほのかに赤みがかる。

「……綺麗だ」

 思わず言葉にしてしまうほど、彼女に見惚れてしまった。

 ササは巧の呟きに反応することもなく、さらに一口グラスに口をつけると、上気し始めた肌色がさらにみるみると赤くなっている。

 グラスの中身を最後にグイっと飲み干すと、ササは左右にゆらりゆらりと妖しく揺れる。

 すでにササの顔色はほんのりを超えて、思わず心配してしまうほどに赤くなっている。

「あの、ササさん?」

 さすがにこれはまずいのではないかと、恐る恐る声をかけた。

「ひゃい?」

 返ってきたのは甲高く、舌足らずな返事。

 あっ、これはやばい状態だ。

「キャハハハハハハ」

 巧の心配は的中した。ササはなにもないところから急に笑い出す。

「大丈夫か?」

 明らかに大丈夫でないのは見てわかるが、聞かずにはいられない。

「らいろうぶれすよ」

 たった二口しか飲んでいないのに、すでに呂律は回っていない。

「お前、日本酒の精霊じゃないのかよ!」

 思わず、当然の突っ込みが巧の口をつく。

「ふあい、しょうでしゅよ」

 なんとか、こちらの声は理解しているようだが、返事が拙い。

「酒に弱すぎだろ」

 缶チューハイを一口飲んだだけでも顔が真っ赤になってしまう人がいることは知っていた。まったく飲めない人は酒席にいるだけでも肌でアルコールを吸収し、酔ってしまうことがあるともなにかで読んだことがある。

 しかし、彼女は自称日本酒の精霊である。

「酔っ払うなよ」

 思わず嘆くが、彼女は上機嫌に「よってらいれひゅよ~」と答える。しかし、酔っ払いの戯言はまったく説得力を伴っていない。

「しょれよりも~」

 俯く巧にササは胡乱な目つきで話しかける。

「あにしてりゅですか~。らなたはひょっと、のみゅれしゅよ~。みょっと、もっひょ、しゅけをちゅきににゃるでしよ~」

 自分のグラスを巧に渡し、無理やりに酒を注ぐ。

「いや、俺はもう」

「あたしゅのしゃけがにょめにゃいって~! そんあにああしのほよがきゅらいあんえうあ~! あっぱり、わたしあちあ、きあらええるんでしゅえ~。うあ~~~ん!」

 なにを言っているのかもわからないが、ササは情緒不安定に騒ぎ始める。

 悪い酔っ払いの典型である。

 ただそれでも、ササが伝えたいのは一つだけ。

「サケ」

 その眼は座っている。

「ヲ」

 その言葉は有無を言わせない。

「ノメ」

 従うしかなかった。

 巧はまたグラスに口をつける。

「ひょろしゅい」

 ササはにっこりと上機嫌になり、ケラケラ笑う。

 その間もゆらゆらしているせいか、擦れた着物もはだけてくる。チラリチラリと見える肌色に、純情な男の子である巧はササを直視できない。

「しゃんと、きいてりゅでしゅか!」

 視線を外したのが、気に食わないのか、ササは声を荒げて巧に詰め寄る。巧も観念し、嵐が過ぎ去るのを待つことにした。

「わたしゅがいちゅびゃんひいたいにょわ、きにょうにょひょとでしゅ。ひちにんまえのおひょごとしゅてひゃはいのなはまりりをふぁたすいしきでじぇいんがはんふーふぁいをのみゅほはわりえない、ふぁりえにゃい、ありゅふぇなふぃでぃす。なぁんで、おしゃけふぉのみゃないにょふぁ。い、め~じーがわりゅいかりゃ? そへはわたしゅなちのえいですか? めであのしゅいえすあ? たたたに、おしゃけがぎゅいいんにょおあふるにふぃこ、あんざいはあいあすし、おしゃけがぎゅいいんのふぃふぁいじゃってあそえいえあいふらいあうでしゅう。へも、でお、いちゅあんのぎゅいいんはしゃあたいたいあふぃとあちああってにえちゅりょんじゅけて、にょみゃじゅいあいえいうあらいえあいんえすお。あんで、あにゅふゅーふぁいのみゅにょえすふぁ? やういあら? あすえりゃえいの? そえにゃりゃ、おしゃけかっふぇ、じゅーちゅえわえわいいじゃにゃい。そえのひょうがやすふぁがりぃえしょ。ひほんふはおいいうあいおあ。ちゃんひょおいひいのもいっあいあうにょ。わたひはちにききえよ、あたしあちにょおとばをいいてお。ねぇ、きいえるの?」

「はい、きちんと聞いております」

 顔を近づけて確認するササに巧はびくびくと頷くしかない。


 誰か助けてくれないかと念じていると、タイミングよくポケットの中に入れていた携帯が揺れる。巧は藁にもすがる思いで、すばやく携帯電話を手に取り、メールを開く。

『なんで今日の講義こないのよ。今から迎えに行くから、午後の講義には出なさいよ』

 同じゼミに所属する倉川朝陽からだった。

 今から来る?

 巧は目の前の女の子を見た。

「キャハハハハハハッ」

 一人暮らしの男の部屋に酔っ払った女の子がいる。誰か助けてほしいが今、彼女に来られては困る。

『いや、大丈夫だから。午後の講義には行くし、今日はちょっと部屋が散らかっていたから片づけしてただけだから』

 ササは気分が高揚しているのか、こちらの行動に気づいていない。巧は手早くメールを返信すると、相手からもすぐに返事がきた。

『仕方ないわね。手伝ってあげるわよ』

 彼女はとてもいい子であった。

 そして、巧はその厚意を無碍にはできず、『ありがとう、助かるよ』と返してしまう。

「さて、どうしようか」

 なんとか彼女には姿を隠してもらいたいものだが、調子が出てきたのか、空になったグラスに手酌でお酒を入れようとしている。その姿は淑女らしさのかけらもなく、どこか男らしい。

「あの、もう飲むのは止めた方が…」

 恐る恐る声をかけると、ササは「ふぇ?」と、首を横に傾げ、じわじわと涙目になっていった。

「ふぁたしにおしゃけをにょんじゃいけにゃいあんて、しゅにぇっえこおよ~」

 自分の行動を否定されてササは急に泣き叫びだす。

「お前、そんなに騒ぐな。近所迷惑だろ」

 いくら隣を気にしないでいいとはいえ、あまりにもうるさければ注意されるだろう。

「ゆるしゃいでぃす~」

 けれど、ササは巧の注意など聞いてくれない。

「ああしはおしゃけをにょみゅにょでぃす~」

 永遠に続くかと思われた地獄の時間もその終焉は唐突に訪れた。

「きゃふ~」

 ササは急に電池が切れたみたいにプツンと意識が飛び、そのまま巧の方へ寄り添うように倒れてきた。

「おい、ササ。あの、ササさん?」

 抱きかかえた格好のササへ巧は声をかけるが、返ってきたのはスースースーという寝息。

「おい、起きろよ」

 軽くゆすってみるが、反応はない。完全に潰れて寝入っているようだった。

「なんだったんだよ」

 まだ一日の半分も経っていないが、朝からイベントが多すぎて、巧はどっと疲れてしまう。

「酒に弱い酒の精霊ってなんだよ」

 ぶつくさ文句を言いながら、巧はササを体から離そうとするが、脱力した人間というのは意外と重たいので、もう少しこのままでいることにした。

「………」

「………」

 ふと冷静になると思わず赤面してしまいそうになる。自分の腕の中にただただ可愛い無防備な美少女。

 体の芯が熱くなってきたのは、ササからの体温を感じているからだけではないだろう。

「もうちょっと、もうちょっとだけでも、このままの体勢でいいよな。それに寝てるところを起こしちゃ悪いもんな」

 自分で自分を納得させながら、ササを起こさないように意識していたせいで、今から人が来ることなどすっかり忘れていた。

「しっつれいしまーす」

 勝手知ったる人の部屋。不用心にも鍵をかけていなかったせいで、顔なじみの同級生は無遠慮に巧の部屋の中へ入ってくる。

「………」

 しかし、そこに広がる光景を見て、思わず言葉を失った。

「……ねぇ、なにしてるの?」

 仲のいい男の子が、知らない女の子を部屋に連れ込んでいる。しかも、女の子は酔ったように顔が赤く着物もはだけている。さらに可愛い。

 犯罪の匂いしかしないが、少女は巧に弁明の余地を与えた。

「あ、朝陽さん、これはですね、違うんですよ」

「なにが違うの? あたしに教えてよ」

 朝陽と呼ばれた少女は「にこぉ」と巧から見れば失神モノの邪悪な笑みを浮かべながら優しく聞いてくる。

「この子は」

「言い訳無用だーーー!」

 朝陽は巧の顔面に思いっきりキックを蹴り込んできた。

 あまりに見事な直撃ぶりに、巧は薄れゆく意識の中、なんで自分がこんな目に遭わないといけないんだよと嘆いた。

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