第一笑 それぞれのカラー

 シャレた雰囲気と、街ゆく人がどことなく気品に満ち溢れているように感じる、ここ港区。

 現在二十三時のこの場所では、会社帰りに居酒屋をハシゴするサラリーマン達や、親子くらい年の離れた中年の男性と若い女性が腕を組んで歩く姿を見かける。

 立ち並ぶ店や住宅街も外見からして一級品な物ばかりだ。

 そんな港区の数ある高層マンションの一つに、室内でバカ騒ぎをしている集団が見受けられた。


「「「かんぱーい!」」」


 各々が手に持っている飲み物を乾杯の音頭で合わせ、それを一気に喉へ流し込む。

 木製の丸いローテーブルの上には宅配で注文したピザやお寿司、ここで調理されたであろう皿に盛りつけられた沢山の中華料理が並べられている。

「みんな、今回もお疲れ様! 遠慮しないでジャンジャン飲み食いしてくれたまえ!」

「「「はーい!」」」

 髪型がアップバングで白衣を着ていて、眼鏡をかけた中年男性の言葉に、三人の若者が返事をする。すると、三人が休んでいるリビングに、奥の部屋からまた別の人物――長髪で、これまた眼鏡の若い男が両手に皿を持って運んで来ていた。

「ほら、餃子が焼けたぞ。置けるスペースを設けてくれ」

「「「りょうかーい」」」

 長髪の男に指示された三人が、空いた皿を片付けたり、残り少ない料理同士を一つの皿にまとめる事で、餃子を置けるスペースを作った。

 ローテーブルに置かれた餡のギッシリ詰まっている餃子に、三人は喉を鳴らしていた。すると、突然――インターホンが鳴り、着ている白衣を翻して中年男性がそちらへ歩き出す。

「おや? 追加注文しておいた地中海料理でも来たかな? それにしては随分早いような・・・・・・」

 中年男性がインターホンの受話器を取って対応している中、三人は今まさに餃子を口にお出迎えしようとしていた。

「いやぁ、クロさんの作る中華はいつもデリシャスですネ。もう、そんじょそこらの町中華では満足できない舌になってしまいましたヨ。ではさっそく、イタダ――」

 パクパク。モグモグ。マグマグ。

「ホンマやで! クロっちを嫁さんにもらいたいくらいやわ。ゲッフ・・・・・・。おかわりある?」

「――かれてル! ちょっと桃瀬(ももせ)さン! 独り占めは良くないですヨ! 僕もギョーザ食べたかっタ!」

「うっさいのー、ブルっちは・・・・・・。あんた、アメリカ人の血が混ざってんのにレディーファーストってもん知らんの? か弱い女の子には優しく、親切に接するモンなんやで?」

「ギョーザ二皿を秒で完食して、怪人をビンタ一発で瀕死に追い込んでいる女性の事を、アメリカンスクールでは益荒男と教わりましタ。よって、あなたにレディーファーストは適用されないと証明されタ・・・・・・。論破でス!」

「ええ度胸やないか・・・・・・。ウチがいかに乙女で、飴細工が如く繊細な女か・・・・・・。その身にしっかり刻み込まんかい!」

「ノー! ノー! 暴力は反対でース! 突夫(とつお)さん! ヘルプミー!」

「やめなよ、桃瀬。せっかくの祝勝会なのに、君のビンタで死傷者が増えちゃうじゃん」

「くっ・・・・・・。そうやったな。赤っちは、もう・・・・・・」

「惜しい人を・・・・・・亡くしましたネ・・・・・・」


「いや、死んでねぇわッ!」


 三人のお通夜トークに、勢いよく室内に乗り込んでツッコミをかます男。

 俺――赤利攻増が息を荒げながら、三人の前に立った。

「あっ、お疲れ~。回復のお祝いに激辛麻婆豆腐でもどう? お尻に障らない程度に、ね?」

 先程の会話がまるで無かったかのように振る舞い、俺に笑顔で麻婆豆腐を勧めるこの男の名は黄突突夫(おうとつとつお)。バクショウジャーのイエローである。俺と同じ十九歳で、少しポッチャリとした体格と、特徴であるオカッパ頭が印象的だ。また、不自然なほど白く綺麗に並んでいる歯も、彼という人物を語る上で欠かせないものとなっている。

「案外、復帰が早かったですネ。あのヒップのダメージを考えたら、次の戦闘ではクソ程も役に立たないだろうと分析し、四人での戦略を考えなければと思ってたんですヨ」

 悪びれる事もなく、こう言ってのけるのは、青井(あおい)・ブルトニア・蒼太(そうた)である。アフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母とのハーフであり、メンバーの中でも一際大きい体格をしている。バクショウジャーのブルーで、十八歳。自慢のドレッドヘアーが似合っているこの男は、呆れる程の女好きでもある。

「赤っち来たから食べるモンの分ける量、増えてまうやん! ウチ、可哀想・・・・・・」

 俺の姿を見て、心底残念そうにしているのは、桃瀬猪子(ももせいのこ)だ。突夫よりもポッチャリ――というよりボッテリとした体型で、ある意味では蒼太よりも良い体格となっている。こう見えて現役のグラビアアイドルであり、その筋では絶大な人気を誇っているという・・・・・・。バクショウジャーのピンクで、十八歳。可愛らしいポニーテールを揺らしながら口いっぱいに頬張るこの少女は今・・・・・・ちょうど三十貫目のお寿司を平らげたとこである。

「おーい。次はエビマヨが――むっ・・・・・・! 攻増よ、戻って来ていたのか。ほらこれ、運んどいてくれ」

 奥の部屋――キッチンから長髪長身を覗かせ、近くに居た俺に持っていたエビマヨの皿を渡す男。この男の名は黒・子豪(ヘイ・ズーハオ)。中国語読みのヘイでは呼び掛けと混同してしまう為、皆からは日本語読みのクロと呼ばれている。中国人の彼は日本語を学ぶ際、独学で時代劇から学習したためか、少し変わった日本語を話す。本国での彼の実家は、伝統ある鍼灸師の家系であるらしく、彼自身もまた才能あるその腕を日本の鍼灸院で遺憾無く発揮している。バクショウジャーのブラックで、メンバーの中では一番年上の二十二歳。眼鏡兼、料理男子の二面を併せ持つ。

「ねぇねぇ、速くエビマヨをテーブルに置いてよ。攻増」

「さっきギョーザを食べれなかったから、エビマヨが楽しみでス。ハーリーアップ、攻増さン」

「ウチ、お腹ペコペコやからエビマヨがごっつ恋しいわ。頼むで、赤っち」

「さあ、冷めないうちに皆でエビマヨを食(しょく)そうではないか。なぁ、攻増」


「謝罪と反省と心配をしろ! クソども!」


 俺はスラックスの下の包帯でグルグルに巻かれた尻の痛みに耐えながら、エビマヨを落とさぬよう絶叫するのであった。


        *


「ワハハハハ! 相変わらず、全員仲が良くて結構なことだ」

「「「「そうでしょう」」」」

「どこがなんスか! 救急隊の人が来るまで、ずっと一人で尻から血を流して待たなくちゃならないって・・・・・・。我ながら情けなかったわ!」

 中年男性の言葉に同意する四人に対し、ツッコミを入れる。

 全員、ローテーブルを囲むように着座してトークと食事に夢中になっていた。

「最初、突夫君達が笑いながら成果報告をするものだから何事かと思っていたが・・・・・・。何はともあれ、攻増君が帰ってきてくれてよかったよ!」

「茶羽(ちゃばね)博士・・・・・・。俺、このバイト――ヒーロー辞めます。失笑団より先に、コイツらに殺されそうなんで」

「ええッ! ちょっと待ってよ! 正義のヒーローがドタキャンは困るよ! それに、君達の職業柄、このヒーロー業は他にない良いバイト先だと思うんだけども? この祝勝会兼、食事会も・・・・・・なんだかんだで楽しいだろう?」

「・・・・・・・・・・・・むぅ」

 中年男性――茶羽五木(ちゃばねいつき)の引き止めに、退職の決意が揺らいでしまう。

「ほら、皆も攻増君がチームを抜けるのは淋しいんじゃないかい?」

 茶羽博士が他のメンバーに心情を問う。

「今日のレッドのモノマネやりまーす。『お尻がイターイ。痛いよー』」

「ギャハハハハハハ! 黄ちっち、サイコー! 本人より本人やん!」

「こらこら。食べ物で遊ぶでない。エビフライを鍼に見立てて尻になんぞにブフゥっ!」

「ヒャハハハハ! ケチャップをつけたらもっとリアルに見えますヨ!」

「お世話になりました」

「待って待って待って!」

 どうやらこのチームに道徳心というものは無いようだ。

 俺の体にしがみつく茶羽博士を引きずりながら、玄関までの道のりを行こうとすると、クロが苦笑しながら口を開いた。

「まぁまぁ、良いではないか、攻増よ・・・・・・。我らの本業を考えたら、とても貴重な経験をしたと言える」

「そうだよ。全部を言うのはマズイから、添削して人前で話せるレベルにすれば儲けもんじゃん」

「ネタが増えるのは羨ましい事ですヨ」

「そうよなー。だってチームの男組は全員――」

 両手に持っていたピザを一つ食べ、空いた片手で桃瀬が男四人を順番に指差す。

 俺も歩みを止めて、会話を聞き入る。


「――マジもんの芸人なんやもんな! ・・・・・・見事に全員、売れてへんけど」


「「「「ぐはッ!」」」」

 桃瀬による言葉のナイフに、ザックリとやられた男組。

 その場に仲良く床に倒れ、互いに視線を送りあう。生死の確認と、『俺達、まだまだこれからだよな!』という、傷の舐め合いの為に・・・・・・。

「うむ。ナイスリアクションだ! 皆、成長しているな」

「博士、こいつらリアクションやのーて、マジでショック受けてるだけですよ?」

 桃瀬に勘違いを指摘された博士は、自分で軽く頭を小突き、ペロっと舌を出していた。

「くっ・・・・・・! 怪人の相手をするよりも、深刻なダメージを喰らった気分だ」

「ああ、そうだね・・・・・・。三途の川を三往復半した感じがするよ」

「それ、死んでますヨ・・・・・・。でも、五年前に天国へ行ったグランドマザーが笑顔で手招きしている姿が目に映ったので、あながち間違いじゃないのかもしれませんネ」

「ぐぬぬぬ・・・・・・! こ、故郷に錦を飾るまでは、こんなトコで死ねぬ!」

「あんたらメンタル弱すぎやろ! そんなんで芸人としてやっていけるんかいな・・・・・・」


そう・・・・・・。何を隠そう、俺達はお笑い芸人。

大手お笑い事務所、白虎興業に全員が本名で所属している。

お笑い養成所からの同期は、俺と突夫とクロの三人で、蒼太だけ一期下の後輩になる。ちなみに、桃瀬は俺達より早く芸能界でデビューしている為、ヒーローの時以外は先輩となる。ヒーローとして闘う時は、上下関係があると遠慮し合ったりして闘いにくいため、全員が対等であるようにと決めたのだ。

 各々の芸風と目標もしっかりある。

「バ、バカにすんなよ! 俺のトークは結構、人気なんだ!」

 俺の場合は、『赤利攻増の攻め過ぎ赤裸々漫談』と銘打って、ライブハウスでピン芸人として活動をしている。近くで見てきた売れている先輩の歴代の彼女を暴露したり、嫌いな構成作家のダメ出しをするなど、攻めたチクり漫談を披露しているのだ。ただ内容が内容の為か、ニッチなファンしか獲得できず、伸び悩んでいるのが現状だ。

 夢は芸人として売れて、推しのアイドルである鬼美橙里ちゃんと結婚することだ。

「人気なんは、ごく一部の性格の悪い人間だけに・・・・・・やろ?」

「うぐぅッ・・・・・・!」

「で、でも僕はテレビに出た事あるし・・・・・・」

 突夫はリアクション芸人を目指している。何も目標が無く、無駄に日々を過ごしていた時のこと。なんとなく観ていたバラエティ番組で、槍を持ったアフリカの部族から死に物狂いで逃げている芸人の姿に感銘を受けて、お笑いを目指すようになったのだと言う。

 養成所時代の突夫はネタ見せの時、口の中いっぱいに爆竹を突っ込み、爆発に対して面白いリアクションをするというネタを披露した。しかし、爆発の衝撃で全部の歯が飛び散り、砕けた歯の欠片が講師や同期に刺さる大惨事が起きた。当の本人も、その時は口から大量の煙を吐いて気絶し、救急車を呼ぶハメとなっていた。その後、無くなった歯を取り戻す為に、六百万円のインプラントをし、日々のリアクションと歯に磨きをかけている。

 夢は世界各国をリアクション芸で渡り歩く事だと話していた。

「黄ちっちのはテキトーに集められた若手芸人らに、大御所芸人が体を張らせる悪乗りバラエティやろ? たったワンコーナーの出番だけやったし、別に黄ちっちである必要がないやん」

「ひぎぃっ!」

「僕はこの珍しい容姿に加え、日本語しか喋れないというギャップでバラエティ界のトップに上り詰めてみせますヨ! そしてエブリデイ、女の子達と遊びまくりまス!」

 蒼太は女の子が好きで、芸人になったのもモテそうだからという理由だった。趣味のDJから培ったラップを披露し、ディスりラップで人や政治をイジっていく芸風だが、お客さんに可愛い女の子が居た場合、ラップを取りやめて連絡先を聞きに行く癖がある。その為、蒼太の芸を最後まで聞けた事がない人が大勢いるのだ。

 夢は彼女を十万人つくり、ハーレムを築くことなんだと・・・・・・。

「別にハーフ芸人なんて今時ありふれているし、もっと日本語カタコトで振られたトークも見当違いな事を返す奴の方がオモロイやん。ブルっちなんて二番煎じどころか百番煎じで、見た目に頼らずちゃんと芸事に精進せんと後が無いと思うで?」

「ハグゥっ!」

「わ、我はこの中だと真っ当に芸事に取り組んでいるぞ! 問題あるまい!」

 クロはコンビを組んで漫才をしている。しかし非常に残念ながら、このコンビが続かないのだ。喧嘩をする訳でも、ネタが思いつかない訳でも無い。

それは何故か・・・・・・。答えは、クロはツッコミの道具として鍼を使用するからだ。相方がボケたら、手で相手の頭を叩かずに、鍼を突き刺すのだ。本人は『こちらの方がインパクトがある』として、やり方を変えるつもりはないらしい。意外にも、鍼を刺された相方の方は、漫才中に鍼治療が行われるので元気になっているのだ。しかし、お客さん側からしたら人間がどんどん鍼まみれになっていくので、見ていて不安になり、漫才に集中できないと苦情が相次いでいる。

 そんなこんなで、漫才のネタがウケないので解散というのを繰り返し、今現在で相方を五十人は変えているのである。

 夢は鍼灸師の家系から代々言い伝えられてきた、『笑いのツボ』を探し当てることだという。このツボを発見すれば、お笑い業界そのものがひっくり返る程の大発見なのだとか・・・・・・。とてつもなく眉唾物だが、クロの家の人達はこれを信じているというので、仲間内では否定をしないでいるのだ。日本に来ているのも、どの国よりもお笑いのレベルが高いここなら、笑いのツボに関する何かしらのヒントがあるかもしれないと思って住んでいるのだと言う。

「クロっちは・・・・・・・・・・・・単純にネタが怖い」

「ウエェっ!」


「・・・・・・死屍累々とは、正にこのことだね・・・・・・」

 桃瀬に自分たちの弱みを的確に指摘されてしまい、俺達はお互いの傷の舐め合いをする余裕も無く、その場で声を殺して泣いた。

 そんな俺達を不憫そうに眺めいている茶羽博士に、桃瀬がまたも辛口を開く。

「茶羽博士も! 少し前まで第一線で活躍していた漫才師だったんでしょ? 今はヒーローの後方支援ポジの博士的な雇い主兼お笑い養成所の講師もしてるんやから、この自称お笑い芸人達に売れるアドバイスでもしてやったらどないですの? コイツらこのままやと一生、日の目を見ることも無い・・・・・・寂しくて虚しくて意味のない人生を送ることになりますよ?」

「「「「ウエェ~ン」」」」

「そこまでだ、桃瀬君! これ以上、彼らの不安を煽るのはよしたまえ。大の男四人分の号泣で部屋にある除湿機のタンクがいっぱいになってしまったぞ。それに・・・・・・私が教えられるのは、発声と漫才の発想や作り方だけだよ。世に出るためのお笑いは、自分達で模索していかないと。かつての私達の様に・・・・・・」

 そう話す茶羽博士の顔は、どこか寂しげに見えた。

 桃瀬の言う通り、茶羽博士は俺達芸人&ヒーローの先輩であり、雇用主でもあるのだ。有名な兄弟漫才師だった茶羽博士は、弟さんと一緒に『チャバネゴキブリ』というコンビを組んでいた。劇場中心で活動していたためか、俺らは博士達のネタを見たことは無い。しかし、玄関にある靴箱の台の上や、部屋にあるメタルラックに所狭しと飾られてあるお笑いコンテストのトロフィーを見る限り、相当な実力者であると窺える。

「しかし、案ずることなかれ! 君達をヒーローとして雇った最大の理由として、笑力(しょうりき)の凄まじさにある! それは私達兄弟の意思を引き継ぐ者として申し分ないし、普通に芸人を志す者よりも遥かに面白さの可能性を秘めている証拠だ! 各々が表現するお笑いを信じて、まずは前進あるのみだ!」

「「「「は、博士っ・・・・・・!」」」」

 ローテーブルの上に立ち、鼻息を荒くして俺達後輩に激励の言葉をくれる茶羽博士。そんな博士を俺達は取り囲み、両手を組んで涙目で崇拝する。

「アホらし・・・・・・。笑力なんて、そんな抽象的なモン信じてどないなんの? 希望的観測では腹は膨れないんやで?」

 そんな男共に白けた視線を向け、フライドポテトを頬張る桃瀬。

「抽象的って、今更言うか? 現に何回も俺達は変身してきただろ?」

「「「そうだ、そうだ!」」」

「そりゃあ・・・・・・そうやけど・・・・・・」

「「「そうだ、そうだ、そうだ!」」」

「ウザッ!」


 笑力。

 それは芸人、あるいはそれを志す者が有している――身に起こる事象を笑いに変えられる力。

 例えば、散歩中に鳥のフンが頭に落ちる。スタジオのフリートークでオチまで話したが受けず、焦って言い放った一言が爆笑を生んだりする。こられの事は全て、その芸人の笑力の強さによるものなのだ。

 言い換えると、笑力が弱ければ大して面白い事も浮かばず、笑ってもらえる様な出来事も日常で起きない。つまりは、売れない芸人になってしまうのだ。


「君達の笑力は面接の時に、この《笑力計測グラスィズ》で確認済みだ。だからこそ、変身アイテムの一つである《爆笑ドッグタグ》が反応して、それぞれの笑力に応じた紋様が浮かび上がったのだから・・・・・・」

 茶羽博士は自分の眼鏡――《笑力計測グラスィズ》をクイっと人差し指で上げてみせた。

「「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」」

 俺達も、服の下に隠していた《爆笑ドッグタグ》を引っ張り出す。

 首にボールチェーンで巻いた長方形型のドッグタグには、各々の変身カラーとは別に、五者五様の刻印が刻まれていた。

「なんか信じられませんネ・・・・・・。自分がチャイルドの時に憧れていたヒーローになっているなんて・・・・・・」

「全くだ。我の鍼灸師の技を、まさかこんな形で使う事になるとは・・・・・・。祖国を旅たつ時には、露ほども思わなかったぞ」

「まぁ、それもこれも・・・・・・」

「そうだね」

「やな」

「・・・・・・ん?」

「「「「「茶羽博士が俺(我、僕、ウチ)らを美味しいバイトという名目で騙したからなんだけど」」」」」

「ウソ! そんな風に思ってたの!」

 全員、半年程前の事を思い返す。

 

 グラビアアイドルの桃瀬はともかく、俺達みたいな売れてない芸人はとにかくお金が無い。

 無論、バイトはしている。しかし、所属事務所から急に営業を入れられたり、先輩芸人が主催しているイベントの出演を頼まれたりと、バイトを休まなければいけない事が多々あるのだ。

 そんな事を続けていると、当然クビを切られてしまい、貧乏の悪循環に陥る。

 公園の水道水で飢えを凌ぎ、住んでるアパートの電気代も払えない日々が続いていた。

マジで金に困っている時に、残り少ない充電のスマホから、あるバイト求人広告が目に留まった。

『芸人や面白い人限定! 年齢、性別は問いません。ちょっと人助けをする簡単なお仕事です。最大で五人採用を検討。都合が合わない日には、別の採用された方に頼むので、急な休みでも安心。興味のある方は下記の住所まで。履歴書不要、簡単な審査あり。注・・・・・・正式に雇用契約を結んだ場合、仕事内容については他言無用でお願いします。違反した場合、罰則として私の過去の栄光の自慢話七十二時間耐久コースを予定しておりますのであしからず』

 いかにも胡散臭い内容だったが、特に目を引いた一文があった。

『時給8888円(ハハハハ)←笑い声・・・・・・なんちて』

 気づけば求人に載っていた住所に来ていた。人助けの仕事に興味があったからだ。

 港区のとある高層マンション。普段の自分には場違い過ぎて気後れするトコだが、高時給の前では恥も外聞も無い。意気揚々と、共用エントランスのインターホンまで進む。

(ん? 行列?)

 そこには十人程の男女が並んでいた。しかも、中には見たことがある奴もチラホラ居る。

(みんな、考える事は同じか)

 列をなしていたのは全員が芸人であった。高時給に釣られてノコノコとやってきたのだろう。さもしい奴らだ。

 自分も列の最後尾に並び、順番を待つ。

『すいません。求人広告を見てきました』

 列の先頭の男がインターホンに話しかける。

 少しの沈黙の後、家主であろう男性の返事が届く。

『――不採用。お疲れ様でした。お気をつけてお帰りください』

『えっ?』

 特に会話や理由も無いまま、インターホンが切られた。

(早っ! もしかして、インターホンを押してすぐに審査が始まってんのか?)

 トボトボと、来た道を戻る男を全員で見送る。

 その後も、何人もの芸人が速攻で落とされるのを横目で見る事となった。

 そして、とうとう自分の番が来てしまった。

(これは求人広告に書いてあった様に、面白さをアピールしなきゃならないのかも・・・・・・)

 俺は意を決してインターホンを押す。

「赤利攻増の~漫談トークショー! まずは先輩芸人の《ブーちん》さんの話から! 体重が百三十キロある《ブーちん》さんなんですけど、テレビのダイエット企画の為にダイエットをする事になったんですよ! 朝からランニングに、昼は野菜サラダのみ。夜はジムに行って筋トレと本格的に動いてたんですけど、いざ体重測定の日に測ると百五十キロになってたんですって・・・・・・。番組側も焦ったらしく、本人に話を聞いたら『理由は分からない。筋トレ後はコーラでプロテインを割ってちゃんと飲んでいたし、野菜サラダもコーンだけのサラダを毎日食べていた。真面目に取り組んでいたのに何で増えてるのか皆目見当がつかない』と言って、番組のプロデューサーにぶん殴られたそうです。次は落語家の小判鮫亭吸盤師匠から直接聞いた話ですね・・・・・・。散歩途中に小雨(サメ)が降ってきて、吸盤師匠が慌てて近くの出来たばかりの飲み屋に一人で入ったんですって。店内には綺麗な女将さんが一人いて、その女将さんは師匠を一目見て大ファンだと話して喜んだらしいんですよ。それを言われて師匠も嬉しくなって、お客さんも師匠だけだったから二人でカウンター席に座って話し込んだと・・・・・・。女将さんは話を聞くのが上手(ジョーズ)で、どんどんお酌(シャーク)もしてくれたから師匠もすごく酔っぱらっちゃって・・・・・・。明日の仕事の影響も考えて切りのいいところでお勘定をお願いすると、女将さんがニタリ(ネズミザメ目オナガザメ科)と笑って十九万七千五百円(一九七五年は映画ジョーズの公開日)の請求書を出されて顔が青ざめ(青鮫)たと話してました。次に――」

『ごめん、動かず静かにしてくれるかな? 今、計測ゲフンゲフン――審査をしている最中だからさ』

「――はい・・・・・・。なんか、すいません・・・・・・」

 どうやら面白さアピールはバイトの合否に関係ないようだ。・・・・・・めっちゃ恥ずい。

「ふむふむ。――むおッ! これは・・・・・・」

「?」

 インターホン越しだが、男性が驚いている様子が伝わる。

「素晴らしい! 合格だ! さあ、私の部屋まで上がってきてくれ!」

「うぇッ! ほ、本当に・・・・・・? ラッキー!」

 エレベーター前のオートロックが解除される。

 何の手応えも無いままに採用され、意気揚々と広告に掲載されていた二十階の部屋までエレベーターで昇る。

 部屋の前まで来ると、玄関の扉が解放されていた。

「あのー、ごめんくださーい。採用された者なんですけどー」

 玄関から見える広い廊下に声掛けをするが、返事は無かった。

「・・・・・・お邪魔しますよー。セミ不法侵入しまーす」

 恐る恐る廊下を進み、リビングに繋がっていると思われる扉をゆっくりと開いた。


『パーンッ パパーンッ』


「うぎゃあ! な、何だ?」

 扉を開けると急な破裂音が俺に襲い掛かり、驚いてその場で腰を抜かしてしまった。

「いや、そこは『撃たれたー』と言って胸を押さえて倒れ込めや! ホンマに芸人かいな?」

「ハハッ。僕の国ではあまりシャレになってないですネ。それ・・・・・・」

「フン! 相も変わらず肝が据わらぬ男よな」

「まぁまぁ・・・・・・。誰だって、いきなりクラッカーを鳴らされたらこんなリアクションになると思うよ? でも、僕ならもう少し面白いリアクションを取れたかも」

「えッ? ええッ!」

 自分が置かれている状況に困惑しつつも、声のする方へ顔を向ける。

「あれ? 何でお前らが?」

 目の前に居たのは養成所や事務所のライブでしのぎを削ってきた親しい芸人達と、たまにテレビや雑誌で見掛ける印象力抜群のふくよかアイドルだった。

「決まっている! ここの家主の求人に応募して、見事に採用されたのだ!」

 俺の問いに、クロが仰け反りながら自信満々に答える。

「みんな、金銭的に余裕なんて無いしね。高時給のバイトがあれば食いつくでしょ?」

「あー、なるほどなー・・・・・・」

 突夫が座り込んでいる俺に手を差し出して、起き上がらせてくれる。

「え? 俺ら貧乏芸人なら分かるけど、なんちゃってアイドルのアンタが何で――」

「なんちゃってちゃうわ! 現役ピチピチ豊満アイドルじゃ!」

「――ゴッファ!」

 ビンタではなく、ボディブローのツッコミは生まれて初めてだった。

 すると、目の前の四人の後ろから拍手して近づいてくる者がいた。

「ふふふふふ。それぞれの自己紹介は済んだみたい――と言うより、顔なじみが多い様だね。これなら現場のピンチ時も、仲間同士をフォローしやすいだろう」

「その仲間にヤられて、攻増さんがピンチなんですけどそれハ?」

「うぐぅ・・・・・・。ところで、アンタは何者? 肥満アイドルのマネージャー?」

 腹を手で押さえながら必死に起き上がり、急に現れた中年男性に尋ねた。

「初めまして、攻増君。私は茶羽五木。君達芸人の先輩であり、雇い主になる男だ。よろしく頼むよ」

「あっ! よろしくお願いします。・・・・・・先輩?」

「ああ。私と弟で漫才をしていて、劇場限定で活躍していたんだ。だから若者が知らないのも無理はない。今は訳あって漫才師を辞めて、お笑い養成所の講師をしているがね・・・・・・」

 なるほど。元お笑い芸人だからこそ、あの様な求人広告の内容だったのか。

「あの、茶羽さん・・・・・・」

「茶羽博士って呼んで」

「なんで?」

「こーゆーのは雰囲気を大事にしたいからね!」

「・・・・・・じゃあ、茶羽博士。俺達がやる仕事の内容って何なんですか?」

「ふふ。よくぞ聞いてくれた!」

 茶羽博士は着ている白衣を翻し、拳を天高く突き上げて興奮気味に告げた。


「君達五人には正義のヒーロー、『お笑い戦隊 バクショウジャー』として悪と戦ってもらう!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ウチらとおんなじで、原子炉の説明を専門用語を交えて教え込まれている様な顔をしてんな」

「誰でも最初は理解に苦しみますよネ。『悪って何? 人間そのもの?』って・・・・・・」

「哲学やなー」

 よく分からん二人の会話は無視して、ここは落ち着いて茶羽博士の言葉の真意を汲み取る必要があるな。

「あのー・・・・・・。その激寒ネームの舞台のキャストになって悪役と戦うって事で大丈夫ですか?」

「全然大丈夫じゃないぞ! 舞台などではなく、モノホンのヒーローになってもらうのだよ! これは誰でもなれる訳ではないぞ。選ばれし笑力を持つ者だけに与えられた名誉ある特権なのだ! 本当は私と弟で活動していたが、諸事情により変身が困難になってね。若い君達に正義という重圧を肩代わり――」

「お疲れしたー」

「――ぅおい! 帰ろうとするんじゃない!」

「耄碌したジジイ芸人の戯言に付き合うほど、こっちは余裕も暇もないんすよ。舞台じゃない? 笑力? なんじゃそれ・・・・・・。お前らもこんな茶番にエエッ!」

 俺は自分の目を疑った。

 他の四人も玄関へ誘おうと視線を送ると、そこに信じられない物が存在していたからだ。

 さっきまで生身であったハズの奴らが、顔をマスクで覆い、体にフィットした各々の色のスーツを纏っていた。

 その姿はまさに、子供の頃に憧れていたヒーローの姿そのものだった。

「フハハ。どうだ? 似合うであろう?」

「でもこの姿だと、ウチの可愛い顔が見てもらえへんなー。残念やわ」

 黒い奴からはクロの、ピンクからはあのふくよかアイドルの声がした。

「このバイトが守秘義務なのが残念でス。職業上、目立ってなんぼの商売なのニ・・・・・・」

「しょうがないよ。決まりだもん。ヒーローってバレたらSNSのダイレクトメッセージに世界中から助けを乞われて面倒な事になるからって・・・・・・」

 青い奴から蒼太の、黄色から突夫の声が聞こえる。

「・・・・・・・・・・・・マジで?」

「当然、マジだとも! 信じてもらえたかい?」

 俺の目の後ろで全員がヒーローに変身し、呆気に取られる。

 そんな俺を嬉しそうに見ている茶羽博士が、白衣のポケットから何かを取り出した。

「これを持ってみてくれるかな?」

「は、はぁ・・・・・・。これは?」

「名づけて《爆笑ドッグタグ》! 今は何の変哲もない銀色で無地のドッグタグだが、君が握る事で特別な物に変化する」

「・・・・・・なんかヒーロー名といい、道具名といい、語彙力が小学校低学年っすね」

「やかましい! さっさと握るんだ!」

「――あ! ちょっと!」

 茶羽博士が俺の右の掌に無理やりドッグタグを置いて握らせる。

「ッ!」

 ドッグタグを握った瞬間――掌から赤い光が放たれ、燃え滾る様な熱感に襲われる。

「熱っつ! これ熱っつ!」

「頑張れ! もうちょい!」

 手を開いて投げようとするが、茶羽博士が俺の右手を両手でがっちりホールして放してくれない。

「僕達も経験したから大丈夫だよ」

「ウム。そう、時間はかからんハズだ」

 段々と光が収まり、熱も感じなくなってきて頃に、茶羽博士が手を開放してくれた。

「イヤ、何すか、これ? 手を開けるのが怖いんすけど?」

「その《爆笑ドッグタグ》は持ち主に宿る笑力に呼応し、変身に導いてくれるキーアイテムさ。さらに、持ち主の性格や特徴に応じてタグ部分に紋様を自動で描いてくれるんだ」

「え?」

 茶羽博士の言葉が気になり、恐る恐る握った右手を開けてみる。

 そこには――

「・・・・・・・・・・・・お椀?」

 赤地に、銀色でみそ汁を注ぎ入れる様な器の形が浮かび上がっていた。

 茶羽博士が俺に近づき、手のドッグタグを覗き見る。

「これは・・・・・・・・・・・・おちょこだね」

「「「「あー、なるほど」」」」

「何だよ! 何が言いてぇんだ、お前らは!」

 不快極まりない四つの視線が忌々しい。

「でも・・・・・・これで俺も変身出来るってことッスよね? ヤベー。興奮してきた!」

「案外、ノリノリですネ」

「さっきまで帰ろうと息巻いてたクセになぁ」

「うっせ! 変身はみんなの憧れだろうが!」

 俺は深呼吸し、高鳴る胸の鼓動を落ち着かせる。

 ドッグタグを持った右手を天高く突き上げて、大声で叫ぶ。

「へ~ん、しんっ!」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・プッ」

「あれっ? 何で?」

 俺の叫びとオリジナル変身ポーズも虚しく、特に変化もないまま、ピンクの笑い声だけが聞こえた。

「ドッグタグだけで変身する事は不可能だよ? 笑力を溜め込んだ《爆笑ドッグタグ》を、この《殴打変身槌 ワハハンマー》にセットして笑力を解放することで初めて変身できるんだから」

「最初から一緒に渡してくださいよ! 決めポーズまでしてカッコ悪! てか、これ・・・・・・ピコピコハンマー?」

 茶羽博士から手渡されたのは百円ショップにも売ってそうなおもちゃのハンマーだった。

「見た目はそうだがこれに――ムムッ! 《笑力計測グラスィズ》に備わっている失笑力センサーに反応があったぞ! さっそく悪のお出ましみたいだ! 『習うより慣れろ』だ! よーし、みんなで現場に行くぞ! そして、無事に帰って来たら祝勝会だー!」

「「「「おー!」」」」

「いや・・・・・・。俺に変身方法を教えてからの方が良くないですか?」

「私に続けー!」

「「「「よっしゃー!」」」」

「だから俺は? 生身なんですけど! 剥き出しなんですけど!」


 こうして俺達バクショウジャーの波瀾万丈なバイトヒーロー生活が、半ば強引に幕を開けたのだった。


「懐かしいですネ。最初の敵の怪人ボクシングスベリーは攻増さんが引きつけてくれたお陰で、ナイスなチームプレーで倒せましたヨ」

「変身できないで焦っていたら敵に捕まってマウントを取られて、そのままボコられただけだっつーの! 気付いたら茶羽博士のベッドの上だったから、何一つチームとしてプレーできなかったわ!」

「お前が敵に血と涙を流しながら許しを乞うているスキに、我ら四人が敵の背後を取って倒したのだ。もう少し助けるのが遅れていたらベッドの上ではなく、霊柩車の中だったかもしれんな。ちなみに本拠地兼、博士邸までお前を運んだのは我だ」

「すぐに変身の方法を教えてくれたら三週間のお粥生活なんてしなくて済んだんだよ! ありがとな!」

「ところで博士・・・・・・。今まで全く気にしてなかったんですけど、博士の弟さんてどちらにいらっしゃるんですか? 一緒に住んでないみたいですが・・・・・・」

「ウ、ウム・・・・・・」

 突夫の質問に対し、明らかに表情を曇らせる茶羽博士。

 確かに・・・・・・。

博士本人からは兄弟漫才師と聞かされてはいるが、誰もその姿を見た者はいなかった。

 博士は眉根を寄せ、悲痛な面持ちでゆっくりと口を開いた。

「実は・・・・・・弟は先の戦いで憎き失笑団を止めるべく、敵の親玉と相打ちになったんだ。戦いの中で負傷した私を庇う為、弟は全ての笑力をヤツにぶつけた・・・・・・。ヤツもまた、全力の失笑力で応戦し、その場が爆心地と思う程の衝撃が襲った。閉じていた目を開けた時、弟もヤツも・・・・・・私の視界から居なくなっていたんだ・・・・・・。すまない。こんな話をしてしまっては恐ろしくなってヒーロー業を――」

「あのリアル鍼地獄からすぐに戻ってきたけど、実際は大丈夫なの?」

「今もめちゃくちゃ痛くて医者からは入院を勧められたけど、そんな事が気にならなくなるビッグな仕事が入ったんだよ! 医者の忠告を無視して急いで戻ったぜ! これを見てくれ!」

「マネージャーからのメール? 『明日の十四時、アイドルの鬼美橙里の屋外ライブがある。ファンであるお前の為に前説の仕事を取ってきてやったから頑張れ』・・・・・・。へぇー。凄いじゃん・・・・・・」

「だろ! もしかしたらさ、これをきっかけに交際が始まるんじゃね? どうしよう? 結婚式場を押さえとかないと!」

「気ぃ早すぎやろ! そんなの、うちんトコの社長が許すかいな」

「そう言えば桃瀬さん、そのアイドルの人と同じ事務所――ジョーヌ・ジャッロでしたよネ?

実際、どうなんですカ? 『私のファン、キモくて臭いのしかいないからサイアク~』とか、性格の悪さを知っていたら聞きたいでス! 他の女の子と仲良くする為に話のネタにしまス」

「バカ野郎、蒼太! 清潔感と気品と天使とガイアとマイナスイオンを煮詰めてできた様な橙里ちゃんが、俺達ファンをゴミムシみてぇに思ってる訳ねぇだろ!」

「攻増さんは女性の事を知らな過ぎまス! いい加減、アイドルなんて偶像を追うよりも、近くの女の子を好きになった方が確実ですヨ!」

「テメェ・・・・・・。言って良い事と悪い事の区別もつかねぇのかよ! 青だけど脳内ピンク男」

「ハッ! せいぜい搾取され続けるんですネ。キモオタ代表取締役さン」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「「やんのか、ゴルァ!」」

「あーもう、うるさいなー。バカ二人が室内で暴れまわったら食べ物に埃が付いてまうやん! いい加減にしときや」

「・・・・・・」

「ム? どうしたのだ、突夫? 攻増の前説の仕事が羨ましいのか?」

「いや、そうじゃないさ・・・・・・。少しジョーヌ・ジャッロって事務所に拒絶感があって・・・・・・」

「ふむ、そうなのか? 我もそんなに詳しくないが、大手のアイドル事務所なのであろう? 我らお笑い芸人とは遠い様で近い存在であるから負けてはおれぬな! 我々は我々の得意分野で世間に認知してもらい、アイドル事務所を見返そうではないか」

「・・・・・・・・・・・・うん、そうだね。ありがとう、クロ」

「礼には及ばぬ」

「じゃかあしいわ! このダボ!」

「「グベハッ!」」

「落ち着いてカツ丼が六杯しか食べられへんやろ! 次やったら病院に直送したるさかい覚悟しいや!」

「「ず、ずびばぜん、でじだ・・・・・・。ボエッ」」

「ねえ! みんな自由過ぎない? 私、結構重要な話をしたよ!」

 茶羽博士がなんだか慌てふためいているが、全員が特に気にしていない様子だ。俺と蒼太に至っては、桃瀬の突き飛ばしで壁に打ち付けられ、二人して胃の中の物を床に吐いている。

「まぁまぁ、博士。弟さんの安否が不明で、不安な気持ちも分かりますよ? でも、まだ亡くなられたって決まってないんやったら、希望はあると――ウチは思います!」

「桃瀬君・・・・・・」

「戦い続けていれば、弟さんの情報を失笑団から聞き出せるかもしれないですし・・・・・・。仕事だけでなく、いつも美味しい食事まで提供してもらってるんです。人々の平和もだけど、博士の助けにもなりたい。だから、これからも頑張らせてください」

「突夫君・・・・・・」

「悪には天誅を! 我の目と名前が黒いうちは、失笑団などと言う不埒な輩の思い通りにはさせん! 博士よ! 弟君の行方、必ずや突き止めましょうぞ!」

「クロ君・・・・・・」

「「ゲボッ・・・・・・! オ、オエェェェェ・・・・・・」」

「攻増君、蒼太君・・・・・・」

 茶羽博士は一人一人の顔を見て、安心している様子だった。

(まさか年長者の私が励まされるなんてな・・・・・・)

「ありがとう、みんな・・・・・・。どうやら私の杞憂だったみたいだね。全員が私達兄弟よりも立派なヒーローに成長している。心構えと面構えが半年前とまるで別人だ。しかし、失笑団の魔の手はすぐそばまで来ている。これからも慢心せず、人々の為に戦って欲しい。・・・・・・そしていつか必ず、弟を含めた七人で食卓を囲もう!」

「「「はい!」」」

「「オエッ!」」

 気持ちを新たにした俺達六人。

 茶羽博士の弟さんの件も含め、これからも悪の手から人々を守り抜くと誓った。


        *


 失笑力。

 それは笑力とは真逆に位置する力。本来なら失笑とは『こらえきれずに笑ってしまう』という意味だ。しかし、失笑力に関して言えば文字通り、『笑いを失わせる力』である。芸人がネタでスベったり、アイドルや俳優との絡みで、巧い返しができずに空気が最悪になったりする。この芸人によって生み出されるマイナスエネルギーが失笑力の正体である。この失笑力を扱える者が悪用しようとすれば、世界がたちまち沈んだ空気に変わり、誰かが何をしても面白いと感じなくなる擬似氷河期の到来となってしまうのだ。


 夜。とあるマンションの一室。

「キィーッ! 悔しい! あのクソガキ共! 今、思い返しても腹立つわ!」

 長い金髪を乱れさせ、フローリングの床をヒールで何度も踏みつける女の姿があった。

 部屋には電灯や家具、カーテンも無い。

生活感が全くないこの部屋では、電灯の代わりに月明かりで視覚を補うしかない。

「私達の邪魔もそうだけど、何より変身しているのが芸人っていうのがもう・・・・・・」

 女の目は血走り、さらに鼻息を荒くする。

何も無い空間で一人荒れているその女は、腰に携帯してある鞭を掴み、それを壁に振るおうとした。

その時――


「そこまでだ、オスベリーナ。落ち着け」


 部屋全体が一瞬にして毒々しい紫色の煙に包まれたかと思いきや、その煙が部屋の天井まで届くほどの巨大な人の形を模した。

 そして身も心も凍える様なおぞましい声が、オスベリーナと呼ばれた女の行動を静止させる。

「も、申し訳ありません! 私、芸人という腐ったゲロムシが本当に許せなくて・・・・・・。つい、我を忘れて暴れてしまいましたわ・・・・・・」

「芸人を憎むことは良い事だが、部屋に当り散らすんじゃない。敷金が返ってこなくなるだろ」

「ほ、本当に申し訳ありませんでした!」

 巨大な人の形をした紫色の煙に、オスベリーナが深々と頭を下げる。

「まぁ、いい。これまでの戦いで怪人や幹部がことごとくバクショウジャーに倒されてしまい、残ったのは俺とお前だけなのだ・・・・・・。この事は不問とする。一枚岩となって奴らを潰さなければならないからな」

「ハッ。寛大なご配慮に感謝いたします。必ずやあのクソゴミ戦隊を我が鞭の餌食にしてみせますわ」


 バシンッ バシンッ


「だから! 床や壁を鞭で打つのは止めろ! もう確実に金が返ってこないだろ、これ!」

「やだ! 私ったらまた・・・・・・」

「まったく・・・・・・。時に、オスベリーナよ。あの計画の首尾はどうなっている?」

「当然、問題なく進んでおりますわ。明日は我ら失笑団の最良の日になるかもしれません」

「素晴らしい! お前ほどの優秀な部下は他にいないな」

「そ、それほどでも・・・・・・ありますわね! オーッホッホッホッホ!」


 バッシンッ バシンッ バシンッ バシンッ


「だーかーらーさー」

「すいません! すいません! すいません!」

 二人(?)して落ち込んでいると、煙人間の体積が突然――大きくなりだした。

「フフッ。またどこかで名ばかりの芸人がスベった様ですわね。失笑力があなた様に集まっているのがその証拠・・・・・・」

「ああ、そうだな。このスベった感覚は・・・・・・小さなライブ会場で慣れない客イジリに挑戦した芸人が、客を怒らせてしまい、とんでもない空気になってスベった様だ」

「プーッ! だっさーい。実力が伴っていないくせに、そんな難しい事をするからよ」

「ハハハハハ。だが、それでいい。世の芸人共がスベればスベるほど、我が力の糧となる。そうすれば先代のバクショウジャーに受けた傷も癒えるのだからな」

「ッ! ではやはり、もうすぐ・・・・・・?」

 期待の眼差しで見てくるオスベリーナに対し、煙人間が頷く。

「そうだ! この失笑団を率いる俺様の復活は近い!」

 煙人間の言葉を聞いて、オスベリーナは嬉しさのあまりぴょんぴょんとその場を飛び跳ねる。

「俺が完全復活した暁には、必ずこの世界から芸人や笑いの文化を消滅させ、笑顔のない素晴らしい理想郷を実現してやるのだ。その時には、オスベリーナ・・・・・・。お前の復讐も果たされるだろう」

 オスベリーナは力強く頷く。

「ええ、そうですとも・・・・・・。私の家に転がり込んで、日々の生活費や余ったお笑いライブのチケットを買ってあげたりと面倒を見てあげたのに、私よりも若い女芸人の彼女ができたから別れるって・・・・・・。売れたら結婚しようって言ってたクセに・・・・・・。私もまだ二十五歳で若い方なのに・・・・・・」

 怒りでわなわなと肩を震わせるオスベリーナ。

「芸人の男なんてただ女遊びがしたいだけの年中発情ヘコヘコ色ボケ猿なのよ! 絶対に男芸人をこの世から抹殺してやるんだから! 時間とお金を返しなさいよ、あんのボケがぁー!」

「ハハハ! いいぞ、オスベリーナ。強い芸人嫌いの波長を感じ、芸人のヒーローを一緒に倒さないかとお前をスカウトして正解だった。復活した俺とお前とでなら、邪魔者のバクショウジャーを確実に葬れる。肉体を失ってしまったが、問題ない。失笑力を利用し、コイツを寄り代にしてヤツの前に立ち絶望を――待て待て待て! だから鞭は止めろ! ガラスを割るなー!」


 恐ろしきかな悪の組織、失笑団。

 果たしてバクショウジャーの五人は失笑力を使いこなす悪の親玉と、男芸人絶対殺すウーマンのオスベリーナに勝てるのだろうか?


 決戦の時は確実に迫っていた。

 第二笑 邂逅


「う~ん、朝か・・・・・・」

 重たい瞼をこすりながら、目を覚ます。

 結局、昨晩は飲み食いや話で盛り上がり、そのまま博士宅のリビングで全員が雑魚寝をして一夜を明かすこととなった。

 周りを見ると、他のメンバー四人はまだ寝ていて、博士の姿は無かった。

(博士はシャワーでも浴びてんのかな?)

 全員の所在を確認後、俺はポケットからスマホを取り出して、日課である橙里ちゃんのSNSをチェックする。

「おっ! 今日の屋外ライブのこと、投稿されてる。『今日のライブ、みんなと会えることを楽しみにしてるよ』だって・・・・・・。可愛い過ぎ! こっちも楽しみだよ、橙里ちゃん! ん? 『赤利攻増っていう芸人さんも前説で来てくれるから、爆笑もできるライブになると思うよ~』って・・・・・・。あの橙里ちゃんが俺を認識してくれてる! 知ってくれてはいない感じで、ハードルもクソ上がってるけど、橙里ちゃんのSNSに名前が載っただけで幸せ!」

 今、間違いなく俺の人生のピークを迎えている気がする。

「他の投稿はどんなかなー? ・・・・・・へー、昨日は動物園に行ってたんだー。『ライブの前には緊張するから、かわいい動物を見て癒されてきた~』『お猿の赤いお尻がとってもキュート』『ふれあいコーナーでウサギをモフモフ。至福~』とな! 動物と一緒に写ってる橙里ちゃんもまた愛らしくて素敵だなー。・・・・・・男と一緒じゃないだろうな?」

「朝一からドルオタのキモ行動を見せられて寝覚めが悪いわ」

「おわっ! 桃瀬・・・・・・。 推しのアイドルの身辺調査に勤しんでる時にビックリさせんなよ」

「いやいやいや。うるさい声に起こされて目を開けたら、一匹のドルオタがアイドルのSNSを読み上げながら一喜一憂している姿の方がビックリやろ。最初、何かに取り憑かれてんのかと思ったわ」

 どうやら俺の声で桃瀬を起こしてしまい、機嫌が悪いようだ。申し訳ない。

「ごめん、ごめん。でもさ、橙里ちゃんがプライベートの写真を投稿するのって珍しいんだよ。いつもなら仕事の現場の衣装を着た写真を投稿して、『頑張ってきます』っていうのが主流なんだけど、この動物園の写真は自撮りじゃなくて誰かに撮ってもらっている・・・・・・。動物園のスタッフが撮ったのならそれでいいんだけど、橙里ちゃんが特別に慕っている男が撮ったかもと思うと、気が狂いそうになるんだよ」

「うわぁ・・・・・・。おちょこー」

「そうだ! 桃瀬は何か知らないか? 橙里ちゃんの近々の悪い虫事情!」

 同じ事務所の桃瀬なら、橙里ちゃんの情報をファンの俺よりも知ってるハズ。

「そうやなー。確か、男のマネージャーと付き合っていて、よく楽屋で二人が抱きしめ合ってる――ウソウソウソ! 今の冗談やからピザカッターで喉元切って自害しようとすな!」

「ふー。焦らせやがって・・・・・・。もうすぐこの世から未練タラタラでおさらばするトコだったぜ。今度から気をつけてくれよ」

「ドルオタの推しのアイドルに対する男免疫の無さヤバッ」

 あと数センチ、勢いよくスライドすれば殺人凶器となったピザカッターを後ろに放り投げる。

「――痛ッ!」

 声のする方へ振り向くと、額をさすりながら茶羽博士が床に落ちたピザカッターを拾い上げていた。

「ダメじゃないか、こんな物を投げて! 危ないだろ!」

「す、すいません・・・・・・」

「ピザカッターを投げるなんて・・・・・・。桃瀬君と喧嘩でもしたのかい?」

「いや、死のうと思って・・・・・・」

「なんで?」

「でも、ちょっぴり希望が見えたんでやっぱり死ぬのやめました」

「だから、なんで? 私がベランダで物思いにふけっている時に、何があったの?」

 情報量に対して理解が追いつかない博士に、桃瀬が心配そうに尋ねる。

「博士、ベランダで考え事してたんですか? やっぱり、弟さんのことで?」

「う、うん・・・・・・。ベランダに居ると弟を強く感じれる日があるんだ。特に今日は一段と強く感じて、朝から出ていたんだよ」

「弟を感じる・・・・・・。それも笑力が関係してるんですか?」

 俺の質問に、博士は頷く。

「ああ。だから《笑力計測グラスィズ》を使い、もしかしたら弟の居場所を突き止められるんじゃないかと調べてるんだが、何故だかこの部屋に弟の微弱な笑力を何度も感知するんだよ」

「えっ! 怖っ! それって幽霊グボッ!」

「滅多なこと言いなや! その機械の故障かもしれへんやろ!」

 俺の無神経な言葉に、桃瀬の手刀が首に入る。当たり所によってはピザカッターよりも楽に死ねるかもしれない破壊力だ。

「どうだろう? 君達の笑力も問題なく感知しているから故障は考えにくいかもね。弟の笑力の正体は、もしかしたら残り香かもしれないし」

「「残り香?」」

 笑力に匂いがあるなんて初耳だ。

 博士は空気を変えるためか、音が鳴るように両の手を勢いよく合わせ、大声で喋りだした。

「今は私達の事よりも、自分達の目の前の仕事を頑張りなさい。ほら、三人もいい加減に起きるんだ」

 博士に起床を促され、男三人がだるそうに体を起こす。

「あー、おはよう・・・・・・ございます」

「グッモーニングでス・・・・・・」

「おはよう・・・・・・。皆の衆・・・・・・」

 三人とも寝ぼけ眼で、頭を揺らしながら挨拶をする。

「三人とも若いんだからしっかりしないか! 君達の今日の予定はどうなってるんだい?」

 博士の質問に対し、それぞれゆっくりと口を開いて答える。

「僕は、インプラントの治療で歯医者に行ってきます・・・・・・」

「クラブのイベントの進行を頼まれているので、それの下準備ニ・・・・・・」

「我は・・・・・・昨日の戦いで少し気になった事がある。それを職場の鍼灸院で試そうと思う」

「揃いも揃って芸人の仕事は無しか・・・・・・。まぁ、これからだろう・・・・・・」

 博士はちょっと残念そうに肩を落とす。

「ちょっとちょっと、博士! 今日の俺はアイドルの前説の仕事があるんですよ! 芸人として、活躍してきますよ!」

「おお! そう言えばそんな話をしていたね! 頑張るんだぞ。君達にはヒーローとしても、芸人としても一人前になってほしいからな」

「はい! 必ず笑いとアイドルのハートを掻っ攫ってきます!」

「後者の方はよく分からんが、とにかくファイト!」

 俺と博士の間で力強い握手を交わす。

「まぁ、テキトーにきばりやー」

「ところで桃瀬・・・・・・」

「なに?」

「本当に橙里ちゃんの男事情とか知らない?」

「知るか! 今日、直接会うんやからその時に本人に聞きゃええやろ!」

「そんな・・・・・・! 好きな人に『好きな人いるの?』って聞くの、恥ずかしいよぉ・・・・・・」

「キモッ! 女子小学生かアンタは!」

 モジモジと体をくねらせていると、今度は博士が桃瀬に声を掛けた。

「ちなみに桃瀬君はどんな仕事が入っているんだい?」

 桃瀬は昨日の残り物である寿司をつまみながら、博士の方へ顔を向ける。

「ウチは今日、《ドキッ! 水着美少女だらけの大食い大会・カツてない量のカツ丼をイカツイ胃袋で喰らわないと死カツ問題でしょ選手権》の収録に呼ばれてます」

「「「「「なんて?」」」」」

「なんだねその頭の悪いタイトルは! 芸人よりも芸人っぽいことしてるじゃないか!」

「てか、その仕事があるんだったら昨日は食べるのを抑えるべきだっただろう!」

「食べるのを・・・・・・抑える? え・・・・・・?」

「ダメですネ。桃瀬さんの頭の中に食欲を我慢するという文字は無いみたいでス」

「それよりも、美少女って・・・・・・。いえ、何でもないです」

「うむぅ・・・・・・。恐るべき大和撫子の食に対する執着心といったところか・・・・・・」

「?」

 俺達の驚き具合に、不思議そうな顔をして見ている桃瀬。一人だけ芸人じゃないけど、彼女の意図しない面白さはやっぱり、バクショウジャーの素質があるんだなと改めて分かった。

「ウチ、エンゲル係数高い系女子やから博士のバイトにホンマ助けられてます。しかも、今回の大食い大会はウチの大好きなカツ丼やからごっつ嬉しいわー。ウオーミングアップの為に、テーブルの上にある昨日の残り物――全部食べよーっと」

「「「「「ウォーミングアップの概念どうなってんだ!」」」」」

 俺達のツッコミも虚しく、テーブルの上の食べ物は丸っこいイートゥクイーンに全ていただかれてしまった。


 博士宅でシャワーを借りた後、仕事の現場へと向かった。

 今は現場の最寄駅に着いた為、歩いてる最中だ。ライブが十四時にあり、俺の出番が十三時半。今が十二時だから、だいぶ余裕がある。遅刻する事はないだろう。

 憧れのアイドルに会えると思うと、自然と口元がニヤける。そして目的地に近づく程に、心臓が早鐘を打つ。

(頭と体をそれぞれ五回も洗ったし、臭くないハズ。大丈夫だよな?)

 せっかく橙里ちゃんとお近づきになれるチャンスなのだ。間違っても不潔な印象を与えてはならない。

(ククク。芸人なって本当に良かったぜ。大勢いるファンの中でも、抜きん出て差を付けることが出来るんだから)

 俺が橙里ちゃんを知ったのは三年前。彼女は無料動画配信サイトを利用して、個人でオリジナルの歌を投稿していた。その可憐で見目麗しい容姿と、透き通るような――しかし、力強い歌声が一気に話題となり、アイドルの事務所にスカウトされた。

 数多くの人が魅了され、俺もその中の一人だった。

 お笑いライブの鑑賞やバラエティ番組が好きだった俺が、初めて芸人以外の人物に夢中になったのだ。自分より年齢が二つ下の女の子が、こんなにも頑張っているのだと。

 橙里ちゃんの歌声やダンス,他愛もないトークを聞くだけでも元気が沸いて、笑顔になった。

 そんな橙里ちゃんに感化され、俺は大好きだった芸人を職業に選んだ。

 たくさんの人を笑わせたい。元気のない人を勇気づけたい。そしてなにより――


 俺のお笑いで、彼女をとびっきり笑顔にしたい。


 その為にも、今日の前説は絶好のアピールタイム。失敗する訳にはいかない。

(おっ! 見えてきた)

 橙里ちゃんに思いを馳せていると、今日の仕事場に着いた。

 秋葉原のバカでかい複合型オフィス。そこの広場を利用して、今日のライブが行われるのだ。

 既に櫓が完成しており、その周りをスタッフの人達が忙しく作業をしていた。

 とりあえず、他のスタッフに指示を飛ばしている責任者っぽい男性に挨拶をする。

「お疲れ様です。白虎興業から来ました、芸人の赤利攻増です。今日はよろ――」

「今、忙しいのが見てて分からないかな! もういいなら櫓の裏の空いているスペースで準備しといて!」

「・・・・・・すいませんでした。では失礼しま――」

「早く向こうに行ってよ! 邪魔くさいな、もう!」

 一通り怒鳴り散らした後、男性は舌打ちをしながら俺から離れていった。

「・・・・・・・・・・・・行こうとしてただろ、ったく・・・・・・・・・・・・」

 売れてない芸人の扱いなど、こんな物なのだ。

「・・・・・・ハァー。よし、気持ち切り替えて頑張ろう。橙里ちゃんやお客さんを笑顔にする前に、俺が笑顔にならなくちゃな」

 自分で自分の頬を叩き、気合を入れる。ついでに、俺から離れた責任者の男性の後ろ姿に向かって舌を出してからかう。

(バーカ。バーカ。肥満体型の汗クサ男。似合わねぇブランド物のサングラスを後頭部にかけるクソセンス野郎が。鏡見て出直してきやがれ!)

 舌を出してる途中で気付いたが、男性の目の前に姿見鏡が置いてあった。恐らく橙里ちゃんが使用するのだろう。

 そして、今は舌を出した俺がバッチリ映り込んでおり、鏡越しに男性と目が合っていた。

「・・・・・・滑舌の運動、終わり! よーし、次はネタの練習だ!」

 とてつもない棒読みのセリフを吐き、この場を去ろうとしたが、後ろから迫る足音にすぐ捕まってしまった。


 二十分間の土下座は流石に足が痺れた。



        *


「マジかよ・・・・・・。水も用意されてねぇじゃん」

 楽屋と呼ぶには狭すぎる櫓裏で、売れてない芸人の待遇の悪さに悲観する。

 空調はもちろん、弁当やお菓子などのケータリングも無く、喉を潤す水分の用意もされていない。

 あるのは、乱雑に置かれたパイプ椅子が一つ。それと、音響機材や他のスタッフの荷物が所狭しと置かれていた。

「一時的な物置を楽屋と称して案内された訳か・・・・・・」

 辛い現実だが、これから仕事なのだ。クヨクヨしていられない。

 好きなアイドルのライブが間近で見られるだけでなく、前説をやらせてもらえるのだ。

「橙里ちゃんが歌いやすい様に、俺が笑いで観客を沸騰さしてやるぜ。・・・・・・でもその前に、マジで水は買っておこう。喉、命!」

 自分のカバンも置き、ただでさえ狭い楽屋を、荷物や機材を蹴らないように避けて外に出る。

「・・・・・・てゆーか俺、一番挨拶しなきゃいけない人に会えてないじゃん」

 モヤモヤした気持ちを抱えて自販機を探していると――


 ドンッ


「うおっ!」

「きゃっ!」

 前方不注意で人とぶつかり、相手に尻餅をつかせてしまった。

 しかも相手は小柄で、キャップで顔は見えないが声から察するに女の子だろう。

(ヤベー。今から前説で顔を知られるって時に、怪我でもさしたら大変だ。このご時世、SNSですぐ嫌な情報が広まっちまう。この子がネガティブな投稿をしたら、観客が俺で笑ってくれなくなる。ひいては橙里ちゃんに失態を見せた挙句、ライブの邪魔をしてしまう)

「す、すいません! 少し考え事をしていて・・・・・・。お怪我はありませんか?」

 俺は急いで手を差し延べ、相手の体を起こす。

「・・・・・・クス。考え事って、今からお客さんを笑わせる面白い事をですか?」

「え?」

 俺の手を取って起き上がった女の子は、自身の手で臀部の汚れを払拭すると、キャップを脱いで見せた。

「え! うええっ!」


「初めまして、赤利さん。鬼美橙里です。今日は前説、よろしくお願いしますね」


 そこには正真正銘、売り出し中のアイドルで俺の永遠のセンター。笑顔の鬼美橙里ちゃんが顕現していた。

 橙里ちゃんはファンの前で見せるファンシーなドレスではなく、薄ピンク色のニットセーターに、紺色のサロペットを着用していてシンプルなコーディネートながらも彼女自身の可愛らしさを最大限に引き出していた。整った目鼻立ちに加え、ナチュラルメイクにより、美しさは天井知らず。いつものポニーテールではなく、二つにまとめたストレートのお下げ髪の姿もトータルで考えてみて、美と愛の女神――アフロディーテを軽く凌駕していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「あのー、大丈夫ですか? もしもーし?」

「ハッ! トロイア戦争!」

「えっ! 何ですか、それ?」

「あ、いや・・・・・・。すいません。ちょっとパニックになってて・・・・・・」

 しっかりしろ、俺。憧れの人が目の前にいるんだぞ。挨拶をしないとダメだろ。

 橙里ちゃんは子リスの様に首をかしげ、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。

「今日はよろし可愛過ぎですね」

「ええっ!」

 しまった。テンパった。

「え~そんな事ないですよ~。やだな、も~。芸人さんは口が上手いんだから~」

 両手を自分の頬に持っていき、体を軽く揺らしながら照れてる姿に、俺は全身で尊みを感じていた。

「ッ! てゆーか怪我は! 骨折とか大丈夫? 救急車は何台呼ぶ?」

「あんな事で怪我なんてしないから大丈夫ですよ! 一台も必要ありませんから!」

 それを聞いて安心した。しかも慣れないツッコミも聞けてかなり嬉しい。

「フフフ。なんだか赤利さんと話してると、少しだけ緊張が解けた気がします。凄いですね、芸人さんって」

「き、緊張?」

 橙里ちゃんが俺に背を見せ、そして振り返る。

「はい。何度もライブを経験してるハズなのに、始まる前はどおしても孤独感でいっぱいになって、気分がブルーになっちゃうんですよ。・・・・・・歌とダンスが好きで、アイドルとして頑張らせてもらっているのに、いつまでもプロ意識が足りなくて・・・・・・。こんなんじゃファンの人にも申し訳ないなって・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 あの素敵な笑顔の裏ではこんなにも苦しんでいたなんて。

 考えたら俺よりも年下で、俺よりも沢山のお客さんの前で活躍してるんだもんな。

 そのプレッシャーたるや、俺なんかでは想像もできない。

「な、なんだか愚痴を聞いてもらって・・・・・・すいませんでした。お仕事の考え事をしている最中でしたよね? 私ったら邪魔をしてしまって・・・・・・」

「あ、いや・・・・・・」

 そんな事ないし、君は孤独じゃないと伝えたい。

 しかし、こっちはこっちで憧れのアイドルを目の前にして緊張で言葉が出てこない。

「私、ライブの告知ポスターで赤利さんの事を知って、ネットで調べたんです。赤利さんのネタも動画サイトにあったから見させてもらいました。ちょっぴりお下品だったけど、とっても面白くて勇気をもらえました! ・・・・・・それを伝えたくて、あなたの楽屋へ行こうとしてたんです」

「ええ! そんな・・・・・・」

 天にも昇る心地だけど、余計にこの後の前説で緊張してしまいそう。

「それじゃ、私はこれで・・・・・・。前説、楽しみにしてますね」

「え! もう行っちゃうの?」

 橙里ちゃんは俺に頭を下げ、自分の楽屋へ戻ろうとする。

 もっと話がしたい。この空間を味わいたい。

 呼び止めようとした、その時だった。

「橙里、ここに居たの? 探したのよ。心配させないでちょうだい」

 急に現れたスーツ姿の女性によって、言葉を遮られてしまう。

 長い金髪に女性らしいメリハリのある体つき。鋭い目つきの上に眼鏡をかけており、いかにも出来るキャリアウーマンという感じだ。

 でも何故だろう。

この女性と俺は初対面のハズなのに、変な既視感を感じていた。しかも、あまり良くない感じの物だ。

「あ、滑川(なめりかわ)さん。すいません・・・・・・。今日、ライブをご一緒する芸人さんに挨拶をと思いまして」

「芸人に挨拶? ふ~ん。あっ!」

 滑川と呼ばれた女性は、橙里ちゃんの言葉に対して怪訝そうな表情をしたかと思えば、俺の顔を見て驚いていた。

「あ! 初めまして。僕、白虎興業で芸人してます。赤利です。もしかして、知ってくれていたりします?」

 お近づきの印に握手を求める俺。

「――ペッ」

 その手に唾を吐きかける滑川さん。

(へ~。最近の男女の握手って男の手に女性が唾を吐くんだ~)

 滑川さんは汚物を見るような目を俺に向けた後、再び橙里ちゃんに視線を戻す。

「橙里、ダメでしょう? 芸人なんて社会不適合者と話していては、あなたの品性と人格が疑われてしまうわ。特に男芸人なんて、あなたの様な可愛い女の子と話す時は胸とお尻と靴下しか見ていない陰獣なんだから注意しなさい」

「言い過ぎだろ! 芸人を何だと思ってんだ! しかも最後のは人によるし!」

 凄い偏見持ちの女だ。最近で言う、フェミニストって奴か。

「酷いです、滑川さん! 赤利さんは私としっかり目が合って話してました! たまに、胸の方に視線がズレてましたけど・・・・・・」

「バレてたっ!」

「フン。クソ猿が!」

 悔しいが、言い返せない。

「ごめんなさい、赤利さん。この人、急遽決まった私の新しいマネージャーで・・・・・・」

「新しい? いつもは違う人なの?」

「えと、その・・・・・・。昨日、私の我が儘でマネージャーに動物園に連れて行ってもらったんですよ。ライブ前に可愛い動物を見て感情を高めようと二人で行動してたんですけど、途中からマネージャーの姿が見えなくなって・・・・・・」

「彼女はご実家からお母さんが倒れたって連絡を受けて、田舎に帰ってしまったの。その代理として、私が会社から橙里のマネージャーを引き継ぐ様に言われて今に至るのです。お分かりいただけましたか? ゴミ芸人」

「・・・・・・」

 とりあえず、動物園の件は女性のマネージャーと一緒だったという事で安心する。

「デビューから一緒だったんだから、一言くらい私に声を掛けてくれてもいいのに」

「まぁ、彼女も急な身内の不幸に気が回らなかったのでしょう。でも、あなたのもとに私を迎えに寄越したのだから帰りも安心だったでしょう?」

「・・・・・・そうですね。ちゃんと感謝しないとダメですよね。お母さん、無事だといいなぁ」

「・・・・・・・・・・・・」

「あの、赤利さん。その、やっぱり怒ってます?」

「え? イヤ、全然! 芸人は貶されてナンボだから! 悪口ウェルカムよ!」

「気持ち悪い。息する公害。自動排泄物運送人。抜かれた鼻毛と同価値。キモオタ大賞不潔部門金賞受賞者。お尻針地蔵。今世の意味の無い人生に絶望して、来世で老人用吸水ポリマーに生まれ変わって次こそは人の役に立てる様にと祈りを捧げながら全身に生肉を貼り付けて単身でシャーク・ウォッチングに行って欲しい芸人ランキング殿堂入り」

「他人を絶対に傷心させる通信教育でも受けたのかお前は! イジリの範囲内でやれや!」

 二つ、分かった事がある。一つはこの女は俺――というか芸人を毛嫌いしているということ。

「もう! さっきから赤利さんに失礼だよ! 滑川さん、赤利さんに謝ってください!」

「そんな事より、ライブまで時間がないわ。選曲の確認や衣装への着替えとかあるんだから、さっさとあなたの為に用意された建物内の広い楽屋に戻りましょう? こんな蟻地獄の巣みたいな所が楽屋の人から離れて、ね・・・・・・」

 もう一つは、この女から感じる既視感の正体。

 それは失笑力。

 これまで怪人達と戦ってきた経験の中で、俺達は薄らとだが失笑力を感じ取れる様になっていた。ただし、その精度は低く、建物などの隔たりやテレビに映った怪人を見ても感じる事はできない。直接対峙しないとまだまだ失笑力を感じ取ることは難しい。

 失笑力から発せられる、負のパワー。芸人が滑ってしまい、この世から消えたいと思わせる何事にも代え難いあの感覚。

 そんな芸人泣かせの力を、何故かこの女から感じ取ったのだ。

(単に芸人嫌いが高じて一般人からここまでの失笑力を発せられるものなのか? 今まで戦ってきたどの怪人よりも強い失笑力だぞ。もしかしてこの女、失笑団と何か関係があるのかもしれない。橙里ちゃんのマネージャーが急に変更になったのはもしかして・・・・・・)

「さっ! 行くわよ」

「わわわっ! そんなに押さなくても大丈夫だよー」

「――ッ!」

 滑川が橙里ちゃんの背中を押して、楽屋まで誘導しようとしていた。

(ダ、ダメだ! そんな怪しい女と一緒だと、橙里ちゃんに危険が及ぶかもしれない)

「ま、待ってくれ!」

 俺の静止の声に、二人は驚きの表情を見せていた。

「ど、どうしました赤利さん?」

「あのねぇ、こっちは色々と準備で忙しいの。あなたもさっさと楽屋へ戻ってウケもしないネタの練習でもしてなさい」

(クソ! 呼び止めたはいいが、何て説明したらいいんだ?)


 ――自分はヒーローで、隣にいるマネージャーは悪者かもしれない。


 茶羽博士との取り決めで、正体は絶対に明かせない。

 歯痒い思いで、身バレ発言を踏みとどまる。

 しかし、この状況を見過ごせば大好きな推しのアイドルがどうなるか分からない。

(橙里ちゃんからコイツをどうにかして引き剥がさねぇと。その為にはこの女の動揺を誘って、悪人である証拠を掴んでやる)

 ふと、先程の滑川の悪口を思い出す。


 ――お尻針地蔵。


 それは昨日の俺の状態を表すのに最適な言葉だ。

 そんな悪口はいかに普段から芸人を快く思っていなくても、滅多なことでは出ないだろう。

(きっと、昨日の夜の戦闘を見ていやがったんだ。だから潜在意識的に、お尻針地蔵なんて言葉が出たんじゃないのか。街灯が少ないあの高架下では顔の判別が困難なハズ。最初に俺を見て驚いたのはバクショウジャーと判った訳じゃなくて、大嫌いな男の芸人だったからか?)

 ならば、やるべき事は決まった。

「あのー、赤利さん? 大丈夫ですか? 私達、そろそろ行かないと――」

「おい、滑川!」

 俺は滑川に向かい、真っ直ぐ指を差す。

「な、何よ?」

 俺の剣幕に、滑川は少し怖気づく。

「お前の正体、俺が見極めてやるぜ!」

「い、いきなり何を言って・・・・・・」

「え? え? 正体? 赤利さん、どうゆうことですか?」

 俺の突然の行動に橙里ちゃんは狼狽していた。

 そんな彼女に、俺は慈しみの視線を送る。

(大丈夫、橙里ちゃん。君は俺が必ず守るから。安心してくれ)

 俺は二人に背を向け、デニムパンツの腰部分に手を掛ける。


「この真っ赤に染まった菊門が、目に入らねぇか!」


 勢いよくデニムパンツをズラし、朝に換えたばかりの血の滲む尻の包帯を見せつける。

 昨日のお尻針地蔵本人とうっかり対面してしまえば、きっと驚いてバクショウジャーの名を口にする。


 その時がお前の最期だ。滑川。


 だが、上手く事が運ばないのが世の常である。


 滑川の動揺する姿は見れず、橙里ちゃんの悲鳴と、滑川による強烈な蹴りを尻に食らったことで、俺はその場で尻を出しながら気絶した。


 薄れゆく意識の中で、橙里ちゃんの悲しそうな顔が、俺の心に深い傷を残した。


        *


『ワーッ! 橙里ちゃーん!』


『今、俺の方を見た? 見たよな! ヤベー、惚れられちゃったかも!』


『俺を産み直して君の赤ちゃんにしてくれー!』


「う・・・・・・ん。うん?」

 内容が気持ち悪く、野太い絶叫により、俺は目を覚ました。

(ここは?)

 自分の現在地を確認しようと、上体を起こす。

「やあ。目が覚めたかい? 芸人君」

 声のする方へ振り向くと、白衣を着たハゲのおじさんが立っていた。

「お尻の止血はしといたよ。でも、いったい何をしてあんな怪我を負ったんだい? 私も医者をして長いけど、お尻で赤い三点リーダーを見る事はなかったよ」

「・・・・・・・・・・・・芸人の仕事です」

「大変だね、芸人さんも」

 周囲を見渡すと白くて狭いことが分かった。

(なるほど。医療用仮設テントの中か。尻を蹴り上げられて、気絶した俺を誰かが運んでくれたんだな。それでハゲのお医者さんに治療を施してもらったと・・・・・・)

 ライブ中に観客が体調を崩しても対応できるように設置された救護所。そこに俺はお世話になってしまったというワケだ。

「ん? 歌声が聞こえる」

「当たり前だろ? 鬼美橙里という子のライブなんだから。ライブの広告に君も載っていたが、出演者だったんじゃないのかい?」

「なんですと!」

 俺が気絶してしまったからか、前説無しで橙里ちゃんがライブを始めたらしい。

「ひぃっ! スマホに俺のマネージャーから鬼電がメッチャ入ってる!」

 怖いから見ないふり、見ないふり。

「ライブの始まる時間がだいぶ押していたみたいだね。何やら歌っている女の子が強いショックを受けて急に泣き出したらしいよ? アイドルも色々とあるんだね~」

 いえ、俺のお尻です。

「こうなっては仕方がねぇ。せっかくだから俺もライブを楽しんで――」


 シャーンッ


「え?」

 勢いよくベッドから飛び起きようとしたら、勢いよくベッドに戻ってしまった。

「私は断ったんだけどね・・・・・・。ここの運営と、アイドルのマネージャーの強い希望で君の手足は簡易ベッドにチェーンで巻きつけられているよ」

「なんで?」

「さあ? マネージャーの女性から『このケツ出し腐れ外道は要注意人物なので』としか聞かされてないしね」

「あんのクソアマァ・・・・・・!」

 運営側が俺を危惧して橙里ちゃんに近づかせないようにするのは、まだ一億歩譲って理解できる。しかし、あの滑川という女は野放しにしておく方がもっと危険だ。

「先生! お願いです! チェーンを切ってください! あの女を止めないと! 俺の大切な人の命に関わることなんです! あれ? いねぇし! どこ行った?」


『いや~、最近の若い子が歌う曲もイイね。気持ちが若返るよ』


 テントの外から医者の声が聞こえる。

「おい! このハゲ! 気持ちが若返っても毛根は若返らねぇんだよ! いいからさっさと――」


『きゃー!』


『うわー! 橙里ちゃーん!』


『うぇーん、怖いよー! ママー!』


『キ~モキモキモキモキモキモ! 泣け! 叫べ! お前らの悲鳴がボスの力となるのだ。もっと詳しく言うなら、お前達に我ら怪人が襲い、笑えなくなるくらいのトラウマを植え付ける。それを芸人共が一生懸命に笑わせようとするが、トラウマを持つお前らは笑えない。スベる芸人と笑顔の無い市民の出来上がり。失笑団にとって最高の一石二鳥キモ!』


「こ、この声は失笑団の怪人! チクショウ! あの女、やっぱり何か仕掛けやがったな!」


 時は遡ること一時間。

「ぐすん、ぐすん・・・・・・」

「よしよし大丈夫よ、橙里。もう変態血だらけケツ野郎は救護所のベッドにチェーンで巻いてきたから安心して」

 複合型オフィスの建物内の一室。そこがアイドル――鬼美橙里の楽屋であった。

 空調完備で、長机の上には五種類の弁当と豊富な飲用水が用意されていた。

 しかし、こんな快適な環境であるにも関わらず、彼女の心は穏やかではなかった。

 父以外で初めて見た男の――しかも怪我をして痛々しい真っ赤なお尻を見せつけられたショックで泣きじゃくっていた。それを滑川が優しく抱きしめ、慰めている。

「さぁさぁ、もう泣き止んで。ファンのみんなが、あなたの笑顔と歌声を待っているわ」

「うっ、うっ・・・・・・。はい・・・・・・」

「あなたのパフォーマンスを観て、勇気をもらえるファンが居るように、そのファンがあなたの支えになってくれるハズだから頑張りなさい。私もついているから安心して」

 滑川の言葉に、次第に橙里の笑顔が戻る。

「はい! ありがとうございます、マネージャー・・・・・・。私、行ってきます。私と、期待してくれて待っているファンのみんなの為に!」

 涙を拭き、橙里は楽屋を出る。そして、ステージのある櫓へと廊下を小走りで駆けていった。後を追うように、滑川も楽屋を出る。

「フフフフ」

 橙里が向かった先と逆の方向の廊下を歩きながら、滑川の口元が緩む。

「オーッホッホッホッホッホ! いよいよ我らの快進撃が始まるんだわ。まさかあのクソ男の正体が奴らとは思わなかったけど、勝手に自爆してくれたから仕事が捗っちゃうわね。さあて、あとは手頃で強くなりそうな奴を・・・・・・。ん?」

 滑川が歩みを止める。

 その視線の先には肥満体型で、似つかわしくないサングラスを後頭部にかけているダサ男の姿があった。

 ダサ男はその場でぐるぐると歩き回っていた。

「フヒヒ。この先に橙里たんの楽屋があるんだよね・・・・・・。どうしよう、行っちゃおうかな~。サインと握手と、それから連絡先の交換をしてもらおうかな~。このライブを成功させる為に、僕が使えない奴らを一生懸命に働かせたんだから、それぐらいはしてもらえるよね~。でも断れたらどうしよう? きっと大丈夫だよね? 僕への挨拶の時、凄く笑顔だったし。フヒヒヒ」

(キモッ! 確かあの豚はイベントディレクターの影島。そうか・・・・・・。あいつもあのアイドルの小娘にお熱なのね。・・・・・・ちょうどいいわ。あのキモ豚を利用しましょう)

「影島さ~ん」

「フ、フヒッ!」

 滑川が愛想たっぷりの猫なで声で影島に擦り寄る。

 影島は急に声を掛けられたのと、滑川の接触しそうな距離感に動揺していた。

「あ、あなたは橙里たん――いや橙里さんのマネージャーさん? ど、どうしましたか? ぼ、僕に何か、その、用事でも?」

(コイツの汗の量、凄ッ! そしてクサッ! 腐ったラードでも垂れ流してんの?)

 気を取り直して、滑川が影島の顔を下から覗き込む。

「実は~朝、挨拶をさせていただいた時に~影島さんの事が気になってて~」

「ブヒッ!」

 滑川は影島の首に腕を回し、胸を押し付ける。

 影島は自分の人生の中で初のシチュエーションに、完全に固まっていた。

「あ、あなたみたいな人が、僕を・・・・・・?」

(フフフ。もうひと押しね)

 滑川は自分のスーツとワイシャツのボタンを外し、その豊満な胸の谷間を見せつける。

「オ、オパパパパパパパパパパパパパ!」

 影島の脳はオーバーヒート寸前だ。

「ねぇ~ん、影島さんは私より橙里の方がいいの~? 私じゃダメ?」

「そそそそんなこと、ないで、しゅ・・・・・・」

「じゃあ~私とイイコト、しよ?」

「イ、イイコト?」

「そう。えい!」

「ブヒャ!」

 滑川に足払いをされ、床に仰向けに倒された影島。

 大きなお腹の上に、滑川の右足が置かれる。

 そして黒煙が滑川を包みだし、失笑団の女幹部――オスベリーナが姿を現した。

「え! え? 急に何が――イダァッ!」

「ブヒブヒうるさいんだよ! このキモドルオタが!」

 影島のお腹に、オスベリーナのヒール部分が深く食い込む。

「お前に特別な力をくれてやろう。この力をものにすれば、お前の好きなアイドルも思いのままだ。どうだ? 欲しいだろ?」

「いや、だから何なんですか、これ! ワケが――ヒギュウ!」

「勝手に喋るな豚骨! ラーメン屋に無料配布されたいのか! お前が口に出していい言葉はイエスか、はいのどちらかだ!」

「ヒッ・・・・・・! イ、イエス! イエス! イエス! はい!」

「どちらかって言っただろうが!」

「――ギャヒー!」

 影島は腹に穴が空いてしまう程、何度もヒールで踏まれ続けた。

「よし。契約成立だ。ありがたく受け取りなさい」

 オスベリーナの左のヒールが紫色に鈍く輝き出す。

「失笑力の恩恵をその身に受けよ!」

「グ――ボッ!」

 高く上げた左足を勢いよく影島の腹に振り下ろした。

 光っているヒールの部分が、とうとう影島の腹を突き刺したのだ。

 しかし、影島の腹から血が出ることはなかった。


「――グッ! ガッ! アグオッ――」


 影島が苦しそうに床を転げまわる。その間、オスベリーナのヒールから出ていた紫色の光が影島の体を覆っていくのだった。

「――グオワー!」

 影島の全身が紫色の光に包まれ、姿を変えていく。

 そこには元の影島の姿はなく、RPGゲームに出てきそうな豚顔のオークが立っていた。

「フフフ。おめでとう。変身してもキモさは変わらなかったわね」

「フーッ! フーッ! 凄い! 力が内側から溢れてくるキモ!」

「お前の名はキモオタスベリー。さあ、行きなさい! ライブ会場をめちゃくちゃにして大勢の笑顔を奪うのよ!」

「了解キモ!」

 キモオタスベリーは意気揚々とライブ会場へ走り去った。

(失笑力が一番集まりやすいのは芸人が滑った時だけど、人々から笑顔が消えても多少の失笑力は集まる。お笑いは空気が大事。少しでも芸人が関わるイベントに毎回怪人が襲いに来るとなると誰も見に来やしないし、笑えるハズもない。嫌な緊張感のある中で芸人達も力を発揮できず、スベり続ける。)

「オーッホッホッホッホッホッホ! あの方との計画は完璧。まずは近々にあったこのライブで試したけど、意外と簡単だったわ。動物園であの小娘のマネージャーをトイレで襲い、成り代わることから始まって内部に潜入。私の毒舌で活躍する芸人を萎えさせると同時に、優秀な怪人になる逸材を見極める。そして会場が最高の盛り上がりをみせている時に怪人を投入。ああっ! 堪らない!」

 自分で自分の体を抱きしめ、ゾクゾクと身を震わせるオスベリーナ。

「上手くいけば、今日中にあの方の復活も・・・・・・。いや、それは気が早すぎか。私も会場に出向いてあの豚の手伝いでもしてやろう。あの小娘にも用事があるしね・・・・・・」


 オスベリーナは高笑いをしながら橙里の歌うステージへと歩を進めた。


「先生! 頼む! 早くベッドから俺を解き放ってくれ!」

 テントの外にいる医者に懇願するが、返事がない。

「え? もしかして避難した? 患者を拘束したまま逃げてんじゃねぇよ!」

 なんとかしてチェーンを外せないか画策していると、テントの中に誰かが入ってきた。

「ごめん、ごめん。まだ無事だよね?」

 ハゲ医者がテントに戻ってきたのだ。

「ハゲ! 何してたんだよ!」

「これを取りに行っていたのさ」

 ハゲ医者が俺の目の前に出した物。それは――


 ギューンルルルルルルルルルル


「小型チェーンソーをね!」

「何故に?」

 俺の顔の横で、片手で持てるタイプのチェーンソーの刃がフル回転している。

「僕の力ではチェーンを外せない。だから小道具スタッフに借りたこれで、君を解放する」

「・・・・・・ちなみに、チェーンソーを扱ったことは?」

「若葉マークさ」

「やめて! 手足無くなる!」

「いくぞ!」

「きゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


『きゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

場所は変わって、櫓のステージ。

 ほとんどの人達が避難を終えている中、逃げ遅れている者もいた。

「キモキモキモ。橙里ちゃん、君の涙はどんな味キモ? 確かめさせて欲しいキモよ」

「い、いや・・・・・・! こ、来ないで! 滑川さん! 滑川さん!」

 ステージ上ではキモオタスベリーが鬼美橙里を、今まさに襲わんとしていた。

 周りには橙里を助けようと怪人に立ち向かい、返り討ちに遭った男性スタッフ達の姿もあった。

 純白の天使を思わせる衣装を着ている橙里。しかし、その目には涙を浮かべ、恐ろしさのあまり腰を抜かして震えていた。

 頼れるマネージャーの名を連呼するが、それに応えてもらうことはなかった。

「いよいよ君と一つになれるキモ。一緒に都内の白い家で家族となって暮らそうね~キモ」

「ひっ・・・・・・! 近寄らないで!」

「アイドルがそんな事を言ったらダメキモよ。僕が理想のアイドルにしっかり、調教してあげるキモ」

「あ、ああ・・・・・・」

 キモオタスベリーが舌なめずりをしながら一歩、また一歩と橙里に近づく。

(もうだめ・・・・・・。助からない・・・・・・)

 橙里がそう、諦めた時だった。


「待て!」


「キモッ!」

「ッ!」

「橙里ちゃん、助けに来たよ!」

 ステージの前。完璧なタイミングで手足にチェーンの切れ端を付けた俺が助けに入る。

 これで彼女の俺に対する好感度は鰻登りだぜ。

「いやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「「ええっ!」」

 俺を見るなり、橙里ちゃんは怪人の後ろに隠れてしまった。

 さっきまで震えながら嫌がってた相手に負けたのか、俺は。

「橙里ちゃん! そいつの傍は危険だ! こっちにおいで!」

「私からしたらあなたも危険です!」

「俺、怪人と同レベルなの? すげーショック」

 俺がガックリと肩を落としていると、怪人が高笑いを始めた。

「キ~モキモキモキモ! お前も中々の嫌われぶり。どうキモ? このキモオタスベリー様の子分になって、日本中のアイドルを我が物にしないキモか?」

「ハッ! ふざけんのは顔だけにしろよ、豚フェイス。アイドルは誰かの物じゃねぇ。俺達ファンとアイドルが時に喜び、時に悲しみ、色んな感情を共有して楽しんでいくのが正しい在り方だ。テメェの様な独りよがりの自己中ブサイクがアイドルを語るのは虫ずが走るぜ」

「赤利さん・・・・・・」

 フッ。決まったぜ。

「・・・・・・・・・・・・ちなみにさっき橙里ちゃんが腰を抜かしていた時、下着の色が見えてたキモ」

「マジで! 何色ブハァッ!」

「――ッ!」

 顔を真っ赤にした橙里ちゃんが手に持っていたマイクを俺の顔にクリーンヒットさせた。

「隙ありキモ!」

「ぐはっ!」

 怪人キモオタスベリーの急襲――ステージ上から勢いをつけてのパンチを腹に喰らい、そのまま後方へぶっ飛ばされた。

「きゃあ!」

「ぐ、ぐは・・・・・・! クソ・・・・・・。す、すげぇパワーだ・・・・・・」

 地面を転がる前に、なんとか受身を取る。

 殴られて痛む腹を押さえ、キモオタスベリーとの距離を確認する。

「い、いない!」

「赤利さん! 後ろ!」

「ッ!」

「バレたキモ? でも問題ないキモ」

 橙里ちゃんの声に反応した時には既に遅かった。

 キモオタスベリーはその巨体に似合わず、素早い移動速度で俺の背後に回っていたのだ。

「――ガッ」

「キモキモキモ。苦しめ苦しめ~。泡吹いて倒れても手を離してやらないキモ」

 キモオタスベリーが自慢の怪力で俺の首を両手で持ち、そのまま高く持ち上げた。

 いわゆる首吊りの状態となり、地獄の様な呼吸苦が続く。

「ぐ、あ・・・・・・」

「キモキモキモキモ。橙里ちゃんの前でみっともない失禁姿でも晒すキモ」

(やばい・・・・・・。マジで意識が遠のいてきた・・・・・・)

 バクショウジャー、赤利攻増。絶体絶命のピンチに陥っていた。

「赤利さん! 受け取って!」

「!」

 橙里ちゃんの声に一瞬、意識が戻った俺は、そのまま彼女から投げられた物を片手でキャッチする。

(こ、これは・・・・・・!)

「ん~? 今更何をしても無駄――」


 プシュー


「――んぎゃああああ!」

「イテッ!」

 自分の顔を両手で覆い、キモオタスベリーは苦しみ出す。俺の首から手が離れ、腰から地面に着地する。

 橙里ちゃんから受け取った催涙スプレーにより、首絞めの難を逃れる事ができた。

「ゲホッ! ゴホッ! あ、ありがとうな、橙里ちゃん。マジで助かったよ」

「無事でよかった・・・・・・。事務所から防犯の為に渡されていたスプレーだったんですけど、役に立てましたね」

 ステージ上の彼女の安堵の表情を見て、こっちも笑顔になる。

「おっと。見惚れている場合じゃないな。豚が苦しんでいる内に、応援を呼ばなきゃ」

 俺はポケットからスマホを取り出し、仲間に連絡を入れる。

「もしもし、桃瀬? 頼む、秋葉原に来てくれ! 怪人が出たんだ!」

『おう、赤っち! 今ウチも怪人並みのカツ丼と戦っている最中やで! ホンマに手強い奴やで・・・・・・。ウチの胃袋をここまで追い詰めたんはコイツが初めてかもしれん。もしかしたら生まれて初めて、満腹というのを味わえるかもな・・・・・・。ディレクターが電話してるウチをメッチャ睨んでるから切るで。スマンな』

「蒼太! 秋葉原に怪人が出たんだ! 来てくれ!」

『え? 何ですカ? クラブのBGMがうるさくて聞こえませン!』

「カ! イ! ジ! ン! カムヒア!」

『怪談? ヒィア? ああ! ラップバトルですネ! 負けませんヨ! YO! YO! テメェみてーなドルオタ! キモくて存在自体が怪談! せいぜい、テメェがアイドルにしてやれることって! ドル箱! 都合のいいアイドルのドル箱! 結局、最後は裏切られて! 見えるぜ! 名前と同じく目を赤く泣き腫らす未来! クソみてぇなオメェの人生! 怪談というよりマジ笑談! ヒィア!』

「突夫! 怪人が出た!」

『ひは、はいはほひほーひゅー(今、歯医者の治療中)』

「いや、電話に出てんじゃん!」

『へんへーはへんはほほっへひへふへへ、ひはほふはんははほひへふへへひふんは(先生が電話を持っていてくれて、歯科助手さんが歯を治療しているんだ)』

「普通、逆だろ! その歯医者はもう行くな! クソ! 頼むぞ、クロ!」

『ギャアアアアアアアアアアアア!』

「ええ! ク、クロ? 大丈夫か?」

『ム! 攻増か? 案ずるな。今のは我の叫びではなく、患者として来院した芸人の叫びだ』

「案ずるわ! 鍼灸院で悲鳴が上がったら、それはもう事故だろ!」

『朝、話したであろう? 気になる事を試すと・・・・・・。これは芸人にも、我ら戦隊にも必要な事なのだ』

『グギャアアアアア! 殺してくれええええ!』

『ちょっと、ちょっと! 子豪くん! 何してんの?』

『止めてくれるな店長! 今、人類が飛躍するかしないかの瀬戸際なのだ!』

『いやこれ、お客さんの意識が飛躍してるだけじゃない? ダメじゃないか! お客さんのお――』

「全員、使い物にならん!」

 最後の奴に至っては犯罪の臭いまでする始末だ。

「こうなったら、俺一人でも・・・・・・」


「ほ~う、一人で何が出来るキモ?」


「なッ!」

 気付けば、キモオタスベリーに間合いを詰められていた。

 無駄な長電話の隙に、キモオタスベリーの目が回復してしまったようだ。

「さっきはよくもやってくれたキモね・・・・・・。倍にしてお返ししてやるキモ」

「チッ! ねちっこいキモ豚だぜ。俺が一人で料理してやるって言ってんだよ」

「そいつは楽しみキモ・・・・・・。オラァ!」

「うぐっ!」

 キモオタスベリーの強烈なパンチを、腕を組んで防ぐ。

 しかしガードの意味がない程、力の差は歴然であった。

「オラオラオラオラオラキモ!」

「ぐっ! うおっ! っ!」

 キモオタスベリーのラッシュに、為す術もない。

(せ、せめて変身できれば・・・・・・!)

 変身アイテムはカバンの中。そのカバンは櫓ステージの後ろの荷物置き楽屋にある。

 自分のいる現在地から楽屋までの距離は遠く、取りに走っても怪人に追いつかれて殺られてしまうのが目に見えている。

 一番距離が近い橙里ちゃんにカバンを持ってきてくれと頼んでも、その指示を聞いた豚が見過ごす訳がない。最悪、橙里ちゃんの命に関わってしまう。

(マジで打つ手なしかよ・・・・・・)

 そろそろ自分の体の限界も近くなってきていた。

 その時――


「もうやめてー! やめてよ、お願いだから!」


「「!」」

 悲痛な叫び声に、キモオタスベリーの拳が止まり、二人して声のする方へ顔を向けた。

 そこには大粒の涙と鼻水を流して、勇気を振り絞って声を上げる女の子の姿があった。

「お願いだから・・・・・・暴力はもうやめて・・・・・・。その人、死んじゃう・・・・・・」

 勇気を出してくれた女の子――橙里ちゃんがその場で泣き崩れる。

(・・・・・・ダメだなー俺。憧れの女の子に守ってもらってばっかで・・・・・・)

「フン! やめる訳ないキモ! そもそも、お前や観客が俺に対する負の感情が目的・・・・・・。この男を殴ってお前が悲しむなら、より一層強い力で拳を打ち込むだけキモ」

「そ、そんな・・・・・・!」

「おい! 豚野郎!」

「あん!」

「さっきから生ぬるいパンチばかりで全然効いてねぇんだよ! 殺る気あんのか! やっぱり豚足じゃ、殴るより料理される方がお似合いだな!」

 俺はワザとキモオタスベリーを挑発する。

 勝負を捨てた訳じゃない。

 何もかも嫌になって投げ出そうとしてる訳でもない。

「あ、赤利さん・・・・・・!」

「ほほーう。いい度胸キモ。女の前で格好つけてるつもりか知らんキモが、早くもその言葉を後悔するがいいキモ」

 キモオタスベリーが大きく振りかぶり、力を込めている。

 俺に強烈な一撃をお見舞いして、終わらそうというのだろう。

 俺は自分の立ち位置を確認して、覚悟を決める。

「死ねキモ! クソガキ!」

「ダメエエエエ!」

 キモオタスベリーの全身洗礼の拳が放たれ、風圧で俺の髪を揺らす。

(今だ!)

 俺はあらかじめ結んでおいた両手のチェーンを張り、キモオタスベリーの拳の前に待ってくる。しかし、その勢いは凄まじく、ダメージを軽減できても体が衝撃で宙に浮く。

(これでいい・・・・・・。これで・・・・・・)

 俺は宙に浮いたまま、落下地点を確認する。

 

 そう、櫓の裏側へ。


 橙里ちゃんの横を通り、俺がぶつかった事で、物凄い音を立てながら櫓が半壊した。

「赤利さん・・・・・・うそ・・・・・・」

「キ~モキモキモキモ! 偉そうにほざいてた割には大したこと無かったキモね」

 笑い終えた後、キモオタスベリーはゆっくりと橙里へ近づいていった。

「さあ、お待たせしたキモ。今度こそ誰にも邪魔されず、仲良くなろうキモ」

「い、いや・・・・・・。やだぁ・・・・・・」


「そこまでだ!」


「「っ!」」

 突然の待ったに、二人が驚く。

「こ、今度は誰キモ?」


「――トウ! 痛っ!」


 櫓の裏側から勢いよく飛び出し、橙里の前に立ち着地に失敗して足を挫く、赤き正義の使者。


「お、お前は・・・・・・まさか・・・・・・!」


「も、もしかしてあなたは・・・・・・!」


「「――バクショウジャー!」」


「お嬢さん、私が来たからにはもう安心だ! 必ず守ってみせる! さあ、早く避難を!」

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 安堵からか、再び大粒の涙を流しながら何度も頭を下げる橙里ちゃん。

「いいとも! ・・・・・・・・・・・・こちらこそ、本当にありがとう」

「え?」

 俺の心からのお礼に、不思議そうな顔をする橙里ちゃん。

(君のおかげで変身できたんだ。いつか変身してない俺で、ちゃんとお礼を言うからね)

「あ、あのあの・・・・・・」

「ん?」

 橙里ちゃんが申し訳なさそうに尋ねてきた。

「あの、あなたが来た方向に赤いメッシュの入った男の人が飛んできませんでしたか?」

「あー・・・・・・。彼ならもう、避難したよ」

「ええ! 私を置いて、一人で・・・・・・?」

(しまった! これじゃ俺の好感度、爆下がりじゃん! 何か言い訳をしないと・・・・・・)

「彼は自分では力不足と感じ、君を私に託したんだ! 決して置いて逃げた訳ではないよ! だから彼を嫌わないであげて! マジで!」

「は、はぁ・・・・・・」

 俺の必死の自己弁護に、なんとか理解をしてもらう。

 ヒーローと恋の両立は難しい。

「さっきから何をくっちゃべっているキモ! かかってくるならさっさとしろキモ!」

 キモオタスベリーが待ちぼうけを食らってご立腹の様子だ。

「ここは今から戦場となる。危ないから君は避難を!」

「は、はい! ありがとうございます! 失礼します!」

 橙里ちゃんはまた何度も頭を下げながら、この場を去っていった。

「待たせたな、キモオタスベリー。ここにはアイドルも観客もいない。お前らのくだらねぇ計画も無に帰す訳だな」

「フン! 例えアイドルや他の人間がいなくても、お前がいるキモ! お前を八つ裂きにして、後から来るであろう仲間にお前の無残な亡骸を見せれば、悲しみの失笑力が手に入るキモ」

「そうかなー? あいつら笑うんじゃないかな?」

「そんなにバクショウジャーって人間関係が殺伐してるキモか? てか、人が死んでんのに笑うって・・・・・・。本当にお前らヒーローキモ?」

「ほっとけ! 橙里ちゃんを泣かせたお前は、俺一人で倒さないと気が済まねぇんだ! 切り刻んでチャーシューにしてやるから覚悟しろ!」

「キモキモキモ! 来い、バクショウジャー!」

 俺は剣を構え、一回の踏み込みでキモオタスベリーとの距離を詰めた。

「キ、キモッ」

「せりゃあ!」

 俺の一閃を受け、横腹から血を流すキモオタスベリー。

「チッ! 浅かったか・・・・・・」

「こ、この・・・・・・! 調子に乗るんじゃねぇキモ!」

 キレたキモオタスベリーの力任せのラッシュが俺に放たれる。

 しかし――

「クソ! クソ! 何で当たらねぇキモ?」

 俺はキモオタスベリーの攻撃を難なく躱す。

 ヒーロースーツに宿った笑力のポジティブパワーによる身体能力の向上と、先の戦いでコイツの動きを学んだ俺自身の成果だ。

「フン! ハッ! ゼアッ!」

 今度は躱すだけじゃない。躱すと同時に、カウンターで切りつける。

 キモオタスベリーの体から段々と刀傷が増えていき、血しぶきが床を汚す。

「潰れろキモ!」

 キモオタスベリーが片足を上げて、俺の頭上に落とそうとしてきた。

 大きな衝撃音と共に、床にヒビが生じる。

 俺はこれを空中に逃げることで回避した。

「バカめ! 空中ならどんな攻撃も避けることは不可能キモ!」

 俺の現在地を捉え、拳を構えるキモオタスベリー。

「バカはオメェだよ」

「なに? ぐおっ! 眩しい・・・・・・!」

「考えなしに飛ぶわけねぇだろ」

 俺の背にある太陽を直視し、キモオタスベリーは目を瞑った。

 その一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。

「オラァ!」


 ズバンッ


「グギャアアアアア!」

 俺の袈裟斬りにより、キモオタスベリーに致命傷を負わせる。

「ハァ・・・・・・、ハァ・・・・・・。グウゥ・・・・・・」

 とうとうキモオタスベリーは動きを止め、両膝を付いた。

「終わりだ、豚野郎。橙里ちゃんを泣かせた事を、あの世で一生後悔し続けろ!」

「ヒィッ!」

 俺は剣を天高く上げ、力の限りキモオタスベリーの首に振り下ろす。

 その時だった――


「お待ちなさい!」


 突如、何者かの待ったの声で剣の動きを止められた。

「だ、誰だ!」

 その声はステージ上から聞こえた。

「どうも、バクショウジャー。私が用意した可愛くない怪人はお気に召さなかったご様子ね」

 ステージに視線を送ると、黒いキャップに紫色のボンテージ姿の滑川がいた。

「お前、何で? そ、それに・・・・・・」

 俺は滑川の傍に居るもう一人の存在に驚きを隠せなかった。

「――橙里ちゃん!」

 滑川に強く腕を引っ張られて、不安げな表情の橙里ちゃん。

「おい! 橙里ちゃんには避難を促したハズだ! 何でここへ連れてきた? それに、お前はいったい・・・・・・」

 俺の動揺を感じ取り、滑川がイヤらしい笑みを浮かべる。

「私は失笑団の女幹部オスベリーナ。この子には悪いけど、私達のボスの所へ来てもらうわ」

「なに! 失笑団の幹部だと?」

 怪人に続いて幹部クラスまで出てくるなんて、今日は厄日か。

 だがそれよりも、聞き捨てならない事がある。

「ちょ、ちょっと待てよ! 失笑団のボスが、彼女に何の様があるってんだ?」

「知らないわよ。私は命令に従うだけ」

 オスベリーナは興味なさそうに答える。

「滑川さん・・・・・・。酷い。騙してたんですね」

「あら~、ごめんなさいね橙里ちゃん。あなたの本当のマネージャーはまだ動物園の個室トイレに縛られて放置されてるかしらね~。でも、これも私のお仕事なの。恨まないでね、泣き虫アイドルさん」

「ううぅ・・・・・・」

「・・・・・・ゲスが」

 どこまで橙里ちゃんの心を踏みにじれば気が済むんだ、失笑団は。絶対に許すことはできない。

「いつまで休んでるの、キモオタスベリー! さっさと起きなさい! このカス豚!」

「キ、キモ!」

 オスベリーナの叱咤で、笑う膝を奮い立たせてキモオタスベリーが起き上がる。

 誰が見ても戦える状態でないのは、火を見るより明らかだ。

「オ、オスベリーナ様・・・・・・。正直、俺ではバクショウジャーに勝てないキモ・・・・・・」

 弱々しいキモオタスベリーの発言に対し、オスベリーナは笑った。

「フフ。そんな事は百も承知さ。あんたが戦うのはそいつじゃなくて――」


 ドン


「きゃっ!」

「――こっちだよ」

 オスベリーナが橙里ちゃんの背中を押し、彼女が前のめりで倒れる。

「なっ」

「この子をそいつの前で嬲ってやりな。どれほどの失笑力が集めれるか見ものだね。ねぇ、赤と――」

 オスベリーナの顔にめがけ、剣が飛ぶ。しかし、それをいとも容易く避けるオスベリーナ。

「危ないね。顔に傷が付いたらどうすんのさ」

「いい加減にしろよ、お前ら・・・・・・。橙里ちゃんは関係ねぇだろ! 俺も、赤なんとかじゃねぇんだよ!」

「・・・・・・ふん、まぁいいさ。キモオタスベリー! さっさとしな!」

「キモ! そうゆう事なら喜んでキモ」

「させるかよ! ぐおっ」

 目にも止まらないスピードで何かが向かってきたかと思ったら、それが一瞬にして俺の全身に纏わり付き、動きを封じられた。

「邪魔はこっちがさせないよ。捕まったら最後、私の鞭から逃れる術はない。キモオタスベリー、遠慮なくやっておしまい」

「ありがたき幸せキモ」

「やだ・・・・・・。やだよぉ・・・・・・」

「に、逃げろ橙里ちゃん! 立つんだ!」

「では現役アイドル、いただきまーすキモ」

 俺の叫びも虚しく、キモ豚の毒牙にかかる寸前の橙里ちゃん。


 ド――――ンッ

「キモギャアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ・・・・・・!」

 それは本当に突然の出来事だった。

 空が紫色の雲に覆われ、辺りを暗くした。

 そして大きな雷がキモオタスベリーに落ち、奴は炭へと変わり果てていた。

 あまりにも凄い衝撃だった為、オスベリーナも手から鞭を離しており、そのおかげで拘束から解放された。

「い、いったい何が起き――ッ!」

 刹那、激しい悪寒に襲われる。

 今まで感じたことのない、失笑力の強さ。

 恐怖によって自分の足が勝手に震えている事に気づく。

 キモオタスベリーに落ちた雷の跡地から、とてつもない物を感じる。

「も、もしや・・・・・・! とうとうあなた様が・・・・・・!」

 オスベリーナが歓喜の声を上げ、落雷痕による煙の中を見つめていた。

「う、うあ・・・・・・」

 未だ姿を現さないソレに、プレッシャーを感じて一歩も動けない。


「フンハッ!」


 凄まじい気迫により、周囲の煙が瞬く間に消え去る。


「フフフフフ。とうとう寄り代を利用して、肉体を形成できるまでに回復したぞ」


 三メートルは優に超えている体躯。


 頭の上からつま先にまで纏う、毒々しい紫色の鎧。


 右手には自身と同じくらいの長さもある巨大な大剣。


 触れるもの全てを凍らせてしまうと思わせる、失笑力のオーラ。


 煙の中から現れた鎧の男は、首を鳴らし、オスベリーナの方へ近づいていった。

「おめでとうございます! あなた様の復活をどれほど――」

「バカもの!」

「――ひっ!」

 鎧の男は浮き足立っているオスベリーナに一喝をし、右手に持っている大剣を向ける。

「お前の働きは見事なものだ。それは認めよう。しかし、この娘のことは俺の元へ連れて来るだけでよいと伝えたハズなのに、傷モノにしようとするなど不届き千万!」

「わ、私・・・・・・?」

「す、すいませんでした! 私が浅はかでしたわ! どうかお許しを!」

「だがお前との計画で、俺がこの場に顕現できる程の失笑力を集めれたのも事実・・・・・・。これからも失笑団の為に尽力するのであれば、この事は不問とする」

「は、はい! これからも私は失笑団、ひいてはあなた様の為にお笑いを愛する者達を虐げ続けますわ!」

 オスベリーナは頭を下げ、そして床に倒れている橙里ちゃんを無理やり立たせる。

「時に娘よ、お前の母親は何と言う? 今は何をしている?」

「わ、わわ私の母親ですか・・・・・・?」

 鎧の男に対し、ビクビクと応答する橙里ちゃん。

「早く言え!」

「ひぃっ! わ、私の母親は鬼美明日香・・・・・・。い、今はファッションデザイナーとして外国で働いてます・・・・・・!」

 恐怖で早口で伝える橙里ちゃんの答えに、鎧の男は嬉しそうに頷いた。

「フフ、やはりそうか。鬼美明日香・・・・・・。お前の母親も、かつては同じ事務所でアイドルをやっていたんだったな?」

「そ、そう聞いてますけど・・・・・・」

「よし、ならば大人しく付いてきてもらおう」

「――っ!」

 何の前触れもなく、鎧の男が左の掌を橙里ちゃんの顔に近づけると、そこから紫色の煙を出して橙里ちゃんに吸わせた。

 橙里ちゃんはその場で気を失ったかのように眠り込み、倒れる彼女を鎧の男が支える。

「お前! 何をして・・・・・・!」

 橙里ちゃんを救おうと奴に立ち向かおうとしたが、急にスマホが鳴った。

「っんだよこんな時に――はい、もしもし!」

『攻増君! 無事かね? 《笑力計測グラスィズ》がとんでもない失笑力の数値を感知したんだ! その近くで君の笑力も感知したから心配でね・・・・・・。とにかく、その場から離れて仲間を呼ぶんだ! 無茶してはいけないよ!』

「色々と遅すぎますって、茶羽博士!」

 もうそんな段階は過ぎ去っている。

「茶羽・・・・・・?」

 寝ている橙里ちゃんを肩に担いでいる鎧の男が、俺と博士の会話に反応を示した。

「おい小僧。今、通話しているのは茶羽五木か?」

「だ、だとしたら何だ!」

「ハハハハハ! いや、手間が省けたと思ってな。少し話しをさせてもらえるか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 何故コイツが茶羽博士とコンタクトと取りたがっているのか不明だが、とりあえず相談をしよう。もしかしたら博士がこの状況を打開する策を与えてくれるかもしれない。

「あの、博士・・・・・・。実は、そのとんでもない失笑力の奴と出くわしていて、人質を取られている状況なんです」

『何だって!』

「それで、そいつが何故か博士と話しがしたいらしくて・・・・・・。いいですかね?」

『私と・・・・・・? 承った! ビデオ通話に切り替えてくれ! その者の顔を見て話がしたい』

「はい。よろしくお願いします」

 俺は博士の指示通り、ビデオ通話機能を使用して、鎧の男に自分のスマホを向ける。

『さあ! この茶羽五木と話しがしたいと言う命知らずの失笑力の持ち主はどこのどいつ――』

「半年ぶりだな、五木」

『――なっ! お前は・・・・・・! 復活したというのか?』

 博士はスマホ越しに見る鎧の男に対し、狼狽していた。

 そんな博士の様子を見て、鎧の男はとても愉快そうにしている。

 博士の言葉を聞いて、さすがの俺でも察しがついた。

「復活って・・・・・・。博士、じゃあコイツが・・・・・・」

 博士が忌々しそうに口を開く。


『ああ、そうだとも! 半年前、私の弟と一騎打ちをして消滅したかと思っていた・・・・・・。全ての芸人の敵で、憎き失笑団の親玉――首領(ドン)・ズベーリだ!』


「ど、どんずべり・・・・・・?」

『攻増君! さすがに相手が悪すぎる! ここは一旦退くんだ!』

「で、でも橙里ちゃんが・・・・・・。人質が・・・・・・」

『まずは体勢を立て直し、作戦を考えてから全員で挑むんだ! 人質の子はその時に助ければいい! キミ一人だけではイタズラに命を散らすだけだぞ!』

「ぐっ・・・・・・! でも・・・・・・!」

 博士の言ってることも分かる。

 勝負する前から、今まで味わったことの無い失笑力の重圧に押し潰されそうだ。

 五人揃っても勝てるかどうか怪しい相手に、一人では到底敵いそうにもない。

 でも――

(必ず守るって、約束したんだ!)

 俺が芸人になるきっかけを作ってくれた女の子。

 養成所の講師に、ネタ見せで厳しいダメ出しを受けた日。

 ライブで他の同期はウケて、俺だけ笑いが取れなかった日。

 クロの奴に何度も鍼を刺されて苦しんだ日。

 そんな日はいつも決まって、橙里ちゃんの歌を聴いて気持ちを奮い立たせてきた。

 命の恩人と言っても過言じゃない彼女を、悪人に身を任せておくなんて事はできない。

「すいません、博士。俺、一人でも戦います」

『バ、バカな真似はよせ! 頭を冷やすんだ!』

「どうしても、助けたいんです」

『その気持ちも分かるが・・・・・・』

 俺と博士の問答を見て、首領・ズベーリが嘲笑う。

「フハハハハハ。なんだ小僧? 俺とやり合う気か?」

「・・・・・・お前を倒して、橙里ちゃんを救うんだ! 俺の大事な推しのアイドルだから!」

「ほう、推しの・・・・・・」

 首領・ズベーリが興味深そうに俺をじっと見てきた。

 そしてスマホの博士に視線を移す。

「お前達兄弟の後釜がどんな奴かと思ったら、少しは楽しませてくれそうだな」

『やめろ、首領・ズベーリ! お前が復讐したいのは私だろ! 弟だけでなく、この子の命まで奪おうというのか!』

 博士の言葉に、俺も身構える。

 博士の弟さんはこの首領・ズベーリと一騎打ちをして生死不明と聞かされた。

 その元凶を目の前にすると、話しに現実味が増し、恐怖を掻き立てられる。

(橙里ちゃんを救って、博士の弟さんの仇を取ってやりてぇけど・・・・・・。正直、どこまでやれるか・・・・・・)

「弟、か・・・・・・。フ、フフフフ。ハーッハハハハハハ!」

『ぐぬぅ・・・・・・』

 博士の弟さんの件について、首領・ズベーリが反応を示す。

 その嫌らしい笑いに対し、博士の悔しさや憤りがスマホ越しでも伝わってくる。


「お前の弟ならここにいるぞ・・・・・・。ずっとな!」


『なっ!』

「うえぇ!」

 首領・ズベーリの言葉と共に目の前で起きた現象が、俺と博士を絶句させる。

 首領・ズベーリの胸の中央部。そこから目を閉ざした中年男性の顔が浮かび出てきたのだ。

 男性は生気のない顔色で、頭頂部がハゲていた。

「な、何だソレ! 気色の悪いコトをしやがって! お前とそのおっさんに何の関係が――」

『ぶ、無梨(ぶり)!』

「えっ?」

 首領・ズベーリの奇怪な姿に狼狽していた俺だったが、博士は別の事で驚いている様子だ。

『おい! 無事か? どうしてこんな事に! 返事をするんだ!』

「・・・・・・・・・・・・」

 博士の必死な声掛けに対し、男性は覚醒することなく沈黙を守っている。

「ハハ。どうした、五木? 念願の兄弟の再会なのに、そんな悲痛そうな声を出して。こんな時こそ笑ったらどうだ? 好きだろ? 笑顔がなぁ」

「なにっ! 兄弟? じゃ、じゃあ博士・・・・・・。あのハゲの人って・・・・・・」

 邪悪に微笑む首領・ズベーリの言葉により、博士の心中を察する。

『・・・・・・ああ、そうさ。あのゲスの体内に囚われている男こそ、先の戦いで行方知れずとなっていたヒーロー・・・・・・。そして我がコンビ、チャバネゴキブリの相方でもある茶羽無梨。私の・・・・・・弟だ』

「っ・・・・・・!」

 不意に訪れた衝撃的な兄弟の再会。

 しかし、弟さんの置かれている状況は芳しくない。それは弟さんから感じ取れる笑力の弱さが物語っていた。

「お前・・・・・・! 博士の弟さんに何をしやがったんだ!」

「フフ。先の戦いでこやつと一騎打ちをし、俺の肉体は滅んだ。凄まじい笑力と失笑力のぶつかり合いだったからな。戦地から離れた山の麓まで飛ばされてしまい、失笑力のエネルギー体となってしまった俺は、時間が経てば無念にも消えゆく存在となってしまったのだ・・・・・・」

「じゃ、じゃあ何で今ここに・・・・・・」

『・・・・・・まさか! 貴様!』

 博士が何かを勘付き、その様子を首領・ズベーリが鼻で笑う。

「まさかお前の弟――無梨も俺と同じ山に吹き飛ばされているとは思わなかったぞ? 意識が無いこやつの肉体を乗っ取り、体内で笑力を喰らいながら完全に復活ができる時を待っていたのだ。フフッ。俺の悪運も捨てたもんじゃない。中々に美味かったぞ。こやつの笑力は・・・・・・」

 首領・ズベーリは自身の胸にいる弟さんのハゲ頭をペチペチと叩きながら、俺と博士を挑発する。

『な、何て惨いことを・・・・・・』

「は、博士・・・・・・?」

 スマホ越しの博士の声は震えていた。

『無梨の笑力を利用して復活を遂げたという事は、このままでは無梨の命が危うい』

「そ、それってどういう事ですか?」

 俺はスマホ画面に顔を近づけ、博士に発言の意味を問う。

『我々芸人にとって笑力とは生命エネルギーだ。それを喰らい尽くされたら、廃人も同然になってしまう。最悪、死に至るかもしれん』

「そんな!」

 博士の言葉に、身が凍りつく。

 芸人のヒーローとして、今までもこれからも死傷者を出す訳には行かない。

「なら、早くアイツから弟――無梨さんを助け出さないと!」

『だから待て! 君一人では無謀だ! 奴の強さは本物だぞ!』

 博士の制止を振り切り、首領・ズベーリの元へ駆け出す。


「ヌゥンッ!」


瞬間――首領・ズベーリの覇気により、強風が巻き起こる。

「ぐっ・・・・・・! ぐおわっ!」

 俺はそのまま後方へと吹き飛ばされ、壁に背中を打ち付けられる。

 手元からスマホが離れ、遠くの位置で博士の叫び声が聞こえた。

『攻増君! 攻増君! どうした? 何があった? 画面が真っ暗で何も分からん!』

 スマホの画面が地面に接している為、博士からは今の状況が伝わっていない様だ。

「う、うぅ・・・・・・」

 自分の無事を報告しようと、這いずりながらスマホに手を伸ばす。

「おっと、そうはいかん」

「――があっ!」

 いつの間にか距離を詰めていた首領・ズベーリが、伸ばした俺の手を踏みつける。

「ふふ。ザマーないわね」

 そんな俺の姿を、寝ている橙里ちゃんを抱きかかえながら、オスベリーナが嘲笑していた。

「イッテェな、クソ! このクセェ足をどかしやがれ!」

 足が置かれていない手で殴ったり、フェイスマスクを外して歯で噛み付いて抵抗する。

 しかし、首領・ズベーリは全く意に介していない様子だ。

「・・・・・・お前に一つ、良い提案をしてやろう」

「あ?」

 首領・ズベーリの足に唾を吐きかけようとした時だった。

 踏みつけていた俺の手から足をどかし、首領・ズベーリは片膝をついて手を差し伸べてきた。

「お前、俺達と共に来ないか?」

「・・・・・・・・・・・・はぁ?」

「ど、首領・ズベーリ様! それは一体、どうゆう事ですか?」

 予想外のヘッドハンティングに俺は勿論、オスベリーナも動揺していた。

 俺達二人のリアクションを無視し、首領・ズベーリは寝ている橙里ちゃんに指を差しながら話しを続ける。

「お前、あのアイドルのファンなのだろう? 俺達と来ればあの小娘をお前の物にしても構わんぞ」

「なっ! お前、何言って――」」

「売れっ子のアイドルと、お前のような売れる見込みの無い芸人では、住む世界が違う。見えている景色もな・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「さしずめ芸人として売れればアイドルと付き合えると思っているんだろ? しかし、薄々感づいているハズだ。お笑いの道は険しく、スポットライトを浴びるには相当な実力と運が必要不可欠ということを・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「あの小娘には失笑気ガスを吸わせ、一時的に眠らせてある。俺が作り出すこのガスは吸えば吸うほど感情の起伏が無くなり、最終的には自分で思考する事もままならなくなる。つまりは都合のいい従者の完成という訳だ。どうだ? 悪い話ではないだろう?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 絶妙に痛いところを突いてきやがる。

 現実的に考えてお笑い芸人として売れ、尚且つ推しのアイドルと交際するなど夢のまた夢。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。

 中途半端に名ばかりのお笑い芸人を続け、ただのファンでいるより、こいつらの仲間になって確実に橙里ちゃんと一緒に居られる方が幸せかもしれない。

 何より首領・ズベーリの圧倒的な力の差に、対抗する手段もない。


『とっても面白くて勇気をもらえました』


 日和っている俺に、最愛の人の言葉が頭をよぎった。

 オスベリーナに抱えられた眠れる推しのアイドルを見る。

(橙里ちゃんは勇気をもらったって言ってたけど・・・・・・。その何千倍も俺は君から勇気をもらってるって・・・・・・まだ伝えれてねぇよな)


「・・・・・・・・・・・・」

「ほう・・・・・・。その気になってくれたか」

 首領・ズベーリが黙って差し出した俺の右手を取る。

 俺は握った首領・ズベーリの左手を自分の身に寄せ、そして――


「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ」


「――ぐわっ! 汚っ! こいつ、キャンディの如く俺の手を!」

「へっ! 俺は素敵な歌声と笑顔が愛らしい橙里ちゃんに惚れてんだよ! 感情の無い推しが従者なんて冗談じゃねえ! どうせなら俺の方が従者になるわ!」

「ぐっ」

「それに、彼女は俺のお笑いを褒めてくれたんだ・・・・・・。だから諦めずにお笑いの頂点と橙里ちゃんをダブルで手に入れてみせる! テメェらの仲間なんて死んでもゴメンだね!」

 首領・ズベーリを前に中指をおっ立てやる。

 俺の唾液がたっぷり付いた左手を腰に擦りつけて拭き取り、首領・ズベーリが恨めしそうに睨んだ。

「この――愚か者が!」

「ぐべっ!」

 二つの意味で首領・ズベーリをナメたことにより、相当な怒りを買った様だ。

 強烈な蹴りを腹にお見舞いされ、耐え難い痛みを感じながら地面を転がる。

「折角のチャンスを棒に振りおって・・・・・・」

「首領・ズベーリ様、この後はどのように?」

 オスベリーナの質問に対し、首領・ズベーリは黙って落ちているスマホに視線を送る。

『攻増君! 生きてても死んでても、応答してくれ!』

「五木よ」

 状況が掴めないでいる五木に、首領・ズベーリが応える。

『むっ! ど、首領・ズベーリか? まさかお前、攻増君を・・・・・・』

「安心しろ。バカは生かしておいてやっている。この後のお楽しみの為にな」

『お楽しみだと? お前、一体何を考えているんだ!』

「代々木公園の野外ステージ。・・・・・・これだけ言えば分かるな?」

『!』

 首領・ズベーリの言葉を聞き、茶羽五木は身震いした。

「俺達の袂を分かつ事になったあの場所で待っているぞ。人質の小娘やお前の弟と共にな」

『ま、待て! 首領・ズベーリ!』

 五木の制止を無視し、首領・ズベーリは踵を返す。

「ぐっ・・・・・・。そうだ、待ちやがれ! 橙里ちゃん達を解放しろ!」

 腹の鈍痛を感じつつ、ふらつく足で首領・ズベーリに歩み寄る。

「フッ。お前も五木や仲間と共に来るといい。そこで引導を渡してやる。そして真実を知れ」

「は? 何を言って――」

「行くぞ、オスベリーナ」

「はい」

「お、おい!」

首領・ズベーリはオスベリーナから橙里を引き取り、自らが生み出した紫煙の中に部下と人質達を連れて消えていった。

「チクショウ! 橙里ちゃんをあんな雑に扱いやがって! 代々木公園? 真実? 意味が分かんねぇ・・・・・・」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 落ちている自分のスマホを拾い上げ、まだ博士に繋がっている事を確認する。

 画面越しの博士の顔は俯いていて表情は見えなかったが、ひどく落ち込んでいるのは雰囲気で伝わった。

「もしもし博士? その、大丈夫ですか?」

『あ、ああ・・・・・・。すまない。心配ないよ・・・・・・。君こそ大丈夫かい? ケガは?』

「一矢報いようとしてこのザマですよ。奴に心理的不快感しか与えれなかった」

『それがどんな攻撃かは聞かないでおくよ』

「・・・・・・博士。代々木公園に何があるんです? 真実ってどんな?」

『・・・・・・・・・・・・』

 俺の問いに博士は深い溜息をした後、思いもよらぬ言葉を発した。


『代々木公園・・・・・・。そこは今から二十五年前、首領・ズベーリが生まれた場所――いや、正確には私が生み出してしまった場所なんだ』


「え! それってどうゆう――」

 言葉の真意を問い質そうとした時、それは起こった。

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