第5話

 彼女──羽倉暗瀬と共にとにかくどこにでも行った。知らない町。知らない山。知らない廃墟。知らない、知らない、知らない──。

 何故と問われて理由を作るとしたら、それは彼女に誘われたから。最初は面倒と思っていた遠出も、回数を重ねていくうちに楽しくなっていった。

 知らない景色を見ることと、

 常に輝いている彼女を見ること。

 これ以上に有意義な時間は過去になかったし、未来にも訪れないと断言できる。

 暗瀬と一緒なら僕はどこまでも行ける。例え地獄だろうと、君は華やかな景色に魅せるのだろう。

 一年前の午後九時。彼女は遠出ではなく、ただ公園に行こうと言った。

 迷う間もなく僕は応じた。彼女に会う時間だけが僕の心の安らぎだったから。


「衝動なんだ」


 暗瀬は会うなりそんなことを言った。


「君と行きたい場所が衝動的に思い浮かぶ。今日も、同じ」


 理由を初めて聞いた。

 別に何でもいいとその時は思ったのだが、今思えば何故わざわざ理由を言ったのか疑問に思う。

 真実を伏せるための嘘──そう捉えることができなくもない。しかし、捉えたところで世界は何も変わらない。彼女が殺された以上、その真偽は確かめようがないのだから。


「わたしは君を巻き込んでどこまでも行きたい。それくらい君のことが好きなんだ」


 彼女の言う『好き』には飽きがなかった。あくまで言われる立場からの感想だ。しかし、暗瀬は暗瀬でそうした想いを伝えることが好きだったのかもしれない。


「本当に不思議。いつもの景色が、空気が、こんなにも新鮮で特別に感じられるだなんて」


 彼女はくるくると回る。

 小川を、噴水を、草木を、遊具を、その全てを視界に入れては微笑む。

 くるくると、狂ったように。

 もしかすると予感があったのかもしれない。今日が自分の命日になると。そう錯覚できるほどに、彼女は現在を楽しんでいた。


「捕まえてみなさい!」


 暗瀬は川の横を走り出した。彼女の運動神経はそこらの男子に引けを取らない。全速力ではないけれど、そのスタミナは無限に等しい。

 結局、彼女は川沿いの小さな橋の下で足を止めた。

 そして何を期待しているのか、切望の眼差しで手招きをする。

 僕が一歩先まで近づいたところで彼女の目は絶望に変わった。

 暗瀬は僕の手を乱暴に引き、場所を入れ替える。困惑しつつ振り返ると、そこには更なる困惑が待っていた。

 人が居た。性別不明だが、語る都合として一応『彼』としておこう。彼は黒の上着にフードを深くかぶっていた。手袋までも黒で、その手のうちには一般家庭で調理に使われそうな包丁が握られていた。体格は僕とあまり変わらず華奢で百七十前後。

 そんな彼は暗瀬に跨り、彼女の首を裂いていた。

 脳が状況の理解を拒む中、彼は僕に振り向いた。つば付きの帽子を深くかぶっていた。口元しか見えなかったけれど、それだけで年齢を見ていいのなら二十前後だろう。

 彼は動けないでいる僕を見てから、更に暗瀬の心臓をひと突きした。

 すぐに痙攣する彼女が動かなくなって、彼が去って、僕は血溜まりにへたり込んだ。


「────」


 声にならない声をあげた。

 暗瀬はとうに死んでいた。死んで当たり前の傷だし、それは当然なのだが、僕は無責任に「きっと彼女は助かる」と思っていたのだ。

 僕の世界は最高だ。僕の周りの世界は最高だ。暗瀬のいる世界は最高だ。

 だから死なない。生きるに決まってる。


「暗瀬! おい! 暗瀬!」


 最期の言葉すら聞くことは叶わなかった。首を切られた時点で死んでいたのだから。

 非劇的な幕切れ。


「ダメだ、暗瀬……」


 君がこんな死に方で終わっていい筈がない。そんな思いすらも、きっと届いていなかった。

 あの時──一分一秒でも早くに救急車に連絡していたら助かったのでは?

 否。馬鹿を言え。どう考えても致命傷だ。病院に瞬間移動できたところで間に合わなかった。

 あの時──戸惑うことなく振り返り、躊躇うことなく殺人鬼に立ち向かっていたのなら救えた命だったのでは?

 全くもってその通り。反論の余地なし。僕がそれこそ殺人鬼的思考回路でいたのなら、あの時迷わず動けていた筈だ。結局、僕は羽倉暗瀬の恋人というだけで、何一つ特別性も異端性も持ち合わせていなかった。


「ここまでが前回のあらすじだったね」


 芽市めいち甘奈あまなはメモ帳を見ながら総括した。


「ええ。その通りです」


 僕は答えてからコーヒーを口にする。

 ──小さな喫茶店。気楽に話したいと甘奈さんが提案した場所だった。


『配慮?』

『まさか。自己都合だよ』


 広くはない店内。僕たちの座るテーブル席以外にも客は中々入っている。僕らが良くないワードを口にする時にいいノイズになってくれることだろう。


「それで、今の君はどう? 君の人生の半分が壊れたと言うところだろうけど、その後の夢乃夜ひとえの変化は?」


 三種類のパフェを三角食べしながら甘奈さんは聞く。はたしてこれは行儀がいいと言えるかどうか……。


「朝は暗瀬の声で目覚めるようになりましたね……彼女らしさ溢れる一言で」

「ふうん? 毎日?」

「毎日」

「へー。それってかなりの病気じゃん」

「ぐあ」


 はっきり言うなあ……そこが気持ちのいいところではあるんだけど。


「でも、散々事情聴取と同時に検査もしたよね?」

「暗瀬が殺されてほとんどがどうでも良くなっていた直後のことだったので、適当に済ませました」


 正直なところを答えると、甘奈さんは口を大きくして笑う。


「なんだ! 見えない病気は医者にも分からないって言うの! わたしでもなれるんじゃない?」


 言いながらパフェを完食する甘奈さん。この人が糖尿病になっても診なくていいです、全国のお医者さん。


「しかし、死者の言葉……。引っ張られているのかな? その内に自殺してしまいそうだね」

「さあ、どうでしょう。もし仮にその時が来たのなら、地獄まで取材に来てくださいよ」

「望むところよ。それがわたしの仕事なんだから」


 と、甘奈さん──大学生、某出版社アルバイトの彼女は自信と誇りに満ちた顔をした。

 この人との出会いは一年前──暗瀬が殺されて一週間経った時のことだった。

 事件が事件だったものだから、多くの記者につけられては質問される日が続いていた。時には家の前に待機していることもあり、情報漏洩の恐ろしさがとても身に染みた。

 こうして被害者ぶった言い方をしてはメディアへの嫌悪感を取られるかもしれないが、実際のところそんな感情はまるでない。世界の動きを発信してくれる彼らには素直に好意を寄せている。

 ただ、時と場所を考えて欲しいだけだ。僕が極悪人ならばともかく、恋人を殺された身だ、詰め寄られると疲れてしまう。

 とは言え、彼らは始めに同情の言葉を口にする。常識的だ。褒められたことでもないけれど、当たり前のことが当たり前にできて褒められるような時代でもあるので一応素晴らしいと表現しておく。

 そんな中でだ。

 甘奈さんは「こんにちは」の一言で名刺を僕に差し出し、次には質問に移っていた。

 心底気持ちよかった。

 

『見え透いた同情など相手を不快にさせるだけ。恋人を殺されたことのない人に、恋人を殺された人の気持ちがわかるわけがない。だからわたしは『心中お察しします』なんて言わないし、身勝手に哀れんだりもしない。わたし個人の感情は世界を動かす真実に一切の関係がないのだから』


 その言葉を聞いて、この人になら素直に応じていいと思えた。今まで適当にはぐらかしていた記者達とは違い、甘奈さんには一言一言丁寧に答えた。

 それ以来の今の時間である。


「でもさ、どうして地獄なの? 君は何も悪いことはしていないじゃない」

「僕を庇って人が死んだ。それが赤の他人だったらそこまで罪の意識はなかったかもしれないけど、暗瀬はそういう訳にいかない」

「優しいねー、君は。損な立ち回りをするより、今を堂々生きればいいのに」

「叶いません。もし叶うとして、それは周りが許す前に僕が許さない」


 意地になった目を向けた。あまりにも勝手な八つ当たりだと気づき、僕は「すみません」とすぐに謝罪する。

 が、甘奈さんは変わることのない涼しげな顔で首を振った。


「天国に行けないにしても、地獄に行く必要はないと思う。君の気持ちになって考えることはできないけど、客観的に見て君は背負いすぎだ。事実、君に罪はないんだよ」

「罪と罪悪感は完全に切り離しています」

「そっか。やっぱり、わたしも大切な人を殺されないと同情はできないね」


 そう言って肩をすくめる。

 本当に優しい人だ。偽善と悪を同義にしているわけじゃないだろうけど、本当の善意しか向けないと決めている人は心底気持ちがいい。年が同じだったら友達になりたかった。そして、僕のこれからを相談したかった。


「その他、生活に変化はないのかな?」

「はい。なにも変わりありません」

「怪しい人につけられたりとか」

「それもないですね。僕も殺人鬼に殺されることはなさそうです」


 そんな展開になったとしたら、それはそれで物語性やロマンが感じられるかもしれない。

 しかし、そんなことある筈がないのだ。


「僕と暗瀬に共通して恨みを買う人物はいない。掛けてもいい。僕達は恨まれるような人格はしていない」

「知っている」


 甘奈さんは初めて食い気味に言った。


「君達は常識人だ。ひとえくんも暗瀬ちゃんも、適度に人を愛し、そして愛されていた。証言だけで理解できたよ。二人とも深夜にどれだけ急いでいようが信号を守れる人だって」

「信号、ですか」


 たしかに赤信号を渡ったことはないけれど……それだけ?


「乱暴じゃないですか?」

「世の中にはね、そんな常識一つ守れない乱暴な人が生きているんだよ。常識の通じない相手に君達は通じない。恨みを買う──そんなの関係ないよ。相手は乱暴なんだから」

「…………」

「信号も守れない人に法律は守れないよ。産まれてから中学生までの知識なしで高校生の勉強に追いつける? つまりは、そういうこと」


 僕の中で乱暴という意見はすぐに消えた。

 少し行き過ぎた理屈だと思わなくもないが、しかし納得があることも事実だ。『難儀をこなして容易に躓く』なんてこと滅多にないだろう。

 これは甘奈さんなりの警告だ。『乱暴』がいつ僕を殺してもおかしくはないと。

 これから死のうという僕にこの警告がどれだけの意味を持つかは分からないけれど、この人がよく出来た人というのは本当に理解できる。


「ありがとうございます」


 少しぎこちないかもしれないが、僕なりの笑顔を作って答える。


「あなたみたいな人と知り合えてよかった」

「……まるで別れの挨拶ね」

「──冗談。殺される予定なんてないですよ」

「……、……。そ? なら安穏だ」


 甘奈さんはそう言いつつも僕に疑いの目を向けている。まずい雰囲気と察したので、とりあえず話を逸らす(戻すでも正しいが)ことにした。


「それで、どうでしょう。いい感じに記事は書けそうですか?」

「うーん。少し物足りないけれど、そこは頭の悪い小学生さながらの文字数稼ぎで誤魔化すよ」

「そういうことばっかり言ってると痛い目見ますよ、マジで……」


 悪意はないしよく伝わる比喩ではあるけれど、他人に聞かせられたもんじゃない。

 そんなことを気にも止めず、甘奈さんはマイペースにメモを取る(レコーダーはあえて使っていないらしい。こだわりがあるのはそれっぽくてかっこいい)。この人ならどんな国でも、どんな状況でも生きていけるだろうな。


「あ──ひとつ質問したい」

「なんです? 構いませんよ」

「もし……、いや、いい」


 切り上げてメモをしまう。配慮を匂わせたそれを見て、僕は踏み込んでしまった。


「言ってください。質問してくださいよ。僕はあなたに書かれてもいい」

「わたしは君に残酷な質問をしようとした。それは人として訊くべきじゃないと、そう確信している。注目を集めるために行き過ぎた事をしようとは思わないよ」

「いいんです。僕はあなたに記されたい」


 なぜこんなにも必死になっているんだろう。甘奈さんはそう思ったろうし、僕もそう思った。

 そして、答えはすぐに見つかった。

 ──呆れた。死を決意して尚、僕は僕が生きた事を遺しておきたいんだ。


「……なら、訊かせて」


 メモ帳を取り出す甘奈さん。少し目を泳がせてから僕をとらえる。


「犯人が捕まったらなにを思う?」

「いまだに逃げ続けているということは、捕まることを恐れているということだから、ざまあみろって思う」

「自首をし、謝罪をしたら?」

「受け入れない。非を認めることが善行? そんな錯覚はない」

「君が無防備な状態で犯人を見つけたとする。確証があったと仮定してね。その時はどうする?」

「……勢い余って殺してしまうかもしれない。断言はできない。僕は人を殺したことがないから」

「もしも、犯人が死んでいたら? 偶然の死として」

「……っ」


 大きく動揺してしまった。口を閉ざし、先ほどまでの思考が回らなくなる。

 もしも死んでいたら?

 それは──なんて虚無。

 誰も、何も、一切が満たされない。いや……暗瀬を殺せた殺人鬼だけが望みを果たせている。そんな奴に偶然の死が訪れたというのなら、それこそ僕が今生きる意味を見失う。無落に誘われなかったとしても、僕は自殺を選んでいたのではなかろうか。


「ごめんね。こんな質問。許しが出たとしてもするべきじゃなかった」


 相当顔に出ていたのだろう。甘奈さんが似合わず気難しい表情をしていた。


「いえ──いいんです。考えても見なかった結末だ。その結末を迎えたとしたら……きっと、僕は僕でいられなくなる」


 素直に自殺という言葉を使う気にはなれなかった。それは僕と無落の終わりを宣言することと変わらない。その結末を迎えた時、甘奈さんには必要のない責任を負わせる可能性がある。そんな無意味なことはない。


「……ありがとう。これで文字数稼ぎをする必要はなさそう」


 今度こそメモ帳をしまって身支度をする。


「わたしはもう行くけど、君はどうする? まだ残ると言うのなら何か頼んでいいよ。年上らしく奢ってあげるから」

「もう少しゆっくりしていきますけど、追加注文は大丈夫です。お腹減ってないんで」

「そう。じゃあ、また」


 伝票を手にして甘奈さんは僕の視界から出ていった。

 カップを手に取る。ふと水面に映る僕の顔を見た。そして、その顔が表現のしようがないほどに破壊されたことを想像してみる。


「こうなるとして……やっぱ、書くんだろうな」


 まだ彼女はバイトの身だけれど、あそこまで仕事熱心な人だ、近い未来には正社員になることだろう。何かの手違いでならないとしても、僕と言う人間の物語が完結した時には筆を走らせる筈だ。

 彼女なら淡々と真実を記載する。そして堂々と己の意見を述べるのだろう。

 なんて安心感だ。


「──そうか」


 この先死ぬことは確定しているとして、僕にはこういった些細な未練があったんだ。


 ×


 些細な未練に決着がついたところで、改めて考えなくてはならない。

 果たして夢乃夜ひとえの人生に一体いくつの未練が残されているのか。

 この問題は直面しなければ自覚のしようがない。小中学生が授業直前に忘れ物に気づくように(高校になってから持ち物は学校のロッカーに放置だ)。死後に真実を記されるか否か、その未練は事実、今の今まで──甘奈さんと話すまで考えもしなかったのだから。

 しかし、忘れ物という例えが正しいのなら、見直しをすれば自ずと見えてくる筈だ。

 この世に残したものは。

 過去の悔恨。死後の願望。

 呆れた。

 自殺というのは未練がないからこその行いであって、わざわざ未練を消化してまで自殺を行おうなどと、因果関係の逆転もいいところだ。

 正常な思考回路とは思えない。いや──これから死のうという人の思考が正常というのもおかしな話。この場合の異常はある意味で正常と言えるのだろう。

 こんな僕の未練といえば──


「まずは海野との関係だよなあ」


 部屋のベッドで一人呟く。

 さあ、弱虫泣き虫のフリはやめだ。

 僕が無落と関わりを持った途端に海野の様子が一変した……確実に海野と無落は何かしらがあった。或いは一方的に悪い一面を知っている、だ。この他の可能性は一切ない。断言できる。

 ならばやることは一つ。

 携帯に手を伸ばして無落に発信……しようとしたまさにその時だった。

 海野から着信が来た。


「……うーん」


 迷いつつも応答した。どちらから先に話を聞くべきか、決断ができていなかったから。しかし状況に呑まれてしまったのだ、応答するしかないだろう。


「やあ。海野から電話なんて珍しいね」

『……うん。そうかも』


 沈んだ声音。なぜ気が沈んでいるのか、本当に理解できない。僕が鈍感だというのか?


「しかしちょうどよかったよ。僕もおまえと話がしたかったんだ。単刀直入に訊くが……」

『待って。会って話さない? でないとあたし……嘘をついちゃう』


 本当にまったくわからない。海野はどうしてここまで思い詰めている? 一体何に追い込まれている?


『顔を合わせたら、そんなことできないから』


 しないではなくできないと──そう言うのか。

 察するに海野は僕が何を訊こうとしているのか分かっている。その上でのこの宣言はあまりにも不安だ。


「分かったよ。その真剣さは僕の望むところでもある。場所の指定はある?」

『私の家でまったりする話でもないからね。四角よんかく公園なんてどう?』


 四角公園というのは母校である中学の裏にある公園だ。放課後にはよく生徒が溜まり場にしていた。

 もちろん、僕たちも。

 暗瀬も。


「時間はどうする?」

『すぐに向かうよ。十分後くらいでどう?』

「了解。十分前には着くようにするよ」


 やべー。つまらん冗談言った。自覚して即座に通話を切る。

 さて。この家から母校までちょうど十分かかる。走れば五分──もしかするともっと縮むか。

 帰宅部のくせして人並み以上に運動ができるのは今このためにあったのか。なるほどね。そうとなりゃ気合を入れてやろうじゃんか。

 脱ぎかけの制服から赤黒ジャージに衣装チェンジ。靴はスノトレ。

 出発。


 ×


 スノトレを選んだのは笑って欲しかったからではない。この程度でボケになると僕が思っているのなら、さっきは海野の反応を待ってから通話を切った。

 なら自殺志願者直前の思考だから? 勿論違う。この靴を履いているのはマジで正常な思考から導いた結果だ。

 何を隠そう(描写していなかったから隠していたように思われても仕方ないけど)、これは暗瀬からの誕生日プレゼントなのだ。雪の積もるこの街ではありがたいことこの上ない。プレゼントされたの真夏なんだけどね。

 意外と便利なんだよな。防水だし、転びにくいし。


「待たせた」


 ベンチに座る海野の隣に僕は座った。

 海野は制服姿のままだった。


「気にしなくていいよ。知ってるでしょ? 待つのは好き」

「初めて聞いたけどね」

「ありゃ。そうだっけ」


 失念、と舌を出す海野。その仕草に合わず乾いた笑いなのは気がかりだ。

 雑談を挟んでからにするべきか、いきなり本題に入るべきか。うーん……もう直球でよくね?

 無意味な長談なんてのはミステリー小説の謎解きだけでいい。それに匹敵するクライマックスならばともかく、僕の人生のクライマックスはここじゃない。


「瑠璃宮さんと何があったの? 語ってくれ」


 はっきりと言う。

 が、海野は顔を逸らした。電話での決意はどこへやら。全く気分屋だ。

 ──なんて責め立てるつもりはない。

 僕は海野のそういうところが好きだし、これからも変わらないでほしいと願っている。

 でも、今に限っては別だ。この状況で誤魔化されてしまったら、死ぬまで二人に何があったのかを知ることができない。

 ダメなんだよ。おまえとは最期まで友達じゃないと。


「海野」


 やや強引に彼女の両頬を掴み、顔を合わせた。


「な、なにを……」

「ボディタッチについての文句なら後で聞くよ。男女平等に見て欲しいところではあるが」


 僕だって過去に何度も女子からボディタッチを受けている。一回くらいいいじゃん。無理矢理目を合わすくらい。

 こうでもしないと、停滞は決まっていたんだからさ。


「僕はおまえの言葉の全てを信じるよ。虚言も妄言も全て信じる。僕にとっておまえは真実の塊だ。だから、ビビらずに話してくれ」


 とはいうものの、さすがに『実はあたしと瑠璃宮さんがクラを殺した犯人でーす!』なんて言われたらこの場でひっくり返ってしまう。それだけではおさまらないかもしれないが……。

 ともかく、それまでのことなら全てを受け入れる。友達への覚悟というのなら普通だろう。


「ふふ……あはは!」


 海野は僕の手を払い、大きく笑った。年相応の純粋で眩しい女の子の笑顔。見慣れた表情。


「なに? 虚言を信じるって、おかしいよ」

「おまえになら騙されてもいいっていうこと。伝わんなかったか? こりゃ理系の道を進んだ方が良かったんじゃない?」

「馬鹿。あたしの方が成績上位」


 マウントを取ってから息を吐く。

 綺麗さっぱりと迷いは消えたようだ。

 これでいいんだよ。

 海野千里はいつだって真っ直ぐで、その信念を曲げたことすらない。目の前の幻滅ですらなきものにしてしまうその眩しさこそおまえだ。


「ビビらずに聞いてね」


 自身と信頼に満ちた顔で言う。

 もちろん僕はその期待に応える。ビビったりもしないし、ひっくり返ったりもしない。

 結果から言ってしまえば、その通りになった。

 しかし。その代わり。


「以前、瑠璃宮さんに自殺に誘われた」


 僕が本当に無事自殺を完遂できるのか、大きな不安を抱えることとなった。

 それはビビってることと同じって?

 確かに。

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