4.老婆がいなくて寂しいわけではない


 またしばらくすやすや眠っていると、がさりと草を踏む音が聞こえて目が覚めてしまった。気付けばもう夕方。

 この気配は猫ではない。しかもこんな時間に猫が来ることも珍しい。だから人間だろう。


「あ、ここにいた。ほんとにおばあちゃんの言った通りだ」


 やってきたのは今朝老婆の家にいた孫娘だった。学校の制服姿なので学校帰りなのだろう。

 だが私はかなり不機嫌だ。しばらく気持ちよく寝ていたのに起こされたのだから。


『……ここは人間は立ち入り禁止ではないのか?他の人間に怒られても知らないぞ』

「でもうちの土地に居座ってその主に飯を強請るとは、本当に強欲な猫だね」


 人間の事情なんて知ったことではない。私が居たいと思ったからここにいるのだ。眠りの邪魔をするな。

 セーラ服と呼ばれる服を身にまとう彼女は、私の目の前に座り鞄の中を漁り始めるが、何をされるかわからない私は思わず身構える。


「ほら、チュール。他の人もくれると思うから味は知っているんでしょうが」


 私の好物を差し出してきた彼女に思わず私は彼女を二度見した。

 猫を毛嫌いしていたはずなのにそのおやつを寄越すとは私に何を求めるのだろうと、身構える。


「あれ?どの猫もこれに目がないって言ってたのに」

『私はお前が信用できない』


 あのうまそうな匂いを我慢してふいと首を横に向ける。

 今にも奪ってやろうとも思ったが、それでは猫として品がないので我慢する。というかそうやっていきなり餌を渡してくる人間はたちがわるいのだ。中には毒入りの餌で殺された仲間もたくさんいた。

 ようやく懲りたのかこの小娘はため息を吐いた。諦めたらしい。


「仕方ないなぁ、他のご飯もあるから」


 だが彼女は鞄から紙皿を取り出してチュールをひねり出した。新鮮なにおいが私の鼻をくすぐる。そしてチュールと一緒にカリカリやら缶詰を紙皿に盛り始めた。


「何が良いのか分かんないから色々持ってきたよ。何で私がこんなことしなきゃ……」

『私はこんなに食べないぞ。あの老婆に頼まれたのか』


 今こそ家の縁側でのんびりしているが、私がまだ若かった頃はこの辺でこのように餌をくれたものだ。その老婆の孫ならきっとその話も聞いているのだろう。

 彼女はぽりぽりと頬をかきながらそっぽを向いた。


「あー、うん。そうだよ。おばあちゃん今日から入院なんだ。だからこれは晩御飯。朝は私が忙しいからこれからは夜になるよ」


 って言っても分からないかと付け足す小娘にぽかんと私は見上げてしまった。そんな私を見ては小娘も私が自分の言葉が分かったと思ったのかふふんと自慢げになっている。

 私とて長らくあの老婆の所に通っているが、ここまで通じることはなかったのだ。もしかしてこいつは私の思っていることが理解できるのだろうか。


「驚いてるでしょ?わたし、生き物と会話ができるの。でもテレパシーも送ってないのに人間の言葉が分かるなんてあなたもあなたね。犬でも単語しか分からない子が多いのに」


 一部分からない言葉があったが、本当にこの娘は私の言葉が分かるらしい。

 猫も賢い生き物だ。私くらい生きていれば人間の言葉を理解することが出来る猫も現れる。


『長く生きた猫は人間の言葉が分かる』

「そうなの?私猫飼ったことないから知らなかった」

『……それでも全部じゃない。それに私もこんな老婆だしな。多くの人間に愛想を振りまいたものだ』

「ふーんやっぱり媚び売ってたんだ。って、メス!?」

『何を驚く。三毛はメスの特権だ』

「ボス猫ってメスでもなれるのね……」


 舐められていることは分かったが私も食事中なので食事に専念する。しかしながら猫缶を食べるのはかなり久しぶりだ。自分もこの先長くない。こんな食事ができるのは嬉しいことこの上ない。

 だがさすがに私も多くを食べれるわけではないので、チュール以外は完食しなかった。


『そう言えば、入院と言っていたが、老婆は病気なのか?』

「……もう寿命なのよ」


 小娘は今にも泣きそうな顔をしている。あまり歩けないことは分かっていたが、もうじきあの老婆も死ぬのか。長い付き合いだったが、自分より先に死ぬとは。これからはこの小娘から餌を貰うことになるらしい。

 なるほど、彼女は老婆を看取るためにあの家に来たらしい。


『そうか。なら仕方ないな』

「どうしてそう諦めがつくのよ。毎朝ごはん貰ってたんじゃないの?」


 確かに多少の恩はあるが、悲しむほどの関係でもないだろう。

 それにこの小娘はあの老婆と長い時間共に過ごしていたわけでもないのになぜそこまで悲しむのだろう。そちらの方が理解不能だ。


『生き物は皆死ぬ定めだ、野良なら尚更。誰かが死ぬと分かった所でうじうじする暇はない』

「自分の家族が死ぬんだよ?」


 この小娘は私と自分を混同させているようだ。私はあの老婆と家族になった覚えはない。


『私は捨て猫だ。母の顔なんか覚えてない。子供も生まれてからすぐ人間に引き渡された。子供も産めぬ身体にされてからは番とはあまり会うことはなくなったしな』

「あんた壮絶な人生を送ってるのね……いや猫生か」


 私の話を聞いて諦めがついたのか彼女は涙をぬぐって立ち上がった。


「ま、そうだよね。あんたみたいな猫ならそう思うよね。また来るわ」

『次来る時はチュールとカリカリで頼む』


 残った餌を見て彼女は苦い顔をした。

 美味いものがたくさんあったが、きっと全て高いものだったのだろう。


「野良猫が我が儘いうんじゃないの。猫まんまの作り方聞こうって思ってたのに」

『あれは相手があの老婆だから食べていた。それに『安いもの』の方が人間も楽だと聞いたぞ』

「やっぱりあんたもおばあちゃんのこと好きじゃない!それに中途半端な気を遣うな!」


 そう言い捨てては彼女はずかずかとその場から去っていった。気付けばもう夜だ。もう秋だから少々寒い。そう言えばあの老婆の家に毛布があったはず。今夜はそこで眠ることにしよう。

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