/* Plastic_Seaside */

printf("See the sunset\n");

 心地よいまどろみの中、若干の浮遊感と衝撃を繰り返し感じる。

 どうやら、誰かに抱えられているようだ。


 寝起きでピントの合わない目をこすり、あくびをしながら抱きかかえている人物に視線を向ける。

 私の顔から数センチの場所にあったのは、若いころの父の顔。

 溶接の光で日焼けし、頬の薄皮がすこし剥けていて、目元だけは日焼けが少なく周りよりも色が薄い。疲れた様子を一切見せない、青年の活力をなおも残している、十数年前の父の顔だ。

 父は息を荒げながらも砂丘を上り続け、頂上にたどり着くと私を砂地に下ろし、座り込むと私に話しかけてくる。


「間に合った、この景色を見せたかったんだ」

「これが、海だよ」


 そこから見えたのは、今にも沈みそうな太陽と、今にも大きな火の玉を消してしまいそうなほど大きな水溜まりだった。

 水の色は近所に住んでるおばさんがよく身につけている、赤紫のバンダナみたいで、キラキラと光る水面がビーズのように見えた。きっと、おばさんはここから布を切り出してきたんだろうと思った。

 一息つくと、父は自分のズボン、ボロボロの作業服のポケットを漁って銀紙に包まれたチョコレートを取り出し、既に3分の1ほどしかないそれをさらに半分に割って私に差し出してくる。


「母ちゃんには内緒だぞ」


 幼い私は小さな手でそれを受け取り、砂地に落とさないように慎重に口元まで運ぶと、口いっぱいに頬張って食べた。

 溶けかけのチョコレートは舌の上に乗っただけでふわりと消え、幸せと呼ぶにふさわしい風味が強烈な甘さと共に口の中に広がり、自然と口角が上がる。

 私の顔を見た父の顔は、つられるように微笑んでくれた。


 私はようやくここで、これが夢だという事に気がつく。

 いつもここで思い出すのだ、私は弟ほど頭が良くないから。


 父の視線は、私の顔から地平の向こうへと移り変わり、先を指さして語りかけてくる。


「ほら、ごらん、陽が沈むよ」


 さっきまでまん丸だった太陽は、上から押されたボールみたいな形になっていて、地平線とくっつきそうになる。

 次の瞬間、地平線と太陽の間から緑の閃光が出て......





    ◇





 ―――カチャッ、カチャッ......ガンガンガンガン!


 大きな物音で私は目を覚ました。

 あんまり勢いよく飛び起きたものだから、2段ベッドの天井に頭をぶつけてしまった。

 最悪の目覚めだ......


―――ガンガンガンガン!


 ......屋根の上に何かがいるらしい。

 私は10年連れ添ったベッドに惜しみつつも別れを告げ、年季の入った柄の長い箒を持ち、バラックの外に出た。


―――カァ!カァ!


 騒音の主はカラスだ。何処からか拾ってきた缶詰を開けようと、我が家の屋根に勢いよくぶつけていたのだ。

 確かに、我が家の屋根は特別丈夫と言えるだろう。近くに捨てられていた古い戦車の特殊装甲板をそのまま支柱の上にのせて屋根にしているのだ。


 よく見ると、カラスの羽は艶が少なく、羽先は所々ピョンとはねている。素人目から見てもかなり弱っていることが分かる。こんなに弱っていても、カラスは懸命に生きようと自分の経験を生かして缶詰を開けて食べようとしているのだ。

 なんと健気なのだろう...!


 ......などと思ったのは今は昔のことだ。

 私はカラスに向かって箒を容赦なく振り回す。


「オラー!」


―――ギャッ!


 カラスの胴体に箒の先がヒットし、私から見て右側の道に落ちていった。

 すると、近所のバラックの中からワッと子ども達が出てきて、カラスの亡骸を巡ってケンカが始まった。


「おい!これはおれんのだ!おれが一番早かったんだ!」

「ちがわい!あたしが先だったわ!」

「お前らいい加減にしろよ!ぼくが先に羽に触ってたんだぞ!」


 ここいらの子ども達は他と比べて元気があるのが取り柄ではあるが、最近の食糧不足の影響か、誰もが血眼になって食べ物を奪い合うようになってきている。

 子ども達を横目に、屋根に残されたカラスが持っていた缶詰を拾い上げ、ラベルを読もうとしてみる。


「えーっと......グ、グリ、グリヌ?グリン?......わからん!」


 3文字目で読むのを諦め、弟に見せるために我が家の中に戻った。

 あれだけの騒ぎがあったのに、弟はいまだに寝息をたてている。

 少しムカついたので、私は弟の股間に持っていた箒の柄を軽く突き立ててやった。


―――ギャッ!


 さっきのカラスと同じような断末魔が聞こえ、小さなうめき声を上げながら弟は起き上がる。


「おはよう姉ちゃん......今日は一段とお元気そうですね......」

「おはよう弟くん、早速でわるいけどこれ読んでよ」


 そう言いながら私は亡きカラスの遺品である缶詰を渡す。

 弟は不機嫌そうにこちらをにらみながら、「うーん?」といいつつ缶詰のラベルを読んでくれた。

 三年前、母さんが死んですぐの頃。政府の方針とやらが変わって学校が閉鎖されたが、弟は直前まで学校に通い続けていたのもあり、読み書きができるのだ。

 私は母さんの看病や仕事が忙しくてもともと学校には行っていなかったため、文字を読むことも出来ない。


「あぁ、グリーンピースだよ。ほら、前に姉ちゃんが嫌いって言ってた緑の豆。1ヶ月くらい前の配給食に入ってたでしょ」

「あー、あれか......じゃぁいらないかな......食べる?」

「いらない。近所の子にあげたら?」


 私は「そうだね」と言いながらまたバラックの外に出た。

 カラスの所有権についての決着はまだついておらず、もみ合いが続いていて、悲鳴や雄たけびにまざって、おれの、あたしの、ぼくの、と交互に聞こえてくる。


「おーい、ガキンチョ!これほしいかー!」


 私がそう言うと、子供たちは争いの手を止め、一致団結して私から缶詰を盗ろうとしてくる。利害一致による協力が生まれた瞬間を目にし、少し感動した。

 感動ついでに私は大空に狙いを定めながら、左腕を大きく振りかぶり、「欲しけりゃとってこーい!」と叫びながら缶詰を投げる。

 子どもたちは、わぁと声を上げながら缶詰を追いかけていった。


 私が我が家に戻ろうと振り返ると、道の真ん中にカラスの死体があった。どうやら子どもらが缶詰に気をとられて投げ出していったようだ。

 子どもらによってもみくちゃにされたカラスはボロ雑巾のようになっていて、すこし不憫に思った。

 私は家に入る前にカラスを両手で持ち上げ、胸にたまったモヤモヤを晴らすために深く息を吸う。ゆっくりと息を吐き、もう一度息を吸い今度は声を出す。


「さてと、朝飯作りますか!弟くーん、今日の朝飯は鳥肉入りだぞー!」


 愛しの我が家の中から嬉しそうな弟の声が聞こえた。






    ◇






 私はよく研がれたナタを持ち、カラスの首を切り落とし、逆さまにして持ち上げておく。

 カラスの首からは血が流れだし、プラスチックのバケツの中にパタパタと音をたてながらゆっくりと落ちていく。

 バケツの中に溜まった鮮血はまだ暖かく、さっきまで生きていたことを私に思い出させた。





   ◇◇◇






 生暖かい血が私の首元に流れ、腹、足、プラスチックサンダルをつたって地面へと還っていく。


 私の腕には弟が抱かれている。

 口から血の泡を吹きながら、苦しそうに、姉ちゃん、姉ちゃん、とだけ声を発する弟が。


 私の腕の中で、私にとって最後の家族の命が、弟の命が、消えていく。


 どうして.....

 どうして.....

 どうして.....


 どうして.....こんなことに.....

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プラスティック・シーサイド 鳥心太郎 @chicken_heart

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