第5話 美奈と聖歌と、……の凄さ 3
中学生になった美奈と聖歌は当然のことながら地元の野球クラブに入る。話題性に加え実力も兼ね備えた二人は一年生からレギュラーに抜擢された。
これで中学も美奈と一緒なの。
聖歌が喜ぶのもつかのま、今度は二人の立場を逆転させる事件が起こる。
中学二年の公式戦。美奈は塁にこてんぱんにやられた。きらりのようになりたいと思っていた美奈にとって、同年代の選手に完璧に打たれたことはショック以外の何物でもなかった。
その日から美奈のフォームから躍動感が消える。どこに投げても打たれてしまうような感覚に陥り、恐る恐るピッチングをしている。それは聖歌が知っている美奈の姿ではなかった。
公式戦に敗退し、翌週の練習試合。今まで抑えてきた選手たちにも美奈は簡単に打たれていた。そして、さらに投げるのが怖くなってしまう悪循環。出口の見えないトンネルに入ってしまった美奈がエースの座を奪われるのは時間の問題だった。
「背番号一、岸田」
「はい!」
「背番号二、西野」
「はい、なの」
塁に打たれてから行われた最初の公式戦。美奈はレギュラーどころか、ベンチ入りメンバーからも外された。
変わって背番号一を担った岸田もいい投手ではあるが、美奈と比べると数段見劣りしてしまう。そして、聖歌のモチベーションも上がってこなかったチームは二回戦で簡単に敗戦を喫した。
「ねぇ、聖ちゃん。なんか、いつもと違ったけど?」
美奈は試合後、聖歌を問い詰めた。岸田は気合いが空回っていたのが誰の目にも明らかだったが、捕手の聖歌は声をかけることもしなかった。
「だって、美奈と一緒じゃないと楽しくないなの」
「どうして? 私が投げてなくても、チームのために頑張らないとダメじゃん」
美奈はわかっていなかった。聖歌が野球をするのは美奈がしていたからで、そうでなければこんなこと、絶対にしていないということを。
美奈はわかっていなかった。聖歌が自分に向ける期待の大きさを。
「わかったの。聖歌もちゃんとやるの。けど、やっぱり、聖歌は美奈と一緒じゃないと楽しくないの。だから、美奈も早くレギュラーを奪い返して欲しいの」
聖歌は溢れ出そうになる気持ちを思い留め、作り笑顔で美奈を励ます。美奈は「もちろんだよ」と笑うが、それから一ヶ月が経とうとも調子は一向に上がってこない。
どれだけ走って足腰を鍛えようとも、どれだけ遠投をし、地肩を鍛えようとも、どれだけブルペンでいいピッチングを披露しようとも、打者と対峙すると、力ないボールが甘いコースに吸い込まれる。ストライクゾーンにボールが投げられないわけではないが、
「ねぇ、私、どうしたらいいのかな?」
あまりの体たらくに、笑顔も消えた美奈は元気なく聖歌に助けを求めた。
野球なんて辞めるといいの。美奈はずっと聖歌といればいいの。
聖歌の中の悪魔が囁いてくる。聖歌だって、こんなにしんどい想いはしたくなかった。このまま美奈がフェイドアウトしてくれることは聖歌にとっても魅力的なことだった。
でも。
「絶対に甲子園に行きたいんだ」
「いつかお姉ちゃんと野球をしてみたい」
「私は野球で世界一の選手になる」
聖歌が思い出せる美奈との思い出ベストの中の美奈はいつも野球のことを話していた。
なにより、美奈にはいついかなる時もカッコいい女性でいてもらいたかった。自分にだけ弱さを見せてくれるのは優越感なれど、すぐに立ち直って欲しかった。
こんなのは美奈じゃない。自分が好きになった美奈は決してこんな軟弱じゃない。
「気持ちがないなら辞めたらいいの」
抑揚のない声音で聖歌は答えた。
「美奈、本当に自分で努力したと胸を張れるくらい頑張ってるの? 正直、聖歌にはそうは見えない。聖歌はきらりちゃんのことは嫌いだけど、あの人が頑張っていたのは知ってるの。美奈だって知ってるはずなの。その、きらりちゃんと比べて美奈は頑張ってるの? 美奈の目標は今の努力程度で達成されることなの?」
胸が痛くなった。本当はこんなこと言いたくない。大丈夫だと信じていても、もし、これがきっかけで美奈が自分のことを嫌いになってしまったらと思うと、後悔してもしたりない。
「………」
「………」
「………」
「なにか言うことはないの?」
沈黙に耐えられず、聖歌は恐る恐る答えを問うた。
「言うことなんて、ないよ」
聖歌を見つめた美奈の瞳に先ほどまでの澱みはなくなっていた。
「そうだね、そうだよね」
美奈は自分の中で納得していた。自分の目標は世界一の選手。言い方は悪いが、こんなチームでさえ圧倒的なトップを取れなくて、県内でトップを取れなくてなにが世界一か。
「聖ちゃん、ありがとう。私、頑張るよ」
聖歌はほっとした。よかった、美奈にはやっぱり厳しい言葉で発破をかける方が正解なの。
「まず、どうしよう。聖ちゃん、ちょっと、私のボール受けてくれない?」
「もちろんなの」
久しぶりに美奈のちゃんとしたボールを受けた気がした。気持ち一つでこんなに変わるもんかと、他人は言うかもしれない。けれど、気持ち一つで女の子はこんなに変われる。
調子を取り戻した美奈はすぐにエースの座を奪い返した。最後の大会、全国制覇を目指した美奈であったが、連戦を控えたチーム事情で他の選手が先発した試合で敗れてしまい、美奈は投げることのないまま終戦を迎えた。
「美奈、切り替えるの。本番の甲子園はこれからなの」
「そうだね、落ち込む時間なんてないよね」
二人は悩む暇もなく、次を見据えた。
美奈には聖歌がいたが、塁に打たれた投手が野球を辞めたという噂は数多く聞いた。
だからこそ、すぐに前を向いた花火のすごさはわかる。
七回表。花火は気持ちを入れ替える。自分の調子は良い。そう思って配球を考える。
九番柳下を三球三振に抑え、一番の美奈を迎える。
初球は内角ひざ元へのストレートでストライク。
二球目はスライダーで空振りを取り、三球目は外のストレートに美奈のバットは動けない。
二番聖歌も三球で料理し、前の回の不調を引きずらなかった。
きらり以来の評価を受ける花火の実力は紛れもなかった。その姿に美奈は敵チームながらも尊敬のまなざしを向ける。
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