第2話 夏に向けて 3

 初日の練習から活気があった。夏の予選まで三か月しかないことを考えると当たり前かもしれないが塁も昨日の興奮を維持したまま練習に入ることができた。

 一度は諦めた道。怪我の痛みはあるが、そんなことを言っているばあいではない。しかし、その塁のオーバーワークを快く思わない部員もいた。

「塁、今日はもう上がるなの」

 聖歌だった。

「いや、まだやるさ。今日で身体がなまっていることがわかったから早く取り戻さないと」

「よくないの。今のままなら近いうちに別の怪我が発生するの」

「それは大丈夫だ」

「根拠はなんなの?」

「根拠はないけど、大丈夫だ」

「は~」

 聖歌は溜め息を吐く。もう少し、冷静な人物かと思っていたが、もしかすれば美奈よりも熱いのかもしれない。

「塁は一度怪我してるの。昨日までなんのトレーニングもしてないことはないみたいだけど、それだとまた怪我するなの。実際、痛みはあるなの?」

「あはははは」

「ごまかさないなの!」

 聖歌には珍しく強い口調での注意だった。

「塁が本気なのはわかったなの。だから、今日は聖歌に付き合うなの」

「え、なんで?」

「なんででもなの!」

「わかりました」

 聖歌の権幕に従わざるを得ない。

 練習時間が終わってもトレーニングを続けようと思っていた塁は強制終了させられた。

 制服に着替え、塁は聖歌につれられる。

「あれ、聖ちゃん、もしかして塁とデート? だったら、俺と美奈も付き合うから、ダブルデートと行かない?」

 二人で帰る姿を見つけた兵夫が茶化すと、「岳夫? 聖歌がそういう冗談ほんとに嫌いなの知らないなの?」と聖歌はにらみつける。

 恐ろしい剣幕に岳夫も「そ、そうか、ごめんな」と、そそくさと立ち去っていく。しかし、ただでは転ばないのが榎本岳夫という男の性分なのか、その足で美奈へ近づくと、小声で塁と聖歌の関係性に尾ひれをつけて話、これから二人で放課後を過ごそうと誘うが、「ざ~んねん、私は野球が恋人なの。それにそんなことしてる暇があればもっと実力伸ばした方がいいんじゃないの」と、素っ気ない態度で振られた。

「軽薄な奴はしねばいい!」

 聖歌は語尾を忘れるほどの冷たい言葉を投げつけるが、可哀想だと思う部員は誰もいなかった。


 塁が連れてこられたのは西野整骨院という聖歌の自宅兼診療所だった。

「ほら、早くついてくるなの」

 塁は聖歌に言われるがまま診察室の中に通された。

「パパ、前に言ってた高松塁を連れてきたなの」

「……そこに座りなさい」

 寡黙そうな先生は風貌通り口数少なく、塁を促すと、事前に説明を受けていたのか、右肘を中心に診療を始める。塁はいきなりのことでも特に動じることはない。

 横に立つ聖歌は自信を持った表情をしているが、塁はあまり期待していなかった。

 この痛みはずっと続く。

 これでも怪我をした当時、いろいろな病院で見てもらった。その結果がこの怪我は完治することはなく、上手く付き合っていきましょうということだった。

 それから一時間。これは痛むかどうかを適宜確認され、都度マッサージを受ける。

 治療直後ということもあり、初めに感じた痛みは和らいでいる。ただ、問題は今からなにを言われるかだ。

「スポーツ選手ならどこか痛めているのは普通だ。ただ、キミはあまりリハビリとかをする方ではないようだね」

 先生は「当面の間、週に二度はここに来てほしい。このままでは悪化させるだけだ」と伝える。

「聖歌のパパを信用して欲しいなの」

 二人の言葉に塁は「わかりました」と頷く。

 実際、今までの中で一番感触がよかった。家ではこういうストレッチを、練習前、練習後にはこういうストレッチをと説明を受けて納得もできる。

 塁はこれからの予約をして、整骨院を出る。


 塁は聖歌の手を取って感謝する。塁としては単純な感謝なのだが、聖歌は「ど、どういたしましてなの」と、いきなりのスキンシップに戸惑いを見せている。

「そ、それにこれは美奈のためであって、塁がどうとかいうわけじゃないなの」

 聖歌は勘違いされないように言ったことだが、塁はなにか引っかかったのか、「美奈のため?」と、呟く。そういえば、二人がこの学校に来た理由を聞いたことはなかった。

「そうなの。聖歌の行動は基本、美奈のためを想ってしていることなの。ところで、塁は美奈の目標って知ってるの?」

「甲子園で優勝するってことを言ってたな」

「そうなの。ただ、甲子園で優勝するだけなら他の高校に行った方がいいの。美奈の目標はこの高校で甲子園優勝することなの」

「そりゃまた、難儀なことで」

「そう、難儀なの」

 聖歌は美奈の言葉を思い返して苦笑するも、その表情はまったく困ってそうにはいない。

「その影響って、もちろん」

「きらりちゃんのせいなの」

 ただ、橘きらりの名前が出ると、聖歌の言葉に棘が含まれている気がしたが、触れないことにした。

「で、夢見がちな美奈のために、聖歌がお膳立てするの。塁だって、美奈の目標が美奈一人の頑張りだけで成し遂げられるほど甘くないとわかってると思うの」

「そうだな。わかってるよ」

 甲子園で優勝することがどれほど難しいことかはまだわからないが、中学生の全国大会優勝チームの主軸だった塁は一人の頑張りだけでは優勝できないとわかっている。自分の活躍がチームの優勝に大きく貢献したことはたしかだが、自分一人で成し遂げた功績でないことも事実。

「今のチームに足りないところはいっぱいあるの。それは美奈も聖歌も、塁にもあるの。けど、美奈はこのチームなら絶対できるって信じてるの」

 聖歌は自分に熱っぽく夢を語る美奈を思い出す。聖歌が一緒のところに来てくれないと始まらないこと、神英の野球部が思っていたよりも実力を上げていたこと、そして、塁がこの高校に来たこと。

「そして、美奈は目標に向けての努力を厭わないの」

「まぁ、それは見てたらわかる」

 美奈は誰よりも野球に対して真摯に取り組んでいた。練習中はもちろんのこと、授業中も野球のことを考えているのか、よく注意を受けている。そのくせ本人は、「甲子園で優勝しようっていうんだから、このくらいは当たり前じゃないの?」と簡単にいうのだから周りが感化されないはずがない。

 美奈の姿を見ていると疲れたとか、自分は頑張っているという言葉を一度飲み込んでしまう。

「だからといって、みんながみんな、美奈のペースに乗ろうとしてもいけないの」

「そうだな」

 頑張ることは美徳だが、頑張りすぎることは決していいことばかりではない。集中力が散漫になり、怪我を誘発する。無理した結果、故障する。現に、美奈に触発された塁は聖歌に怒られる結果になっていた。

「でも」

 聖歌はいったん、言葉を区切る。

「聖歌も、美奈の目標に乗っかろうって思うの」

「なにを今さら」

 塁は笑った。高校生が野球をやっているのだ。甲子園優勝を目指さないでどうするのかと思った。

「やっぱり、……似てるの」

「ん、なにか言ったか?」

「なんでもないの。だから、聖歌がなにを言いたいかっていうと」

 聖歌は自分の言葉を隠すように早口になった。

「聖歌も塁に期待してるの。だから、あんまり無茶して怪我されるとすごい困るの!」

 美奈も聖歌も塁を計算に入れている。その期待に応えるために練習しているんだけどななんてことはいわない。

「わかったよ」

 その一言だけで十分だった。

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