第4話 神代花火の絶対王政
神代花火は打撃も守備もしない。
それはこの夏、仙水のカラーの一つだった。
自分の近くに打球が来ても処理をしない、打席ではまったく打つ気を見せない。練習試合でその姿を見た観客からは批判の声が上がった。
高校生らしくない。
もっと一生懸命しないと。
あんな選手を使うなんて監督はなにを考えているんだ。
外野の声がいろいろあろうが、仙水の監督も選手も、そして花火自身も納得しての決断だった。
それを決定づけたのはセンバツでの敗退だった。
その試合、花火は調子がよかった。しかし、相手投手の力投もあり、両チーム無得点のまま最終回を迎えた。ツーアウトであるが得点圏に走者を置いたサヨナラの場面。相手打者の打球は花火の正面に転がった。
たまたま手を出したグローブにあたり、花火の足元にボールが落ちる。花火は落ち着いてボールを握り、一塁に送球したが、ボールは一塁手のはるか頭上を通過し、ファールグラウンドを転々とした。二塁ランナーがホームを駆け抜け敗北が決定した瞬間、花火は全身から力が抜け、その場に倒れこんだ。
それまでも、地区予選で四度、甲子園でも三度エラーをしている花火であったが、試合を決する、サヨナラエラーというのは野球を始めてから、この時が初めてだった。
さすがの花火も自力では立つことができず、チームメートに肩を借りて、ベンチに戻る。チームメートが帰り支度をしている中でも花火は動くことができず、とめどなく涙が流れ出し、悔しさと情けなさで胸が一杯になった。
そして、新チームを文字通りエースとして引っ張り、チームメートにも厳しい言葉をかけていた花火の落ち込みようはこの場だけで終わらなかった。
試合後の三日間、自室に引きこもり、気持ちを落ち着けていた。ようやく練習に出てきた時には、それまでの花火から人が変わった。
元から自信家だった花火は投球練習や下半身強化にのみに練習時間を割いていたが、センバツ以降は苦手な守備や打撃練習にも時間を費やすようになり、申し訳なさからか、チームメートに対する態度も軟化させた。
チームの足を引っ張らない。今まででは考えられないような花火の言葉に初めの内はチームメートもいい変化として捉えていた。
けれど、どれだけやっても守備は上手くならない。緩やかなボールを投げることができず、暴投の数はむしろひどくなり、バントの打球ですらグローブからポロポロとこぼしている。
打撃練習でも芯に当たらず、手が痛くなっても練習をするあまり、投球する際の指先の繊細な感覚が鈍化していっているようにも見えた。
謙虚な姿勢を持つ、チームのためを想うのは人としてはいいのかもしれない。
けれど、野球人神代花火としての魅力は半減していた。
守備もバッティングも大げさでなく、小学生の方が絶対に上手い。時にはチームメートに対して暴言も飛ばす。
そんな選手が頭一つ抜けた程度の実力で、女子だからという理由で強豪仙水学園のエースを張れるはずがない。
神代花火は入学当初から圧倒的な投手としての実力とずば抜けた頭脳を駆使して、チームメートに自分が試合に出ることに有無を言わせなかった。
なにより、一年生からチームの中心選手としてチームメートが認めたのは実力もさることながら、誰よりも勝ちたいという強い気持ちを持っていることと、本人は否定するが、不断の努力の賜物であった。
練習には誰よりも早く来て遅く帰る。ランニングやダッシュではチームの誰よりも走る。仲間内でのじゃんけんでさえ、負けては悔しがり、勝つまで続ける。
その熱量があのエラーから少なくなってしまったように見えた。
そんな彼女をもう一度絶対エースになってもらうために、監督は花火への役割を明確にさせた。
「守備もバッティングもするな」
花火はことあるごとに、「投手としての目標は八十一球で二十七三振奪って試合を終わらせることでしょ。バックを信頼して打たせて取るなんてことは、投手としての能力が二流の奴がすることよ」と豪語していた。監督はそれを思い出させる。
「いいんですか?」
花火は監督の言葉を聞き返す。頭の良い花火は監督の意図を理解していた。けれど、それは批判めいたことを招くことも、チームに不協和音をもたらす可能性が孕んでいることも知っていた。
「チームの総意だ」
そして、仙水学園は神代花火を中心とするために、いくつかの決まりごとを作った。
ひとつ、守備は周りに任せる。
花火がピッチングに専念するために、できないことは周りがフォローすることにした。そのために、チーム一の俊足選手をサードへコンバートし、セーフティバント対策に守備の定位置を前進させた。
ひとつ、バッターボックスに入れば、三球、見逃してこい。
下手にバットにボールを当てるくらいなら、アウトを献上する方がましだ。そのために、他のレギュラーはバットを振る回数を倍に増やした。
ひとつ、自分の気持ちを抑えるな。
練習や試合で、自分がこうした方がいいと思うことはすぐに口にするように伝えた。
花火は傲慢と捉えられるが、愚かではなかった。基本的には理路整然とした話し方をする花火の意図を感じるようチームメートも頭を使った。
自分が認められている。
花火は気分が良くなったものの、同時に気を引き締めることを忘れない。
どうして自分にこんな特権が認められているのかをわからない花火ではない。
穏やかになってしまっていた花火の熱量は、夏の到来を前に吹きあげていた。
神代花火の絶対王政。
そんな言葉がしっくりくる。
春の雪辱を期すために、花火は自信を取り戻し、さらなる実力を身に着けた。
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