第2話 夏に向けて 5

 いよいよ夏の匂いが感じられるようになった六月。

 自分の中の感覚を確かなモノにしたい。休みなんか返上してでも、塁にはしなければいけないことが多々あった。

「塁、明日は学校休んで出かけるわよ」

 なのに、美奈から突然の誘いを受ける。

「えっ、なんで?」

 何事かと思ったが、なんてことはない。美奈と塁が夏の大会の組み合わせ抽選会に野球部の代表として、出席するためだった。

「俺はいいけど、本来は主将が行くのがいいんじゃないのか?」

 時間を無駄にしたくない塁は表立って嫌だとは言わなかったが、「あぁ、俺は気にしないでいいよ」と、主将の柳下は人の良さそうな笑みを浮かべながら、自分が行くことを拒否した。

「それに、高松の方がああいう場面に慣れてるだろうから、なにかあったとしても橘を守れると思うし」

「えぇっと、守るって? なにから?」

「行ってみたらわかるよ」

「そうですか?」

 塁は頷くがあまり理解していなかった。高校野球の規模を。なにより、橘きらりの妹という立場がどのくらいの注目を浴びるのかを。


 参加校が百校近く集まる県の抽選会場にはメディアを含め多数の人でごった返していた。

 その中でも注目を浴びるのは、やはり優勝候補に挙げられる三上ヶ原、仙水、徳春、須澄の台といった強豪校。

 けれども、今年、一番の注目を浴びていたのは。

「橘さん、今回の目標は?」

「きらり選手からメッセージはあったんですか?」

「なんでもいいので一言下さい」

「こっちに視線向けて下さい」

 抽選が始まる前からインタビューを受ける美奈。去年よりも格段に増えた記者たちに、運営も対処しきれず、美奈はまったく身動きができない状態になっていた。しかし、メディアからの注目を浴びるも、選手からは冷ややかな視線を向けられている。

 主将の言った意味がようやくわかる。美奈は慣れた問答で「今から抽選が始まりますから」と、笑顔で対応しているが、どこかいつもとは違っているように見えた。

 美奈は抽選開始時間が差し迫ってくると、ようやく解放される。

 練習でもあまり見せない疲れた表情に、塁は「お疲れさま」と、声をかけ、「それにしてもすごかったな」と、言葉を続ける。

 それに対し美奈は「すごいのはお姉ちゃんだし」と、ムスッとした表情を受けべ、「塁こそ、悔しくないの?」と、質問してくる。

「なにが?」

「まったく騒がれてないことに」

 選手の間では、美奈よりも塁の方が注目されていたと思う。あの高松塁が野球を続けるといったニュースは同年代であれば衝撃だっただろう。二年前の別次元の活躍、去年も全国優勝チームの主軸を任されていた選手が美奈の横にいたにも関わらず、メディアは塁に質問することはなかった。

 けれど、塁は「別になにも思わないさ。高校野球でまだなにも実績残してないから仕方ないことだろ」と、あっけらかんとしている。

「それを言うなら私だってそうだもん。騒がれるほどの結果はまだなにも残してないのに」

「でも、嫌ならなんで来るんだよ。こういう状況になるってわかりきってたことだろ?」

「塁ならわかるでしょ。私は嫌だっていってもどうしようもないの」

 この場に自分が来ないとわかればメディアは自宅や高校に出向いてコメントを求めてくるだろう。そうなれば、家族やチームメートに迷惑をかけてしまうだろう。美奈はそれを理解していたので、この場所に来た。

「大変なんだな」

 塁も囲み取材というものを受けたことはあるが、記者の人数もかけられた時間も今の美奈の比ではない。

「でも、塁も慣れないといけないよ」

「どうしてだ?」

「だって、私たちは甲子園で優勝するんだから話題性も含めて騒がれすぎないことはないでしょ?」

「すごい自信だな」

 塁は苦笑しながら口を閉じた。

 いよいよ抽選会が始まる。

 新人戦や春季大会で不振だった名門校がどのグループに入るのか、前評判の高い高校がどこと対戦するのか。

 基本的には自分たちの高校しか興味のない高校生も好カードが組まれれば自然と声も出る。

「神英高校四十八番です」

 主将の代理で塁がボックスの中から引いた番号を宣言すると、今日一番の歓声が上がった。

 なぜなら、一回戦の相手は優勝候補の一角、仙水高校。去年の夏の県準優勝校にして、今春のセンバツベスト8の強豪。

 ただ、観客が声をあげたのにはもう一つ理由がある。

 仙水のエース、神代花火。

 橘きらり以来、甲子園の土を踏む女性選手は増えたが、背番号一を背負って、甲子園で二勝以上を記録したのはきらりに続いて二人目の快挙だった。

 観客からは次世代の女性エースを懸ける一戦として捉えられた。

「なんてとこ引き当てるのよ」

 さすがの美奈も席に戻ってきた塁に文句を言う。注目されるのは仕方がないと割り切っていたが、相手が神代花火になるとは考えていなかった。

「いいじゃん、どうせいつかは当たるところなんだろうしさ」

「そうは言っても」

 そんなことよりも、塁には気になることがあった。

「仙水って、あいつの進学先だよな」

 一人の男の顔が浮かぶ。

 喧嘩別れしたわけではないが、あれ以来、顔を合わせるのはもちろんのことメールでの連絡もしていない。

「ちゃんと話せってことなのかな」

 塁は自分のことで頭がいっぱいになり、美奈の小言を聞きのがしていた。


 抽選会が終わり、各校の選手は各々の学校に戻っていく。けれども、注目選手筆頭の美奈の元には取材陣が殺到し、なかなか会場を抜け出せないでいた。

「今日の対戦相手を受けて、なにか一言」

「きらりさんとはなにか話をされるんですか?」

「今回の目標は」

 美奈のコメントを貰おうと、取材陣は必至だ。けれど、誰も美奈のピッチングを見たことはないのだろう。全員から当たり障りのない質問を投げかけられ、やりきれない表情を美奈は浮かべていた。

 塁はその光景をじっと見ている。

「強い相手なので、胸を借りるつもりで勝負したいと思います」

「特になにも話さないと思います」

「まずは一回戦を突破できるように頑張ります」

 顔を引きつらせながら、殊勝な言葉を並べている。

「一回戦の相手、神代選手について思うところはありますか?」

「同じ女性選手としてどういった印象を持ってますか?」

 当然、メディアは一回戦の相手にも興味を持ち、質問を投げかけるが、美奈は当たり障りにない言葉に終始する。

 ただ、優等生的発言だけでは紙面のインパクトは弱いのだろう。取材陣はもっと大胆なコメントを貰おうと、質問の内容も美奈の交友関係や個人的嗜好に踏み込んだものになり、美奈はどう答えたらいいのか戸惑うようになっていた。

「なるほど、柳さんが俺に行けって言ったのはこういうことか」

 今になって、主将がなにを言っていたのかわかった。このまま放っておけば美奈はメディアのおもちゃになりかねない。美奈への注目を分散させるのなら、たしかに塁が適任だろう。

 元々パフォーマンスは好きではないし、なにかを言うなら、結果を出してからと決めていた。

 けれど。

 塁は取材中の美奈の前に強引に割り込んだ。記者たちから文句を言われる前に、「俺がナンバーワンになってやる」と、すべての記者に対して、すべてのカメラの前で、ここにいるすべての選手に向けて突然宣言した。

 あまりにいきなりのことでその場にいる全員が唖然とする。

「高松塁! 甲子園のスターになるこの名前と顔を覚えとけ、損はないからな!」

 呆気にとられる周囲をよそ目に「ほら、行くぞ」と、塁は美奈の手を取って、駆けだした。

 二人の退場に、誰も声をかけれない。いや、かける言葉が見当たらない。

「やっぱり、……バカ」

 美奈は手を引かれながら呟く。

「なんか、いったか?」

「ううん、なにも。それより、自分でハードル上げて大丈夫なの?」

「なんとかなるだろ」

「あれだけ期待されるのが嫌だったのに?」

 初めての塁との打席を思い出す。

「俺はもともと期待されるのは嫌いじゃない」

 塁ははっきりと断言した。

「ふふっ、期待してる。でも、私も負けないから」

 美奈は塁に、なにより自分に言い聞かせる。

 いよいよ、高校球児にとっての熱い、熱すぎる夏が始まる。

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