幕間

 自分の視界に映る、周囲と比べても一際小さな少女に何万という観衆が声援を送っていた。

「ガンバレ! ガンバレ!」と、幼い少女はただ祈るように、マウンド上の少女に向かって、声を張り上げる。

 周りも同じ気持ちだろう。

 時刻は午後一時十二分、鈍い金属音が鳴り響く。

 不思議なことに、あれだけの人たちもその瞬間は息を飲んでいたのか、その音ははっきりと聞こえた。

 白球は天高く飛び上がり、風に流されゆっくりと落ちてくる。

 少女は一歩、二歩と下がり、落ちてくるボールから目を離さない。

 グローブに感触があった。呆れるほどに軽い。

 もしかして落としたのかもしれない。しかし、グローブの中にボールはしっかりと納まっていた。

 自分が追いかけてきたモノのあっけなさに思わず笑みがこぼれる。と同時に、溢れんばかりの叫び声が球場を支配した。

 その歓喜の中心には背番号一を背負った少女。彼女の目にはうっすらと光るものがあった。

 県大会の決勝戦。今日の勝利で私立神英高校は初めての甲子園出場を決め、橘きらりにとっても念願成就の日になった。

 選手たちはゲームセットの合図の後に、スタンドへと駆けてくる。爆発しそうな感情を必死に抑え、観衆に感謝の気持ちを込めて、一礼をした。

 チームメイトがベンチへと笑顔で戻る中、きらりだけはその場から動かず、一人の少女をキョロキョロと探した。きらりは少女と目が合うと、にっこり微笑み、話しかける。

「次は美奈の番だよ」

 周囲の熱狂のせいで、声が聞こえることはなかったが、きらりの口元ははっきりとそう告げていた。

 その一言は少女、橘美奈が野球にのめり込む理由としては十分すぎた。

 きらりに話しかけたくても、すでにきらりの周囲は報道陣に囲まれ、言葉を伝えることはできない。

 美奈は代わりに大きく頷いた。

 きらりは美奈にとって、ヒーローそのものであり、今もなお、女子選手の先駆けとして、プロの世界でも活躍している。

「これでもう、夢を見ないでいいですね」

 次の日の新聞各紙にはきらりの言葉が大きく掲載され、彼女の登場により、日本のスポーツシーンは大きく変わった。

 第二の橘きらりを発掘しようと、スポーツ機構は施設、設備、プログラムを整えた。

 その結果、数は少ないものの、幾人か男子に交じって結果を出す選手も現れるようになった。もちろん、彼女たちの真っ直ぐな熱意と努力のたまものにより達成されたことは言うまでもない。

 メディアで取り扱われる彼女たちのようになりたいと、自分もスポーツを始めるという好循環も生み出した。

 しかし、この取り組みに問題点がないわけではない。

 例の一つとして、男子スポーツの世界に女子選手の出場が認められたといっても、これは規則に一文加えられただけで、現場サイドでは今でも女子の参加に難色を示しているものは多い。

 いくら男女の垣根が和らぎ、どれだけ女子選手が素晴らしい活躍を見せようとも、それは片手にも満たないごく限られた人数であり、男女間の身体能力の差が著しく縮まった訳ではない。そのせいか、男子に体力で劣る女子が男子に交じって運動部に入部するもすぐに退部するという話は多い。

 考えが古いわけではないのだろうが、まだまだ女子スポーツ選手への偏見も根強いのが現状だ。

 それでもあの日、橘きらりに惹かれて、同じ道を目指すのは橘美奈にとっては当然のことだった。

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